萱谷 和之さんより  空と無(釈迦と荘子) 2002,8,4,

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前略
「空」と「無」についての御議論を拝見いたしまして、私見ではございますが私の考を述べさせていただきたくなり、メールを送らせてていただきます。
「空」の概念は印度において、釈迦より遥か以前に考えだされたものであり、本来の意味するところは「ゼロ」であります。「ゼロ」とは何も無いということではなく、無限になにものかを生み出す可能性を秘めた「場」とでもいうべきものでありましょう。これを「空」の第一義とすれば第二義は釈迦が独自に付け加えた見解で、これは曽我さんが言われるとおり「自性がない」あるいは「実体がない(実体を持たないと言ったほうが正確かもしれない)」ということであります。第一義と第二義ふたつ合わせたものが、釈迦のいう「空」の概念であると考えられます。
 一方「無」の概念は、老荘思想において語られるもので、荘子は次のように述べています「有は有より生じ、有は無より生ず」と。おわかりになるとおり、荘子はただ単に「無」を「有」の対極としてとらえているのではなく、「有」というものを生み出す可能性を秘めた「場」として「無」をとらえています。これは先に述べた「空」の第一義と同じ概念と考えて差しつかえなかろうと思います。
 このように「空」の概念と「無」の概念には本来明確な違いがあります。別な言い方をすれば「空」は「無」を包含したものといえます。しかしながら、後代になると「無」の概念は拡大解釈されるようになり、特に禅宗などでは「無」は「空」とほぼ同義的に使われるようになってまいります。それでもなお、「空」と「無」ということばを聞くと何かしら異質なものを我々が感ずるのは、「空」ということばの背後にはインド的なものを感じ、「無」というこばの背後には中国的なものを感ずるからであろうと思われます。
 以上、簡潔に私見を述べさせていただきましたが、これはごく一般論的に私の考えを述べたにすぎませし、これで全てを語り尽くせたとは毛頭考えてはおりません。特に「空」に関してはいずれ機会があればいま少し掘り下げた議論をしたいと思います。
 さて、これより後に述べることは曽我さんに対する私からの提案と申しますかお願いであります。はじめてお便りを差し上げる方に誠に無作法で失礼なことは重々承知しておりますが、聞いていただきたいのです。私の提案とはあなたに荘子を読んでいただきたいのです。あなたが書かれた文章の中に「無」は仏教においてはさほど重要ではない、というくだりがありましたが確かに「無」そのものはさほど重要ではありませんが、老荘思想とりわけ荘子は釈迦および釈迦の思想を理解するうえで極めて重要な存在なのです。釈迦と荘子この二人は合わせ鏡のような関係にあります。そしてこのことに気がついた者は多くはいないはずです。少なくとも私はこような観点から二人を論じた文献を目にしたことがありません。私は以前、先ほどの「空」と「無」の概念について、その違いと共通点を明確にすべく二冊の本を読み比べ、細部にわたって比較検討をしたことがあります。一冊は「スッタニパータ」(中村 元訳)、もう一冊は「荘子 (内編)」(金谷 治訳)であります。この二冊を読み終えて私は驚愕すると同時に、深い感動と感銘を受けた経験があります。曽我さんに先入観を与えたくないので詳しいことはここでは述べませんが、興味をもっていただくために最小限、以下のことに触れておきます。釈迦の思想の根本は、「この世にあるものはすべて相互の関係性の中ににおいてのみ存在し得るのであり、関係性をを離れてそれ自体で自性的、自己充足的に存在し得るものはなに一つとしてない」ということであります。これが釈迦の思想の原点であり、出発点であります。一方、荘子はこれとは全く正反対の立場をとります。「万物は他者の力を受けず、自らの力でそうあるのであり、他者の影響を受けずそれぞれに存在の根拠をもつ」と考えますます。これを「自然」といい釈迦とはみごとなまでに正反対の立場でありますがこれが荘子の思想の原点であり出発点であります。このように全く対極の立場から出発した二人の大思想家は、それぞれ独自の論を展開していきます、はたして二人は最終的にどのような地点に到達するのでしょうか、またその場所でどのような光景を目の当たりにするのでしょうか。それは二人の思想を同時、並行的に検証した者にしか分かり得ないことがらであろうと思います。曾我さんもぜひ一度、荘子を読まれるよう強くお薦めいたします。
 最後に、いろいろ勝手なことばかり申し上げまして非礼な点はお許しください、またこのようにメールを送るという作業をするのは恥ずかしながら初めてのことでして、うまくお手元に届くかどうか自信はないのですが、無事あなたに届くことを祈りつつ送信ボタンをクリックすることにいたします。      8月3日    曽我 様             萱谷 和之


