藤田さん 曽我の輪廻否定と無常=無我=縁起に疑問 2009,2,16,

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はじめまして、藤田といいます。

曽我さんの仏教解説にいくつか疑問をもっています。

曽我さんは、「ブッダは輪廻を説かなかった」と力説されてますが、これはどうかなと思います。どんな最古層の仏典でも輪廻は説かれていますから、もし、輪廻が後代にまぎれこんだ異説なら、さぞかし「輪廻説を仏教にまぎれこませた人たち」は苦労したでしょうね。あれだけ膨大な、仏教経典に、いちいち輪廻を暗示させるような文言を挿入させたんですから。常識的にかんがえて膨大な作業量でしょう。とても人間業とは思えません。

曽我さん自身が「私は輪廻を理解できない」というのは構わないのですが、「ブッダは輪廻を説かなかった」と断言するのは、どうかなと思います。僕自身、輪廻なんて全然理解できませんし、こんなに頭で消化しにくい概念はないと思いますが、それでも「自分には理解できない」「だから輪廻は非仏説だ」と結論して、ブッダは輪廻を説きませんでしたよ、と触れまわるのは、明らかに仏教徒としてルール違反でしょう。
これだけ唯物論的な考えが普及している現代日本で、あえて輪廻否定をさけぶのは、かえって危険だと思います。カルト問題を云々されるのなら、まっさきに、既存仏教側が輪廻に公式的な定義を与えるのが、スジというものでしょう。

輪廻を実証する術なんてないのだから、輪廻について「無記」を貫かなくてはならないのは、むしろ仏教徒自身ではないでしょうか。経典を読む限り、お釈迦様は輪廻を否定するどころか、自分の教説のどまんなかに持ってきたんですから。

あと、曽我さんは「無常=無我=縁起」といって、この三つをひっつけて説かれますけど、これにはどんな意味があるのでしょうか?

仏教はほんらい、無常、苦、無我でしょう。

縁起ですが、これは「物事は相互依存的に存在している」という単純な意味だけではないと思います。(仏教解説書ではよくそういうのを見ますが)「大愛尽経」で、釈尊自身、「縁起を理解するのは極めて難しい」、という趣旨のことをいってます。「縁起を理解できないから悟れないのだ」とも。

縁起といえば、有名なのは十二支縁起ですが、これは一見何をいってるのか、さっぱりわかりません。私見ですが、これは修行者の主観的な境地を表現したもの だからであり、これを(修行なしに)「私は理解できる」という風に述べるのはかなり無理があるんじゃないでしょうか。合理的にこれを説明すること は、たぶん難しいと僕はおもいます。(縁起を理論化したのはサーリプッタ尊者で、多分に冗談で「仏教というのは大部分、サーリプッタ経だ」というのを法話か何かで覚えがあります。)

僕から見ると、「無常=無我=縁起」というのは、現代日本の一仏弟子たる曽我さんが、科学的唯物論と自身の体験をもとにして、あらたに仏教に混入した概念だ、という風に見えます。パーリ語でいうと[anicca-anatta-paTicca-samuppAda]とでもなるのでしょうか。仏説ならぬ、曽我説だと思います。

長くなりましたが、僕の意見はこのくらいです。

 

曽我から 藤田さんへ  2009,2,22,

拝啓

 メール頂き、ありがとうございます。返事が遅くなり、申し訳ありません。

 輪廻転生につきましては、かつてはそれを使って人を脅すカルトが目に余ったもので、積極的に問題にしておりました。しかし、このところは以前より下火になってきたように感じていて、今では私も、無記というか、話題にしないでいるのが一番良いと思っています。棚上げにしておいて、もっと肝心の問題に取り組めば、答えは自ずから明らかになる、と思うからです。
 とは言え、今回藤田さんから再びご提起いただいたので、以下に考えを書きます。

 藤田さんは、
 >「輪廻について「無記」を貫かなくてはならないのは、むしろ仏教徒自身」
と書いておられます。その一方で
 >「経典を読む限り、お釈迦様は輪廻を否定するどころか、自分の教説のどまんなかに持ってきた」
とも書いておられます。どうやら藤田さんは、無記のお立場ではなく、輪廻転生肯定派であろうと想像します。また、
 >「カルト問題を云々されるのなら、まっさきに、既存仏教側が輪廻に公式的な定義を与えるのが、スジ」
ともありますので、「既存仏教側」ではない立場に立っておられるのだろうとお見受けします。その点は、私も同様です。

