匿名希望さん 中観思想の流れについて 2015,12,11,

       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

初めまして。
先日に曽我様のブログを読ませて頂いた所、とても感動致しました。
小生は仏教哲学に関して素人であります故、「釈迦の流れを汲む正統な宗派はどれか?」 「ツォンカパの二諦解釈と龍樹の二諦解釈の違いとは何ぞ?」とただ疑問だけが湧き起こるだけで仏教を勉強する為の道標を探しあぐねていた所に、曽我様のような方に出会えてホッとした気持ちであります。

ところでお忙しいところ誠に申し訳ありませんが、ツォンカパに対する曽我様の見解を伺っても宜しいでしょうか?

私個人の見解としては、釈迦が「縁起」を説かれ、龍樹が「空・無自性」の考えを提示し、以後の中観論者達が「離辺中観説」なる物を唱え始めた事により本来の中観思想から外れるものの、ツォンカパに至って改めて本来の勝義諦「縁起の空性」の在り方が取り戻された、と云う感じです。
ただ『チベット仏教哲学』で松本史朗氏はツォンカパを高く評価される一方で、「縁起よりも無自性を重視してしまった事により、ツォンカパでも論理的矛盾から逃れる事が出来なかった」(意訳)と仰られておます。

質問の内容を改めて整理しますと、
「釈迦と龍樹、ツォンカパの思想(特に縁起)の差異は何なのか?」
「ツォンカパの論理的矛盾とは如何なるものか?中観思想は未だに完成されていないのか?」
と云う風になります。
大変お忙しい中申し訳ございませんが、これらの事項についてお答えして頂いても構いませんか?

最後になりましたけれど、これからもどうぞ宜しくお願い致します。
大変寒い時期に入りましたので、お身体には気を付けて下さい。

ps:匿名でお願いします。

       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

匿名希望さんから、再信 中観と唯識は結合可能なのか? 2015,12,12,

ここで説明すると長くなりますので、とあるブログを見て頂こうと思います。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~ym7m4ovz/60junyoriron.htm

ここでは「生死即涅槃」について考察されており、「中論」では般若・智慧を説かれていない上に「六十頌如理論」では唯識に近い考えを唱えていた事から、「中観思想の完成系が唯識思想である」と云う風な結論が出されております。
また「生死即涅槃」と云うように、生死と涅槃の「体」が同じであるにも関わらず、「中論」では具体的な生死と涅槃の「体」が示されていない事から、「識」を体であると述べられております。

私も唯識と中観は結合可能ではないのかと思っているのですが、曽我様これについてどう思われますか?

ps:あまりにもお粗末な質問なので、ブログに載せて頂くかどうかは曽我様の御意志にお任せします。

意見交換のリストへ戻る  ホームページへ戻る  前のメールへ  次のメールへ