〜森 正夫の山歩き記録〜
番外編 その1 軽トラテント山行の旅

プロローグ

 私はこれまで山行形態に合わせて合計5張のテントを手に入れた。家族全員は5〜6人用、妻と2人の2人用、単独行の1人用などである。どれもが、山中での快適な眠りを確保するため、質の高い製品を求めた。30年以上経たテントも現役で使える。

 しかし、テントは使えても、今では身体の方がついていけない。テント縦走となると、単独行でも最低10kg前後の重さになってしまう。腰に持病のある状況では無理なのだ。愛着の深いこれらのテントを山用具棚から現役に戻すにはどうしたら良いか、いろいろ考えて工夫してみた。孫が夏休みに来た折、近所の子供たちと一緒に我家の庭に張ってキャンプをするのもそのひとつ。また、自分の部屋(母屋とは別に25畳ほどのコンクリート土間の小屋)にテントを常設して(写真@)、昼寝に使ったり、山好きの友人が来たときに泊める等々である。だが、どれもが本来の山行用テント諸兄には申し訳が立たない。

 ところが、3年前にちょっとしたことから、ひとつのアイデアがひらめいた。春から夏は畑仕事、冬場は薪の切り出し運搬を軸にさまざまに活躍する軽トラックの荷台を見ているうちに、もしかしたら、一人用テントならここに張れるかもしれない・・・と気づいた。さっそく取り出し組み立てて荷台に置いてみると、まあこれが計算されたもののようにピッタリと収まるではないか。よし、これだ!このテントを荷台に常設して登山口まで行き、そこに泊り、翌朝登ってまた別の登山口へ行く、ということが出来れば、テント縦走とはいかないが、真似事ぐらいにはなる・・・?テントに申し訳が立つというものだ。


写真@

写真A

写真B

 これには工夫が必要である。荷台に張ったテントが移動中、風で飛ばされないようにどうするか、大雨にも耐えられるにはどうするか、キャンピングカーとはいかなくても、より快適な空間をつくる方法がないか等々である。3年経った今では、これらは全部解決済みだ。四隅を軽トラの縄かけピックにテント用の紐できちんと固定すれば、何の問題もない。元来、冬山の強風に耐えられるテントである。通常の走行では、運転席が前風を防ぐ役割を果たしてくれる。これまでの経験では高速道路での80km走行なら全く問題ない。横風には風になびいてやり過ごす本来の役割が機能する。雨に対してはフライシートをつけ、裾を防水シートで補完すれば、大雨の中を50kmで走行しても、テントの中に雨水が入る心配は全くない。これは昨年嵐のような暴風雨の日本海海岸べりを走って証明された。あとは居心地だ。まず、一般のキャンプ場でよく見かける木で作られた簀子を真似て、荷台の上に簀子を固定した。これは水がテントの下から進入するのを防ぐ。次は、古い畳を簀子に固定して、その上にテントを乗せた。これで和室の完成。そこに防寒用シートを敷き、フトンをのせれば、空間は狭いがいつもと変らない快適な寝床になる。実物は写真A(今年9月越後浅草岳登山口)、写真B(昨年8月新穂高ロープウェイ駐車場)、写真C(テントの中の様子)のとおりである。


軽トラテント山行の旅2014

 今年も例年通り8月に計画していたが天候不順のため延ばしのばしにしていたが決着つかず、シビレをきらして9月15日に出発した。行先は越後・会津・奥只見方面と決めていた。登る予定は「浅草岳」「守門岳」「荒海山」「田代湿原と帝釈山」であった。これらの山々は昔から登りたいと思いつつ、交通の便が悪いため、どうしても時間のとれない現役時代には無理があった。

 15日出発、この日は従兄の別荘(野尻湖)に一泊し翌日出発したものの、越後に近づくにつれ天候が悪化し大雨の中を浅草岳登山口に向う。登山口に着く頃には雨は止んだが、時々晴れ間をみせるも曇っていて寒い。早めに食事をして陽が傾きかけた頃にはテントの中へ。朝までぐっすりと眠れた。翌朝、小雨の中を出発。頂上に近づくにつれ天気は回復し、稜線に出る頃には晴れて浅草岳(1585.5m)が美しい姿を見せた(写真D)。頂上からの眺望は良く、明日予定している守門岳の雄々しい姿(写真E)が目に入り、眼下には田子倉湖(写真F)が大きく写し出されている。幸先の良さに感謝し、下山する。