 私は、輪廻転生はない、と思っていますが、その理由は、けして「輪廻転生は自分には理解できない。だから非仏説だ」というものではありません。
 ご指摘のとおり、釈尊の教えの比類なきキイ・ポイントは無常=無我=縁起である、と私は考えています。この無常=無我=縁起を核として、そこに矛盾なく一体化できる教えは一体化し体系化して、その体系を釈尊の教えとして捉えようと考えています。勿論それは、かつての釈尊の教えそのものではないかもしれません。言うなれば、とりあえずの仮説としての釈尊の教えの理解です。それをHPに掲出し、たくさんの方々にご意見を頂き、問題点を指摘してもらい、そのたびに仮説を修正・改変してきました。そういう方法によって、少しずつ釈尊のお考えににじり寄って行けるものと考えています。
 ところが、輪廻転生に関しては、どう工夫してみても無常=無我=縁起とは矛盾すると考えざるを得ないのです。両立しません。これまでもたくさんの輪廻転生肯定派の方々のお考えを聞いてきましたが、なるほどと納得させてくれるものはありませんでした。

 輪廻転生肯定派の方々の主張によくあったのは、藤田さんと同じように、「経典に書いてあるのだから、受けいれるべき」というものでした。しかし、その同じ経典のどこだったか、妄信せずに自分でよく吟味検証せよ、という教えもあったかと思います。ブッダダーサ比丘は、現在伝わる三蔵には後世の付加が多く混入しており、輪廻転生もそのうちのひとつだ、と言っておられます。(小論タイ上座部の「異端」 ブッダダーサ比丘、またブッダダーサ比丘 「仏教の教えの本質的ポイント」を参照ください。)
 もし藤田さんが、「輪廻転生は無常=無我=縁起と矛盾しない、きれいに整合する」と説明して下されば、あるいは、「輪廻転生こそ釈尊の教えであり、無常=無我=縁起はそれに矛盾する後世の付加だ」と納得させていただければ、私は自分の仮説を解体し再構築に努めます。
 しかし、「経典に書いてあるから」という理由だけでは、十分ではありません。経典は、原初の形でさえ、厳密には釈尊の《教え》の記録ではなく、「このように私は聞いた(如是我聞)」という仏弟子の《理解》の記録です。そして、釈尊から直接教えを受けた弟子の中にさえ、教えを曲解する者がいました。サーティという比丘は、「識は、流転し、輪廻し、不異である。そのように釈尊から教えられた」と頑なに主張して、厳しく叱責されています。釈尊から直接教えを受けてもそういう弟子がいたのですから、ましてや、釈尊入滅後は推して知るべしです。最初の結集は、釈尊入滅から間をおかずに行われましたが、これは教えの変質を防ごうとする努力でした。すなわち裏を返せば、釈尊入滅直後から、あるいは釈尊在世の時からすでに、釈尊の教えは、凡夫共通の執着や当時のインドの常識・世界観による変質の圧力に晒されていたのです。輪廻転生は、当時のインドの人々を支配する常識・世界観でした。

 とはいえ、勿論私は、経典を全否定しているわけではありません。現代の我々が釈尊の教えに触れることができるのは、経典と、それを2500年の間、懸命にともかくも伝えてくれた仏弟子達のお陰です。
 しかしながら、藤田さんは、「経典を変質させるのは、人間業とは思えない膨大な作業だ」と書いておられますが、私にはそうは思えません。逆に、釈尊の教えという前代未聞の、執着に反する考えを、正しく引き継いでいくことの方が、人間業ではない不可能事であり、実際、釈尊の教えは、凡夫共通の執着やその土地と時代の常識・世界観によって、我知らずいつの間にか、どんどん変質させられてしまったのです。従って、今に伝わる経典や「仏教」には、釈尊の教えの僅かな痕跡を留めながらも、夥しい混ざり物が渾然となっています。
 そこから夾雑物を除去して、釈尊本来の教えを抽出するにはどうすればいいのか。最も強力な手段は、文献学です。発掘された古い文献を付き合わせ比較対照することで、増広・変質の軌跡を辿ることができます。(経典最古層の文献学的研究としては、例えば並川孝儀『ゴータマ・ブッダ考』(大蔵出版)。小論『ゴータマ・ブッダ考』を読んで。私とはそのつどの煩悩も参照ください。)
 しかしながら、残念なことに、如是我聞の内容(経典)が文字によって記録されるようになったのは、釈尊入滅後何百年か経ってからです。それ以降については文献学はかなりの活躍ができますが、それ以前の口伝の時代における変遷には、文献学も手が届きません。
 ではどうすればいいのか・・・。文献学の成果を土台に、様々に考えてみるしかありません。

 私のやり方はこうです。「仏教」として伝えられている様々な教えの中でも、他には見られないユニークな教えについては、釈尊ご自身の教えである筈だ、と想定する。そして、そこに矛盾なく一体化できるものはできるかぎり組み込んで体系的な仮説をつくる。この仮説を様々な資料、見解とぶつけ合わせ、擦り合わせ、身における実験・観察によっても検証し、修正していく。

