HEBAさん 釈迦は「諸法無我」を説いたか 小説『スジャータの乳粥』 2015,11,3,

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HEBA より 曽我さまへ
 お久しぶりです。いつぞやは大変お世話になりました。いつもながらのエネルギッシュな横暴権勢批判のご活躍ぶり陰ながら敬意を申しあげます。

 ツイッターで、御説の「般若経」を単行本出版されたむね拝見しました。これを機会に前から気になっていた感想を述べさせてください。

 朝起きて夜寝るまで、いや一日いっぱい人は「もの」と「こと」にかかわりながら思考し、行動し生きています。私と、私をとりまく世界は相互に存在しあう関係です。私のいない世界で私がものを考えたり、動き回ることはあり得ないし、なにもない虚空で私だけが存在するということもあり得ない。我と世界と両方が存在するから我はこの世に在って思考し、振る舞う。そして存在の動きはいろいろな現象を現わす。存在と現象は同じものの表裏一体の関係です。存在の変化やうごめきの態様を反映するのが現象です。これが存在と現象を物理則に則って理解する現代人の感覚だと思います。

 この「般若経」では存在を否定し、縁起現象の連鎖を説明しています。
 存在はすべての思考行動の原点であると理解する常識的立場からすれば、存在を肯定しつつ縁起現象を説明することは可能ではないか、という疑問があります。
 もし是非とも存在を否定しなければならないのであれば、現代人の常識でも解るようにもう少し丁寧に説明していただければありがたいと思うわけです。

 関連すると思いますが、そもそも釈迦は「諸法無我」を説いたのでしょうか。

 批判がましい物言いをしてしまいましたが、もとよりご造詣の深い曽我さまへ批評をするほどの立場ではありません。人それぞれに特有の思想があっていいのだと思っています。
 これは批判ではありません、これは感想です。ご一笑いただければそれでよろしいです。

 いつもつまみ食いの浅知恵で、ポツリポツリと考えております。
 今回は、ご存じでしょうが、下記のHPを参照しました。
  http://houjugusya.web.fc2.com/anatman.htm

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HeBaさんから、再信 2015,11,18,

   曽我さまへ            HeBa拝    2015-11-18

 度々の沖縄行脚まことにご苦労様です。ほんとうの愛国とはどのようなものか、はっきり議論しなければなりませんね。それにしてもお体をお大事にされますよう祈ります。

 また無粋な便りをさせていただきます。
 曽我さまの「あたりまえのことを方便とする般若経」を読んで、優しい情況描写のポエムとして、やはり一時は文学を目指したこともあった方だなと感心しております。
 おそれながら私もちょいと真似をしたくなり次のような作文をしてみました。趣旨は、釈迦を人間として理解することです。
 すでに釈尊に帰依されておられる曽我さまから見れば、許しがたい不埒な振る舞いかもしれませんが、実存的にものを考える習慣がついてしまっている私にとっては、このようなアプローチが一番納得しやすいのです。
 だれも読んでくれる人がいないので、曽我様に読んでいただきたいのです。
 お暇なとき眼を通してくださればありがたくご報告する次第です。

