佐久三十三番観音札所
十三番から十八番

第十三番札所 岩崎堂
観音堂の跡 岩崎堂の印
納経所 : 遍照寺   写真 : 岩崎観音堂の跡
   南佐久郡臼田町田口三分1058   【天台宗】
岩崎堂は、臼田町田口三分にありました。 昭和15年観音堂本尊と共に焼失してしまつたそうです。お堂の跡とみられる、基礎石のみでした。
   御朱印は遍照寺で
御本尊
馬頭観音 
ご詠歌
ありがたや化正三分のむかしより われらがための南無観世音


第十四番札所 千手院
観音堂 御朱印
納経所 : 千手院   写真 : 観音堂
   南佐久郡佐久町平林263   【天台宗】
仁寿年間(850)慈覚大師の開基とされ、現在の観音堂は正徳4年(1714)三度目の建立と云われます。
境内には諸堂が建ち並んでいます。
御本尊
千手観音 
ご詠歌
みほとけのみのりもしげき平林 いつも涼しき御堂なりけり


第十五番札所 妙音寺
妙音寺の跡 御朱印
納経所 : 成田山   写真 : 妙音寺の跡
   佐久市野沢原467   【真言宗智山派】
妙音寺は、南佐久郡小海町親沢です。 昭和34年の台風により、本堂・観音堂ともに亡失されてしまいました。 檀徒の皆さんの力により、『妙音寺史跡』の碑が建ててあります。   御朱印は野沢の成田山薬師寺へ
御本尊
千手観音 
ご詠歌
みほとけはわが後の世の親沢や 子は有り難くをがみこそす


第十六番札所 宮の平
諏訪神社 御朱印
納経所 : 大龍寺   写真 : 諏訪神社(観音堂なし)
   南佐久郡北相木村久保2544   【曹洞宗】
宮の平観音堂は、南佐久郡北相木村宮平の、諏訪神社境内にあり、明治以前に亡失したと云われます。 観音堂が建てられていた場所は、わかりませんでした。
   御朱印は大龍寺へ
御本尊
馬頭観音 
ご詠歌
いつも来て仏にあいき有難や 神のをしへでをがむなりけり


第十七番札所 経の岩屋
観音堂 御朱印
納経所 : 大龍寺   写真 : 経の岩屋観音堂
   南佐久郡北相木村久保2544   【曹洞宗】
北相木村経の岩に経窟山円通閣と称した観音堂があります。 由来には、永禄年間(1560年代)の領主依田民部長繁の子、興繁が京都清水寺から奉持したものと伝えられています。   御朱印は大龍寺へ
御本尊
聖 観 音
ご詠歌
妙なりし経のいはれを聞く時は おろかの身までたのもしきかな


第十八番札所 熊野宮
観音堂 御朱印
納経所 : 松源寺   写真 : 観音堂
   南佐久郡小海町本村979   【天台宗】
松源寺は、宝徳元年(1449)小海古屋敷に創建したが、永禄5年に相木氏の祈願寺として熊野宮の別当寺となった明治に入り現在地に移転される。 
観音堂は朱塗りの六角堂です。
御本尊
如意輪観音
ご詠歌
福寿海小海ときけばはかりなし 誓ひをたのみまいる諸人