2004年の更新情報

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更新情報 最新 05年 03年まで

2004年12月29日
 **さんから追伸を拝受。

2004年12月28日
 この度の津波、たいへんな事態だ。伝染病などで、今後犠牲者がもっと拡大するのではないかと心配する。私が個人として出来るのは、僅かなお金を出すくらいのことしかない。今後、同じような事態に効果的救援を迅速に十分な規模で実施できる組織はないか、つくれないか。
 自衛隊ならどうだろう。ワシントンに顔を向けながら、ただブーツをイラクの地面に付けている場合ではない。2003年七夕の更新情報で書いたように、姑息な迷彩色はやめて蛍光オレンジかともかく目立つ色にする。ステルスではなく、緊急活動信号を発しながら活動する。要するに、人を殺す軍ではなく、人を救うレスキュー部隊としてはっきりと見える活動をするのだ。自衛隊ではなく、自他を問わぬ「人」衛隊だ。そして、外務省は、しっかりした広報力を身につける。そのようにして世界の苦を減らし、ファンを作ることのほうが、近隣を仮想敵にして戦争の準備をするよりも、よっぽど安全保障にもなると思うがどうだろう。

 真宗の僧侶の**さんから返信を頂いた。

2004年12月24日
 今朝の新聞(信濃毎日)に、経済同友会終身幹事の品川正治という方へのインタビューが載っていた。(おそらく共同通信配信)
 経団連などが武器輸出三原則の緩和を目指しているのに対して、こう言っておられる。(順番は少し入れ替えた。)
 「軍需産業と組むところが技術の先進地帯ということになると、独立法人となった国立大学も含めてあらゆる研究機関は、そちらに近づいていく。それは、軍産複合体の流れに乗ることだ」「日本は軍産複合体の発想を受け入れないとはっきり発言すべきだ」「リアルポリティックスから言っても、憲法九条は世界の世論の支持を受ける。死守したほうがよい」「経済開発と貧困対策を両輪とした日本型モデルの提示に常に努力」すべきだ。「(今)財界で声が大きな人は、情報技術(IT)や重機、輸送など軍産複合体の中心になるべき人が多」く、「それに属さない経済人は腹の中では、そういう連中に権力を委ねることに釈然としていない。なんのために、われわれは働いてきたのか、という感じがある。本当の意味では多数派だ」
 財界にもちゃんとした意見を持つ方がおられると知って、少しほっとした。そう、いつも様々な考えがあるのだ。しかし、時として、特定の考えのみが勢いを増し、対する意見は発言しにくくなる。だが、そのまま黙っていたら事態はどんどんそちらへ進みかねない。その流れに逆らえなくなって、やむなく荷担しておいて、後から「あの時は仕方がなかったんだ、私も被害者だ、私は貝になりたい」と言うようなことにはなってはならない。苦を増やさせないように、おかしいと思うことに対しては、芽の段階で「おかしいと思う」と発言せねばならないと思う。

 前回掲載の**さん(匿名の真宗の僧侶の方)のメールに返事を送付。意見交換のページ。

2004年12月20日
 信濃大門さんと匿名希望の真宗の僧侶の方と意見交換。

 国家単位で対象化して捉え、それに対して執着による自動的反応をする傾向が、このところ顕著になっていると思う。勢いのある声と異なる見方を表明すれば、白い目で見られかねない雰囲気を感じる。
 確かに、国の単位で捉えることは、分かりやすい。一部の人々が望んでいることでもある。それは、その人たちにとって好都合だからだ。
 しかし、人々を分ける方法は、それだけではない。例えば、影響力を行使している人と、影響力を被っている人という座標軸も可能だろう。
 P国とQ国の境あたりになにかみんなの役に立つものがあるとすれば、それを利用できるようにするのに一番いいのは、P国とQ国両方の貢献できる点・能力を総合的に検討し、ベストな方法を立案することだ。そして貢献度に応じて利益を配分すればいい。どちらの国民にとっても、それ以外の人にとっても、それが最良の方法だ。
 にもかかわらず、なかなかそうは行かない。何故?
 「我が国の権益」などという言葉に操られ、「我が」の部分に過剰反応して、人々が自動的な「我」執の反応をするからではないだろうか。しかし、実のところ、そこでいう権益とは、国民の、というより、一部のグループ、一部の組織の利権だ。P国の一グループとQ国の一グループの利権争いに、国民は巻き込まれていく。我執の反応を利用されて。
 そして、P国国民とQ国国民は、そこにあるものを争うことに留まらず、さらに互いに憎しみをエスカレートさせ、そこにあるものをはるかに超えたものを犠牲にする。馬鹿げた軍事力への投資だけで終わるならまだいい。それを実際に行使すれば、どれほどの損失か、どれほどの苦の生産か。
 にもかかわらず、それを期待している者達がいる。人々が疑い合い、憎しみ合い、殺し合うほどに利益を得るグループだ。疑い合い憎しみ合い殺し合うことによって苦しみ合う人々が出し合ったお金を、彼らは吸い上げて行く。
 疑い、恐怖、憎悪を煽って、利益を得ようとするグループは、人々の執着心につけ込み、苦を増やすことで、自分の執着心を満たそうとする。
 釈尊の教えを広げねばならないと思う。

2004年12月8日536990
 週末東京に行った際、パンニャディカさん(意見交換とリンクのページ参照)にお会いした。出家経験のあるミャンマー人の方、それにミャンマーと日本で上座部系の修行経験のある方もいっしょで、皆さんからよい刺激を頂いた。そして、一昨日は、ある方に宮澤賢治と正法眼蔵のお話を伺った。華厳ではないけれど、たくさんの人がそれぞれに頑張って、世の中を輝かせているのだと感じる。
 東京では、なにかと話題の靖国神社にも行ってきた。いろいろと思うことの多い数日間だった。

