2005年の更新情報

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更新情報 最新 04年 03年まで

2005年大晦日
 なんとか年内に再度更新できた。
 並川孝儀『ゴータマ・ブッダ考』大蔵出版を読んだ。文献学的に歴史上の釈尊ゴータマ・ブッダの実像を探ろうとする試みである。涅槃と煩悩の滅について、新しい問題意識を得た。小論集のページ。
 今年は、私にとって世俗的な面で大きな変化があった。来年は、世俗的な責任とこのホームページと両方をこなせるように頑張りたい。引き続きご意見ご批判の程、よろしくお願いします。

2005年12月29日
 不思議な縁で『破天』を頂戴した。インドで目覚しい勢いで仏教を復興しつつある佐々井秀嶺師の半生記。小論集に感想を掲出。
 他にもいくつか書いておきたいことがあるが、元来の遅筆ゆえ思うに任せない。集中力を高め、時間を上手に使うことを来年は心がけたい。
 年内にもう一度更新できるか? できなかった時のために…皆様良い年をお迎えください。

2005年12月17日
 表紙ページのサイト内検索が働かなくなっていたのを修理。www5c.biglobe.ne.jp/~ecb/さんのお世話になった。お陰で快適に検索できる。感謝。

2005年12月12日
 prbdxさんと続きのやり取り。無我 vs 非我。

2005年12月3日
 ##さんに返事。山本文匡さんも返事をお送りした。無念無想・主客未分・不立文字(=対象化の停止) vs 定における自己観察。
 prbdxさんから般若心経における実体についてご質問を頂いた。般若心経の空は梵で心は我、般若心経は梵我一如思想であるという返事をお送りした。

2005年11月21日
 翌桧さん、榧さん、山本文匡さんからメールを拝受。意見交換のページ。

2005年11月7日
 ##さんからメール拝受。タイのブッダダーサ(プッタタート)比丘所縁のスワンモークへ行って来られた印象など。

2005年11月5日 「私は貝になりたくない」1025138
 原子力空母の母港だとか、自衛軍の保持だとか、日米共同交戦だとか、そんなニュースが急に増えた。

 自民党新憲法草案前文では、「日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し」と謳われ、第九条の二は、「わが国の平和と独立ならびに国及び国民の安全を確保するため・・・自衛軍を保持する。」とある。

 しかし、本当のところ、「支え守られ、確保されようとしているもの」(以下Xとする)は何なのだろうか? 国民であろうか? そう思いたいが、本当にそうか?

 かつての日本においては、Xは「国体」であって、民ではなかった。民は一億玉砕しても「国体」は護持されるべきものであった。現実に、兵士は命を抛ち、満州でも沖縄でも、「臣民」は見捨てられてきた。

 では、今の日本では、何がXか?

 防衛庁作成のミサイル防衛運用構想では、防衛上の「最重要対象」として首相官邸、皇居、国会、中央省庁などを定め、「重要対象」に七大都市圏、原発、在日米軍司令部、自衛隊司令部などを指定しているそうだ。だとすれば、とりあえずは、これらがXということになろう。そして、そうでない地域に住む人々は、必然的にそれらほど重要ではないということになる。それらを守る「責務」はあるのだが、、。

 「いや違う。これらは国民全体を守るために必要なのであって、これらによって国民全体が守られるのだ。」そんな反論が聞こえてくる。つまり「国民全体」がXであるという主張だ。

 飛躍していると言われるかもしれないが、米国を考えてみよう。先のハリケーン災害の対応を見ると、米国政府にとって、貧しい市民は、イラクの人々と同じように、実はどうでもよい存在なのではないか? そして、イラク戦争最前線で2000人を超える戦死者を出している米軍兵士も、貧しい人たちだ。つまり米国政府にとって、市民、少なくとも貧しい市民(=「負け組」)は、Xではない。

 では、日本でもし現実にことが起こったら、ことの火中に残された国民はどうなるのだろう? 必要となれば、上記の重要防衛対象を守るために、戦略的判断によって見捨てられるのではないだろうか? かつての満蒙開拓団や沖縄のように。

 「国民全体」を守るために、火中の国民を、「一部に過ぎない」と切り捨てる。部分を切り捨てて守るべき全体とは何か? それは、空疎な惹句、あるいは幻想に過ぎないのではないか?