萱谷 和之さんへの返事  2002、8、30、

拝啓

 メール頂戴しました。ありがとうございます。

 実は、荘子は、ずいぶん以前ですが、一度読んでいます。高校生か大学に入ってすぐの頃、仏教に興味を感じ始める少し前か同時期だったと思います。朝日新聞社の中国古典選、福永光司訳でした。続けて老子と易も読みましたが、荘子が断然面白かった。
 混沌に目鼻を穿って殺してしまう話、使い道のない木が巨木になる話、せむしの男たちが造化の力を称えて踊る話、弟子の不思議な最期の話、気が狂ってしまう泉の話、、、。
 今でもたくさんの物語を思いだします。(うろ覚えで書いているので荘子でないのも混じっているかもしれません。)
 確かめられないのですが、高校生の頃に「太陽」かその手のMOOK的雑誌で、良寛さんが庵に携えていたのは、禅籍でも仏典でもなく荘子の内編だった、と読んだような記憶があります。

 正直に申し上げますと、私は本当は仏教よりも荘子にシンパシーを感じるタイプなのかもしれません。「無用の用」とつぶやきながらぼーっとしている生活に憧れています。(こういう言い方は荘子に失礼ですね) 衆生済度を目指して頑張るのは柄ではない怠け者です。(釈尊にしかられますね)

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 荘子と釈尊の対照について、私は萱谷さんのように突き詰めて考えたわけではないので、昔の印象で書くしかないのですが、やっぱり随分違うような気がします。

 まず、釈尊における「空」ですが、釈尊ご自身は「空」という言葉はおそらくほとんど使われなかったと思います。初期経典には「空」という言葉は、まったくとは言いませんが、ごくごく稀にしか見つけることができません。
 「空」は、大乗になって使われ始められた言葉のようです。その意味は、無我・縁起と実質的に同内容、その言い直しであり、萱谷さんのおっしゃる第二の意味のとおり、「自性がない」あるいは「実体を持たない」ことだと思っています。

 ゼロの発見と「空」との関係については、考えたことのなかったテーマなので、興味を掻き立てられ、いくつかホームページを検索してみました。

 http://www.math.h.kyoto-u.ac.jp/~takasaki/soliton-lab/chron/has-hist/chap3.htmlによると、アショカ王時代の石板(BC3c)には位取り表記はないそうです。一方「BC2c ころにはゼロ(「空」「点」)の概念があったともいう」とも書いています。しかし、この「ゼロ(「空」「点」)の概念」というのは、仏教の空のことか、数学的概念か数字0なのか、これだけでは判然としません。
 別のサイトでは、ゼロの発見をAD5頃としていました。アラビアにゼロが伝わり普及したのは、AD7、8世紀だそうです。玉石混淆のインターネットのこと、きちんとした裏取りをして確かめるべきでしょうが、どうやら、釈尊の頃には、まだゼロの発見は遠い将来で、おそらく大乗が成立し空の思想がかなり普及し発展していった後で、ゼロは発見されたようです。つまり、ゼロの概念が仏教に影響を与えたのではなく、逆に、仏教の空がゼロの発見を準備した可能性が高いようです。
 確かに、0を用いる位取り表記は、他の数字との相対的位置関係で意味を生み出している訳で、縁起的でもあり、「なにかがあるのでも全くないのでもない」という表現も当てはまるし、大乗の空的な香りを感じます。

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 さて、萱谷さんのおっしゃる「第一の意味」については、少々異論があります。
 「無限になにものかを生み出す可能性を秘めた場」という考えは、老荘の混沌や道の思想にも当てはまりそうですし、また、インドの伝統的な考え方かもしれません。ですが、そういった考え方を釈尊も共有しておられたのでしょうか?