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*小説 スジャータの乳粥
 のどが渇き胃は縮み、霞のかかったような朦朧とした意識の中で釈迦は彷徨していた。29歳で出家、以来35歳に至るまで修行を続けてきたが、今に至るも相変わらず悟りの手掛かりがつかめなかった。これまでの苦行で何度か死に直面することもあったが、その都度幸運な周囲の助けがあり、辛うじて持ちこたえ、今日までながらえてきた。
 昔から伝わる伝承、教説、バラモンによる呪術、祭儀などによらず、自らの理性で自らの正体をありのままに確かめ、納得したいという思いに駆られるまま飛び込んだ修行の道であった。最初は禅定を、ついで断食等の苦行を行ってきたが、次第に体力を消耗するだけで、今日に至るまで、自らの本体らしきものを見出すことができないでいた。 時折、近くで修行中の沙門が涅槃入滅したことが伝えられたが、涅槃を得て命終したというよりは、飢えによる衰弱死なのかもしれなかった。自分ももう間もなく、そのような風の便りの一つになって消えていきそうな気持が日ごとに強くなっていた。長くは持ちこたえられない。せめて動けなくなる前に、少しでも身ぎれいにしようと、ふらつく足でようやく沐浴を済ませ、身を横たえて一息ついているところだった。
 ふと気がつくと、目の前に、飯鉢に乳粥を注ぐ娘の姿があった。「お…、あ…」と言葉にならないうめき声を発しながら身を起こそうとした釈迦に、恥じらうような笑顔で軽く会釈して娘は立ち去った。娘の後ろ姿を見つめ、そして眼前の乳粥に視線を移した釈迦の面前いっぱいに甘い乳の香りが広がっていた。しばらく乳粥を見つめていた釈迦は、おもむろに合掌をし、飯鉢を両手で捧げ持ち、顔を飯鉢に近付け、乳粥の香りを胸の張り裂けほどに腹いっぱいに吸い込んだ。この甘美の香りを脳髄と五体に留めておくかのように長いあいだ息を止め、そして静かに吐き出した。粥をひと口口に含み、ゆっくりと口を動かし、口の隅々まで甘い乳の味を沁みわたらせてから、ごくりとそれを飲み込んだ。いままで食をあきらめて縮みきっていた胃袋がグーと音を出しながら粥をとらえた。そしてあっという間に粥は全身を駆け巡った。わずかひと口の粥が全身の生気を目覚めさせた。釈迦は一粒一粒丁寧に噛みしめながら粥をすすった。その顔はいつしか涙であふれ、涙は飯鉢にしたたり落ちた。どのような意味の涙なのか、釈迦にもよくわからないまま、とにかく涙があふれた。あふれた涙と粥を一緒にすすった。王室に生まれ育った身で、とくに食事の美味さに感激することもなかったが、これほどの、全身がわななく喜びに震える思いの食事を経験したのは初めてのことだった。最後の一滴まで嘗めつくした釈迦は、しばらく飯鉢の底をいとおしむように見つめた後、両手で捧げて一礼して飯鉢を側に置いた。そして、娘の立ち去った方角に向かい座りなおし、虚空に視線を漂わせながら長い間もの思いに耽っていた。
 修行者が苦行の果てにそのまま衰弱死することは珍しいことではなかった。憔悴しきった釈迦に目をとめた娘も、きっとそのことを案じたに違いなかった。最後の供養と思っての施しだったのであろう。釈迦自身、遠からずその時が来ることを心のどこかで覚悟していたので、ほんとうにこれが最後の食事になるのかもしれない。そのような思いにとらわれながらすすった粥の味であった。しかし、この苦行は何のためにやっているのだろう。最近になって頻繁に浮かび上がる懐疑が、また頭をもたげてきた。自分の存在の意味を確認するために、心の奥底にあって、人の心を差配しているといわれるアートマンを探り当ててみたい気持ちもあった。しかし、長らくの苦行にもかかわらず、それらしきものにまみえる気配もない。最近は、ないものねだりの見当外れなことをやっているのではないかと言う思いが日ごとにつのってきていた。
 やがて、ついさっきまで萎えていた釈迦の五体には血が巡り、虚空を眺めるその目に精気が漲ってきた。
 釈迦は激しく揺れ動く自分の心の様子に感動していた。いつも冷静で不動のものと信じていた自分の心が、じつは激しく揺れ動き、定まらないものであることに気付いたからである。感動のあまり涙を流しながら乳粥をすすった自分が、今は、先刻までの不安な飢餓感から脱し、満ち足りた安寧にある。死ぬかも知れない不安にとらわれたかと思えば、今は何か手掛かりをつかめそうな希望のような思いがある。暑いと言っては日照りを厭い、寒いと言っては日差しを好む。暗いと言っては闇夜を恐れ、美しいと言って星空を眺める。心は常に揺れ動き、常に移り変わり、次から次へと新しい思いが現れる。これが人間の本態なのだ。不動不変などではない。心も体も常に揺れ動き、変化している。このような身近な自明のことに何故今まで気付かなかったのだろう。こう思ったとき釈迦は、一切の「無常」を確信した。同時に、恒常不変と言われる「アートマン」に拘る愚かさを悟った。
 釈迦は、思考の礎となるべき「諸行無常」を、胸のうちに大きくとどろかせながら何回も何回も叫んでいた。その叫びは五体にこだまして駆け巡った。自分のことも、すべてのことも、「諸行無常」の礎の上にある。すべてが納得できると確信した。
 ***「諸行無常」*** 釈迦正覚の一瞬であった。

