自衛隊のイラク派遣の是非が問われている。しかし、例えば、以下のようにすれば、すべて単純明解になり、矛盾の取り繕いに汲々とする必要はなくなるのではなかろうか?
- 自衛隊を「人道救急隊」的な名に改める。自分たちを守るために他人を殺す軍隊ではなく、自他を問わず艱難にあっている人を救う組織として位置付ける。いわば、一切有情を隔てなく救うために苦を厭わない菩薩の部隊である。(ただ菩薩隊というと他宗教の地域に入れなくなるといけないので「人道救急隊」みたいな名前にしておく。自衛隊の実際の活動は既にこれに近いのではないだろうか。)
- 人を殺す訓練はやめて、救命・衛生・土木建築、また語学や異文化の中で現地の人達と協働するスキルなどを磨く。
- 制服・車両・航空機・船舶、すべて迷彩色をやめ、蛍光オレンジなど目立つ色にする。ステルスとは反対にレーダー電波を反射する塗装を施し、救急車のサイレン・赤色燈のごとく、自ら電波を発信し所在を知らしめて活動する。
- 自衛のために必要な武器は装備する。上記活動に不要な武器は廃棄する。
- 海外展開に必要な装備(長距離輸送機とか)は持つ。災害が頻発する地域があって、必要であり、かつ現地の了承があれば海外基地も可能とする。
- 出動する場合は、必ず事前に、理由・目的・プランの詳細を公表する。
- 活動中のチームの展開状況は、常にネット上に公開する。交信に暗号は使わない。出動中の車両等には、カメラ・マイクを固定し、ライブ映像をネットに配信しつづける。プレスの同行・取材はけして拒否しない。
- 上記に違反した場合は、侵略軍として攻撃されても文句を言わない。
「人道救急隊」は、以上のように boots on the ground として、(アリバイ作りに止まらぬ)実効あり賞賛される活動をする。でも、それだけでは充分ではない。外務省はじめ政府が、自ら恥じるところなく正しいと信ずる主張を、世界に訴え、世界と議論し、世界を説得していく必要がある。両方が働いてこそ、国際世論を味方にする事ができる。
・・・・やっぱりおめでたい空想だろうか? 「人道救急隊」にはともかく、日本政府にこんなことを期待するのは阿呆だろうか?
しかし、武力で脅しをかけて、下手をすると本当に有情の上に爆弾を落とすことになりかねない準備にお金をかけるより、世界に正しい貢献をし、正しい主張をし、世界の世論を味方につける事の方が、はるかにチャレンジしがいのある事だと私には思えるのであるが、どうだろうか?
軍事大国ではなく、人気大国に。世界のスター、世界のアイドル、世界の良心、世界の賢者を、目指せ、ニッポン。
今回は、他の更新はありません。
2003年6月28日
milumo2さんに返事を送付。フラットさんとのその後のやりとり共々、意見交換のページに掲載。
2003年6月19日
安部さんに返事を送付。欲と快楽と苦について。フラットさんから、喜怒哀楽の周囲との共有についてメールを頂き、返事を送付。
テーラワーダ仏教協会の実践会で知り合った佐藤哲朗さんのHPをリンクのページに追加。同HPの『大アジア思想活劇』は大変おもしろいのでご一読をお薦めします。週刊文春の宮崎哲弥「異見あり」のチベット仏教活仏・輪廻批判について、「捨」について等、佐藤さんと意見交換。
2003年6月10日
日本テーラワーダ仏教協会の宿泊実践会に参加した。青木庸三さんに以前ご紹介頂き、蛭川立氏の「彼岸の時間」でも触れられていたので、期待して行ってみたのだが、予想以上に多くの学ぶところがあった。小論集で報告。
安部さん、milumo2さんからメールを拝受。欲について。修証一等について。すみません。まだ返事はお出しできていません。
2003年5月26日
milumo2さんよりメールを拝受。
「遺書」をアップ。といっても死のうと思っているわけではないので、ご心配なく。無我なる縁起の現象として自分が刻々と死につつある事を自覚するための方策のつもりなのだけれど、自覚が足りないので凡庸な内容にしかなっていない。
2003年5月7日
milumo2さんよりメールを拝受。「小論文に関する意見」。
「白装束の集団」への対応は、地元も警察もマスコミも行き過ぎだと思う。重大な犯罪や大きな実害が見つからないうちにあのような扱いをすれば、先鋭化させているようなものだ。それに、これが先例となれば、まとまな団体、まともな個人に対しても、法律の過剰適用による、又は法律を超えた、同様な干渉が恣意的に可能になるのではないかと危惧する。
2003年4月24日
岡崎 司さんから。メールを拝受。自己の成立について。
4/19信濃毎日新聞で、アメリカ政府に、小型の「使いやすい」核兵器の開発を画策する動きがあるとの記事を読んだ。日本政府は、どういう姿勢でアメリカ政府と付き合うのか、もうそろそろはっきりさせねばならないのではないか。平和憲法を持つ唯一の被爆国としての理念を第一義にして突き詰めていくのか、あるいは、イラク戦争の時のように、自国の「国益」のためには他所の国に(小型核)爆弾を落としても良いとするのか。
2003年4月12日
蛭川立「彼岸の時間」春秋社を読んだ。世界各地での実地体験を元にシャーマニズムやドラッグなど様々な視点から原初の宗教を語っており、一部共感しにくいところもあったけれど、全体としてはおもしろかった。中に、サマタとヴィパッサナーの2種類の瞑想に関する記述があり、刺激を受けた。ヴィパッサナー瞑想については、青木庸三さんから教えていただいた事があるのだが(02,5,12,のメール)、当時は何も知らなかったのでトンチンカンな対応しかできなかった。ひとつのテーマとして勉強して見る必要がありそうだ。
林 雅也さん、Kaori Chibaさんからメールを拝受。
サイト全体のボリュームが増えてきて、自分でも何をどこに書いたか分からなくなることがある。ホームページの下方に(スクロールの要あり)Googleによるサイト内検索をつけた。結城浩さんのサイト(www.hyuki.com/)が参考になりました。ありがとうございます。Googleの性質か私が悪いのか、完璧ではなくかなり漏れが多いので、あまりあてにせず使ってください。
2003年3月27日
安部さんからの返事、岡崎さんからのメールを意見交換のページに掲出。