 先日アップした「総括のページ」に関して、メールを拝受。意見交換のページ。
 一切皆苦と快について、依存症を手掛かりに考えた。小論集のページ。

2004年11月26日
 24日の更新情報で、ファルージャでの捕虜射殺についていい加減なことを書いてしまった責任上、事の発端になったNBCの報道カメラマン Kevin Sites 氏の Blog(http://www.kevinsites.net/)を読んだ。
 捕虜達の傷の処置は、されていたようだ。氏自身が包帯を見た、とある。ただ、捕虜たちは手錠やロープで繋がれていた訳ではないようで、にもかかわらず前日と同じ状態でいたということは、自分では動けないほどの重傷だったはずだ。それほどの重傷と一目で分かるほどの処置はされていなかったと思われる。また、調査した Lieutenant Colonel(中佐?)によると、捕虜たちは後方へ移送される予定だったが、その地域は、still hot で、先に移されるべきアメリカ人死傷者達もいた、のだそうだ。
 Kevin Sites 氏は、捕虜が射殺されたことについて「極めて明瞭に、何か間違っていると感じた」と言うが、報道の波紋の大きさのせいか、酌量すべき状況についても多くを語っている。それは確かにそうだろう。密度の高い都市ゲリラ戦であろうから、だれもが極限状況にあると思う。
 別の中佐(?)は、今回のファルージャの戦闘の前に「米軍は、gentleman's war を戦っている、しかし、それはとてもむずかしい」といった主旨を語ったそうだ。
 gentleman's war なんて、あり得るのだろうか? 空疎なスローガンだ。それが守れないからといって前線の現場だけが悪いのではない。元々の罪は戦争を決めた連中とその後ろで儲けている連中にある。戦争で人々に甚大な苦を与えて自分の執着を叶えようとすることは、いかにそれが合法であれ、最大の悪である。

 濁川さんのサイトをリンクのページに追加。

2004年11月24日
 アブグレイブ刑務所でひどい虐待をした看守役のアメリカ兵士が、世界中の非難を浴びた。
 今度は、ファルージャで無抵抗の傷ついた捕虜を殺害した兵士がいて、彼も裁判にかけられると聞く。
 (この捕虜たちは、前日の戦闘で負傷し、戦闘不能となり、そのまま放置されていたらしい。「死んだふりをしている!」と射殺した兵士のとっさの行動よりも、傷ついた捕虜達をしかるべき処置もせず置き去りにした前日の部隊の行動の方が、組織的かつ残酷だと私は思う。)
【11、25、訂正】 今朝の新聞に、捕虜たちは手当てを受けていたとも取れる記事があった。前日の部隊が処置をしたか、しなかったか、実のところ私は知らない。上記は憶測に基づくので、取り消します。すみません。

 非難されるべきは、彼等個人だけなのだろうか?
 アメリカの田舎町から思いがけず出征して、やったこともない看取を命ぜられ、「いいぞ、もっとやれ」とはやし立てられ、つい羽目をはずしてしまった。
 見下ろすたくさんの窓のひとつひとつが憎しみの目に思え、ドアを開けるたびにトラップ爆弾に脅えながら、建て込んだ建物をひとつひとつ抜けて行く。
 彼らとて普通の人間、異様な状況に置かれれば、異様な反応をする。

 では、誰が悪いのか。愚かなアメリカ政府が悪い。そのことは何度も書いた。別の罪人に触れたい。それは、アメリカ政府中枢と回転ドアでつながった企業群の幹部たちである。
 アメリカ国民から集めた税金が、戦争遂行のために、彼らに流れる。しかし、実際にアブグレイブやファルージャに彼らが行くことはない。徴兵制のない米国で兵士になるのは、ほとんどが仕事にあぶれた低所得層だ。回転ドア企業のイラクの現場で働いているのも、同様の人たちだろう。(徴兵制のあった頃でさえ、有力者の息子は、形式的に州兵になって、ベトナム行きを逃れたのだから。)
 貧しい人たちは兵隊になって命を危険に晒す。そして、なにかへまをやらかせば、世界中から非難され、国内からもアメリカの恥と攻撃される。一方で、別種の人々は、米兵の命を危険に晒し、イラク人を死なせることによって、国民の税金を我がものにし、さらに戦後の利権をも手に入れる。税金を払って命を危険に晒す人と、快適なオフィスで税金を浴びて暮らす人がいるのだ。

 これは、ひとり米国の話だろうか? 恐怖と憎しみ(執着の自動的反応)を煽り立て、例えばミサイル迎撃システムが必要だと言うが、日本の税金が狙われているだけではないか? 経団連をはじめ日本の財界も、武器輸出を緩和せよと言い始めている。昔から税金を掠め取ろうとする悪人は絶えることがないが、戦争、あるいは戦争の可能性を高めることによって儲けようとする輩は、許してはならないと思う。
・・・・・・
 総括のページ、未完だった部分を中心に更新。

2004年11月17日
 A・Hさんからメールを拝受。
 段々と継ぎはぎだらけのホームページになってしまい、何が言いたいのか分かりづらいので、最新の考えを総括するページを作った。是非御一読下さい。

2004年11月4日534435
 自然による災い、人が作る災い。めまぐるしく様々なことが起こる。ちょっとした縁や大きな縁が重なり合って、大変な厄災にみまわれる人がいる。今のところ私には大禍ないが、いつどこでなにがどうなるのか、、。我々は皆、嵐の中の木の葉のようだ。非力な私は、僅かな力で何を為すべきか?