 「仏教」の中の、他にはないユニークな教えとは何か? 他ならぬ無常=無我=縁起こそが、空前の信じがたいほどシンプルで他に見られない独自の発見だと思います。釈尊以外の、一体誰がそのことに気づくことができたでしょう。
 すなわち、「私とは、その時その時の縁によってそのつど起こされる、とぎれとぎれの断続的な反応であって、一貫した持続的主体ではない」という発見です。そのつど性、断続性が「無常」であり、一貫した持続的主体の否定が「無我」であり、縁によって起こされる受動的反応だということが「縁起」です。無常も無我も縁起も、同じひとつのことを別の角度から説いている言葉です。ですので、私は、「無常=無我=縁起」と等号で結んで表記しています。

 縁起については、私も、釈尊というよりサーリプッタの造語ではなかったか、と思っています。この点は、kataさんとの意見交換に書いていますので、ご一読ください。しかし、サーリプッタは、アッサジの、たどたどしくも極めて簡略・的確な釈尊の教えの凝縮である「縁起法頌」を聞いて、すぐさま釈尊の弟子になり、釈尊のおそばで知恵第一と呼ばれましたから、縁起という捉え方も、釈尊に承認されていたと思います。上に書いたように、私ということの同じひとつのことを別の角度から説明する言葉だと思います。

 藤田さんが「無常、苦、無我」とおっしゃているのは、伝統的な法印のことでありましょう。一方、私の言う「無常=無我=縁起」とは、釈尊の独自性のピンポイントな核心部分のことであり、言わんとするところが異なるとご理解ください。苦は、勿論私の理解の体系においても極めて重要な部分です。
 苦の大半は、私達が自ら生み出している「第二の矢」によるものです。私達は、守るべき我が持続的にある、と思い込み、それを守ろうとする自動的受動的な執着の反応を繰り返しています。執着による自動的受動的反応が、私達凡夫なのです。その結果、人を苦しめ、自ら苦しんでいる。私達は、自分が縁によって起こされるそのつどの反応であって一貫した存在ではないことを、しっかりと納得しなければなりません。そのことが分かれば、それまでの執着の愚かさが痛感され、反応パターンが執着ではなく慈悲によるものに変ります。
 ところが、無常=無我=縁起は、凡夫にとっては常識の届かない荒唐無稽な教えです。凡夫においては、「守るべき立派な我がある」という我執が、あらゆる反応の根底に根ざしているからです。親切にも釈尊は、そんな凡夫でも自分が無常=無我=縁起であることを納得できるように、八正道や三学といったカリキュラムをはじめとするさまざまな懇切丁寧な教えを残してくださいました。

 釈尊の教えは、このような体系である、と考えています。
 釈尊の教えは、こういう体系として完成しており、この体系に輪廻転生はまったく必要とされていない、と考えます。それどころか、輪廻転生は、我の持続性への願望を断ち切れない執着の残滓であると思います。

 それから「仏説ならぬ、曽我説」とのご指摘も頂きました。私としては、釈尊の本来の教えを考えたいと思っていますが、私自身が縁起の反応である以上、生まれてこの方の様々な縁も受けていることは如何ともしがたいことです。そして、釈尊に学ぼうとする人は、誰であれ、それぞれが受けてきた縁から切り離されて純粋無垢な状態で釈尊の教えに対面しようとしても、それは不可能です。誰もがそれまでに受けた縁を背負いながら、釈尊の教えに向かわざるを得ない。藤田さんのお考えも藤田説であり、歴史上有名な仏弟子も、それぞれの受けてきた縁を担いつつ自分の仏教解釈を述べたのです。釈尊の教えを学ぼうとする人は、誰もが、自分の受けてきた縁に規定されたまま、自分の理解を表明し、互いにぶつけ合い、それがまた縁となって、学びあい、深め合うしかないし、そうすることによってのみ、少しずつでも釈尊の教えに近づくことができるものと思います。

 以上、頂いたご意見について、感じたことを書きました。

 以下は蛇足です。
 >「縁起ですが、これは「物事は相互依存的に存在している」という単純な意味だけではない」
と書いておられます。「だけではない」とありますから、他にも意味はあるけれど、「物事は相互依存的に存在している」というのも縁起の意味である、と捉えておられると思います。しかし、私は、縁起のみならず、無常についても無我についても、極狭く、自分のこととして捉えるべきだと考えています。
 「物事」とか「法界」とか「世界」とかに無常や無我や縁起をあてはめて考え始めると、容易く梵我一如型の発想に転落してしまいますので、注意が必要です。梵我一如については、清水さんとの意見交換、真如について(朝日新聞社「仏教が好き!」)、また和バアさんとの意見交換、他力思想と梵我一如(小川一乗「大乗仏教の根本思想」)をご覧下さい。

 久しぶりに釈尊の教えについて考えるところを書く機会を得て、少しこってりした内容になりました。
 またご意見お聞かせいただければ幸いです。

                          敬具
藤田様
    2009年2月22日           曽我逸郎
 

 

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