 釈迦は、食をとり体力を回復させながら、あらためて自分の思想を完成するための思索に入っていた。「諸行無常」の世を生きて在る人間に付きまとう煩悩の始末をしなければならなかった。
 瞑想の途中で、弱った行者を助ける娘のうわさがあった。 その名は「スジャータ」。 釈迦の命を救い、正覚に導いた大恩ある人の名であった。
 やがて釈迦は、新しい思想を携えて初転法輪の旅に出た。
 以来釈迦の教えは、2000年有余の長きにわたり、人のあるべき清純な倫理の教えとして世に語り伝えられ、人に敬愛されて今日に至る。

                       了

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HeBaさんから、さらに一通 2014,11,21,

    曽我さまへ               HeBa拝    2015-11-21

先日ご報告した愚稿「小説 スジャータの乳粥」に、どうしても書き添えたいことがあって加筆いたしました。
内容はスジャータの施与の意味と、釈迦の涙の意味、開悟の瞬間などです。
所詮は作り話のたわ言で、曽我さまにとってはどうでもいい迷惑なことでしょうが、もし読んで下さるのであれば、前稿と差し替えの上読んで下されれば幸いと思い、お願い申し上げる次第です。

大変軽率な所業で申し訳ありません。これも寄る齢波のせいとお許しください。

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*小説 スジャータの乳粥(第2稿)
 のどが渇き胃は縮み、霞のかかったような朦朧とした意識の中で釈迦は彷徨していた。29歳で出家、以来35歳に至るまで修行を続けてきたが、今に至るも相変わらず悟りの手掛かりがつかめなかった。これまでの苦行で何度か死に直面することもあったが、その都度幸運な周囲の助けがあり、辛うじて持ちこたえ、今日までながらえてきた。
 昔から伝わる伝承、教説、呪術、祭儀などによらず、自らの理性で自らの正体をありのままに確かめ、納得したいという思いに駆られるまま飛び込んだ修行の道であった。最初は禅定を、ついで断食等の苦行を行ってきたが、次第に体力を消耗するだけで、今日に至るまで、自らの本性らしきものを見出すことができないでいた。 時折、近くで修行中の沙門が涅槃入滅したことが伝えられたが、涅槃を得て命終したというよりは、飢えによる衰弱死なのかもしれなかった。自分ももう間もなく、そのような風の便りの一つになって消えていきそうな気持が日ごとに強くなっていた。長くは持ちこたえられない。せめて動けなくなる前に、少しでも身ぎれいにしようと、ふらつく足でようやく沐浴を済ませ、身を横たえて一息ついているところだった。

 ふと気がつくと、目の前に、飯鉢に乳粥を注ぐ娘の姿があった。「お…、あ…」と言葉にならないうめき声を発しながら身を起こそうとした釈迦に、恥じらうような笑顔で軽く会釈して娘は立ち去った。娘の後ろ姿を見つめ、そして眼前の乳粥に視線を移した釈迦の面前いっぱいに甘い乳の匂いが広がっていた。しばらく乳粥を見つめていた釈迦は、おもむろに合掌をし、飯鉢を両手で捧げ持ち、顔を飯鉢に近付け、乳粥の匂いを胸の張り裂けほどに腹いっぱいに吸い込んだ。この甘美の匂いを脳髄と五体に留めておくかのように長いあいだ息を止め、そして静かに吐き出した。粥をひと口口に含み、ゆっくりと口を動かし、口の隅々までほろ甘い乳の味を沁みわたらせてから、ごくりとそれを飲み込んだ。いままで食をあきらめて縮みきっていた胃袋がグーと音を出しながら粥をとらえた。そしてあっという間に粥は全身を駆け巡った。わずかひと口の粥が全身の生気を目覚めさせた。釈迦は一粒一粒丁寧に噛みしめながら粥をすすった。その顔はいつしか涙であふれ、涙は飯鉢にしたたり落ちた。どのような意味の涙なのか、釈迦にもよくわからないまま、とにかく涙があふれた。あふれた涙と粥を一緒にすすった。王室に生まれ育った身で、とくに食事の美味さに感激することもなかったが、これほどの、全身がわななく思いの食事を経験したのは初めてのことだった。最後の一滴まで嘗めつくした釈迦は、しばらく飯鉢の底をいとおしむように見つめた後、両手で捧げて一礼して飯鉢を側に置いた。「これが最後の食事になるかもしれない。」そう思いながら娘の立ち去った方角に向かい座りなおし、虚空に視線を漂わせながら長いもの思いに耽っていた。