 使えなくなっていたGoogleサイト内検索、結城浩さんのホームページを参考に、復活できた。感謝。扉ページを少し下にスクロールしたところにあります。
 慈悲についての思いつきを、小論集に掲出。

2004年10月20日
 只今16:40。だんだんと雨風が強まってきた。今度の台風、大きな被害が出ないよう祈ります。たむきくんさんからメールを拝受。

2004年10月19日
 10/9に頂いた高橋哲夫さんのメールへの返事に、10/13と今日と若干の加筆。大有明経の「正見」についての記述から、言葉で学び考えることが大切であるとの見解を述べた。

2004年10月18日
 高橋哲夫さんから再びメール拝受。集団自殺について。戒について。私からも返事をお出ししました。
 御近所の中国残留日本人二世の方に、黒龍江省の水餃子の作り方を教えてもらった。文革の際は、自ら壁新聞も書いたそうで、中央の激烈な内部闘争やそれに翻弄された地方の紅衛兵たちの話を聞いた。まさに塞翁が馬、一時波に乗れば、それがもとで次の波に掬われる。ちょっとしたタイミングで、もてはやされ、弾圧される。大変な時代だ。

 ハザに干してあった稲もほとんど脱穀された。まわりの農家は、リンゴの収穫のヤマが近づきつつある。
・露の原 沢昇る雲 朝清し

2004年10月10日532581
 最近ご意見ご批判をもらえないなと思っていたら、高橋哲夫さんからメールを頂き、早速返事を書いた。意見交換のページ、参照下さい。
 慈悲について考えようと思い、本棚にある経典を読み返している。その結果は、あたりまえのことの再確認にしかならないかもしれないが、早々に仕上げて掲出します。またご批判下さい。
 今は9日の夜。台風22号は通りすぎたか、外は静かだ。それにしても、このところよく降る。先日、さわやかに晴れた日、刈り終えた田に畔の枯草を入れていたら、ピチッ、パチッとかすかな音が聞こえる。耳をそばだてると、オジギソウのような葉にカラスノエンドウのような実をつけた草が群生して、乾いた風に豆のさやが弾けているらしい。はぜる瞬間を見てやろうとしばらく目を凝らしたが、だめだった。その日の夕方、山際の畑の上を水平に近い逆光を浴びて、たくさんのトンボが舞っていた。
・入り日受け 羽光る群れ 秋とんぼ

 戦争のできる国、武器を輸出する国。我執に導かれるままに、さらにつまらない国になっていこうとしている。

2004年9月27日
 更新の間が開いてしまった。隣組の中で御葬儀が続いたり、稲刈りをしたり、他にもいろいろあって、ばたばたしておりました。
 矢野絢子のミニ・ライブを見る機会もあって、自分のやりたい音楽だけをやる、やりたくないことはしない、受けようが受けまいが関係ないといった、潔癖にして力強いのめり込みぶりに、見習わねばという気持ちになりました。

 今年は、ツバメが早く帰ったと思っていたら、北から降りてきた別の群れか、金曜の朝、上空に輪をかいていて、気づくとすぐにいなくなっていた。今頃どこまで行ったやら。
・高々と 仕舞いつばめか 秋の朝

 A・Hさんに返事をお送りしました。

2004年9月14日
 無我=縁起と主体性、決定論について、A・Hさんから頂いた返信を掲載。意見交換のページ。

・草刈りの エンジン切るや 鳥の声

2004年9月11日
 山の斜面の田圃の畔にねむの木が四株生えていたのをチェーンソーで切った。稲の上に覆い被さっていたので早めに切った方がよかったのだが、二条刈りのバインダーの内はさほど邪魔にもならず、なんとなく忍びなくてそのままにしていた。しかし、今年はコンバインで刈ってもらうので、作業に差し障る。仕方ない。これまでも何度も切られてきたらしく、株元はこぶがいくつも固まったようで、そこから枝が何本も広がっていた。
 二匹繋がったトンボが、稲の葉に尻尾を打付けている。卵を産んでいるのだろう。「ゴメン、もうすぐ刈り取るんだよ。」一心不乱の様子を見ていると申し訳ない気持ちになる。

 パーリ経典中部を読み返していて、前回アップしたA・Hさんへの返事に加筆すべきことを見つけた。
 十二支縁起の識の生起の順序は、「先に識あり」という我論的傾向が見られると思う。

 今年はつばめが帰るのが早かったように思う。8月中に旅立ったか? 台風のせい?
・気がつけば つばめのいない 9月かな

2004年9月8日530063
 どうもいけない。だらだらと過ごしてしまう。夏バテを言い訳にしていたが、弛緩した生活リズムを立て直せないまま季節は移り、日の入りが随分早くなった。夕方犬の散歩に行くと、日の沈む場所も移っているのが分かる。
 後何回私は夏を経験するのだろうか? だらけている暇はない筈だが。
・夕日へと 向かう峠道 犬の影

 A・Hさんから頂いていた宿題、「無我=縁起は、主体的努力を不可能にし、決定論に陥るのではないか」にようやく返事を送付。意見交換のページ。

2004年8月23日
 お盆を過ぎると、途端に秋になった。
・秋雨の畑 草の間に 畑るいるいと ひねスイカ

 ヴィパッサナー合宿の報告を小論集に掲載。

2004年8月19日
 日本テーラワーダ仏教協会の10日間瞑想合宿に参加してきた。その報告は、なるべく早く書き上げて、あらためて掲載します。
 ヴィパッサナーでは、食事その他、すべての行動を観察しながらゆっくりと行わなければならない。トイレも例外ではない、、、
・おしっこも 遠慮がちなり ビパッサナ

 伊藤さんからお返事を拝受。A・Hさんの「無我=縁起は決定論であり、主体的努力を否定する」という問題提起に対して、中島文寛さん、岸 善生さんから御意見を頂いた。

2004年8月5日527409
 岸さんに、我々の脳でも不確定性原理は働いていますかとお尋ねして、御意見を頂いた。A・Hさんと続きのやりとり。なかなかスパンと答えられていないと自覚する。禅をされている伊藤さんから新たにお便りを頂いた。すべて意見交換のページ。
 お盆過ぎまで家を離れ、メールを見られない状態になります。御了承下さい。
・ひろひろと 子つばめら舞う 日暮れ前