 釈尊はインドの文化風土の中に生まれ暮らされました。ですから、インド文化の流れの中に位置づけることも可能でしょう。しかし、そういう流れの中に埋没させてしまうのではなく、土着のものに対してNO!と言われた点にこそ、釈尊の教えの核心があるように思います。
 すなわち、アートマンの否定(アナートマン=無我)と、ブラフマンのような超越的存在・始源の否定です。
 縁起の中で些細なことに一喜一憂し悩み苦しみながら死んでいく一人一人の人間から目をそらせて、超越的高みに「なにか」を妄想するようなことは、けしてなさらなかった。「無限になにものかを生み出す可能性を秘めた場」を想定し重んずる考えは、釈尊はお持ちでなかったと思います。

 しかし、我々には超越的な存在を想定し、我執に引きずられる抜き難い傾向があり、真如とか本有とか法界とか曼荼羅とか、如来蔵とか阿頼耶識とか、そういった反仏教的思想を仏教に持ち込み、蔓延らせてしまいました。

 この反仏教的傾向は既にインドで、おそらく大乗と同じ頃か、もっと早くから始まったのでしょうが、仏教が中国に入って、老荘思想を下敷きにして解釈された課程(格義仏教)で、さらに強く鮮明になっていったと感じます。
 それは萱谷さんのおっしゃる老荘の「無」の思想、眼前に展開する現象のむこうに本源を想定する思想の影響ではないかと思っています。

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 根拠もなく独善的な印象を書いてしまいました。固定観念に凝り固まっているとお感じになったかもしれません。

 釈尊と荘子は最終的にどのような地点に到達したのか、萱谷さんのお考えをお聞かせ頂き、私の視野を広げて頂ければと願います。お暇な折りにお教え願えれば幸いです。是非宜しくお願い申し上げます。

                               敬具
萱谷 和之 様

2002年8月30日                   曽我逸郎


萱谷 和之さんから  2002、9、5、

拝啓 残暑厳しき折、曽我様には如何お過ごしでしょうか。
このたびは、私の突然のメールに対しましてご丁寧なご回答をいただきまして心より御礼申しあげます。
さて、ご指摘いただきました点についてですが、曽我さんの言われる趣旨が今ひとつよく分かりません、私の数学的「ゼロ」に対する定義づけに対するご批判でしょうか、それとも数学的「ゼロ」と仏教的「空」を同列にあつかっていることに対するご批判でしょうか。あるいは仏教的「空」の概念に数学的「ゼロ」の概念が含まれるような書き方をした点に関するご批判でしょうか。
数学的「ゼロ」に対する定義は例えば、単に「器(うつわ)のようなもの」といった程度にとどめておけば無難なのかもしれませんが、私はどうしてもそこに何か創造的なエネルギーを感じてしまいます。そういう意味では曽我さんのご指摘のとうり、「無」と共通するものがあるのではないかと思っております。したがって、この点に関するご批判でしたら甘んじてお受けいたしますが、見解の相違ということでご容赦願いたいとおもいます。
次に、数学的「ゼロ」と仏教的「空」を同列にあつかい、また仏教的「空」に数学的「ゼロ」が含まれるような書き方した点に関しましては、多少の飛躍はあるかも知れませんが、私なりの理由があってのことでして、そのことについてこれから述べます。まずはご笑覧ください。