2003年3月23日
意見交換のページに安部さんへの返事をアップ。「自己を拠り所に」の「自己」とアートマンについて。
しつこく時事問題を。
第二次大戦で、日本は、「欧米列強からの亜細亜の解放」といったスローガンを唱えた。それは理念としては素晴らしいものだったかもしれない。しかし、結果を見れば、東アジア、東南アジアの人々から賞賛されたとは言い難い。なぜか。口で理想を唱えながら、本心のところでアジアの人々に対する尊敬の気持ちを持っていなかったからである。勿論一部の例外はあろう。しかし、総体で言えば、アジアの人々を見下し思い上がっていた。
戦後生まれの私が何故そう思うのか? 戦後40年程経た時点で私が会った日本企業のアジア駐在員のかなりが多少なりともそうだったからである。戦争中に銃を肩にしていれば、もっと多くの割合が思いあがっていたに違いない。中国戦線に一兵卒として従軍したとある老人が晩年にもらした言葉が忘れられない。
アメリカ政府は、アラブ世界、イスラム世界に民主主義をもたらすのだと公言している。しかし、ブッシュ大統領をはじめとするアメリカ政府関係者の発言に、アラブ世界・イスラム世界の歴史・文化に対する敬意があるとはとても感じられない。残念ではあるが、彼等は、八紘一宇を唱えた日本と同じ轍を踏んでいる。
イラクの民衆にとって、現状は、赤鬼をやっつけに青鬼がやって来た、という感じではないだろうか。
2003年3月22日
アメリカ政府は正当な手続きを経ることなく遂にイラクに攻め込んだ。現在のアメリカ政府は、近視眼的であり、視野が狭く、自らの思いこみに酔っている。自分では、正義の使徒のつもりかもしれないが、短絡的であり、野蛮である。多様性を見る目を持たない。カオス的世界において自らの行いが何をもたらすか、注意深さに欠ける。
サダム・フセインがクルド人にマスタードガスを使ったことは忘れてはならない。しかし、サダム・フセインとアメリカ政府を同列に扱うのはアメリカ政府に失礼であろう。力のある者には、その力にふさわしいだけ、紳士的に振舞う責任があるはずだ。自分の理屈だけで突き進むアメリカ政府をどう統御するか、それが今後の国際世界の課題になろう。
北朝鮮問題があるから、アメリカ政府に盲従するしかない、それが日本の国益だという。自分では何の対応もできないから、「強い」アメリカに丸投げするのだと。しかし、洗練からほど遠い今のアメリカ政府に下駄を預ければ、b烽ナきないから、「強い」アメリカに丸投げするのだと。しかし、洗練からほど遠い今のアメリカ政府に下駄を預ければ、かえって余計な災い・混乱を招くことになりはしないか。
アメリカ政府の一部には、躍進する中国を牽制する為、日本の核軍備に言及する輩がいるそうだ。もしそれが本当なら、日本にはそれに呼応してはしゃぎまわる輩が必ず出てくる。その構図は、かつてイランのイスラム革命の拡大を恐れたアメリカ政府がサダム・フセインを支援した時と同じではないか?
力による駆け引きのリングに、日本は登ってはならない。力ではなく、正しさによってものごとを決める、そういうルール・仕組み作りに努力すべきだ。残念ながら現在は力が物事を決めているのかもしれない。しかし、いつまでもこのままでいい筈はない。望ましい未来に向けて懸命に努力をする。ぎりぎりのところまで万策を尽くしたのなら納得もしよう。しかし、とてもそうは見えない。靴紐も結ぼうとしない甘やかされた子どものように、最初から親(分)に丸投げだ。
今回のアメリカ政府の一連の行動によって、世界の反米感情は高まった。アメリカ政府の意図とは反対に、アメリカとその支持国へのテロの可能性は高まってしまった。この文章を、テロリストが読んでくれるとは思わないが、テロリストには、アメリカ政府とアメリカ国民は異なると言いたい。アメリカ国民のかなりが、この度の攻撃に反対している。一般市民に害を及ぼしてはならない。それは、憎しみの拡大再生産のサイクルを加速する。
今後、いかなる政府より強くなり得るものがひとつある。世論だ。世論に支持された者が勝利する。勿論浅薄なプロパガンダであれば、ばれた時の傷は余計に深いことは胆に銘じて頂かねばならない。我々も、一人一人が責任を持ち、感情的にならず注意深く見る必要がある。そして意見を表明すべきだと思う時は、堂々と声を上げよう。これもまた、衆生から少しでも苦を抜く行いである。
今回の更新は、この一文だけである。
2003年3月17日
意見交換のページに hannnyaさんからの返事、安部さんへの続信(そのつど性と一貫性について、前回より少し丁寧な説明)と頂いた返事を掲出。
2003年3月7日
意見交換のページに hannnyaさん、安部さんへの返事をアップ。
2003年3月4日
小論「無我なる縁起の現象に主体性は、、」に若干の加筆。ノエシスという言葉も、名詞であるが故に実体化される危険がある。「私は、そのつどの縁へのそのつどの対応である」と言い換えたい。
CHINESESOUPさん(02,12,4,)、山崎清巳さん(03,2,7,)のメールに返事を送付。安部さん、hannnyaさんからメールを頂戴した。(意見交換のページ)
リンクのページ、Libraさんの「Nothing to you」のアドレスを変更。The Heart Sutra Home Page、Leoさん、hannnyaさんのホームページを追加。
2003年2月26日
安部さんからご指摘を受けたテーマ、縁起と主体性について、ようやくまとめることができました。一応の目算はあって書き始めたものの、書いていくうちに次々と問題が噴出し、理路整然からは程遠い仕上がりです。取り立ての渋柿のようなもので、食えるようになるにはもっと時間をかけて熟成させる必要がありそうです。それでも自分なりに新しい収穫もあったので、渋さをこらえて読んで頂き、熟成のために御批判を頂けると幸いです。(小論集のページ)
安部さん、山崎清巳さんからメールを拝受。
間違った風潮にはひとりひとりが声を上げねば大勢の有情が苦しむ事になるので、自分には不向きだとは重々知りつつ時事問題に口を挟む。
アメリカ政府は、フセイン政権が国連決議に違反していると糾弾している。一方で、自らは、国連が反対してもイラク攻撃を辞さないという。国連を無視する点では、同じではないか?