 修行者が苦行の果てにそのまま衰弱死することは珍しいことではなかった。憔悴しきった釈迦に目をとめた娘も、きっとそのことを案じたに違いなかった。最後の供養と思っての施しだったのであろう。釈迦自身、遠からずその時が来ることを心の隅で覚悟していたのである。それにしても、断食修行中の修行者に食べ物を施すことは、決して褒められることではなかった。場合によっては明確に拒絶されることもあるであろう。飯鉢に乳粥を注ぐときのあの戸惑うような笑顔は、恥じらうというよりは、拒絶されることを半ば懸念した怖れの気持ちだったかもしれない。しかし、釈迦は、飯鉢から漂う仄かな乳粥の匂いを嗅いだ瞬間から、食にありついたという安ど感と、娘に対する感謝の気持ちがあるだけで拒絶する気持ちは毛頭なかった。乳粥を見、その柔らかい匂いを嗅いだ瞬間から、あたかも乳飲み子が母の乳房を待ちかねるように、全身の細胞が「食べる」ことに向かって抑えようもなく動き出していた。修行中の身として「食べること」の是非について冷静に考えるべきであったかもしれない。しかし、今の釈迦にとっては、眼前のものを腹に収めて身と心を持ち直すことが何にもまして必要なことだった。考えることは後でもできる。いまは素直に身体の欲するままに娘の善意を受け止めよう。そのような衝動に駆られるまますすった粥の味であった。それは他に代え難い至福の味であった。
 それにしても、粥をすすりながら流した涙の意味は何だったのか。娘の慈心に触れたからか、いやそればかりではない。釈迦の理性では計り知れない、思いもしない身体の奥深くから吹きあげるような激しい感情だった。あれは今までに経験したことのない歓喜の感情だった。五体をつくる細胞の一つ一つが「生きること」に反応し、「生きたい」と歓声を上げ、それが感謝の気持ちと重なって抑えようもない涙となって溢れ出たような気がする。自分の理性の及ばないところに「生きること」を主張するもうひとりの生きものがいる。釈迦はそう思った。

 釈迦は考え続けた。またもや懐疑が、頭をもたげていた。この苦行の意味についてである。 求めているものは、これまで自分が馴染んできた一切の習俗、伝承、教説、呪術、祭儀、しがらみを捨て去り、生まれながらの無垢の自分に立ち戻ることであった。そのために、食を絶ち、自分の体の肉を削ぎ棄て、まといつくすべての雑念を振り払い、心を清純に導き集中することで、その先に本当の自分を見つけ出すはずであった。「生まれながらの無垢の自分」、それはまさしく恒常不変の自分の本体であるはずだった。 そこに立ち戻ることがすなわち不動の平安を意味し、釈迦の目指す境地でもあった。食を絶ち、身体の肉を削ぎ棄てることはそう難しいことではなかった。しかし、極限まで肉を削ぎ棄て、体力を失った萎えた身体は、必然的に心そのものを萎えさせた。意識は、気力を失い、とりとめのない雑念や妄想にとらわれることが多くなり、心を清純に導びくという積極的な機能を失いつつあった。時たま襲いかかる失神は、平安とはほど遠い暗黒の時空だった。こういう状態を耐え抜いた先に燭光があるのかもしれなかった。しかしこれまでの何回か死の淵に立った体験を振り返ってみても、そのような奇跡は現れるはずもなかった。ひょっとして自分はないものねだりの見当外れなことをやっているのではないかという思いが日ごとにつのっていたのである。

 いつしか日は傾き、釈迦の後背を照らし、草原に大きな影を映しだしていた。骨と皮だけに縮みあがった釈迦の五体に、乳粥の滋養を運ぶ血が熱く巡っていた。空を見つめるその目に精気が戻っていた。