いわゆる「空」という言葉、サンスクリット語で「sunya」というそうですが、この「sunya」という言葉は釈迦の造語ではあるまい、という考えが一番に頭に思い浮かびます。釈迦の造語でない以上「sunya」という言葉の原義とはどのようなものか知りたくなるのが人情というものです。 今日、「sunya」は仏教の「空」を表す言葉として、また数学的「ゼロ」を表す言葉として理解されておりますが、これらに先立つ本来の意味はどのようなことか、そのことに私は強い興味をそそられます。
「sunya」について次にように書いてあるものがあります「sunyaは、su(膨張する)からつくられたsunaにもとづいて、空虚・欠如・膨れ上がって内部がうつろなどをあらわしている」。(岩波仏教辞典あたりが出所のようですが、私自身は確認がとれておりません)
この説が、どの程度信頼できるものなのか私には判断がつきませんが、今は額面どおり受け取って話を進めます。「sunya」の原義がこのようなものであるとするなら、後の数学的「ゼロ」の発見につながるような概念をすでに含んでいると私は考えています。
また「sunya」と数学的「ゼロ」の発見のあいだに直接な関係がないにせよ、「ゼロ」という概念に「sunya」という言葉を当てている以上、印度人がこの両者に共通のものを見ていると考えるのが自然なことであろうと思います。
いずれにしても「sunya」という言葉は、数学的「ゼロ」につながる概念と、仏教的「空」につながる概念の両方をもっている言葉だと考えています。
次に問題となるのが「sunya」という言葉がどのくらい年代的に遡れる言葉なのかということです。この点に関しては、曽我さんがお調べくださいましたように、仮にBC2cあたりまで文献的に遡ることができるとすれば、それが「空」・「ゼロ」どちらの意味で使われているにせよ「sunya」という言葉と概念は当時存在していたということです。また文献的にBC2cあたりまで遡れるとすれば「sunya」と言う言葉自体の発生はさらに古い時代に求めることができる、と考えるのは至極当然なことのように思います。
要するに、「sunya」という言葉と概念(あるいはそれに先駆けるような言葉と概念)が仏教の発生以前から印度にはあって、仏教の興隆とともに確立されてくる「空」の概念に共通するものがある、ということで「空」をあらわす言葉として用いられるようになり、また数学的「ゼロ」を発見するに至っては、やはりその概念に共通するものがある、ということで「ゼロ」をあらわす言葉として「sunya」が当てられた、というような考え方も可能性としては成り立ち得るのではないか、というふうに私は考えているのです。

このように考えてまいりますと、初期仏教で使われていた「空-sunya」は今日我々が考えているものとは、随分と違ったものである可能性はあるのではないでしょうか。
我々は龍樹の「空」観に強くとらわれています、しかしながら龍樹は龍樹であって釈迦ご自身ではありませんし、釈迦ご自身が「空」とはこのようなものである、と語ってはおられないハズです。龍樹の考えが唯一絶対のものであるとは、私にはとうてい思えません。

また龍樹の「空」観で以前から疑問に思っていることがあります。それは「空」と「無自性」を結びつける考え方です。
私の基本的理解は-「無自性」とは「縁起」から導き出されるものであって、「空」から導き出されるものではない-というものです。
「縁起」とは「万物は縁(他者との関係性)によって生起している」ということですから、したがって「縁(他者との関係性)を離れてそれ自体で自立的、自足的に存在し得るものはない」ということになり、これ即ち「無自性」のことです、「縁起」と「無自性」とは直結しております。
しかし、本来の「空-sunya」と「無自性」とがどこでどう結びつくのか私にはさっぱり分からないのです。たとえば先にあげた「sunya」の原義のなかをどう探してみても、「無自性」と結びつくような概念は私には見付け出せません。本来、「無自性」と「空」は全く別の概念である、というのが私の認識です。
繰り返し申します-「無自性」とは「縁起」から導き出されるものであって、「空」から導き出されるものではない-この点に関する曽我さんのご見解をお聞かせください。
まだ他にもお話したいこともありますが、話が長くなりましたので少々疲れました、この続きは次回ということにさせてください。
また釈迦と荘子の関係性につきましては、釈迦と荘子の主だった思想に対する私の考えをお話した上でないと、いきなり関係性について述べましても、なかなかに私の真意は伝わらないのではないかというように思います。したがいましてこちらの方は、しばらくご猶予いただければありがたいと思っております。
間もなく秋となり、よい季節を迎えます益々のご健勝をお祈りいたします。
敬具

     曽我 様                    萱谷 和之


再び 萱谷 和之さんから  2002、9、30、

「sunya」について (つづき)