2004年7月31日
 夏バテだろうか? 生活のリズムが保てず、だらだらと過ごしてしまう。バテるようなことはなにひとつしていないのだが、、。
 A・Hさんにようやく返事を送付。岸 善生さんから「縁起=決定論?」に関して、量子論からの御意見を拝受。
・満月や 台風いずこ 雲走る

2004年7月26日
 クオリアとホムンクルスについて、なんとかやっとまとめた。未消化なところまで風呂敷を広げすぎたかもしれない。助言を頂いて穴を埋めていければうれしい。よろしくお願いします。小論集のページ。
 A・Hさんからメール拝受。返事が滞っている。すみません。ネジをいれます。

 暑い日が続いた。農家の方々は、早朝と夕方働いて、午後の暑い盛りはあまり外に出ない。私は反対で、昼食後2、3時間だけ外に出る。雑草だらけの畑に日を浴びてトマトがなっていた。
・もぎかぶる 芯まで熱き トマトかな

2004年7月24日
 奥田碩会長の経団連は、武器輸出を禁じている「武器輸出3原則」の見直しを求める提言をしたそうだ。武器を輸出したい、ということなのだろう。
 米国のアーミテージ国務副長官が、憲法9条は日米同盟の妨げだ、と言ったそうだ。戦争によらずに物事を決められる世界を模索することと日米同盟がどうしても両立し得ないというのなら、後者を捨てるしかない。
 日本が国連安保理常任理事国になれない理由も、軍事力を展開しないからではない。そんなことをすれば、米国に2票渡すのと同じだからだ。独自の視点、独自の考えで、あるべき世界の実現に貢献しようとするのでなければ、常任理事国などおこがましい。
 ところで、意外と言っては失礼だが、イスラエルの「壁」の撤去を求める国連決議に、日本は賛成したそうだ。まだ自分で判断できる国だと知って、ほっとした。国に間違った判断をさせないのは、有権者の力だと思う。知ろうとし、考え、発言し、批判に学ぶこと。
 すみません。今回の更新はこれだけです。

2004年7月18日
 いつもの犬の散歩道、針葉樹が密なところはほの暗い。光が差しているのか、頭の上の高さに道を横切ってふわりと蜘蛛の糸が現れ、ねじれるように消えた。神秘的な一瞬。
・宙かかる 光の糸 ゆらぎ消ゆ

 A・Hさん、T-kotouさん、和バアさんと意見交換。

2004年7月10日
 バス停までの子供たちの通学路が、狭い上に冬は日が当たらず凍結しやすいので、皆で拡幅工事をしている。地域のお父さんおじいさんが交替で出て、チェーンソーで木を倒し、崖を削って沢を埋める。フォークリフトやダンプカーは持っている人がいて、パワーショベルも二台借りてきた。みんな上手に重機を操る。私も普通免許で乗れるダンプカーの運転をしている。行政へのクレームだけで終わらせず、自分でやってしまうところが田舎のおもしろいところ。

 刈った草を畔に放っておくと、畔が柔らかくなってしまうそうだ。腐った草を餌にミミズが増え、それを目当てにイノシシがよけいに集まるかもしれない。熊手で草を集めていると、どこからともなくトンボが集まってきて、周りを群れ飛ぶ。トンボは餌を取ろうと懸命なのだろうし、追われる小虫はもっと必死だろう。でも、トンボにせよとりまかれるのは、気分がいい。
・トンボらに 慕われており 草集め

 A・Hさんから、無我と縁起について、さまざまな疑問をいただいた。今回はきちんとした対応ができなかったので、あらためて考えたいと思う。

2004年7月1日524228
 和バアさんと続きのやりとり。他力信仰さえ取り込む梵我一如の根深さに気づいた。久しぶりにパソコンで図を描いたので、御批判下さい。
 田植え前に直した畔が、またイノシシに掘り崩されてしまった。ミミズはそんなにうまいのだろうか?
・和ばさみの 足跡残る踏み跡語る 夜の宴

 有権者をなめためちゃくちゃな政治をさせないために、皆様投票に行きましょう。

2004年6月25日
 中島文寛さん、ピスキスさんと続きのやりとり。ピスキスさんには、ありのままではありのままは見えず、はからいを極めることでありのままが見えてくる、との考えを書いた。岸 善生さんと現代物理学について、和バアさんと自然崇拝型梵我一如・阿弥陀信仰について意見交換。岸さんのHPをリンクのページに追加。

 つくる田圃が今年ずいぶん増えた。田植えの後しばらくして一度だけ除草剤を使ったのだが、水の抜ける田は効きが悪く、2枚は雑草がずいぶん出てきた。この辺では「田あらし」と呼ぶ、手で押して行くと爪が田の表面を掻いてくれる道具を借りてきて、稲の間を押して歩いた。
 たくさんのカエル(まだオタマジャクシのも)を狙ってだと思う、ヘビがいる。逃げずに身体を折りたたんで飛びかかる体勢だ。しかも、尻尾を立てて、ガラガラヘビもどきに振っている。気の強い奴だ。関西にいた時には見たことがない。なんていうヘビだろう? まさか毒はないだろうな。御存知の方いらっしゃれば教えて下さい。
・ヒエ取りや 稲渡る波 夏の風

2004年6月17日
 中島文寛さん、阿呆陀羅經さんと続きのやりとり。ピスキスさん、一木 倉八郎さんから、新たにメールを拝受。

・山里の 野花に包まれ 無縁墓

2004年6月14日
 中島文寛さんから、無我を中心に4通のメール拝受。阿呆陀羅經さんからは、死後についての無記のタターガタは衆生の意味であるというメールを頂いた。