アメリカは、冷戦終結後、ただ一人突出した軍事力を持ち、経済的なパワーも他を圧倒している。であれば、アメリカ政府には、それにふさわしい義務と責任があろう。しかるに、アメリカ政府は国連分担金を出し渋っていたし、温暖化など環境問題についても、自国の利益のみを考えて地球全体に対する自国の影響を省みようとしない。
犯罪者とおぼしき者であれ、適切な手続きを踏んで対処するのが筋であろう。怪しいから問題を起こす前にぶっつぶすなんて、まるで開拓時代のリンチような「古い西部」だ。
パシリ(死語か? 不良の取り巻きでタバコを買いに行かされたりしている下っ端)のような日本政府も情けない。国益のためならよその国で戦争を起こす事に賛成するのか? そこでは沢山の人が暮しているのに。尻馬に乗れば国際貢献になるのか? 違った視点を提起する事こそ世界への貢献になる。青臭い理想論と笑われてもいい。日本くらいしか理想を主張できる国はないと思う。戦争には反対、それを絶対の前提とすれば、どういう方策があるのか、必死に探すべきだ。外交はそんな甘いものじゃない、とプロの方はおっしゃるかもしれない。しかし、金を出せといわれれば金を出し、賛成しろといわれれば賛成する、そんな言われるままなら外交のプロなんてとても呼べない。
2003年2月2日
更新が遅れているので、近況報告を。(すみません、時間稼ぎ、言い訳です。)
せっかく退院したのに、母がまた入院した。先の手術の後ドクターから「金属を入れてもう折れないくらい強くなった。歩いてもいいが、多少勝手が違うから、また転ぶ恐れがある。その時は、反対側の股関節が折れる可能性が高い」と注意されていたら、そのとおりになった。先日2度目の手術も無事終わり、抜糸したら退院の予定。
そんな訳で、HP更新が遅れてる。現在は、安部さんから問題提起を頂いて「無我なる縁起の現象に主体性はいかにして可能か」を考えている。前の小論「動物進化と自己意識の発現」の焼きなおしになりそうだが、私には依然未消化で、木に竹やプラスチックや鉄パイプを継いだような論旨にしかならず、読み返しては頭を抱えている。まがりなりにも7割くらいは文章にしたけれど、あとの3割はまとめられるのか、少しは全体の流れを整えられるのか、、。頑張ります。いくつか自分なりに新しい発見もあるので、またご批判をお願いします。
もうひとつ報告。かわいがっていた猫(キャンディ)が死んだ。前回の更新のすぐ後、目をうるませて変な咳をしているなと思ったら、姿が見えなくなり、翌々日、いつも寝ている箱の中でうつむいて荒い息をしていた。その次の朝にはもう、足を突っ張り歯を見せて硬くなっていた。猫のくせに足にまとわりついたり人懐っこく、いつもにゃーにゃーと食べ物をねだっていたのに、、。前回の更新でシュレーディンガーの猫などとつまらない冗談を書いたせいだろうか。本当に小さな箱の中で死んでしまった。その日、用事で車で出かけると、フロントガラス越しの空は青々と広がり、春のような雲が二つ三つ馬鹿馬鹿しい程のどかに浮かんで、前の夜のキャンディの苦しみとの隔たりが嘘のようだった。遠く南アルプスの峰々は白く連なり、猫一匹死んでも、世界は気に留めることもないんだと、あたりまえのことをあらためて感じた。
更に追加。先ほど、犬を連れて近くの松林に散歩に行ったら、猟友会の人達が、鹿をしとめて解体していた。(畑に猪や鹿がでて農家は随分被害を受けており、猟友会に協力を仰いでいる。)投げてくれた肉片を犬ががつがつ食べたので「これもやるか」と膝から下に肉のついた足を1本分けてくれた。足首を掴んで家まで下げて帰ったら、一番下の娘は「鹿さん可哀相」と言っていたが、私には、鹿は勿論だが、同じ命だのにその死に尻尾を振って興奮する犬のほうがよけい哀れに思えた。かく言う私も、命をむさぼって生きているのだが、、。
今回はこの更新情報だけの更新です。
2003年1月14日
明けましておめでとうございます。
新年は、母の病室の簡易ベットで迎えました。それにしても、看護婦さんたちの、汚いものを汚いと思わず、明るく元気な介護には、感銘を受けました。手術もうまく行き、お蔭様で経過も順調です。
tom-halさんから、松本史朗「禅思想の批判的研究」に対するご意見をさらに2通拝受。安部さんのメールに返事を出しました。子供の死、自分の死、仏教は運命論か。
2002年12月26日
23日に83歳になる母が転んで、肩と股関節の骨を折ってしまった。しばらく入院して手術ということで、泊まりの付き添いをしております。あまりいっしょに居てやれていなかったので、いい機会かもしれません。時々家に戻った時しかパソコンに向かえないので、返事が少し遅くなりそうです。ご容赦下さい。縁起の世界、いろいろな事が起こります。
安部さんのメールを意見交換のページにアップ。
松本史朗先生の中論の「実義」に関する論考について、思うところを「小論集」にアップ。世界の全体を捉えたと思うのは危険な妄想であると認識できたのが収穫です。
上の事情でおそらくこれが年内最後の更新になるでしょう。来年は新しい戦争が起こりませんように。良い年をお迎え下さい。
2002年12月17日
一昨日近所の山に軽トラックで登りました。遠く南アルプスが連なり、中央アルプスは眼前で白く輝き、とても美しかった。帰り道、凍った急傾斜はひやひやでしたが。
12月4日以降に頂いたCHINESESOUPさん、tom-halさん、田村和廣さん、安部さんのメールをアップ。
2002年12月11日
先日上野の国立博物館へガンダーラ彫刻展とマトゥラー彫刻展を見に行ってきた。ガンダーラの方はヘレニズムの影響が色濃いとの予備知識があったのでさほど期待していなかったが、マトゥラーは、なにか仏教の原点らしきものを感じさせてくれるのではないかとの思いがあった。だが、マトゥラーの仏像も、どうやら土着の神ヤクシャ(夜叉)の像を元に仏陀の身体的特徴とされるものを加えて始まったらしく、どこまで仏教的と考えていいのか、はなはだ心もとない。かなたに望遠鏡を向けて太古の宇宙を覗こうとするように、釈尊は遠く捕らえ難いと改めて感じさせられた。
マトゥラーにせよガンダーラにせよ、釈尊からは600年ほど隔たっているわけで、そこに釈尊の面影を見つけようとする方が間違っているのだろう。それ以前の、菩提樹や台座や鉢によって象徴的に釈尊を示そうとした方法のほうが、かぼそくともまだ釈尊の残り香への手がかりが残されているのかもしれない。
象徴による表現に飽き足らず具象的仏像を作った人々は、対象化・いつも化の誘惑に負け、釈尊に執着してしまったのだろう。釈尊が菩提樹の下で悲観的な思いにとらわれたとおり、無我=縁起の教えは人間の自然なものの見方に反し、まことに保持し難い。
tom-halさんからの「禅思想の批判的研究」についてのメールに返事をお送りしました。分別知と無分別知、仏教と反仏教について。
田村和廣さんからは、仏教と科学についてメールを頂き、こちらにも私見をお送りしました。
以上、今回もまた意見交換のページの更新です。
2002年12月4日
史実かどうか分からないが、釈尊の成道は12月8日の明け方だったとされている。禅寺の僧堂では臘八大接心(12月頭の集中修行の1週間。釈尊成道にちなみ最も重視される。)の只中だろう。
谷真一郎さんから退職のお祝いに本を頂いた。仏典解題事典。経典・論書が網羅されており、自分の接した仏教がいかに浅く狭いか痛感する。
今回もまた意見交換のページの更新です。3通のメールを頂き、3人の方に返事をお出ししました。
・・・・・・・
*森田和明さんへ:アドレスが分からなくなってしまい、ホームページ上の返事となりました。お許し下さい。
*ユキオさんへ:私信メールを古いアドレスにお送りしましたが、戻ってきました。もしこれをご覧になれば新アドレスお知らせ頂ければ幸いです。
2002年11月23日
9月に頂いていたbrounさんからのメールが、私の不手際でそのままになっていました。遅まきながら、お返事を出して、掲載致しました。オートポイエーシスについての意見交換にすばやく呼応して頂いたのに、申し訳ありません。
S.A.さんから頂いたご質問に返事を送付。私の疎いテーマなのでまともにはお答えできませんでした。どなたか詳しい方、アドバイス頂ければ幸甚です。
以上、またまた意見交換のページでの更新です。
2002年11月19日
ストーブの煙突が詰まってしまった。鳥が巣を作っていたのを、息子に取ってもらったのだが、作りそこなった巣が煙突の中に落ちているらしい。モンキーレンチの重たいのに紐をつけて落としたり、ホースで下から突ついたり、いろいろやってみたが、屈曲部で栓となってびくともしない。どうすればいいのだろう?