前略

少し時間が空いてしまいましたが、前回の続きを述べます。
龍樹の主張そのものに、私は異論を唱えている訳ではありません。「縁起」しているこの世界が「自性」か「無自性」かと問われれば、これは龍樹に言われるまでもなく「無自性」に決まっております。そのことに対して、一片の異論も挟む余地はありません。私は「空」と「無自性」とをあたかも同義語のように扱っていることに対して異を唱えているだけです。
龍樹と「空」について論争を繰り広げた阿毘達磨の人たちについても触れておきます。阿毘達磨の人たちが、「縁起」しているこ世界に向けて「空性」を唱えたのであれば、これは明らかに間違っております。これは釈迦の思想に反します。しかし仮に、彼らの思考が「縁起」しているこの世界ではなく、別なものに向けられているのなら、それは間違っているとは言えないでしょう。

例えば、曽我さんあなたご自身についても同じことがいえます。あなたが書かれているものの中に次のようなくだりがあったと思います--私は「空」というものをついつい名詞的に考えてしまう云々--名詞的「空」とは「空性」のことに他なりません、あなたが名詞的「空」を考えているとき、あなたの思考は「縁起」しているこ世界ではなく全く別のもの向けられています。曽我さんご自身がそのことに気がつかれていないのです。私が「空性」を唱えるとき、私は「縁起」しているこの世界に向けて「空性」を唱えるのではありません、私は全く別のあるものに対して「空性」を言っているのです。したがって龍樹の主張となんら矛盾するものではありませんし、釈迦の思想に反するものでもありません。私がなんに対して「空性」を唱えているのかについては、次回の「縁起論」の中で明らかにしたいと思います。

蛇足ながら申し添えておきます。曽我さんが名詞的「空」をお考えになることは、なにも間違っておりません。ただ龍樹の「空論」にとらわれておいでになるのでしたら、あなたが見ようとしているもの、あなたが本当に見ているものが何なのか、ご自身で気づかれるのは困難であろうと思います。しかし曽我さんには本来、何ものにもとらわれない自由な発想というものがあるはずです。そのように思えばこそ、多くのホームページの中から曽我さんのホームページを選んで投稿しているのです。あなたのホームページは異彩をはなっております、表現力が豊かであること、独創性があること、そして何よりもあなたご自身の言葉で「釈迦」を語ろうという意欲が感じられます。残念ながら他の多くのホームページは、文献学に陥っています。多くの仏典を読み、それらを引用し並べたてたところでそれがいったいなんの意味があるでしょうか。自身の頭で考え、自身の言葉で語る「釈迦論」以外は私は意義を認めません。
どうか曽我さんも何ものにもとらわれぬ自由な立場で、自由な発想で独自の「釈迦論」を唱えてください。 蛇足でした。

曽我 様                           萱谷 和之


萱谷 和之さんへの返事  2002、10、2、

拝啓

 返事遅くなり申し分けありません。返事を書きかけている内に次のメールを頂いてしまいました。
 横着をして、以下に書きかけの返事をそのままに続けます。

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 申し訳ありません。
 どうも私は、書いているうちに自問自答に陥り、返事なのか独り言なのか分からなくなってしまうことが多々あるようです。先にお送りしたメールは誤解を生んだのかもしれません。御詫びすると同時に、再度私見を書きます。

◎まず「シューンヤ」について。

 先のメールでは普通の言葉の「シューンヤ」と仏教の「空」と数学の「ゼロ」をきちんと区別せずに書いてしまいました。
 先のメールの
 <「空」は、大乗になって使われ始められた言葉のようです。>
 というのは修正します。主語を<仏教用語としての「空」>に訂正させてください。当然釈尊以前から普通の言葉として「シューンヤ」はありました。

 以下、時代を追って「シューンヤ」の意味の展開を考えてみます。

1)釈尊以前(もともとのシューンヤ)