・梅雨休み 木漏れ日縫って 白き蝶

2004年6月11日
 私の住んでいる所は、中央アルプスと南アルプスに挟まれた低い山の中なので割合に乾燥しているのだが、梅雨に入ってさすがに湿度が増した。会社勤めしている頃の大阪や名古屋の夏を思い出す。かつての仕事仲間の皆様、これから大変な季節です。御自愛下さい。
・六月の森 重たげに 白き蝶

 望月さんとHYさんに返事を送付。奥村さんと新たなやりとりがあり、中島さんとは続きの意見交換をした。

2004年6月8日
 パンニャディカさんからしばしお別れのメールを頂いてしまった。(私の瞑想体験についてのアドバイスも頂いたが、こちらは非公開。)HYさんからDNAと免疫系について、NORTONV世さんからは和バアさん宛のメールを拝受しました。
 私からは、パンニャディカさん、和バアさん、中島文寛さんに返信しました。

 ・一文字 葉を黙々と オトシブミ
 入梅の直前、犬の散歩に森の道へ行くと、大きな葉を葉脈も関係なく一直線に噛み切っているオトシブミに出会った。それにしても、俳句モドキを作ってみると、私の関心が、自分ではなく外の自然に向かっていることがよく分かる。雲や風のような無機的現象ではなく、動物に向かっているのは、まだマシなのだろうか。

2004年6月3日521242
 今回は、意見交換のページに九つタイトルが増えた。ひとつのタイトルに複数のメールを掲載しているから、実際はもっとたくさんのメールを頂戴している。教えや刺激を頂いて、多くのことに気づかせてもらった。皆さんから頂く御縁がなければ、私は少しも学ぶことが出来なかった筈だ。本当にあり難く、感謝致します。
 それにまた、頂いた御意見が別の方の御意見を呼ぶことも時々あって、このサイトがサロンのような「縁の場」に育つ可能性も感じられて、大変うれしい。

 この際意地になって続けようと思っている俳句であるが、ブッダダーサ比丘は「動物にも動物なりの涅槃がある」と言っておられる。だとすると、涅槃に過ごす時間の比率の高い動物の筆頭は、猫ではないだろうか。
・寝返りて 喉で空受く ひなたねこ

2004年5月28日
 季節はずれの台風が接近したりして、よく雨が降った。晴れた日、犬を連れていつもの散歩コースに行くと、もう蝉達が鳴いていた。
・夜雨あけて 初蝉競う 潤の森

 Pannyadhikaさんと活発なやりとり。意見交換のページをご覧下さい。

2004年5月22日
 水の按配を見に田圃に行ったら、植え替えたばかりのまだ貧相な苗をかすめるように、二羽の燕が超低空飛行で行き交っていた。
・つばくらめ 早苗を分ける 白き胸

 Pannyadhikaさんから、和バアさんとの意見交換に関してコメントを拝受。知識は無用か? 善悪の価値基準

2004年5月20日
 昨日田植えが終わった。大きな田植え機を操って、変形の田に一筆書きのようにぴっちりと苗を植えていく技は、何度見ても感心する。
 その前の代掻きの時、俳句を詠んでみた。先日遊びに来た会社当時の先輩に連歌を強いられ、酔った頭で一句も捻れなかったのを思い出したのだ。
・畔道を 猫のそのそと 田植え前
 (準備で慌しい朝、のんびり歩く猫を羨んで)
・波立てて トラクターが行く 俄池
 (水を張られてさざなみの広がる田は、この時だけの池のよう)
・代掻きの 田水を泳ぐ 蛭の春
 (土の中で丸まっていたのに、水を張られ掻きまわされて、驚いて泳ぐ蛭。意外なほどスムーズであざやかな動き。これからが彼 or 彼女の季節。

 和バアさんとの一連の意見交換を掲載。クリシュナムルティ、知識は邪魔、梵我一如、阿弥陀信仰、言葉と体験。

2004年5月11日
 以前から素人作業で1反足らずの田圃をやっていたのだが、今年から頼まれて4倍近い面積をやることになった。代掻きや田植えなど大型農機でやる作業は専業農家の方が助けてくださるので、自分でやるのは水の管理や畔の草刈り、雑草抜きくらいだが、本質的に怠惰で農作業には向かない性格のくせに、除草剤はなるべく使いたくないなぁ等と思ってしまう。どの程度ちゃんとできるか不安だ。

 松本史朗「仏教思想論 上」(大蔵出版)に、「スッタニパータなどの韻文経典は、アートマンを説くが、それはジャイナ教などからの混入であり、仏教思想ではない」という主張を発見。木村清一さんとの意見交換に加筆していた部分とあわせて小論集に要旨を掲載。

2004年5月6日515717
 この春は寒暖の変化が激しく、一部のリンゴ農家は、花の時期に霜があたってしまい、生育を心配しておられる。それでも山に行けば、松の黒い梢の下に様々な広葉樹の明るい緑があふれている。その中にタラノメと山椒の幼木をみつけて、庭に植え替えた。根付いてくれると嬉しいのだが、、。