 冒頭に引いたとおり、自民党新憲法草案前文には「日本国民にはXを守る責務がある」と主張されている。踏み込んで言い換えれば、「Xのために国民は犠牲を厭うな」ということだ。そして現実に、沖縄の米軍基地問題では、Xのために、住民は我慢を強要されようとしている。
 「Xのためだから、沖縄の人は我慢すればいいじゃないの・・」
 無邪気にそう言う人も、いつかXのための犠牲になる時がくるかもしれない。その時になって後悔しても遅い。

 アブグレイブ刑務所虐待拷問事件で罪を問われている女性兵士も、軽率ではあったが、犠牲者だと思う。彼女がドラマ「私は貝になりたい」を見たら、おそらく共感するのではないか。

 彼女の誤りは、おだてられて、弱い立場の人を攻め、自分が「勝ち組の側にいる」とはしゃいだことだ。
 そして、近頃の日本には、同じように軽率に、攻められている人を尻馬に乗って苛め、「勝ち組」の快感を味わおうとする風潮があるように感じる。しかし、本人は「勝ち組」の気分でも、より「勝ち組」から見れば、実はどうでもよい存在なのだ。自分では「勝ち組」のつもりでも、守られるべきXの側ではなく、Xのために犠牲にされる側の存在かもしれない。日本国とて、グローバル・ゲームの「勝ち組」にとっては、利用価値がなくなれば、どうでもよい存在であろう。

 「では現実にことが起こったらどうするのか。お前の言うことは平和ボケだ!」
 しかし、「いつ攻められるか分からないから、しっかりと軍(武器)を備えておく」というのは、やくざの組事務所の論理ではないか。武器を用意して身構えているのは、結局のところ、安全を高めるどころか、疑心暗鬼を募らせ、かえってことが起こる危険性を高めていると思う。
 そしてことが起こって、やくざの「鉄砲玉」のように捨て駒にされるのは誰か? 美化された言葉に騙されず、冷静に観察してみよう。イラクの米軍を見れば分かる。戦争とは、「負け組」を戦わせて「勝ち組」の利権を守ろうとすることだ。

 前にも書いたように、筋の通った正しい論理、情報を収集し分析する力、それらに裏打ちされた現実の行動、外交力、国際世論を味方にする広報力、それらによって日本は、世界の枠組みに新たな力を持ち込み、富の偏在の少ない世界の実現を目指し、自らと「全世界の国民がひとしく有する、恐怖と欠乏から免かれ平和のうちに生存する権利」を守り、世界に貢献すべきだと思う。他に道はない。
 簡単なことでないことは分かっている。知恵と工夫を総動員して、必死で取り組まねば実現できない。だが、その理想にむけて努力をすると誓ったのではないのか?
 それなのに、なにもしないまま、「どーせ無理さ」と理想を捨てて、最強とおぼしき組事務所の盃をもらおうとしている。そして、いつまでも戦争を続ける「現実論者」の仲間入りをするのだ。

 突き詰めていけば、Xに実体はない。Xは、現実の国民ではなく、シンボル化され妄想され実体視された日本国のアートマンだ。しかし、諸法は無我であり、日本国とて例外ではない。無我である。

 自民党新憲法草案は、ありもしないアートマンに執着する我執の反応だ。アートマンを守ろうとして、人は執着の反応を繰り返し、自分と人とに苦を振り撒きつづける。これが釈尊の教えて下さったことだ。
 軽率に自動的反応のままに執着の反応を続けていれば、いずれ我々もまた「私は貝になりたい」と悔やむ破目に陥る。
 それを避けるためには、よく観察し、よく考え、発言すべきときに発言すべきことを恐れずに発言し、批判しあい、耳を傾けあっていかねばならないと思う。

2005年10月11日
 ネルケ無方さんから、返事を拝受。「縁によるところの無常にして無我なるそのつどの自動的反応に、どうして主体性があるのか、機械論にならざるを得ないのでは?」との問題提起。早速返事を書いた。

2005年10月10日
 兵庫県浜坂の曹洞宗禅道場「安泰寺」のドイツ人住職、ネルケ無方さんから、先日のsincekeさんのメールに関連してメールを拝受。

2005年10月8日
 「総括」に筆を入れた。といっても、ところどころ分かりにくい表現を改めたくらいで、たいした変更はない。ということは、ほぼ一年の間、私の仏教理解は深まっていない、ということになる。

