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Q&A

(当然のことながら、ひどく偏ってます。)

質問
 自助グループは、しょせん傷のなめあいではないでしょうか。
 出席したからと言って、回復できるとは思えません。

回答
 自助グループに傷のなめあいと言う面があってはいけないのでしょうか。自助グループに出る前は、他人に話をしても、変に励まされたり、逆にあなたの方がおかしいと説教されたりと、傷口に塩を擦り込まれる様な思いをしてこなかったでしょうか。自助グループでは、そのような心配はありません。「安心して傷つくことができる場(斉藤学)」とも言えます。
 確かに単に出席しているだけでは、回復できないかもしれませんが、あなたが自分一人だけで、回復の作業に取り組むのは、非常に大変です。自助グループの仲間は、あなたの支えになり、また、あなたが自分自身を点検するときの鏡になるでしょう。


質問
 アディクションに苦しんでいる家族を放っておいて自分だけ自助グループに参加することに罪悪感を感じてしまいます。

回答
 アディクションは、家族全員を巻き込む病です。あなた自身もその中で傷ついていたり、心ならずもアディクションを支える役割を果たしてしまっているかも知れません。
 このような状況のままアディクト本人を治療に繋げるのは、非常に困難です。
 まず、あなた自身の癒しが必要です。自助グループに参加していくことによりあなたの感情を整理し、またアディクトとの境界線を保ち、適切な距離を取ることを学んでいきます。カウンセリングを受けたりワークショップに参加することも効果があるでしょう。
 あなたとアディクト本人との関係が変化することによって、アディクトを治療に繋げるチャンスが生まれてくることも期待できます。
(2004年10月2日に追加)
 依存症者自身の回復は、本人の選択です。あなたの責任ではありません。
 もちろん何もしなくていいということではありません。役に立ちそうな情報を提供したり、あなたがどれほど心配しているかを伝えることは大切です。それでも、本人の回復は、本人の選択です。


質問
 ACからの回復のためには、親を許さなければいけないのでしょうか 。

回答
(2002年11月10日の回答)
 まず、許すとはどういう事か考えてみましょう。ある人は、「期待することをやめること」と言い、また、ある人は、「虐待した親を罰したいという欲求を手放すこと」と言っています。いずれにしろ、過去にあった虐待を帳消しにし、なかったことにして、忘れるということではありません。もし、過去の事実をなかったことにすれば、それは否認になります。
 許すことは、回復のプロセスで必ず通りますが、初めから意識的に親を許すことを勧めはしません。回復が進んでいけば、いずれ許せるときが来るでしょう。許せるほどに回復してから許せばいいのです。
 おそらく今大切なのは、親を許すことより、自分自身を許して、自分を罰するのをやめることです。アルコールや薬物、食べないことや食べ過ぎる事によっ て、自分の体を傷つけていませんか?不健康な人間関係にのめり込んで心を傷つけていませんか?買い物のしすぎやパチンコのしすぎで経済的に苦しいことになっていませんか?あるいは、それらの事をしてしまった事で自分を責めていませんか?そのような方法で自分を罰するのはやめたいと思いませんか?
(2004年10月2日に追加)
 親を許すというのは、親から受けた悪影響から自由になった結果であり、その逆ではありません。

(以前の回答)
 許す必要はありません。安易に親を許すことは、逆にあなたの否認を強め、回復の妨げになるおそれがあります。
 しかし、親に償いを求めたり、親が変わることを期待しない方がいいでしょう(それであなたの気が済むというのなら止めませんが。)。いまさら親が謝ったところで過去は変わりませんし、他人を変化させることは、不可能と言えないまでも、労力の割に効果はあまりに少ないでしょう。それよりも、そのエネルギーをあなたの回復のために振り向けたほうが、ずっと効果的でしょう。
 回復が進んでいく中で、いつの間にか親を恨む気持ちがなくなってゆき、もう、どうでもいいやと思えるようになったら、親を許してもいいでしょう。


質問
 私は、アディクションを持っています。また、ACと言われる人たちの特徴と共通する物を持っています。しかし、私の親は、私を愛してくれているし、まったく虐待などもしていません。私がアディクションになったのは、まちがいではないでしょうか。

回答
 あなたの親御さんは、確かにあなたを心から愛しているでしょうし、あなたも親御さんの事を大切に思っているのですね。
 親が心から子どもを愛していたとしても、子どもが必要としているケアを充分に与えられない事もあります。例えば、生活が苦しいため、仕事が忙しくて、ほとんど子どもと一緒にいられる時間がなかったとか、自分自身問題を抱えている中で、精一杯、子育てをしてきたのかも知れません。そのために、結果として、子どもが愛情に飢えた状態のまま、成長してしまうと言う事があります。その愛情飢餓があなたのアディクションの原因になっている事も考えられます。もちろん、それは、親御さんのせいではありません。単にそういう事実があったと言うだけの事です。その事実を認める事は、けっして、親御さんを責めることではありません。子どもの頃、愛情に飢えていたのなら、今から、たっぷり愛してあげましょう。遅すぎると言う事はありません。