 イラク戦争についてある方と数往復の意見交換をした(非公開)。その方の御意見は、不戦平和を主張して自己満足に終わる「絶対善」では、フセイン政権下をはじめ、世界各地で繰り返される大量虐殺を拱手傍観し黙認することになるというもの。大量虐殺を阻止するためには、外交努力は当然として、最後の手段として武力も保持すべきだとおっしゃる。
 確かに、不戦平和を主張する我々も、例えばグルメを気取って輸入食材に舌鼓を打つ時、グローバル経済の勝組の地位に安住し、搾取と環境破壊に荷担しているのだろうし、絶対善ではあり得ない。快適な空間で快適な生活を送るのも、大量のエネルギーを消費しているお陰であり、石油のために人を殺すなという非難は、結局は自分にも戻ってくる。
 世界で何が起こっているのか、何が行なわれているのか、知ろうとしてよく学習し、よく考え、できることを行ない、意見を表明していく。そして、批判し、批判されることで、自分も他の人達もより正しい考え、行動ができるようになると思いたい。
 武力に関しては、やはり反対だ。しかし、今回のやりとりの過程で、大量虐殺を阻止するために国連の指揮により介入する軍隊であるならば、資金・兵力を提供することに賛成してもいいと考えるようになった。しかし、日本政府が自分の判断で動かせる軍を持つことには反対である。(つまり、日本人の兵士は国連軍にしかいないということ。)口先でなんでもごまかす政府も、深く考えずに感情的な過剰反応をしがちな「世論」も、信用することができない。武力を持たせれば、何が引き起こされるか分からない。武器を持つ手はあらかじめ縛っておいて、世界に掲げる理念・思想と、その実現に向けての武力以外のあらゆる現実的努力と外交、そしてそれらを正しく強力に伝える広報に、命を(まさに日本の命運を)懸ける他ないと思う。
 (2006,5,28,加筆:国連も本当は信頼できない。まず国連をきちんと正しく機能するように改革・強化する必要がある。少なくとも間違った判断が、自浄的に正される組織に。)

 Pannyadhikaさんへの返事でぶしつけな質問をお送りしたら、生滅智について体験にもとづく刺激的で興味深い返事を頂いた。意見交換のページをご覧下さい。

2004年4月27日
 先週からやっとアクセス・カウンタに落ち着きが戻った。前後の平均アクセスからすると、20日間ほどの間に、47.7万も異常な増加があった。
 Googleによるサイト内検索もおかしくなっている。自分でもどこになにを書いたか分からないことが多いので、これが使えないと大変不便。
 Pannyadhikaさんから、台湾の仏教についてメール拝受。サンカーラと段生段死についての先の御意見に返事を送ったら、すぐさまリターンを頂いた。清水結子さんからは、「仏教が好き!」について、キリスト教徒のお立場からの返事を拝受。

2004年4月23日
 タイミングを逸した話であるが、確か今週か先週の「TVタックル」で、森永卓郎さんがこのような発言をしておられた。(日がたっているので、私の色が入って、発言そのままではないかもしれない。)
 「今回のイラク攻撃は間違っている。日本はそのことをアメリカ政府にはっきりと伝え、間違った戦争に荷担することはやめるべきだ。そのことによって、アメリカ政府から必ずや経済的な制裁を受けるだろうが、日本はみんなで貧乏になればいい。もしもう一度原爆を落とすというなら、竹やりで戦うのだ。間違った戦争に荷担するより、そのほうがずっとマシである。」
 他の出演者の嘲笑をかっておられたが、私は大変共感した。目先の損得でしかない「国益」を持ち出せば、なんでも通るような風潮はおかしい。正しいか正しくないかを基準にすべきだ。何が正しいか、それは勿論簡単ではない。(仏教的には、人に苦を与えず、人の苦を抜くことが正しいことだと考えるが、それは議論すればいい。)何が得か、ではなく、何が正しいか、真剣に考え議論して判断を下す。それがかえって、長期的な真の国益につながると思う。森永さんは、「国益」より正しさを優先すべきだと主張されたのである。

 松本史朗「縁起と空」を読み返していたら、忘れていた「初期経典はアートマンを説く」という論証を再発見してしまった。意見交換、木村清一さんとのやりとりの続きに加筆。
 Pannyadhikaさんから、輪廻、段生段死についてメールを拝受。瞬間瞬間の輪廻も生まれ変わりである段生段死も両方が凡夫にはあると、時間論にまで踏み込んで説明して頂いています。

2004年4月19日
 イラクで人質になっていた人達を非難する声が一部にあるそうだ。お門違いである。中傷のメールを送ったりした人は、よく考えて欲しい。
 彼らは、身の危険を顧みず、イラクの子供達をサポートし、イラクで起こっていることを調べに行った。世界をよくするために頑張ったのだ。おそらく彼らにその意図はなかっただろうが、結果的に、イラクにおける日本人の評価を高めてくれた。日本には自分で批判的に状況を考えしかも行動する人がいると、世界が認識したことだろう。我々は、彼らに感謝し、その労をねぎらうべきだ。
 政府関係者は「仕事を増やされた」と不機嫌かもしれない。しかし、それは彼らの仕事なのだ。文句を言える筋合いではない。また、イラクの実態を知られるのも嫌なのだろう。だからこそ、彼らのような、危険を認識しつつ現場に身を置き、状況を知らせてくれる人は大切なのだ。状況が知らされなければ、巨大な悪が巨大な災いをもたらすことになる。大衆の影にまぎれた愚かな声で心ある人々の意思が挫かれないようにと祈る。

 木村清一さんとのやりとりの続き、Pannyadhikaさんへの返事を掲出。

 ホームページのタイトルは前の方が良かったというメールを複数頂いた。確かにあまりにストレート過ぎたかもしれない。で、少しひねりを入れてみた。どうだろうか?

