曽我から谷真一郎さんへ    仏教は反自然か?など     2001,4,7,

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拝啓

 今池の居酒屋で遅い新年会にお付き合い頂いてから、2ヶ月になります。時々お会いする事に甘えて、ついつい返事をお出ししないまま、随分メールをためてしまいました。申し訳ありません。頂いたメールをもう一度読み返し、感じたことをまとめてお送りします。

 *まず唯識について。
 やっぱり唯識は、どうもしっくりきません。内か外かという概念にとらわれすぎていると感じます。内と外を分けて考えるのではなく、自分と世界を対立させるのではなく、世界の中で世界に開かれた現象として、あらゆる現象と等しく縁起しあう現象として、世界の一部として自分を考えたい。
 世界の一部である現象に、いかにして「内的」な意識という現象が可能なのか、それを考えることが、「無我なる我」を考えることだと思っています。この一見自家撞着している言葉でいわんとすること、谷さんには耳にたこですね。魂といわれるような実体を導入せず、縁に応じて変化し、執着したり、発心したり、喜んだり、苦しんだりする現象として自分を考えたいと思っています。

*ノエシス・ノエマ
 先日、「あたりまえ、、」の小論集に、「無我なる縁起の自己」の二回目を掲出しました。正面から自己を考えようとしながら力不足で時間ばかりかかっているので、方向を変えて、動物の進化の道筋の上に自己という現象の発現を位置付けたつもりです。
 この小論でも、ノエシス・ノエマは、さまざまな思いつきのヒントになってくれました。私にとって自己という現象を考えるのになくてはならない概念になっています。昔、木村敏氏の本で読みながしたまますっかり忘れていた言葉に、谷さんは新しい光を当ててくださいました。この概念をあてはめることで、見えていなかったことに気付いたり、より単純な形で考えを整理できたり、多大な恩恵を受けています。感謝しております。

* 民族的土着的な超越的なもの
 私も、神社の裏の木立ちや沢を詰めた先で出くわした滝などで、荘厳な雰囲気を感じる事はあります。そういう「霊」気を感じることは、私にとっても大切にすべき貴重な経験です。そうした場に行き会うと、深呼吸してできるかぎり自分をそこに浸し開こうとします。
 しかし、ひねくれものの私は、神社や寺に手を合わせることはありません。縁起の場の力を、何か外に立てた「もの」に象徴的に収斂させて対象化することには抵抗があります。
 確かに、超越的なものを象徴的に立てる事によって、分かりやすくなるし、その価値が共同体に共有され、大切に守られて来たという側面はあるでしょう。超越的なものを畏敬する人々の気持も否定するつもりはありません。
 でも、私としては、ものを対象として立ててそれに価値を与えることは拒絶したいのです。超越的なものを認めてしまうのは、無我と縁起の教えに反する事ですから。
 谷さんのように、超越的なものへの人々の敬虔な気持を評価し、宗教的なものを広く理解しようとしなければ見落としてしまう事が沢山あるだろうと思います。その可能性を感じてはいるのですが、しばらくは寛容な心になれそうもありません。広い視野で気付かれたことを教えて頂いて、今後も刺激を与えて下さい。

*釈尊の教えは、反自然か
 この問いの答えは、当然のことながら、何を自然と考えるかにかかっています。
 執着する我々の自然なあり方(人間的自然)が、実はある種「反自然」なのではないでしょうか。
 勿論、人間も機械もコンクリートもダイオキシンも、すべて縁起の現象であるからには大きな自然の一部に違いありません。しかし、人工対自然という世間的な言葉の使い方においては、それらは人工の側にあり、「反自然」です。
 人間的自然という「反自然」は、人間の段階で突如始まった訳ではなく、もっと早い段階から、段階を踏んで準備されてきました(小論集「無我なる縁起の自己とは 2」)。動物(有情)の進化は、自然(無情的自然)から人間的自然へとつながる段階的進化だとみることもできるでしょう。従って、自然と「反自然」(=人間的自然)は、言葉ほどには峻別できません。「反自然」(人間的自然)は、自然に根ざし、両者はつながっていると考えます。

