yamadaさんより つまようじの方便 2002,7,28,
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
方便ですが例えばつまようじを折って短くする場合、何回折って何センチ以下になったら『つまようじ』でなくなるのでしょうか?
yamadaさんへの返事 2002、7、30、
拝啓、
携帯からメールを頂いたのでしょうか? わたしのHPは、携帯でも見ることができるのでしょうか? 多分無理ですよね。 パソコンで見て携帯でメールを下さったのだろうと思います。
頂いた文面だけでは、どういう意図でこのご質問(?)を頂いたのか、最終解脱者でも超能力者でもない私には分かりませんので、とりあえず正面からお応えします。
「それを見る人が『つまようじ』でなくなったと思うまで。」
一回も折らなくても、例えば夏祭で屋台のたこやきの爪楊枝を道端に落としてしまえば、爪楊枝ではなく、ゴミになってしまうでしょう。たこ焼を買った人にとっては、「落とした爪楊枝」でも、掃除する人にとっては、おそらくゴミに違いありません。
実は、わたしは、こうしてパソコンに向かいながら、しばしば爪楊枝をひっくりかえして、頭の部分の飾りの刻みで耳掻きをします。市販の耳掻きよりずっと使いやすい。是非試してみて下さい。誰かに問われれば「爪楊枝で耳を掻いている」と答えるでしょうが、この場合「爪楊枝」というより、「使い捨て耳掻き」といった方が本当はふさわしい。
おそらく「爪楊枝」メーカーの人にとっては、歯の間の掃除用具であれ、ロールキャベツの留具であれ、耳掻きであれ、消費が増えればなんだっていいでしょう。
爪楊枝のない文化があるなら、爪楊枝は、「先の尖った小さな木の棒」に過ぎないでしょう。
香港で "toothpick" を頼んだら、ストローを斜めに切ったのが出てきたことがあります。歯の掃除具としては、とても使いやすかったのですが、爪楊枝とは呼べませんね。
総括します。ものを何として見るかは、見る側次第で、そのものにそれとしての実体(自性あるいはアートマン)がある訳ではない。すなわち無我である。
だらだらした文章になりました。携帯でも全文読めていたらいいのですが。
敬具
2002、7、30、
yamada090XXXXXXXX@docomo.ne.jp様
曽我逸郎
yamadaさんからの返事 2002、7、30、
たまたまインターネットカフェで見たものですいません。早速のお返事ありがとうございました。
yamadaさんへの返事 2002,8,1,
前略
仏教について一定の知識をお持ちの方だと察します。
また冷やかして下さい。
メールお待ちしています。
「あたりまえのことを方便とする般若経」
www2s.biglobe.ne.jp/~i-soga/
草々
yamada様
曽我逸郎