 釈迦はいつになく激しく揺れ動いた今日の自分の心の様子に感動していた。いつも冷静で不動のものと思い込んでいた自分の心が、じつは激しく揺れ動き、定まらないものであることに気付いたからである。感動のあまり涙を流しながら乳粥をすすった自分が、今は、満ち足りた安寧にある。死ぬかも知れない不安にとらわれていたかと思えば、今は「生きてこそ」というかすか希望のような思いがある。暑いと言っては日照りを厭い、寒いと言っては日差しを好む。暗いと言っては闇夜を恐れ、美しいと言って星空を眺める。心は常に揺れ動き、常に移り変わり、次から次へと新しい思いが現れる。これが人の心の本態なのだ。いや、心だけではない。心も体も常に揺れ動き、変化し、生滅している。このような身近な自明のことに今まで気付かなかったのが不思議に思えた。
 こう思いめぐらしたとき釈迦は、恒常不変の自分を探し求める愚かさを悟り、一切の「無常」を確信した。
 釈迦は、「諸行無常」を、胸のうちに大きくとどろかせながら何回も叫んでいた。その叫びは五体を飛び出し宇宙にまでこだましているかのようだった。自分のことも、すべてのことも、「諸行無常」の礎の上で納得すべきことがらであった。
 **「諸行無常」** 釈迦正覚の一瞬であった。

 釈迦は、食をとり体力を回復させながら、あらためて自分の思想を完成するための思索に入っていた。「諸行無常」の世を生きる人間に付きまとう煩悩の始末をしなければならなかった。
 人づてに釈迦を助けた娘のことを聞いた。名を「スジャータ」と呼び、ときどき弱った修行者を助けているのだという。 「スジャータ」……釈迦の命を救い、正覚に導いた大恩ある人の名であった。
 やがて釈迦は、新しい思想を携えて初転法輪の旅に出た。
 以来釈迦の教えは、2000年有余の長きにわたり、人のあるべき清純な倫理の教えとして世に語り伝えられ、人に敬愛されて今日に至る。

                    了

 

曽我から HeBaさんへ 2015,11,22,

前略

 メールを頂き、有り難うございます。また、返事が遅くなり申し訳ありません。

 まず、存在と現象について、ものが存在すると認めてもいいのではないか、ものがあってそれを前提にして現象が起こる、と考える方が自然ではないか、とのご意見を頂きました。
 これは、定義の問題としてもいいのかもしれませんが・・・。

 「形あるものは必ず壊れる」と言います。「形あるもの」を「存在」と定義することも可能ですが、「壊れるものは存在ではない」と考えることもできます。
 「形あるものは必ず壊れる」ことは、少し考えれば誰でも納得できるあたりまえのことです。しかし、それでも、我々は、その都度の場面において目の前の「存在」するものをついつい「変わらぬ一貫した価値・意味をもって存在し続けるもの」として捉え扱おうとしてしまいます。これは、進化の過程を経て我々ホモサピエンス(=凡夫)が身につけた「自然な」現象の捉え方であり、一面では生存競争に有利に作用しました。しかし、同時に執着を生み、苦を生むことにもなりました。
 このような「自然な」捉え方に一石を投じるために、「変わらぬ一貫した価値・意味をもって存在し続けるものなど存在しない」と明確に主張するために、「存在は存在しない、現象が現象しているだけ」と、あえて不自然な言い方をしています。
 物理学の量子論を方便として持ち出せば、「突き詰めれば、物質は波(=現象)である」ということです。
 もうひとつ説明のための方便をあげれば、神経解剖学者ジル・ボルト・テイラーが脳卒中になった際の報告、『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』(竹内薫訳 新潮文庫)です。左脳の言語中枢などが機能を停止すると、自分も含めてすべてが輪郭を失い、世界は混じり合うエネルギーの流れとなり、平穏な至福の時間だった、リハビリをして左脳の機能が回復すると、ものが個物として境界線を持つようになった。「わたしというものが自分の想像の産物にすぎなかった」とも言っています。「小論」で紹介しているので、ご一読ください。

 釈尊の教えとしては、我執の対象である「変わらぬ一貫した価値・意味をもって存在し、私を主宰している真我」(アートマン)は存在しない(無我)、私とは、肉体(色身)という場にそのつどそのつど押し寄せてくる様々な刺激(縁)によって、肉体という場所で起こされる(縁起)様々な、一貫性も脈絡もない反応(現象)である、ということです。このことを本当に自分のこととして腹に落ちて納得できれば、自分に執着することの愚かさが分かります。存在し続けるものこそ執着に値しますが、私とは起こっては終息するそのつどの(無常、刹那滅な)反応であり、いくらそれに執着しても、詮方なく甲斐のない、むなしいあがきなのです。このことが分かれば、我執は鎮まり、苦を生み出すことも減退します。