2004年4月14日
 意見交換のページに、江口聖市さん、NortonV世さん、岩井均臣さん、ゆかりさん、ひばりさん、木村清一さん、和バアさん、Pannyadhikaさんのメールを掲出。
 先月から、頂戴するメールが増えた。大変ありがたいことであるが、一方で、その中には、既に取り扱ったテーマをその議論を踏まえることなく取り上げておられるメールも散見された。それはなぜかと考えると、結局は、私のホームページがどこでなにを取り上げているのか分かりづらいことが原因だと思う。メールを頂けることに甘えて、それに反応して考えを書くことで事足れりとしてきた。結果サイト全体が未整理となり、せっかく御意見を頂く方にも結果的に御迷惑をかけることになっている。また、読んでいただく方にも。
 今後のサイト構成、特に意見交換のページのあり方について考えあぐねていたため、頂いたメールの掲載が滞り、一部に御心配をかけたり、御気持ちを損ねてしまったことをお詫びします。
 今後は小論集のページの充実など、なるべく明確なテーマで大きく問題を捉え、批判して頂きやすいサイトに向けて努力しますので、引き続き御指導をお願いします。
 ただし、これまで同様頂いたメールをすべて掲載する訳ではないので、その点は御了承下さい。また逆に、広く読んでもらいたいメールで掲出不可のケースもしばしばありますが、仮名・匿名で構わないので、掲載には宜しく御協力下さい。
 ホームページ・タイトルも、現在の私の考えにふさわしくなく誤解を生む原因の一つだったので、変更しました。
 Pannyadhikaさんのホームページ「パオ・セヤドー法話集」をリンクのページに追加。ヴィパッサナー実習者対象の非常に専門的な内容です。

2004年4月10日
 イラクの状況はますますひどくなっていく。戦争がもたらす状況がどういうものであるのか、何度も何度も明らかになっているのに、日本は戦争をする「普通の」志のない国になろうとするのか?
 イラク戦争も米国お追従(ツイジュウではなくオツイショウ)の自衛隊派兵も、おかしなものであることがみるみる明白になってきているのだから、もっと早い時点で「ごめんなさい、間違っていました」と宣言すべきだったのだ。それをしなかったから「テロには屈しない」などと、人の命をリスクにかけて意地を張らねばならなくなる。今からでも遅くはない。間違いは間違いと認めよ。
 小泉は、早々に「撤退はない」と言いきった。3人の命を本気で守ろうという気はあるのだろうか? 国益のためには仕方がない? 国体の為に住民を犠牲にした沖縄戦・満蒙開拓と同じ論理だ。「国民の生命と財産を守る」有事法制「国民保護」法も、この手の指揮者が采配する限り、「大多数の国民(or 自分)」を守るために、火中の人を見捨てることを正当化する法律になるのではないかと恐れる。

 冷戦期、米国の核戦略は、まず最初にソビエトの弾道弾迎撃ミサイル施設を大量の核ミサイルで徹底的に叩くというものだったそうだ。(4/9朝刊、共同)
 テポドンを恐れて日本が米国から購入するミサイル迎撃システムは、本当は米国を中国のミサイルから守るためのものではないかと私は疑っている。そして、もし中国が冷戦期の米国と同じ戦略を取るなら、まず日本の迎撃基地に大量の核を撃ち込むだろう。そのように中国の攻撃を分散させれば、アメリカ本土の被害は軽微となり、米国はゆとりをもって反撃ができる。アメリカ政府にとっては万万歳だ。売上も増えるし。
 荒唐無稽な被害妄想だろうか? 小泉の米国全面お追従政策は、「国民の生命と財産」をそのような重大な危険に向かわせるものではないかと案ずる。血税を使って。

 今回の更新は、これだけです。

2004年4月2日40016
 HYさんから菩薩行について、NORTONV世さんからは霊魂に対する科学と日本仏教各派の見解について、メールを拝受。意見交換のページ参照下さい。
 今朝開くと、アクセス・カウンタの数が突然異様に(5000近く)増えていた。何かのトラブルか。

2004年3月22日
 季節が逆戻りして、みぞれのような氷雨が降っている。草の上がうっすらと白くなった。
 江口聖一さんからメールを2通拝受。ひばりさんにこれまで頂いたメール全体について返事を送付。ひばりさんからも返信を頂きました。HYさんから、お寺のあり方、葬儀についてメールを拝受。鈴木正道さんから、脳科学の本を紹介頂きました。

2004年3月16日
 ひばりさんから空についてのメールを拝受。
 NORTONV世さんに返事を送付。戯論・分別レベルの仏教理解の効用など。
 「あたりまえ・・・般若経」本文を書いた当時から私の考えは随分変わってきた。本文をサイトの中心に据えたままでは混乱を生じかねないので、タイトル画面を若干変更した。

2004年3月12日
 ひばりさんから続きのメールを拝受。流れに従うことについて等。「自分を拠り所に、法を拠り所に(自灯明・法灯明)」について返事を書きました。
 toyouさんからも返事を頂戴しました。瞑想、自我を壊すこと、輪廻について。
 江口聖市さんに返信をお送りしました。軽安、空、無我。

2004年3月9日
 NORTONV世さんからメール拝受、無我について。ひばりさんと意見交換の続きがありました。

2004年3月5日
 ひばりさんから3通目を拝受。釈尊を真似るのではなく自分にあった道をたどるべきだという御意見です。2通目と合わせて返事をお送りしました。江口聖市さんからもメール拝受。永遠を求める執着、瞬間を愉しむこと。
 ひばりさんへの返事の中で、民主主義(多様な意見が批判しあってより正しい判断を見つける仕組みの意)は、無我=縁起、慈悲という仏教の教えによっても基礎づけられることを見つけた。民主主義は、キリスト教を背景に生まれたのだろうと思うが、正しい仏教も民主主義を支えると思う。御批判下さい。

2004年桃の節句
 toyouさんに返事をお出ししました。定における観察・意識のある定について。妹尾さんとの意見交換と合わせて御批判下さい。

 今回のイラクにおけるテロはひどい。義憤の域を超えている。人の血を道具にしてはならない。何が正しいのか追求する言葉によって、アメリカ政府を追い詰めるべきだ。

2004年3月2日32450
 妹尾義郎さんに返事をお出ししました。瞑想と言語・思考について。
 ひばりさんから二通目を拝受。自己犠牲について。

2004年2月29日
 toyouさんとの一回目のやりとりに関して、妹尾義郎さんから頂いていたメールを、意見交換のページに掲出。「言語・思考を否定した瞑想は不可能であり、そのアプローチは危険。言語・思考によってこそ言語・思考は超克される」という御意見です。掲出が後先になったため、前回アップしたtoyouさんからの2通目のメールは、妹尾さんの御意見を踏まえたものではありません。ややこしくしてすみません。
 ひばりさんからもメールを拝受。「宗教の心」