10月20日に貰っていた青木さんからのメールに返事をお送りしました。
2002年11月12日
会社を辞めて12日が経ちました。でもその実感はまだありません。相変らずバタバタと過ごしています。
ADSLを入れて、パソコンが2台になったのでLANを張ろうと欲張ったらうまくいかず、使いなれたパソコンが使えなくなってしまいました。メモリが足りないのか。いまだダンボールを積み上げた中で家族用パソコンに向かっています。
農作業の方は、田んぼにワラをまいて、柿を落として、富士(リンゴ)の収穫も始まりました。作物を相手にしていると、ある作業ができるのは季節の中のほんの短い期間で、天候にも左右され、ぐずぐずしているとすぐ時機を逸してしまう。我々はみんな縁起の中で生きていると実感します。
そんな訳で、規則正しい「半分出家」生活には程遠い状況です。「メールの返事も早く出せる」と言ったくせに、先月半ば以降頂いた5通のメールには、まだどなたにもお返事できていません。お許し下さい。
今回もまた意見交換のページの更新です。
2002年10月20日
Pat Smithさんから2通目のメールを拝受。「いつも化」について様々に検討していただき、私の思っていなかったところまで概念を拡大していただきました。頂いたメールの内容を未だ消化できず、返事はしばらくお時間を下さい。
Fukada Norioさんに返事をお送りしました。円成実性、宗教性、超越的なもの、分別知について。
今回も意見交換のページの更新です。
2002年10月7日
萱谷さんから「空」についてのメールを拝受。「空」の意味の変遷について、私の考えをお送りしました。Fukada Norioさんからも久しぶりにメールを頂きました。円成実性について。
今月末で会社を辞めて、いよいよ完全な田舎暮らしに入ります。Fukadaさんへのメールにも書きましたが、仕事は捨てるが家族は捨てない「半分出家」生活です。仏教にかける時間を増やすつもりですので、返事も少しは早くだせるようになると思います。
生活体勢の再構築に伴い、ホームページのURLとメールアドレスを変えました。皆さんにはお手間をかけて申し訳ありません。今後ともよろしくお願い致します。
2002年9月11日
前回 萱谷さんにお送りしたメールに、返事を頂きました。私の文章に舌足らずな部分があったようで、早くお返事をせねばなりませんが、例のごとく遅くなっております。
Pat Smithさん、森田和明さん、kogaさんからメールを拝受。Pat Smithさんにしかまだ返事をお出し出来ていません。オートポイエーシスをあてはめた未消化な思い付きです。どなたか間違いを正して頂けると本当にうれしいです。宜しくお願いします。
2002年8月30日
8月4日に頂いていた萱谷 和之さんのメールに返事を送付。釈尊と荘子とゼロの発見について断片的な印象です。
2002年8月22日
暑い夏が、やっと一昨昨日あたりから一段落したような気配です。あれだけ辟易していたのに、過ぎてしまうとなると少し寂しい。もう一度残暑がもどるでしょうか?
盆休みは9日間とりました。母親の世話や、村のイベントや、いろいろありましたが、これだけ時間があり、しかも暑いと、無為に過ごす時間が長く、これではいかん!と思いましたが、あわただしい日常にもどってみれば、忙しいばかりで、何をどれだけ成し遂げているのか、甚だ心もとない。小人閑居して不善を為す、といったのは、孔子だったか孔子の弟子だったか。私とて小人には違いありませんが、慌ただしく過ごして充実した気でいるより、少し時間を持て余して、生の無意味さに直面した方がまだましかもしれないと感じています。
また今回も意見交換のページの更新です。
2002年7月20日
前回の更新から2ヶ月以上過ぎてしまいました。サッカーに呆けていたという訳ではありません。(もう古い話題か)
今年2月以降、覚ったと断言される方(仮にXさんとしておきます)から継続的に60通を超えるメールを頂いています。今のような書き方をするとなにかアブナイ人のように思われたかもしれませんが、けしてそうではありません。確かにわたしとしても、Xさんが本当に覚っておられるのか、判断をつけかねてはいますが、そのメールは実に巧みな比喩に満ち、法華経や禅籍に独自の深い解釈をしておられます。この私をなんとか分からせてやろうとして下さっており、その意気込みは60を超えるメールの数として端的に現われています。
それらのメールを読み解くことは、愚昧なわたしには未だ荷の過ぎた仕事ですが、想像できた範囲で紹介すれば、以下のようなことになるかと思います。
発心は慈悲によって発動する。自らの日常の反慈悲的有り様と人が自分に掛けてくれている慈悲を見つめることが解脱への道であり、我欲・我執の日常性を裏返して慈悲になりきることが覚りである。覚った後は、ひたすら人を覚らせようと慈悲に励む。仏教とは、最初から最後まで慈悲に尽きる教えである。
Xさんからすれば、間違っているかもしれません。そうでなくとも非常に部分的な理解だと思います。Xさんのメールをすべて公開できればいいのですが、お許しいただけないので、拙い要約に留めます。
Xさんの仏教は、私の「無我=縁起」とはかなり違うように見えます。でも、本当は通底しているのかもしれません。あるいは、どちらかが仏教でどちらかが仏教でないのかもしれない。勿論、両方が仏教でない可能性もありますが、、。性急に答えを出す必要はないので、Xさんの考えはこれからもことあるごとに振り返り、反芻していこうと思います。なにか発見があれば、改めてご報告します。
谷さんとたかたんさんからメールを拝受。たかたんさんには返事をお出ししました。意見交換のページでご覧になって下さい。
2002年5月14日
4月1日に頂いた青木庸三さんからのメールに返事を送付。山での超越的経験、価値、自然について他。
青木さんから早速お返事を頂きました。連休中に上座部の瞑想の指導を受けられたそうで、貴重な体験のご報告を頂戴しました。
2002年4月19日
禅定体験・解脱体験のメール(2/24)を頂いた杉浦さんから、私の質問に詳細な返事(4/13)を頂きました。意見交換のページでご覧になって下さい。私からの返事は、まだお出しできていません。
杉浦さんが本当に解脱仕方のない事。言葉がぎりぎりのところに届かないのは、重々承知なのですから。
細部の形式的矛盾は置いておいて、「無我=縁起」という私の仏教理解の仮説・戯論と明瞭に対立する要素があるとは感じませんでした。杉浦さんのメールも参考にしながら、私自身もっと仏教の理解を深めたいと思います。
杉浦さんの説く修行法の核心は、自分を観察する事に尽きるように感じました。また、杉浦さんは、解脱までに必要な時間は、せいぜい数ヶ月だとおっしゃっています。それを読んで、山下宗純さん(LINKのページからHPに飛べます)の、「ゴーダマ・バガヴァットの存命中は、現代の我々が思うよりはるかに短時間で多くの弟子が阿羅漢になり、さらにはブッダになった人もいた。十二支縁起や四諦八正道といったレベルでさえも、釈尊は難しい理論を説かれることはなかった」という主張を思い起こしました。確かに、釈尊の教えは、「戒律を守り、極端を避け、規則正しい平安な生活の中で、よくよく自分を見つめなさい」といった、ある意味単純なもので、縁起や無我はまだ明瞭に言葉として捉えられていなかったのかもしれません。無我=縁起の教えは、自己観察を突き詰めた結果得られるものを、サーリプッタ達が後づけで説明したものだと山下さんは考えておられます。自己観察の修行は、いってんさんご推薦の「少林窟道場」(LINKのページ参照)の「行住坐臥、一々の行いを意識しながら行え」という指導とも通底するのかもしれません。