 釈尊が本当に否定されたのは、執着という人間的自然であったのではないでしょうか。執着を直接否定することを説き、執着の芽を摘むため、動物的欲望をコントロールすることも説かれました。執着を起させる「いつも化」を一旦停止させるために、無我を教え、縁起を教え、あらかじめ価値づけられたカテゴリーをあてはめて固定的実体的に「もの」を見ることをやめよ、と教えて下さいました。出家の勧めも、執着にからめとられるしがらみから身を離せという意味だと思います。
 動物的欲望や「いつも化」、カテゴリー化、現象を「もの」として実体化する事などは、すべて自然の中から執着という人間的自然が育ってくる過程の出来事です。釈尊は、執着が立ち上がってくる過程のポイントをひとつずつつぶして、執着を発生させないことを説かれたと考えます。

 ただし、執着(人間的自然、「反自然」)と執着の縁となるものを否定されたからといって、単純に自然的自然(水や風や岩などの無情)にもどって、受動的に縁起に身を任せよ、といわれた訳ではないでしょう。釈尊が教えて下さったのは、自然からの自然的逸脱であるところの執着を矯正し、自分と人を苦しめることを停止し、人々から苦を抜き去ろうとする慈悲にあふれた、積極的に働き出すあり方だったと思います。

 釈尊の教えは、無情的自然については肯定でも否定でもなく、人間的自然の内の執着を否定するものだと考えます。無情的自然から自然に発展して、苦にまみれた執着に行き着いてしまった人間を、執着から離れしめ、苦を生み出さず無用な苦を抜き去るあり方へ導くものだと考えます。
 (なんだか曲がりくねった文章になったので、図を添付します。)
<ネットスケープでご覧の方へ。おそらく画像がテキストの上に重ね張りになっていると思います。解決策がみつかりません。すみませんが、できればIEで見て下さい。>

*生は苦か、喜びか
 前段の自然・反自然の議論で、私はあえて梵行(性的禁欲)に触れませんでした。梵行については、別に考えたいと思います。梵行は、まさに自然的本能、性欲の否定ですが、性欲は、個体保存のための欲望とは別の欲望です。しばしば個体保存欲を超越し、自分の命を危険に晒すところまで暴走します。
 梵行を説かれた理由は、修行する本人が性欲にかき乱されないためだけではなかったのかもしれません。苦なる生を苦しむ命をあらたに生み出さないこと。これが梵行の本当の理由だったのかもしれません。
 釈尊は生まれたばかりの赤ん坊に出会われた時、顔をほころばせられたでしょうか、それとも曇らせられたでしょうか。なんとなく後者であったような気がします。
 電車の中吊りで某仏教団体出版物の広告に、「生は喜び」といった見出しを見ました。釈尊の時代なら、喜びどころか、「生は苦」があたりまえだった筈です。仏教、少なくとも大乗仏教の歴史は、「生は苦」から「生は喜び」への変化の道筋であったと言えるようにも思います。
 (もともとの「生」の意味は、「生まれること」であって「生きること」ではありませんが、「生きること」にまで拡張しても、元来の仏教において、生が苦であるのは誰もが認めることでしょう。)
 解脱前の生が苦であるのは当然ですが、解脱後の生はどうでしょうか? 釈尊にとって、解脱後は、苦がないのと同様に喜びもないニュートラルな生だったのでしょうか、それとも喜びだったのでしょうか? わたしはどうも、解脱後の生を、ポジティブに喜びとして想像しがちなのですが、どうなのでしょうか?

 ナガイさんから、自然(無情的自然)の見方について、メールを頂いています。釈尊に山や川や木や雲がどう映っていたか、これもあらためて考えてみたいと思っています。

 脈絡なく書いてしまいました。今後ともよろしくお付き合い下さい。

谷 真一郎 様

      2001、4、7、     曽我 逸郎

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