 『スジャータの乳粥』については、共感して読みました。上に書いた、私とは「一貫性も脈絡もないそのつどの反応(現象)」というポイントをきっちりと掴んでおられるからです。無常を理解しておられれば、無我もすぐ納得して頂けると思います。我(そのものをそのものたらしめている本質)があるのならば、無常ではあり得ませんし、無常だということは、そのものをそのものたらしめている本質は存在しない(無我)ということです。

 一点だけ、頂いたテーマから外れることを書くと、釈尊は五感の喜びに溺れることも避けるようにと教えています。我執は、しばしば長期的計画的組織的なものに発展して、すさまじい苦をつくりますが(例えば、戦争、搾取)、感覚の喜びは、我執ほど根深くはなくても、「いつも気をつけていること(戒)」を妨げ、一時の喜びとそれを得られない苦しみとの間に翻弄されるという苦をもたらします。ですので『スジャータの乳粥』は、そのことへの警戒がやや不足しており、あまりにおいしそう過ぎるのではないかと感じました。

 以上、返事になっていればいいのですが、、、

 またご意見お聞かせください。
                           草々
HeBa様     2015年11月22日                曽我逸郎
 

HeBaさんから返信 2015,12,17,

曽我様         HeBa拝    2015年12月17日

 せっかくのご丁寧なご返事いただきながら、こちらの思い違いからご返事があったことを見落としていたようです。大変失礼をいたしました。せっかくのご指導なので感ずるところを一言申し上げます。
 確信に満ちたご説明で、何も申し上げることもないのですが、仏教にまつわるこの種の議論は、各人さまざまで、それぞれがその認識程度に応じて自己満足的に納得していればそれでいいのだという気がしないでもありません。以下、私の拙い愚見であることをお断りしたうえで申し上げます。

*先ず御文中の文言に対する感想を申しあげます。

*<ちなみにこのような「自然な」捉え方に一石を投じるために、「変わらぬ一貫した価値・意味をもって存在し続けるものなど存在しない」と明確に主張するために、「存在は存在しない、現象が現象しているだけ」と、あえて不自然な言い方をしています。  物理学の量子論を方便として持ち出せば、「突き詰めれば、物質は波(=現象)である」ということです。>

 前段、説明になっていないようです。
 後段、微粒子は粒子としての性質と波としての性質両方を持っています。ちなみにニュートリノはこれまで現象だけと思われてきましたが、スーパーカミオカンデによって、はっきり質量をもつ存在であることが確認されました。

*<無常だということは、そのものをそのものたらしめている本質は存在しない(無我)ということです。>

 本質がないということと無我であるということはまったく別の話であると思います。

*<私とは、肉体(色身)という場にそのつどそのつど押し寄せてくる様々な刺激(縁)によって、肉体という場所で起こされる(縁起)様々な、一貫性も脈絡もない反応(現象)である、ということです。このことを本当に自分のこととして腹に落ちて納得できれば、自分に執着することの愚かさが分かります。>

 このことを理解できない私はやはり愚かなのでしょう。しかし、理によって解することができないものを腹に落として納得せよというのは理不尽というものです。

*以下、釈迦の無常の開悟の意味について私の考えを申しあげます。

 人間は群れとして生きてきた。一生を終えて消えていくものがある一方で、新しい命が生まれ、周りの影響を受けながら育ち、成熟していく。個それぞれに個を特徴づける個性を持ちながら群れの中で影響しあいながら、変化し、移ろい、群れ全体としても絶え間なく変動し、移ろっていく。釈迦は、このような人の生き様を在るがままにとらえ、「一切は無常である」と悟ったのであった。一切の存在を無常としてとらえるという思想は、ただ存在を移ろいのままに認めるという皮相的意味だけにとどまらず、長らくいい伝えられてきた宿命論的な業報、輪廻転生、そしてこれを導く主体としての「恒常不変なる人格」の存在を思索の範疇に置かないということを意味する。さらには、やや忖度的な解釈をすれば、人間の存在を群れとして見ることで相互の因縁関係が意識され、慈悲の思想が醸成され、はかない生の存在であればこそ、この人生を愛しく大切に想う人生観を含意する。このように釈迦の「無常」の開悟は一見シンプルではあるが、広くかつ深く釈迦思想の全般を包括する意味合いを持つ。

*ここで、ダンマパダの記述の意味について考えてみる。
  無常・一切皆苦・無我
277「一切の形成されたものは無常である」(諸行無常)と 明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり 離れる。 これこそが清らかなる道である。