今の私は、戯論・分別偏重なのでしょうか。戯論・分別は、自分が誤ったままそれに気付かず自己満足していないかどうか検証するために必要であるのは間違いありませんが、自分を離れた抽象的学習だけではなく、自分のあり方に密着して自己を参究することも不可欠である事は自明な事でしょう。行の必要なことをまたもや諭されました。
2002年4月10日
4/7にお送りしたメールに、森田義彦さんから返事を頂きました。意見交換のページの、3/30森田さんとのやりとりの続きに加えました。私からの返事は、すみません、まだお出しできていません。
2002年4月9日
森田義彦さんから創造主である神の愛についてメールを頂きました。縁起の教え、進化論にからめつつ返事をお送りしました。
青木庸三さんから2通目のメールを拝受。世界は美しく見えるか、唯識、善悪について。すみません。こちらは返事はまだです。
2002年3月30日
青木庸三さんから初めてのメールを、齋藤仁鐵さん、千葉省吾さんから2通目のメールを頂戴しました。先に頂いていた杉浦さんも含め、返事をお送りしました。
谷貞志「<無常>の哲学 ダルマキールティと刹那滅」(春秋社)を読んでいます。まだ1/3位ですが、おもしろい。空を対象化して外に考えてしまうのと同様、我々は、死を外に対象化してしまう。「人は皆いつか必ず死ぬ」というように。だけど本当は、死は未来にあるのではない。「この私が、この今ここで死につつある」。生まれた瞬間から、死に始めている。
また、分別知や戯論を軽視する方には、歴史的に仏教がけして論理拒絶の宗教ではなかった事も認識して頂けると思う。言葉では届かぬ事は重々自覚しながら、少しでも迫り、にじり寄ろうと努力を続けてきたのだ。
2002年3月3日
真言宗のご住職、齋藤 仁鐵さんから、白川さん、杉浦さんからメールを拝受。
今回も意見交換のページの更新です。
2002年2月3日
多淵さんから三法印について、空についてご意見を頂きました。
小林仁さんから1/10に頂いていながらupの遅れていたメールを、10/14の小林さんとのやりとりの続きに追加。こちらはまだ返事を出せていません。
例によってすべて意見交換のページの更新です。
2002年1月15日
平和神軍の野中広子さんに返事をお出ししました。私の感想も早く掲載すべきだと思いましたので、例になくすばやい対応になりました。意見交換のページでご覧ください。
2002年1月9日
小林 仁さんに返事をお送りしました。昨年10月14日頂いたメールから続いているやりとりなので、意見交換のページ、10/14の「実証的真理と宗教的真理」の下に付け加えました。随分下へスクロールを強いますが、御許し下さい。
平和神軍の野中広子さんからもメールを拝受。こちらへはまだ返事をお出しできていません。
2001年12月8日
佐藤 守さんから頂いていたメールに返事をお送りしました。空について。
一日しかたっていないので、昨日の更新の意見交換リストの「新」のマークは次回更新まで残します。
2001年12月7日
10日ほど前から突然毎日複数通のウィルス添付メールを受け取るようになった。おそらくアドレス登録している同報メールグループの中でウィルスがピンボールのように行き来しているのだと思う。本当にウィルスなのかチェックし、ファイルの削除、罹患してない事の確認、などなど時間とエネルギーを消耗している。
そんな訳で、最近アンケートにご協力頂いた方、添付ファイル付きのメールをお送り下さった方があれば、申し訳ありませんが、ウィルスメールといっしょに削除してしまった可能性があります。お手数かけてすみませんが、メール本文にて再度お送りいただきたく、宜しくお願い申し上げます。
谷 真一郎さんからメールを拝受。Libraさん、小林 仁さん、谷さんに返事をお送りしました。
2001年10月20日
佐藤さん、山下さん、Libraさん、小林さんからメールを拝受。佐藤さんからは空についての質問、山下さんからはお釈迦様=ゴーダマ・バガヴァットにこだわったお立場からのご意見を、Libraさんからは、岩井均臣さんのメールに関連して梶山先生の「輪廻の否定・無我」と「あらゆる存在の根源」の間の矛盾に関する問題提起を、小林さんからは、実証的真理と宗教的真理についての論考を頂戴した。山下さん以外の方には、返事をお出しできていません。すみません。なるべく早くお送りします。
2001年10月10日
3月に頂いた無空さんのメールにやっと返事をお送りしました。仏教学、考えること、について。tom-halさんから返事を頂き、杉林義雄さん、岩井均臣さんからも、メールを拝受。岩井さんは、浄土真宗の僧侶をなさっています。
2001年9月7日
ぎりぎり一ヶ月の間で更新ができた。このところ少し時間的に余裕ができてきたのだが、かえって怠けぐせがついて返事を書くスピードが落ちている。すみません。
五十嵐さんから、生が無意味で苦しいものなら仏教は何故自殺を勧めないのかという重たい疑問を頂いた。谷さんからは、悟りへと下っていく過程の「意識の中間層について」のメールを頂いた。tom-halさんからは、空と縁起と無我の相関関係に関して。
このところ谷さんと私の考え方の違いが随分はっきりしてきたと感じる。私の勉強不足でなかなかちゃんと返事をお出しできない。特に唯識はそろそろまじめに向き合ってみなければいけないのだが、、、
2001年8月8日
2月に頂いていたリュウさんのメールに半年後やっと返事をお送りしたら、すぐにリュウさんから返事を頂きました。
谷さんより、スッタニパータから(こだわらない事)、チベット仏教の問題点整理についてメールを頂きました。
石阪さん、北嶋さんからもメールを頂きました。
2001年7月26日
6月6日の谷さんからのメールに断片的な感想をお送りしました。2月5日に頂いていた石阪さんのメールにもようやく返事を書きました。「前意識における意味・価値の塗りつけ」について。
2001年7月4日
谷 真一郎さんから、仏教と自然、意識の中間層、津田眞一『アーラヤ的世界とその神』について、メールを拝受。Fukada Norikoさんからは、無為の真如、概念化、唯識、如、慈悲についてご意見を頂き、離言、意識の指向性停止体験などのテーマで返事をお送りしました。小林 仁さん、たかたんさんからもメールを頂戴しました。
2001年6月5日
2月に頂いていた良知 昇さんのメールにようやく返事をお出しして、良知さんからは、早速返事を頂きました。また、森山さん、浦上さんからもメールを頂戴しました。
2001年5月22日
1月に頂いていたfumioさんのメールにやっと返事をお出ししました。心、根本、教えより大切なもの、八万四千の法門、末法、など。
Libraさんから、3/23に頂いたメールへの曽我の返事に再度メールを頂きました。仏性論について。空について。不二について。
井上安芸さんへの返事で、「趙州狗子」を誤って「趙州無字」と書いてしまっていたので、訂正しました。
以上、すべて意見交換のページの更新です。
2001年5月8日
1月に頂いていたナガイさんのメールにようやく返事をお送りしました。無我、無記、輪廻、中道などについて。そして、釈尊成道の時、すべてはみずみずしく現れたか、すばらしく現れたか?
