良知 昇さんから 先の曽我の返事に。心と現実の現象界,2。 2001,6,3,

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曽我さん、遅いながらも、いつもメールの返事をいただき感謝いたします。
本日も小心ものの故に少しお酒を含んでの乱文をご容赦願います。

「心と現実の現象界との関係」については、現時点の予測として、私自身、永遠に解決できそうにもありません。

仏教というか、人間として生きていることに悩みつづけています。
常識すらもよく理解できていない自分自身の愚かさと、このような立派な仏教の考え方の間に立って、毎日悪戦苦闘しています。現象の世界を理解するにしても自分自身のこころや考えかたがなければ一切の思いも行動も何も生まれてきませんですよね。
ですから、現実に目の前に展開している世界と、自分自身のこころの中での認識や考え方にはいつも大きなギャップや矛盾があります。それでもより良い世界実現のために努力はしているつもりです。

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>小論集「人無我を説く方便の試み 1、2、」にご意見ご批判を頂けるとうれしいです。

>その1:私の縁起理解について
 私は縁起に関してここまで詳しく理解できていません。
 「縁起は、一因一果ではなく、多因多果の関係となる。」=>書かれている通りです。賛成します。
 「世俗的なレベルから釈尊の勝義をめざすのが正しい方便だと思う。」=>そのとおりだと思います。

 特に私は最近、大乗仏教のもう一つの経典である「法華経」の内容が気になり始めました。
 自分自身に対する戒めでもありますが、やはり仏教は、理論とそれに対する実践道だと思います。
 私自身殆ど、理論を追いかけていても、それすらも十分理解できていないし、
 実践道に関しては殆ど皆無かもしれません。

>その2:動物進化と自己意識の発現について
 霊魂の存在と唯識に関しては、よく理解できていませんが、
 霊魂の存在に関することは、私は否定もできないし肯定もできないでいます。
 唯識での阿頼耶識に関しては、考え方の補助的手段になると考えています。
 誤った見解かもしれませんが、私は、単細胞生物にも、この手の識である阿頼耶識があると考えています。
 故に、われわれの細胞の一つ一つの中にも阿頼耶識に近い識が存在していると考えています。

                                                        良知


良知 昇さんへの返事

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