2005年10月7日1022908
 最近自分のメールアドレス、soga@dia.janis.or.jp からいかがわしいスパム・メールを受け取るようになった。アドレスを使われているようだ。世間にも同じように出回っているのだろうか。だとすると、アンチスパム・ソフトでスパム指定してしまった人もいるかもしれない。そうなると、私からのちゃんとしたメールまで弾かれてしまうことになる。どうしたものか。困ったことだ。

 sincekeさんから、村政についてのご質問を、阪口圭一さんからアドラー心理学に関連するご意見を、lyrical_gacktさんから、歌手のGackt氏の『noesis』という曲を縁にしてメールを頂戴した。

2005年8月7日
 無宗ださんから、2通のメールを拝受。

2005年8月5日1017143
 明日は「どんちゃん祭」という村の夏祭り。みこしを気負いながら同じグラウンドの一角から打ち上げられる花火を頭のすぐ真上に見上げるのは、他ではできない経験。夕立の降らないことを祈る。
 無宗ださんに追加のメールをお送りした。

2005年7月31日
 無宗ださんから、さらに2通のメールを拝受して、ようやく返事を書いた。

2005年7月19日
 村長になって、たくさんの方々、その多くは今まであまりお付き合いのなかった人と、今までになかったお付き合いを持つようになった。そういった新鮮なお付き合いを通して全体的に改めて感じることは、人間とは自動的反応である、という事だ。勿論100%自動的反応であれば、主体性は否定され決定論に陥ってしまうから、100%ではないにせよ、そのほとんど(98%位?)は automatic reaction に違いない。それを巧妙に利用しているのが、例えば手品であり、広告であり、さらには政治的なプロパガンダだ。
 逆に、それほど巧妙でない我々は、しばしば深く考えもせず浅はかな自動的反応をしてしまい、その結果周囲の人々から思いがけない自動的反応を返されて、慌てふためくことになる。
 我々は、互いに自動的反応を投げかけあって、仲良くなったり、憎しみあったりしている。その自動的反応を導いているのは、執着によるパターンだ。
 自分を観察し、人々を観察し、それぞれの自動的反応のパターンを理解して、無用な苦が生み出されることのないように、自分という反応をコントロールしなければならないと思う。

 ニックネームさん、たかはしさんと続きのやり取り。sincekeさん、S.I.さんから、メールを拝受。すべて意見交換のページです。

2005年7月3日1013596
 ここ伊那谷中部は、昭和36年のこの時期、集中豪雨で大きな被害を受けた。中川村でも四徳という集落が離散に追い込まれている。この間まで、空梅雨で水不足を心配していたのに、少し強く降ると今度は災害が気にかかる。
 庭も畑も、溢れるような生命力で、草木が伸びている。
 sincekeさんからメールを拝受。ニック ネームさん、たかはしさんに返事を書いた。

2005年6月25日
 4人の方からメールを拝受。〜〜さん(プライベートな内容を含んでいるのでお名前は伏す)、ニックネームさん、無宗ださん、たかはしさん。しかし、まだなかなか返事を書くゆとりがもてず、〜〜さんにしか返信できていません。申し訳ありません。意見交換のページです。
 村のほうは、先日最初の議会を終えました。防災計画や地域の活性化・再開発、農業や福祉など、これから取り組まねばならない課題が目白押し。みんなの力を借りてひとつひとつ仕上げていきます。
 7月3日発売の「田舎暮らしの本」8月号に、中川村が取り上げられ、私も登場します。ご興味あれば覘いてみてください。

2005年5月29日1010173
 篠原さんに3ヶ月近くお待たせしてようやく返事をお送りした。意見交換のページ。
 村の仕事のことも書きとめておきたいが、もう少し一段落してからにする。