2001年4月27日
千葉省吾さんから頂いたメールを意見交換のページに掲出。
『「如来蔵思想批判」の批判的検討』のメールを頂いていたLibraさんへ、空についての断片的な見解をお送りしました。
石阪さんのHP「こころのはんどる」、LibraさんのHP「NOTHING TO YOU」をリンクのページに追加。
2001年4月8日
無空さん、Libraさん、井上安芸さんから頂いたメールを意見交換のページに掲出。
メールを沢山頂いたままになっていた谷さんへ、返事ともいえないまとまりのないメールをお送りしました。仏教と自然、その他のテーマです。
またお返事できていないメールが増えました。すみません。なるべく早くお出しします。
2001年3月16日
リュウさんから頂いた返事を意見交換のページに掲出。
昨年10月、自己という現象を正面から考えると大見得を切りながら、いざ取り組んでみるとテーマの大きさに収拾がつかず、頓挫状態。なんとか打開すべく準備段階として、動物進化の道筋における自己意識の発現についての試論を小論集のページに掲出。
仕事がめちゃくちゃ忙しい。給料は少なくていいから、もう少し自分で時間をコントロールできるようになって、このHPに時間を割きたいのだけれど、、。なんとかしなければ、、。
メール頂いたまま、お返事できていない皆様、申し訳ありません。
2001年2月8日
1月13日のリュウさんのメールに返事を出しました。唯現象論から唯心論への手紙です。
良知昇さんからのお返事、石阪さんから頂いたメールを意見交換のページに掲出。
2001年節分
昨年8月2日の良知昇さんのメールに半年遅れで返事を出しました。欠陥に充ちた世界に正しく向き合いつつ肯定することは可能か。
水野さん、猫熊PANDAさん、fumioさんから、お返事を、ナガイさん、Yasuo Uenoさんからは初めてご意見を頂きました。今回も意見交換のページの更新です。
2001年1月22日
昨年6月12日の水野さんのメールに半年以上たってやっと返事を書きました。普遍的・究極的価値の不在の苦と、正面から受け止めるべき苦について。
年明け、リュウさんと谷さんからメールを頂きました。リュウさんからは初のメールで唯心論の立場におられるようです。意見交換のページでご覧ください。
2001年1月5日
7月に頂いていたいってんさんからのメールにようやく返事をお出ししました。伊藤隆寿「中国仏教の批判的研究」に対する禅の立場からのご意見で、私の返事は、分析知と般若についてです。
意見交換の頁には、かぴさん、fumioさん、猫熊 PANDAさんからのメールも掲出。
覚えたての作図をうれしがって使っていますが、ネットスケープで見るとテキストの上に重ね張りになっていることを発見。どうすればちゃんと表示させられるのか試行錯誤中です。ネットスケープの方、可能ならIEで見て下さい。他にももし変なところがあればご指摘頂けると助かります。
2000年12月10日
だらだらした文章ばかりでスクロールを強いているので、フレームを切って常設のリンクボタンを作りました。一部ファイルの名前を変えたため、リンクの張りなおしが大変でした。でもその作業で、いかに沢山の方々から貴重なご意見を頂き教えられてきたか、そして、返事をお出しできていないままのメールが沢山あることを再認識しました。(返事もうしばらくお時間下さい。すみません。)変なリンクがあれば、ご指摘ください。宜しくお願いします。
谷さん、北嶋さん、kotowariさんのメールを意見交換のページに掲出。谷さんとは、ノエマ、そして土着的な信仰と仏教について。北嶋さんからは上座部仏教の入門書をご紹介頂きました。kotowariさんからは、霊に関するメールです。
2000年12月8日
前回、小論集の「自己とはいかなる現象か、1縁起」の終わりで、「次はそのつどの自己という現象を考察する」と見栄を切ったものの、実際に取りかかってみると、自己という現象の複雑さをあらためて思い知らされ、しばし頓挫。自己の一側面の考察と割り切って近々再挑戦します。しばしご猶予を。
10/12に頂いたユキオさんの2通目のメールへ返事を出しました。我々は、徹頭徹尾我執の現象か? 我執を克服することは不可能か? 自己という現象を4つの段階に分け、図にして検討しています。
意見交換のページ、5/4のtaka kudouさんのメールへの「(ダメモトの)返事」の「7)分析と全体的理解」に、間違いを書いていました。分析的研究が全体的理解に役立つことの比喩として、水の通電性の研究をあげましたが、一知半解の内容でした。その旨を追加。
2000年10月26日
このホームページを見た会社の同僚から「読者を選び、絞るためにわざと読みづらくしているのか」との意見をもらった。ショックであった。そんなつもりは毛頭ない。彼いわく、「字ばかりがぎっしり並んで読む気にならない」。
反省してパワーポイントの解説本を買ってきて、作図を勉強した。最初のビジュアル・プレゼンテーションとして、無我なる縁起の自己とはいかなる現象か、図で考えて見ようと思う。「いつも化」を、どう表現できるだろうか。
まず今回は、その準備として、私の考える縁起を図にしてみた。(全体としてやはり文字だらけの傾向は変えられなかったけれど、、)小論集のページでご覧ください。
ユキオさんから返事を頂いた。ニヒリズム的仏教観。まだ返事はお出しできていない。(なるべく早く書きます。)意見交換のページを参照下さい。
2000年10月4日
9/12にUPした間黒男さんのメール(5/3)への返事で「主・客、意識の指向性」の表を入れたつもりが、TABLEのタグをうち間違えており、ネットスケープでは表示されていない事を発見(エクスプローラーでは問題なかったのに、なぜだろう? IEの方が許容度が高い=いいかげんなのだろうか?)。修正してUPし直しました。たいした表でもありませんが、ネットスケープでご覧の方、見てみて下さい。
「主・客、意識の指向性」の表
2000年9月29日
6/12に頂いていたユキオさんへの返事をやっとお出ししました。仏教はニヒリズムであるべきか? 今回も意見交換のページへの追加です。
(すごい! 今月は3回も更新した!)