278「一切の形成されたものは苦しみである」(一切皆空)と 明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり 離れる。 これこそが清らかなる道である。

279「一切の事物は我ならざるものである」(諸法非我)と 明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり 離れる。 これこそが清らかなる道である。

 釈迦の思想では、「一切無常」を開悟した時点で、それに含意する形で「恒常不変なる人格」を思索の範疇から外したはず。それにもかかわらずダンマパダ279であらためて「一切非我」(ないしは無我)を宣言する必要(意味)があるのか。という疑問がある。ダンマパダ279は意味のない記述であるようにも思える。ちなみにダンマパダ279の解釈について次のようなウエブ上の見解がある。

※…… 「ダンマパダ」は「法句経」と漢訳される。「東方の聖書」とまで絶賛され、重要度では「スッタニパータ(経集)」に次ぐが、漢訳で読んでも意味はわからない。「サッベ・ダンマ・アナッタ」を「諸法無我」と訳し「一切の事物にアートマンは無い」と解釈するのは大乗仏教を介在させた誤解であり、
正しくは「ダルマ(=ブッダの教説)は謀らいの心の無い無為自然のものである」という意味。
その他、個々の単語を大乗仏教的な思い込みで読んでるとこの経典は意味をなさない。……
(http://uyopedia.a.freewiki.in/index.php/%E6%A0%B9%E6%9C%AC%E4%BB%8F%E6%95%99)

 この見解はまさに私の釈迦教の理解と通じるもので、「謀らいの心の無い無為自然の教え」を私流に言いなおせば、「移ろいゆくありのままの姿で存在を認める」ことを意味し、「非我」とか「無我」とかの概念とは別のことを言っていることになる。このような意味合いでダンマパダ279を理解するのであればまことに素直な気持ちで納得できる。
 あえて付言すれば「移ろいゆくありのままの姿の存在」そのものが「存在の本質」なのである。

 以上、現在時点で私の理解した原始仏教について述べさせていただきました。一年前の理解と現在の理解とでは全く変わってしまったような気がします。これからも変わっていくでしょう。それでいいのだと思っています。
宗教とは所詮そのような自己満足的なものでしょう。

 それにしても一番私が知りたいことは、いつものように血沸き、肉躍るがごとき八面六臂の活躍をなさる曽我さまと、仏教とはどのような脈絡があるのだろうか、ということです。正直言って、動物の進化学や脳内生理学の話よりはもっと現実的な話の方がわかりやすいので、折があったら教えていただければありがたいです。何といってもお手本ですからね。

 寒くなりました。お身体ご自愛のうえお過ごしなられますよう祈ります。   草々

 

曽我から HeBaさんへ 2015,12,22,

前略

 なかなか話がかみ合わないところに無力感を感じています。それでも拙いなりにご理解頂けるよう努力することは重要なことだと思うし、ひょっとすると読んでくれた誰か他の人がなにかの拍子に思い返してくれて、それがその人のよい縁になることがあるかもしれません。もう一度頑張ってみます。

>ニュートリノはこれまで現象だけと思われてきましたが、スーパーカミオカンデによって、はっきり質量をもつ存在であることが確認されました。

 「質量をもつものは、存在であって、現象ではない」と考えておられるのだと理解します。これは定義の問題ですから、さまざまな定義からいろいろな話をすることは可能だと思います。私が量子論を持ち出したので、重箱の隅のような議論になりかけており、申し訳なかったと感じています。お互いに違う定義のまま水掛け論をしても意味がないので、もう一度、申し上げたかったことを順序立てて述べてみます。