2005年4月25日1006670
 選挙の件、昨日が開票日で、長野県上伊那郡中川村の村長になることになった。選挙運動を通じて感じたこと、学んだことは、少し時間を置いてから、じっくりと考えたい。
 現実の世界で、苦に向き合い、対処していくことで、たくさんのことを深く学べると思う。高齢化・農業の担い手・建設業その他の産業の状況、、、。仕事の幅広さと責任の重さをひしひしと感じている。

 sincekeさんから、前野隆司「受動意識仮説」について、さらに妹尾義郎について、2通のメールを拝受。特に後者は、今の私に時を得た縁となるかもしれない。

2005年3月25日633334,3/28-888889,3/31-902148
 御報告。
 実は市町村合併問題に首を突っ込んでいたのだが、そのことが縁になって、地元の選挙に立候補することになった。柄ではないことは承知しているが、アンベードカル博士とか、比べるべきもないけれど少しでも見習って、現実社会のことに積極的に関わるのも修行と考え、せっかく会社を辞めて半分出家したのだけれど、また還俗することにした。
 まったく縁のなかった世界のことで、勝手も分からず、いきなり忙殺されている。今後どういう展開となるか分からないが、やるからにはきちんと責任をとらねばならず、このホームページは二の次になりそうだ。頂いたメールへのお返事も滞ってしまうと思うけれど、御了承をお願いしたい。
 masayuさんからクオリアについて返事を拝受。

2005年3月13日
 masayuさんに遅い返信をお送りした。佐藤哲朗さんから返事を拝受。

2005年3月12日
 初めて同じ日に2回更新。佐藤哲朗さんに返事をお出しした。最初期の経典があきらかになったとしても、それは釈尊の言葉そのままではないだろうという私見。

2005年3月12日
 ネルケ無方さんからメール拝受。佐藤哲朗さんに返事をお送りして、早速返信を頂いた。

2005年3月9日
 sincekeさんからメール拝受。ネルケ無方さんと活発なやりとりの続き。

2005年3月7日
 masayuさん、篠原さん、sincekeさんから新たにメール拝受。suganoさん、ネルケ無方さんと続きのやりとり。すべて意見交換のページです。

2005年3月1日602356
 suganoさんに返信を書いて、早速返事を頂いた。ネルケ無方さんからも返事を頂いた。やりとりの長さの関係で、ネルケ無方さんのメールは新たに項目を立てたが、suganoさんからのは前のやりとりに続けて掲出。

2005年2月28日
 ネルケ無方さんに返事をお出しした。安泰寺ホームページへのリンクを張り損ねていたので修復。

2005年2月25日
 suganoさんから二通目を拝受。

2005年2月24日
 兵庫県の曹洞宗道場安泰寺のドイツ人御住職ネルケ無方さん、そしてsuganoさんからメールを拝受。日本テーラワーダ仏教協会の佐藤哲朗さんから、前回アップした法句経「家の作り手」について、私の思いつきに対する批判的なご意見を頂いた。すべて意見交換のページ。
 安泰寺ホームページをリンクのページに追加。

2005年2月9日600828
 岩波文庫の中村元『神々との対話』などが長らく在庫切れになっていたが、ようやく入手できるようになって読んでいる。一昨年6月の佐藤哲朗さんとの意見交換で、佐藤さんが輪廻転生の経典上の根拠としてあげられた法句経の「家の作り手」について、関連する経文をみつけたので、同やりとりの末尾に加筆

2005年1月30日
 テレビでイラクにおける米兵のPTSD(心的外傷後ストレス障害)のドキュメンタリーを見た。自分がやられる恐怖ではなく、子供や武器を持たない一般市民を殺害してしまったことに深く傷ついている兵士も多い。痛ましいことだが、人として当然の反応だと思う。
 驚いたのは、米軍のPTSD対策チームのことだ。PTSDの兵士をなるべく後方に戻さず、前線ですばやくカウンセリングするという。なぜか? 前線にできる限り多くの兵隊を確保しておくためだ。
 「あなたが一般市民を射殺したことは、仕方のないことだ。一般市民にまぎれる武装勢力に対処するには、そうする他はない。あなたのしたことは正しいことだ。」
 前線をよく知っているようには見えないPTSD対策チームの兵士がなだめる。彼 or 彼女にしてみれば、前線の兵士数を確保するという任務に忠実なだけなのだろう。
 しかし、これは、人としての良心を押しつぶす行いだ。ストレスにストレスを塗り重ね、目的のためには人を殺すのも正しいことだと考える人間が造られていくのではないか? 戦争は、実に様々なねじくれた苦を作りだす。