2000年9月23日
桜庭 新一郎さんへの返事。仏教の目指すものは宗教体験か? 論理vs宗教体験。
間さんの謎かけへの自信のない回答。対する間さんからの正解。
ともに意見交換のページへの追加です。
桜庭さんのHPをリンクページに追加。
2000年9月12日
間黒男さんから頂いていた謎めいた(=私の想像力にとってchallengingな)メール2通の一通目にやっと返事をお送りしました。お陰で「主客対消滅(=戯論寂滅)=意識の指向性の停止」なる仮説を得ました。皆様御批判お願いします。
桜庭 新一郎さんから頂いたメールもアップ。返事を出せていないメールがまた増えてしまいましたが、私自身は図々しいので、あまり苦にしていません。メールでいろいろなヒントを頂くのは本当にありがたい事ですので、気長に気楽に返事を待って頂けるなら、どしどしお気軽にご意見をお寄せ下さい。我が侭ですみません。
2000年8月12日
今回もまた、意見交換のページの更新です。このところの更新はずっと意見交換のページばかり。このことは、私のホームページが僅かずつでも深化しているなら、それは、ほとんどすべて皆さんからの刺激によるものだということを示しています。
前回 taka kudouさんに冗長にして中途半端なメールをお送りしました。その後さらに続きを書きかけている時、takaさんからややショッキングな返事を受け取りました。わたしは、それを絶交宣言と受け取り、お送りした自分の文章を読み返して、そこに含まれる刺を再認識し、自分の徳の無さに恥じいりました。わたしのメールはもう読んでもらえないだろうと思いつつ、ダメモトで自問自答のつもりでメールを書き上げお送りしたところ、思いがけずすぐさま心遣いにあふれた返事を頂き、大変うれしい気持ちになりました。
テーマは、無我と非我、価値・目的、無我・縁起と主体性・自由意志は両立するか(脳科学の成果を拝借しながら)、虚無主義、などです。すべて意見交換のページ、5/4の taka kudouさんのメールの下に追加しています。大変冗長になりましたので、前回(7/20の更新)までのやりとりをご存知の方は下をクリックして下さい。今回追加した部分の頭に飛べます。7/20以降初めて見て頂いている方は、意見交換のページからお入り下さい。
taka kudouさんとのその後の往復書簡
2000年7月20日
taka kudouさんの5/4のメール(一通目についてだけ)やっとお返事を差し上げました。唯物論、量子論について他、だらだらと冗長ですみません。末尾に最近のアイデア「私=脳内ネットワークによる反応パターン仮説」にもトライしてみました。是非ご批判下さい。
川瀬由理さんから2通目のメールを頂き、あわてて返事を書きました。釈尊のような人格力が欲しいと言う事、喜怒哀楽と仏教について。(以上2点とも意見交換のページの更新です。)
2月に名古屋に転勤してやっとお得意様の事情とか分かってきたと思ったら、わずか5ヶ月で別のお得意様を担当する別のチームに異動になりました。振り回されっぱなしで自分の時間が持てず、頂いたメールになかなか返事が書けません。海の日の今日は、濡れタオルを肩に一人暮らしの部屋にこもってようやくHP更新をしています。
追伸:先程FTPしたら、入れ違いにいってんさんからのメールが届きました。これもアップして再度FTPします。(ごめんなさい。まだお返事は書けていません。)
2000年6月22日
突然昔の仕事仲間の死を知らされ通夜に行きました。その帰りに考えた事を無理矢理形にして小論集のページに掲出。論文と呼ぶには感傷的で昂ぶった文章になってしまいました。
naoさん、谷さん、yukioさんから頂いたメールを意見交換のページに掲載。返事をお出しできていないメールがまた増えてしまいました。申し訳ありません。もうしばらくお待ち下さい。
2000年6月8日
最近仕事が忙しく、元来の酒好き・遅筆も災いして、まだ返事をお出しできていないメールが増えてしまいました。申し訳ありません。
新たに樹位摩さん、谷さん、間さん(2通目)、金子さんからメールを頂きましたが、樹位摩さん、金子さんにしか返事を出せていません。
ようやく水野さんの3月のご質問に長すぎるお返事をしましたが、川瀬さん、間さん、taka kudouさんのお便りには、依然としてお返事できていないままです。なるべく早くお返事をお出しします。悪しからずご寛恕のほどを。
(以上すべて今回も意見交換のページでの更新です。)
2000年5月11日
ゴールデンウィーク如何お過ごしでしたか? 私は家族のいる長野に帰り、耕運機の修理や大工仕事や農作業やら犬の散歩がてらに息子の釣りに付き合ったり、インターネットからも遠ざかって、平日のサラリーマン生活とは違う生活にひたり、リフレッシュできました。(お騒がせの左肩の怪我は、背中に回せなかったり方向によっては苦しいですが、おかげさまで日常生活はほぼ不自由なくこなせるようになりました。)
その間、思いがけず沢山メールを頂きました。
taka kudouさんから谷さんのメールへの返事と私への2通のメール。
川瀬由理さんと間 黒男さんからのメール。
いずれにもまだ返事は書けていませんが、すべて意見交換のページに反映させて頂きましたので、ご覧になって下さい。
2000年4月12日
意見交換のページに、谷 真一郎さんから頂いた taka kudouさんと私のやりとりに関するメールをアップ。主題は無我についてです。
2000年4月5日
意見交換のページ、谷 真一郎さんの「唯識三十論の要約・解釈」に、2通目の返事を追加。唯識にきちんと正面から向かい、学ぶべきは学ぶべきだとは思いながら、実際にお送りしたメールは、ゴングが鳴る前にリングの外で凶器攻撃を仕掛けるような内容になってしまいました。
2000年3月31日
意見交換のページに、谷 真一郎さんによる「唯識三十論」の要約・解釈をアップ。一応お返事はしたものの、唯識にはまだまともに取り組めていません。宿題です。
水野さんという方からの2通のメールをアップ。2通目で頂いたいくつかの御質問にもまだ答えられていません。
飛べなくなっていたURLをリンクのページから整理(さみしい)。新たに近藤浩平さん、いってんさんのHPをリンク。
2000年ホワイトディ
本日付の更新情報を追加。というと冗談のようですが、今回は内容の追加はありません。かわりに、ホワイトディには縁遠い近況報告をさせて下さい。
2月1日付けで大阪から名古屋に転勤になり、1月末、大阪近郊から名古屋近郊に引っ越しました。片づけも一段落して、ISDNライトを頼んでTAを買って、さあようやくインターネットにつなげるという矢先の2月最後の週末、家族の住む伊那谷に帰って250ccのスクーターで買い物に出たら、無謀なUターン車のお陰で転倒、しばらく道路脇でしびれの引くのを待ったがどうもおかしい。いままでオートバイでは何度も派手にころんだけれど、こんなことはなかった。腕を上げられない。だんだん痛みがひどくなる。信号待ちの車に頼んで近くの病院に運んでもらったら、左肩関節内骨折、そのまま入院、翌々日手術となった。手術は全身麻酔で、それに伴う処置で看護婦さんのお手を煩わせたが、その処置はここに書くには惨めすぎる。それより、全身麻酔と聞いて一つの期待があった。