 私たち凡夫は、自分にとって価値のあるもの(or 害のあるもの)を自動的に識別し、それに執着(害あるものには反対向けの執着)を繰り返しており、そのことによって苦を作っています。たとえば戦争にしても、さまざまな執着が重なり合い、相互作用をした結果です。執着(反執着)するのは、その対象が、変わらぬ価値(害)をもって変わることなく存在し続けている、と思い込んでいるからです。しかし、価値あると思うものをどれだけ固く握りしめていても、それは手のひらの中で崩れ去り、さらさらと流れ去ってしまう。害をなすものを徹底的に滅ぼしたとしても、またすぐに沸いて出てくる。なぜなら、それらは変わらぬ価値をもって存在し続けるものではなく、崩れ去るものであり、また新たに湧き出してくるものだからです。このことを明瞭に印象づけるために、私は、すべての存在は、存在ではなく現象だ、と言い方をしています。このことは、物理的な老朽化だけを言っているのではありません。株券が、紙としては変わらずにそこにあっても、一夜にして価値が暴落して紙くず同然、ということもあるでしょう。Intangible な価値、例えば友情や地位、名声といったものも同様に永遠ではないし、どれだけ執着して引き留めようとしても、消え去っていくものです。
 執着の対象が、価値がある、害があると思いなされるのは、他ならぬ「私」にとって価値があり、害があると思うからです。ですから、「私」が執着の根っこです。「私」という変わることのない大切な存在が存在し続けており、それを守り育てなければならない、という暗黙の思い込みが我執であり、さまざまな執着の反応を引き起こし、つぎつぎと苦をつくり、自分と周囲の人々を苦しめ、互いに苦しめ合う結果を引き起こしています。

 変わることのない大切な「私」という思い込みが、パーリ語のattA(アッター)、サンスクリットのAtman(アートマン)、漢訳の「我」であり、そんなものは存在しないという教えが、anattA、anAtman、無我です。
 私たちは、変わることのない一貫した守るべき大切な主宰者であるのではなく(無我)、色身という場所において、縁によって起こされる(縁起)、そのつどそのつどの(無常・刹那滅)反応・現象なのです。

 以上の教えは、とても単純シンプルなことなのですが、私たちが生まれながらに、あるいは成長の過程でどっぷりと身につけたものの見方とは全く相容れないので、この見方に気づくことは、よほど幸運な縁がないと起こりません。理だけで解するのは不可能でしょう。それができたら、もう仏なのですから。しかし、釈尊は、ありがたいことに、無常=無我=縁起を自分のこととして腹に落ちて納得することができるためのカリキュラムを、正見(正しい見解を学ぶこと)に始まる八正道や、戒・定・慧の三学として残して下さいました。このような実践、特に体をつかった実践、色身の観察から始める実践が必要だと思います。

「謀らいの心の無い無為自然の教え」、「移ろいゆくありのままの姿の存在」と仰るのは、きちんと理解できておりませんが、多くの大乗仏教、すなわち、梵我一如思想に後戻りして釈尊の教えから遠く遠ざかってしまった大乗仏教を彷彿とさせる言葉だと感じました。
 梵我一如化した仏教については、http://www.dia.janis.or.jp/~soga/excha223.htmlを見て頂けるとおもしろいかもしれません。

 ご意見お聞かせ頂き、有り難うございました。
 どうぞよい年をお迎え下さい。
                           草々
HeBa様
     2015年12月22日              曽我逸郎
 

HeBaさんから返信 2015,12,23,

    曽我さまへ         HeBa拝       2015年12月23日

 度々のご丁寧なご指導ありがとうございます。
 お部屋の中に「意見交換」の場があることに甘え、少々浅薄に過ぎた物言いであったかもしれません。本音を言いますと私の言いたいことは未だまだ序の口にすぎません。しかし、ご迷惑をかけますのでここで一区切りつけます。最後に一言だけ付言させてください。

*一切皆苦の意味
 生きものは生まれながらにして死を背負って生きている。そして、ひたすらに死から逃れるために生きている。生きることへのあがき、これが根源的な執着であり、苦である。これが一切皆苦の意味だと思います。

 先に申し上げた通り、この種の人の信条にかかわることがらは、議論してすぐ合意できるという性質のものではないし、人それぞれの思い込みが差配する世界だと思います。曽我さまが現象世界を信ずると同じ程度に、私は、現象をつなぎ合わせて観察し物事の本質に迫ろうとする自然科学の視座を信じますし、そのような視座こそが我々の日常の生活感覚だと思います。釈迦の思想を理解しようとするときもこの視座は欠かせないのです。仏教は、考えれば考えるほど奥の深い思想ですが、私の今一番興味があるのは、釈迦はなぜ修行の当初に指導者の禅師のもとを離れたのかということです。このことは釈迦の思想を理解するうえで重要な意味を含んでいるような気がします。このことはまた別の機会にご相談したいと思います。弁解が長くなりました。

 今年中は大層お世話になりました。 曽我さまにおかれましては大切な存在たるお身体ご自愛のほど祈り、新しき年もさらに、自らを洲とし、自らを燈明としてますますのご発展を祈り上げます。
                           草々

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