2004年2月28日
 麻原に一審死刑の判決が出た。漏れ聞こえてくる彼の裁判中の態度から推察すると、彼は、一所懸命自分にしがみつき、自分を守ろうとしているように感じられる。自分の無常=無我=縁起を分かっているようには、とても見えない。
 彼のことは置いておいて、他の信者たちは、報道で目にした手紙や手記を読む限り、初めは本当に真面目な人達だったようだ。生きる目的が分からず、自分に価値を与える術を捜し求めた。学生時代の私とぴったり重なりあう。
 それが、どうしてああいうことをしでかしたのか? オウムの教義をちゃんと勉強したことはないので、報道を通じての全体的な印象からの推察に過ぎないが、四つの大きな間違いがあったのではないだろうか?
 1)自灯明・法灯明ではなく、麻原個人を盲信した。
 2)輪廻があると考えた。(たとえば、ポアは輪廻を前提としている。)
 3)無常=無我=縁起に代表される釈尊の教えより、修行による個人的な変性意識体験を重要視した。
 4)その結果、無常=無我=縁起が分からないまま、自分があると思いつづけ、自分に価値を与えようとし、我執を肥大化させていった。
 釈尊から遠く隔たった今においては、「仏教」も、よく考え、よく吟味して学ばなければ、人と自分に大変な苦を与えることになる。それを避けるひとつのてだては、一人一人が、犀の角として、よく考え、批判し合うことではないだろうか。
 一方で、家族を殺されたり、今も後遺症に苦しんでおられる被害者の方々の気持ちを思うと口篭もってしまうが、麻原には死刑でも足りないとする世の風潮は、仏教の立場からすると、かえって苦を増すものだと感ずる。その点で、松本サリンの被害者であり、冤罪被害も受けた河野さんの態度は、大変に立派だ。

 toyouさんから、ヴィパッサナー瞑想について2通目のメールを拝受。私からの返事は、まだ出せていません。

2004年2月22日
 私の住んでいる所でも諏訪大社のような御柱祭がある。その木遣りチームの一人に選ばれてしまった。何回か特訓をするそうだが、私にできるだろうか? 不安だ。
 toyouさんから、「ヴィパッサナー瞑想は考えない境地を体験するもの」というメールを拝受。最近考えている「明晰な意識による対象観察の定」について返事を書いた。意見交換のページ、参照下さい。

2004年2月18日
 前回アップした清水さんへ返事の後に、若干の文章を追加。小川一乗「大乗仏教の根本思想」によって、私の主張をサポートしてもらうような内容です。

2004年2月13日
 清水さんに返事を送付。朝日新聞社「仏教が好き!」で中沢新一氏の語っておられる、真如といった<言語化不能の超越的実在>を説く「仏教」は、釈尊の仏教ではない、という見解です。また、氏のおっしゃっていることは、少し意地悪に言い換えると、『アジア各地の「仏教」は、仏教的表現を使っているだけで、本性はアニミズムである』という非常に鋭い指摘になるのではないか、とも思いました。意見交換のページでご覧下さい。

2004年2月5日30130
 インフルエンザで何日か布団の中で丸くなっていた。鼻水が溢れたり、鼻の奥がからからに乾いたり、腰の寒気や太股の筋肉の筋が痛くなったりするのを観察していたら、世間ではあれよあれよと事が運ばれて行く。いろいろと言っておかねばと思うことはあるが、滞っている作業が多く、次の機会にまわす。
 キイワード検索などによって下層ページからサイトに入っていただいた場合、「ホームページにもどる」をクリックしても、ボタンのフレームが反映されないことを発見。リンクのタグを順次訂正中。画面の底辺にボタン・フレームが現れていない方は、お手数ですがwww.dia.janis.or.jp/~soga/で入りなおしてください。
 清水さんから返事を拝受。次回更新は、朝日新聞社「仏教が好き!」についてコメントすることになりそうだ。

2004年1月18日
 昨日一日雪が降った。今朝はよく晴れている。15cmほど積もった雪面のあちこちが、小さくきらめいて美しい。顔を寄せてよく見ると、ひとつひとつが見事な六角形の薄い雪片で、それが鏡のように太陽を反射している。
 犬を連れて、いつもの森の道に行った。歩幅の小さな踏み跡が続いていて、追いつくと近所のお婆さんの散歩だった。雪のこと、犬のこと、取り留めのない話をした。犬は、小鳥の影を追って山の斜面を駆け回る。青空を背景に、松の梢から、時々シャワーのように粉雪が舞い落ち、木漏れ日の射す所だけが白く光る。
 世界の移ろいは、やはり美しい。

 アントニオ・R・ダマシオ「無意識の脳 自己意識の脳」(田中三彦訳 講談社)を読んだ。「私とは無常にして無我なる縁起の現象である」ということの、脳科学からの説明だと思う。小論集で紹介。

2004年1月15日
 清水さんからメールを拝受。真如について返信をお送りしました。

2004年1月8日
 中山さんに返事を送付。輪廻と無記、中道と欲望、仏教と社会について。意見交換のページ参照下さい。
 リンクのページに「 Digital Dictionary of Buddhism 電子佛教辭典」を追加。

2004年1月4日27161
 明けましておめでとうございます。本年も御意見御批判をお聞かせ下さいますようお願い申し上げます。
 どうか世界が少しずつでも良い方向に向かいますように。
 小論集の「ブッダダーサ比丘 仏教の教えの本質的ポイント」の訳の末尾に、若干のコメントを追加しました。

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曽我逸郎