 サンスクリット辞書を持っていないので、ウェブ検索して ”Cologne Digital Sanskrit Lexicon” を見つけました。それによると、「シューンヤ」は、形容詞で、(名詞ではなく)、萱谷さんの書いておられるとおり、「空っぽの」とか「空虚な」といった意味が第一義のようです。また「へこんだ」、「実をつけない、不毛な」、「荒れ果てた」、「見捨てられた」、「欠落した」、「(何かを)必要としている」といった意味もあるようです。
 もともとの「シューンヤ」は、かなりネガティブな意味合いの言葉だったと感じます。<無限になにものかを生み出す可能性を秘めた「場」>というような生産的なニュアンスには欠けているように思えます。

2)釈尊以降、大乗発生まで

 サンスクリットは学問用の言語で、日常会話で使われることはなかったそうですが、釈尊が話しておられた言葉(マガダ語だったか)にもシューンヤに相当する日常語はあった筈で、釈尊も、当然その単語は時々に使っておられたことでしょう。しかし、後の大乗で見られるような無自性・無実体というような深い意味を込めてそれを使われる事は恐らくなかったのではないかと思われます。初期経典には、「シューンヤ」は極めてわずかしか登場しません。少なくとも私は、ひとつかふたつの例しか読んだ記憶がありません。本棚をあれこれ探してやっとひっぱりだしたのは、萱谷さんが精読なさったスッタニパータの1119です。

 「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り超えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、<死の王は>見ることがない。」(岩波文庫「ブッダのことば」中村元訳、P236)

 ここで「空なり」と訳されている「シューンヤ」が、既に大乗的な「空」まで深化しているのか、あるいは普通の意味の「空虚である・むなしい」という意味だったのか、判断はつきかねますが、いずれにせよ、ネガティブなニュアンスであり、「世界をものが生まれてくる場として見よ」という意味には読みにくいと思います。

 初期経典では「シューンヤ」という言葉の用例があまりに少ない事を考えると、この頃仏教において「シューンヤ」が上記(1)の「空虚な」以上の意味を確立し定着していたとは考えにくいと思います。
 後の大乗が「シューンヤ」に込めた新しい意味「空」は、この時代においては「無我」と「縁起」、より端的には「無我」で尽くされていたと考えます。

 3)はじめのうちの大乗<述語としての空>

 「空」の用例を再確認しようと思い、空を説く経典といわれる般若経や、空の思想の大成者といわれる龍樹菩薩の書かれたものをぱらぱらと眺めてみました。あらためて探してみると、勿論初期仏教経典よりは多いのですが、「空」という言葉はここでもほとんど使われていないのが意外でした。(中央公論社、大乗仏典1、般若部経典。般若経の中で初期の金剛般若経と後期に属する善勇猛般若経がとりあげられています。また、龍樹菩薩については、同じ大乗仏典の14、龍樹論集から「空七十論」と、レグルス文庫・三枝充悳訳注「中論」をざっと眺めました。)
 そこで見つけた「空」のほとんどは、上記スッタニパータ同様に、「Sは空である」という述語として使われています。「シューンヤター」(空性)として名詞として登場することがあっても、「空であること」、「自性・実体がないこと」という述語的ニュアンスを残した、言わば動名詞であり、「空自体」「空そのもの」「空という何か」というように、「空」を対象としてたてて、実体視するというニュアンスは感じられません。

 思い付きの蛇足:大乗が部派仏教の「無我」にあきたらず「空」という言葉を持ち出した理由は、以下の二つだろうと想像します。
*「無我」が部派仏教の手垢にまみれた言葉だったので、なにか新鮮な言葉が必要だった。
*「無我(アナートマン)」は、一人称代名詞でもあるアートマンの否定であり、人無我を連想させる。大乗は、人無我に加えて法無我も主張したから、人無我に偏らない別の言葉を必要とした。

 4)ある時以降の大乗<空の名詞化・対象化・実体視>

 「シューンヤ」は、もともと形容詞で、「Sはシューンヤである」という述語の形で用いられるのが本来でした(1)。しかし、現代の我々は、「空とは何か」「空とは**である」というように、「空」を名詞化し、対象化し、実体視してしまっています。述語から主語へと「空」は変化していったわけですが、それがどういう道筋だったのか考えていて、般若心経が思い浮かびました。