 ##さんから返事を頂戴した。

 「更新情報」がずいぶん溜まってしまったので、2003年末までの分を別ファイルに分けた。

2005年1月27日
 東京都の外国籍管理職昇任拒否が合憲だそうだ。
 少子化だ、高齢化だと騒いでいるのだから、ちゃんとした人で日本に来たいという人がいるなら、頑張りがきちんと報われる形で、どんどん入ってきてもらえばいいと思う。今、日本の伝統文化となっているものも、もとはといえば、ほとんどが外からもたらされたもなのだから。
 まして、今回の鄭さんは、在日韓国人・特別永住者で、仕事の実績もある。一層の処遇が当然だ。
 日本という国は、つくづく人の意欲を削ぐ国だ。能力ある人は海外に逃げ出し、あらゆる夢を摩滅させられた若者は、死を選ぶ。この閉塞感は、皆つながっていると思う。

 ##さんからメールを拝受。

2005年1月22日
 信濃大門さんに遅い返事をお送りした。アンベードカル『ブッダとそのダンマ』の感想。

2005年1月17日
 高橋哲夫さん、真宗僧侶の**さんからメールを拝受。意見交換のページ。
 **さんのご批判を受けて、「あたりまえ…般若経」末尾にも、「あたりまえ…般若経」の空の解釈は、梵我一如型であり、最新の考えは変わっている、というコメントを追加。
 Pannyadhikaさんがメールで触れてくださった、雪の我家の写真を掲出。初めての写真掲載なので、表示がおかしければ御指摘下さい。

2005年1月12日
 真宗僧侶の**さんに返事をお送りした。

2005年1月10日
 赤十字はイスラム圏では赤新月だ。ではその並びで「赤日輪」も可能ではないだろうか? 半分冗談で半分本気だ。努力次第で、日の丸のイメージを、赤十字、赤新月につながるポジティブなものにすることもできるのではないかと思う。
 津波の救済活動を見ていると、人を殺し町を破壊する軍隊を持つことは、愚かで恥ずかしいことだと思えてくる。この感覚が、広く共有されていくといいのだけれど、、。
 今朝の新聞によると、アフガニスタンで日本政府が中心となって後押しする「武装・動員解除、元兵士の社会復帰」(DDR)プロジェクトによって、地雷除去と職業訓練を続けてきた異なる軍閥の元兵士たちが、お互いに打ち解けているそうだ。小さな記事なので実態までは分からないけれど、日本政府も素敵なことをしている。

 真宗僧侶の**さんから返事を拝受。Pannyadhikaさんからは、台湾における念仏を紹介頂いた。日本ではあまり聞かない捉え方だと思う。

2005年1月8日539267
 明けましておめでとうございます。世界中の人びとにとって、僅かでもより良い年になりますように。そのためになにか僅かでもできれば、と思います。
 本年も宜しくご批判の程、お願い申し上げます。

 真宗僧侶の**さんへ返事を書いた。高橋哲夫さんからもメール拝受。

 津波被害への救援は、各国思った以上に迅速だ。それぞれにいろいろ思惑があってのことだろうが、それでも構わない。どんな思惑であれ、すばやく苦を抜く対応がされるように祈る。
 犠牲になった方には申し訳ないが、今回の津波がせめてよい機会となって、人の苦を助けることの方が、自国の利益にもなるという考えが世界に広がって欲しい。欲を出しても、疑心暗鬼で脅えて戦争の準備をしても、得をするのはそこにつけこんで税金を掠め取って行く連中だけで、国民の利益にはならない。へたをすれば、とてつもない悲惨な苦が待っている。
 パウエル国務長官は「貧困がテロの温床」と言っている。まさにそのとおりだと思う。貧困対策が最善のテロ対策だ。しかし、4日の新聞(信毎)によれば、米国のODAは、GNP比0.13%ほどに過ぎず、先進22カ国中最下位だ。国連総会採択の目標0.7%を達成しているのは、約0.9%のノルウェーを筆頭に、デンマーク、オランダ、ルクセンブルグ、スウェーデンの五カ国のみ。(オックスファムによるまとめ。数字は、紙面の棒グラフを読んだだけなので、誤差があるかも)
 では、日本はどうか? 金を出しているつもりかもしれないが、0.2%程度で、22カ国中19位でしかない。

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曽我逸郎