質問
 私の参加している自助グループはいわゆる12ステップグループですが、ステップを踏んでいった方がいいのでしょうか。

回答
(2002年8月2日の回答)
 もし、あなたが自分自身の問題(さまざまなアディクション、共依存、ACであることに起因する問題)から回復したいと心から思っているのなら、徹底的に12ステッププログラムに取り組むべきです。
 私の見てきた限りでは、ただミーティングに出席するだけで、回復した人はいませんでした。回復していった人は、12ステップを始め、回復に役立ちそうなあらゆることにどん欲に取り組んでいました。
 いずれにしろ、12ステップが効果があることは、現に回復者がいることで証明されています。回復した人は、決して特別な人ではありません。ただ、徹底的に12ステッププログラムに取り組み、日々の生活でステップを実践してきているだけです。
 アディクションに浸って緩慢な死へ流されていくか、回復して生きていく道を選ぶかは、あなたにかかっています。回復は、「意志と命の方向」をほんの少し変えるだけで可能なのです。
(以前の回答)
 12ステップは、効果があります。
 ただ、自助グループに参加するようになって、いきなり取り組まない方がいいでしょう。
 自助グループに慣れてきて、回復のためにより積極的に何かに取り組みたくなってからでも遅くありません。
 また、一気に取り組まない方がいいでしょう。ゆっくりと、しかし、徹底的に取り組むとよいでしょう。
 特に、第4ステップの棚卸しは、一時的に自己嫌悪に陥る危険が高いので、精神的に不安定なときには、見合わせた方がいいでしょう。
 そのかわり、12ステップをやり遂げたとき、あなたは目に見えて回復していることでしょう。
 私自身、まだ第4ステップまでしか取り組んでいませんが、ある程度回復を実感できました。


質問
 アディクションは、何を病むのですか。

回答
 アディクションは、「否認の病い」と言われています。要するに正直さが失われ、行き着く先は、生活のすべて人生のすべてが嘘に塗り込まれます。
 基本には、自分はだめな人間だ、何もできない人間だという思い込みを抱えながらも、それを隠して生きている生き辛さがあります。これが根元的嘘です。
 アルコールや薬物、その他の刺激によって、一時的にだめな自分だという思い込みを忘れることができたり、自分は何でもできるような気分になれます。この「酔い」が嘘を隠す第2の嘘です。
 やがて、アルコールなどを手放せなくなりコントロールを失います。しかし、コントロールを失っても、コントロールできていると信じ込み、さらにアディクションに耽溺していきます。これが第3の嘘です。
 一方、アディクションの回復の過程は、正直さを取り戻していく過程に他なりません。
 まず、いわゆる「底つき」によりコントロールを喪失していることを認めます。
 次に、アルコールなどにより、自分を偽る必要のないこと、あるいはアディクション以外の方法で自己不全感と向き合う方法を学びます。
 さらに、ありのままの自分をそのまま受け入れられるようになります。
 この、回復の過程は、徹底的に正直であることが要求されます。しかも、長年の嘘が身に染みついてしまっているため、ともすれば昔の状況に引き戻されてしまうことも多々あります。しかし、そんなときも、これも回復のためのひとつのプロセルだと思い、また、やり直せばいいのです。
 この回復のプロセスをたった一人で辿っていくのは、非常に大変です。自助グループに参加することにより、仲間からエネルギーと洞察を分けてもらいながら、進めていくといいでしょう。


質問
 自助グループに参加していますが、仲間はいつも同じような話をしていて、回復しているように見えませんが、自助グループの何が回復に効くでしょうか?

回答
 正直なところ、自助グループの何が効くのか私にもよくわかりません。
 ただ、同じような話を繰り返しているように見えても、その話の意味づけは少しずつ、変わってきています。例えば、自分は親からの虐待の犠牲者で、これからもずっと犠牲者の人生を歩むしかないのだ、というような話から、自分は親からのひどい虐待の中をよく生き延びてきた。自分には生きていくエネルギーと知恵が備わっているのだと言うように変化していくことがあります。過去の出来事そのものは変わらなくても、その意味づけが変化することによって、犠牲者としての生き方から勝者としての生き方に変えていくことができます。
 人は、自分の人生を理屈ではなく、物語として理解しています。そして、その物語は、書き換えることが可能なのです。
 自助グループの中で同じ話を繰り返すことによって、自然にこの物語の書き換えを行っていると考えることもできると思います。
(2002年8月2日に追加)
 なお、確かに何年も自助グループに出ているのに、回復していかない人も実際にいます。そのような人は、心のどこかで回復したくないのかもしれません。
 回復すると言うことは、犠牲者であることを止め、大人として責任ある生き方をすることも意味していますが、無意識のうちにそうなりたくないと思っている人もいるように思えます。