 「色即是空、空即是色」
 現代日本の我々が空のイメージを形成するのに、この言葉が一番大きな影響を与えているのではないでしょうか。そう思って、立川武蔵「般若心経の新しい読み方」(春秋社)に再度ざっと目を通しました。「色即是空、空即是色」に対する、インド、チベット、中国、日本の注釈の変遷がたどられています。
 思いっきり乱暴な要約をすれば、「インドでは色と空は対立しており、色を空の方へ引き寄せることで色を否定していたが、次第に色を肯定する傾向が強まり、最後に色と空は一体であり等しいという理解が生まれた。」といった内容が書かれています。(是非ご一読の上、私の要約が正しいか、ご確認下さい。)

 これを参考に私の考えを述べると、
 i 本来の空は、述語であり、世界のあらゆる事物(自分を含む)が実体に欠けることを教え、執着を吹き消す教えだった。(上記3)
 ii いつか、空は、外に対象化され、名詞化されて、空という、日常的現象を包括するなにかすばらしい完全な超越的実体があるように考えられるようになっていった。
 iii 遂には、色は、超越的空の現われであり、空と等しく完全であると全肯定されるに至った。(私自身の「あたりまえ、、」の空の説明<空はすべてを生み出すエネルギー>が、この典型です。) ここまでくると、極端には煩悩さえもが肯定されます。たまにテレビの時代劇で「色即是空、煩悩即菩提じゃ」とのたまう生臭坊主が登場しますが、少なくとも理論上は彼をサポートする論理を、変質した「仏教」は持っていると思います。

 このように考えていくと、般若心経の功罪を思わざるを得ません。勿論「功」は非常に大きいものがあります。私自身、般若心経によって仏教や空に引き寄せられた面が多分にあります。しかし、同時に「罪」もあって、なんとなくもっともらしくてありがたくて、間違った方向で分かった(感じ取った)気にさせる危険な毒も含んでいるように思います。般若心経は、仏教経典ではなく、密教のマントラと捉えた方がいいのかもしれません。

 数学の”0”の発見については、時期的には(4)に当たるのではないかと推察しますが、仏教の「空」と思想的にどういう関連があるのかないのか、今の私には身に余る課題で、よく分かりません。

 最後に私自身の今の立場を書きます。
 a, 空の意味は、(i)のみが正しい。(ii)以降は逸脱である。
 b, 空という言葉は、現代において(ii)(iii)の意味まで含意してしまっており、誤解を生みかねない危険がある。
 c, 空の正しい意味は、無我と縁起で尽くされている。無我、縁起は、対象化・実体視を引き起こしにくい言葉であるから、仏教を考えるに当たっては、できるだけ無我、縁起を用い、空の使用は控える。

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 こういった主旨のメールをようやく書き終えかけた時に、再度メールを頂きました。
 「空性」と「縁起」については、もう一度メールを頂けるということですので、それを読んだ上でまたお返事を書かせて頂きます。

 文献学についてのみ、思うところを簡単に書きます。
 文献学は、学である以上、部分的対象的にならざるを得ません。文献学の価値は、我々の仮説に対する検証の刃となることにあります。文献学は、我々の誤った理解を破断してくれます。我々は、文献学の提供してくれるものを主体的実存的に読み取り、文献学と矛盾しない全体的体系的な理解の仮説を構築しなければなりません。
 いうなれば、文献学は、我々のスパーリング・パートナーです。文献学と殴り合うことで、我々の仏教理解は、より強く深いものになっていくと考えます。
 (私は、物理学や脳科学や宇宙論・進化論などの自然科学も、仏教理解の為のよきスパーリング・パートナーになると思っています。釈尊の教え、無我=縁起は、最高の真理であるが故に、自然科学をも包摂しており、自然科学とも矛盾しない筈だと思います。)

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 以上、またしても自分の考えばかり一方的に述べてしまったのかもしれません。
 「縁起論」についてのメールお待ちしております。
 仏教の「空」と荘子の「無」の共通点、相違点に関しても、是非お考えをお聞かせ下さい。

                            敬具
萱谷 和之 様
              2002年10月2日      曽我逸郎

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