噂に聞く光のトンネルやお花畑や渡し舟の川を見ることができるのではないか? もしできれば、それらを実在だと思うにせよ、伝統的文化による刷り込み・共同幻想だと考えるにせよ、来世に関していわれていることに関してなんらかの判断材料になった筈だ。(手術されている自分自身を上の方から見下ろすことができていれば、もっとすばらしかっただろうに。2000/3/29)
しかし、実際は、手術室に入る前に筋肉注射を打たれ、手術台で吸入器をあてられて素直に深呼吸した私は、夢を見ることも無く、すとんと意識を失い、覚めてみれば左腕を体に縛りつけられ、浴衣の帯がずれて裾がはだけ、なんだか手足のこんがらがった状態で病室に戻っていた。
という訳で、散々な日々を過ごしておりました。退院はしたものの、まだ左腕を吊っていて、本を読んだりはしにくいのですが、ホームページの方はネジを巻いていきますので、時々覗いて下さい。
2000年1月13日
あけましておめでとうございます。
意見交換のページにいってんさんへの遅い返事を追加。無我・縁起と慈悲について。座禅について。
2月1日から名古屋に転勤することになりました。メールのやりとりは問題ないのですが、引越し先の環境が整う迄、ホームページの更新はできないかもしれません。でも、もともと一月に一回くらいしか更新してないから、あんまり関係ないか、、
1999年12月23日
意見交換のページにtaka kudouさんへの遅い返事を追加。無我・行為と責任・主客対消滅・虚無主義等々について。
いってんさんからのお返事と谷真一郎さんからのメールもupしました。
Y2K何事も無ければいいですね。皆さんよいお年をお迎え下さい。
1999年12月2日
意見交換のページにいってんさんへの遅い返事を追加。論理的学習について。少林窟禅道場HPへの感想。
taka kudouさんから頂いた心霊主義と仏教に関する2通目のメールをアップ。こちらにはまだ返事ができていません。
1999年11月9日
意見交換のページにtaka kudouさんからのメールを追加。心霊主義の世界観と無我について。指と月(経典と釈尊の本心)について
1999年10月28日
意見交換のページに谷さんからのメール2通を追加。返事のできていなかった分と合わせて、ようやく返事を書きました。唯識について中観と比較しての議論や、中論の読み方に関して意見交換しています。前回アップした<いつも化システム>についての拙劣な仮説も、谷さんへの返事の中で再度まとめ直しています。
1999年10月17日
中井久夫「最終講義」を読んでいて、主客対消滅と執着の由来に関して、<いつも化システム>をキイ概念とする仮説を得た。以前からの「釈尊成道の過程」ともども、小論文のコーナーを新設して公開。
1999年9月20日
前回加筆したと言いながら、FTPし忘れていた科学の欠点に関する短文をFTP。
戸田さんのメールにあった文字化けを修正。
意見交換に2件追加。独覚と学習について、唯識に関して。2通とも私の返事はまだ出せていません。すみません。
1999年9月16日
意見交換のページ、8/23 taka kudouさんへの返事に、科学の欠点について短い文章を加筆。
意見交換に4件追加。主な話題は、禅、脳死臓器移植、木村敏氏の所説、無明など。
1999年8月25日
意見交換のページに1件追加。唯物論、科学について、などなど。
1999年8月18日
意見交換のページに、頂いた少林窟道場HPの紹介と、禅についての拙いコメントを掲出。同HP他リンクを追加。
1999年7月15日
意見や感想をあんまり頂けないので、アンケートのページを新設。ご協力お願いします。
1999年7月14日
意見交換のページに1件追加。主客、自我などに関して。
1999年6月9日
意見交換のページに2件追加
1999年5月27日
5月10日に頂いたメール2通を意見交換のページに追加。
注1・帰敬偈に「主客未分」に関して、また注6・現象についても若干の加筆。
1999年4月27日
意見交換のページに3件追加
1999年エイプリルフール(嘘をついているつもりはないが、人は自分をだますのが上手いから、私自身が自分にだまされてるかも?)
佐倉哲さんを見習って、頂いた御意見・御批判とそれへの返事のページをスタート。先回感情的に付加した脳死臓器移植に関する意見は、この中に取り込んだ。
1999年2月25日
脳死移植が実現するかとテレビで騒いでいる。このはしゃぎぶりはおかしいと思うので、柄にもなく時事的なコメントを吐く。
1999年2月21日
リンクのページに、小林仁さん「宗教批判・仏教学」と小林さんご紹介の「生きる喜び啓示会とちゃぷの部屋」を追加。
「啓示会」さんには当HPからたくさん引用して頂き、今後の問題提起を得たので、トップページに「引用・加筆・改作に関するお願い」を追加、<注19>にも同内容を記載。
1999年1月24日
池田政信さんから「あたりまえ」の空は実体的な印象を受けるとのご指摘を頂いたので、注10「空」に釈明を加筆、あわせて、空と自然、世界を肯定するか、慈悲などについて未整理な見解を追加。
1999年1月3日
*昨年末の更新は中途半端な草稿をFTPしてしまい、申し訳ありません。今回とあわせて1回の更新とお考え下さい。特に津田先生については、手元に本がないままのメモ書きだったので、お名前の「眞」の字を間違えた上、本のタイトルも空欄のままで、大変失礼を致しました。津田眞一「アーラヤ的世界とその神」(大蔵出版)でした。
*注7に、前回(12/21)の更新情報で触れた、方便としてではなく輪廻を説いているのではないかと思われる経典を引用し、それに対する私の現時点でのとりあえずの対応を加筆。
*「問いに答えて」を主催されている池田政信さんに紹介頂いたHP「佐倉哲エッセイ集」をリンクページに追加。
1998年12月21日
ハードディスクが壊れてしまって、修復に手間取っていました。更新を期待して頂いていた方(いないか)遅くなって、ごめんなさい。
この間に読んだ本は、立川武蔵「ブッダの哲学」、三枝充悳「初期仏教の思想」上中下、 駒沢大・批判仏教グループとデスマッチ展開中の津田眞一「アーラヤ的世界とその神」、批判仏教グループの一人、ジョアキン・モンテイロ「天皇制仏教批判」、大谷大学の小川一乗「大乗仏教の根本思想」。
三枝博士の本はどれも文献学的研究のお手本のような労作で、原文の読めない人間には生に近い資料を提供してもらえてありがたい。津田氏の考えは非常にユニークというか正直なところ変だ。しかし、1)大乗仏教の慈悲は釈尊の仏教にはない、2)釈尊の仏教は反自然である、という2点の指摘は私としてはじっくり考えてみなければならない問題だ。また同書では方便としてなにか別の事を言うための輪廻ではなく、単純に輪廻そのものを説いているとしか思えない経文を見つけてしまった。逆に小川博士は、死後の輪廻を否定しておられる。小川博士の考えの全体は、自分に非常に近いので大いに勇気づけられた。ただ1点違うのは小川博士が浄土真宗ゆえ当然ながら「凡夫として、はからいを止めよう」とするのに対し、私は(実生活の態度とあまりにかけ離れているので書くのが恥ずかしいが)「大乗の徒=菩薩として積極的に努力すべきだ」と思っている。
というわけで、以下を追加・加筆しました。
初期仏教と自然についての考察すべき課題を、「釈尊成道の過程」に加筆。
注8に、経典論書がどれほど釈尊の仏教を伝えているのか、という疑念を加筆。
注10に「空」に関する思い付きを加筆。