質問
 12ステップに沿って、私が傷つけた人に埋め合わせとしようと思っても、相手との関係が完全に壊れていて、埋め合わせる機会もないし、仮に機会があったとしても相手は拒絶してしまいます。それでも、埋め合わせをしなければいけないのでしょうか。

回答
 12ステップは回復のためのステップであることを思い出しましょう。埋め合わせは、相手のために行うのではなく、自らの回復のために行うものです。
 アディクションに耽溺していた間、私たちは多くの人々を巻き込み傷つけてきました。私たちにとって自分自身が傷ついてきたことを認めるのは容易ですが、他人を傷つけてきたことを正直に認めるのは、非常に苦痛です。
 しかし、アディクションは、否認の病であることを思い起こしてください。ここで、他人を傷つけてきたことを否認してしまえば、私たちは遠からず昔の状態に戻ってしまうでしょう。
 傷つけたすべての人の表を作り、その人達に埋め合わせをするのは、正直さを取り戻し、しらふで生きていくために必要なのです。
 ただし、その埋め合わせが単なる自己満足で、かえって相手や他の人々を更に傷つけるものであってはなりません。相手が拒絶しているときには、直接埋め合わせをするのではなく、他の方法を考えましょう。ボランティア活動など直接相手と関わりないものでもよいでしょう。
(2002年10月6日に追記)
 第8から第10のステップは、単に埋め合わせを目的としているのではなく、「気づき」を促すステップだと思います。他人から指摘されるのではなく、自分で気づくからこそ変えていけるものがあります。どれだけ気づく事ができるかで、生き方は大きく変わっていくでしょう。


質問
 ACの自助グループのミーティングに初めて出席しました。他の出席者の方は、大変な子ども時代を過ごしてきたり、大きな問題を抱えていて、そのような方と比べると、私の育ってきた家庭は、それほどひどい家族ではなく、私の抱えている問題も大したことがないように感じてしまいました。
 私のような者でも、ACグループに参加してよいのでしょうか。

回答
 ACの自助グループには、ACの問題から回復したい人(機能不全家族の影響から回復したい人)ならば、誰でも参加できます。ACであるかどうかは、自分自身の認識によります。いわゆる「普通の家族」の中で育ってきても、自分が傷つき、生きづらさを感じているようなら、ACと名乗っていいのです。どのような家族で育ってきたのか、どのような問題を抱えているのかを他の人と比べることは意味がありません。違いよりも共通点を探してみましょう。
 ACの中には、自分の受けてきた傷を過小評価している方あるいは自分が傷ついていること自体に気がついていない方もいるようです。例えば、自分の兄弟はACに違いないけれど、自分自身はACではないと言っている方もいます(実際そのとおりの場合もあるかもしれませんが。)。なんどかミーティングに出席していくうちに、自分の受けてきた傷の深さに改めて気がつくこともあるようです。初めのうちは違和感を感じるかもしれませんが、しばらく出席し続けてみることをお勧めします。


質問
 自助グループに参加しているだけで回復できますか。

回答
 回復を家造りに例えると、自助グループへの参加は、家の土台にあたります。どんなに立派な家を建てようと思っても、土台がしっかりしていなければ、家を建てようがありません。自助グループに参加し続けることでしっかりした土台を固めてそれを維持していくことができます。
 一方、土台だけあっても家が自然にできるわけではありません。もし、あなたが参加しているのが12ステップグループなら、ステップと言うすばらしい設計図があります。セラピーやワークショップなども使う人もいます。
 いずれにしろ自助グループへの参加は、回復のための基盤です。優れたセラピストでも自助グループへの参加を勧めています。


質問
 グループの参加者に「言いっぱなし、聞きっぱなし」のルールを守らず、ミーティングが終わった後で、電話で本人に意見したりする人がいて、多くのメンバーがその人に困っています。かと言って、ミーティングは誰でも参加できることになっていますが、どうすればよいでしょうか。

回答
 このような問題は、多くのグループで起こっていることですが、その解決はそれぞれのグループの自律性に任されています。
 ひとつの提案としては、グループのリーダーあるいは他のメンバーから、そのような行為は、グループの平安を脅かし、グループの一体性を損なうものであるので、決して行わないようにはっきり指摘することです。ただし非難する調子にならないように気をつけることです。
 それでもやまない場合は、そのメンバーがグループにとって善良な人にすすんで変わろうとする気になるまでは、ミーティングに出席しないように頼むことです。その場合でも、そのメンバーの気持ちが変わったら、グループとして喜んで受け入れることを付け加えるとよいでしょう。
 確かに回復したい人は、誰でも受け入れることになっていますが、本当に回復のためにグループを必要としているのであれば、グループの平安と一体性をすすんで尊重すべきでしょう。


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みちしるべ
最終更新:2008年9月28日
メールアドレス tao@dia.janis.or.jp