写真C

写真D

写真E


 下山後は、食事をとり温泉につかって守門岳登山口に向う。予定したより時間がかかり、5時すぎに到着、軽い食事をして陽がしずむ前にテントの中へ。昨夜は雨が降ったが朝は青空がのぞいている。よろこんで出発したが、途中から急変し雨となる。登山道は始めは木造階段の急登だが階段の平らな部分に水がたまっており、歩きづらいことこの上ない。階段が無くなるとU字に掘れた粘性赤土のすべりやすい急登がどこまでもつづき、水たまりも多く、時間がかかった。大岳(1432.4m)(写真G 頂上石祠守門大明神)に着いたが眺望は全くない。予定では、ここから青雲岳、袴岳をピストンして下山する計画だっかが断念し、下山する。守門岳はこの三峰の総称と考えられているため、どうも中途半端な形になってしまった。雨の中のすべりやすい降りは、手におえない。両ストックを使いゆっくりと歩いたが、途中ついにスッテンコロリン、胸をしこたま打ちどろだらけになってしまった。




写真F

写真G

写真H
 翌日は予定通り移動日、会津へ向い地元の名湯、湯ノ花温泉で入浴三昧を決め込む。この温泉には4か所の公衆浴場があり、200円の一日入浴券を買えば、何回でも自由に入浴できる。ゆっくりと体をやすめ、ひさびさに美味しい食事(手打ちラーメンとギョウザ)をとり、近くのしらかば公園でキャンプし、明朝登山口に向かこととした。

 残念ながら翌日も雨模様。晴れたと思えば曇り、降り出す。意欲を失い、隣の名湯、木賊温泉(とくさおんせん)へ向う。この温泉は、いつでも入れる外来湯は1ヶ所。ところが、これがすばらしい。清流の横上に作られた岩風呂で湯床からこんこんと湯が湧き上る。平日で人も少なく、2時間以上出たり入ったりを繰り返す。ここまでくると、山登りに来たのか湯治に来たのか解らない。これが気軽な旅の良いところだ。自分の都合でどうにでもなる。この年になって、なにも気張ることはないのだ。 ビールと焼酎を買いこみ早目に田代山(帝釈山)登山口に向った。

 ところが翌日も同じような天気だ(登山口写真H)。もうすっかり気落ちして登る意欲を失う。昨夜は雨が降り、気温が相当下がったようで寒さで幾度か目が覚めた。飲みすぎも多少響いている。ここは男らしくあきらめが肝心と日和見を決め込んで出発した。これでもう戦闘意欲はすっかり無くなり木賊温泉に戻って再び入浴、それなら観光に切り替えようと決め、日本で一番大きい人造湖といわれる奥只見湖へまわりこんだ。さすがに大きい。よく、こんなところに道路を作ったものだと、独り言。やっぱり心掛けの悪さがここに出た。この日は予測に反し昼前から快晴。登っていればと悔やんだが仕方ない。再び従兄の別荘に転り込みヤケ酒を酌み交わす。

 このまま帰ったのでは男がすたる。なにかバンカイの方法はないかと考えた末、翌日帰路の途中にある志賀高原へ向かう。そこには、志賀高原の山々の中で最後まで自然を残している岩菅山があるではないか。よし、ここに決めた。気分は上々、快晴だ。最終日、6時間余かけてピストンした。一週間で三座。まあ、いいだろう・・・となんだか良く解らない納得のもと家路についた。(岩菅山については山歩き記録 第7回のとおりである。)


エピローグ

 人は肉体的に年を重ねても、気持ちの上では子供の頃とあまり変らない自分がどこかにいるような気がしている。確かに精神的に連続性のある「何か」がそうした形で残っているだろうけれども、多くは錯覚だ。この錯覚に気づくのには一定の時間が必要である。田舎暮らしを始めて約10年、この間にいくつもの体験があった。

 それらの中で、1番腹立たしく、くやしく認められなかったことがこれだ。畑仕事中、よく転ぶようになった。ちょっとした物につまづくのだ。また、竹で作った畑の柵を越えようとして、頭では越えてる筈なのに二の足を引っかけてしまう。確実に老いが近づいてきている。

 若い頃は、ガイドブックのコースタイムの半分くらいで山を歩いた。40代後半、妻と二人で、朝、三俣山荘(北アルプス)を出発し、高天原を通り、太郎兵衛平へつき上げて、そのまま折立まで夕方には着いていたこともある。雨が降ろうが、雪になろうが、行くと決めた山には余程のことが無い限り登った。

 その頃が懐かしく、くやしく思う時が無いではないが、最近、ようやく現実を受け入れられるようになってきた。私が始めた「軽トラテント山行」もそのひとつ。旅館や山小屋に泊ったりせず、また、キャンピングカーでの旅行とも一味違う、どこか野性味を残した旅の形として考え出したものだ。

 68歳の男が一人、こんな形で旅をする。なんだかホームレスのように思われなくもないが、結構人気がある。めずらしさもあって、いろいろな人が近づいてくる。見世物ではないが、聞かれれば気持ちよく応えテントの中の寝具まで見せている。

 旅には、いろいろな形があって良い。ライフステージに合わせた人それぞれの旅、それぞれの楽しみ方があってこそ自然というものだ。


 軽トラテントの特許はまだなので、どうぞご自由に。




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