リュウさんより  前回の曽我の返事に。スピリチュアリストの立場から  2001,2,17,

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曽我さん、こんにちは。

 高橋信次さんという方は、有名な方のようですね。私もお名前は雑誌で目にしたことがあります。御自身の本は読んでいませんが、お嬢さんの本は、たまたまあるところで手にとって半分ほど読みました。残念ながら目を開かれる!という内容ではありませんでしたが、、、。
 しかし、taka kudouさんに、心霊主義お勧めの本を一度読んでみるとお約束していますので、「シルバー・バーチの霊訓」を読んでみなければと思いました。
シルバー・バーチの霊訓は12巻ありますので、
その気がおありなら、とりあえず(一)を読まれたらいかがでしょう。
第2次世界大戦中にイギリスで行われた交霊会の記録ですが、
これを真実と考えるかどうかが分かれ目になります。

 「霊、霊界、死後の世界の存在を否定することを大前提としてこだわるのが不思議だ」、と書いておられます。その理由は単純です。霊、霊界、死後の世界は、釈尊の無我・縁起の教えに反すると考えるからです。

僕には、釈尊の教えが正確に現代に伝わっているとは思えないのです。
何を信じるかは勿論、人それぞれですけどね。

 心霊主義者の方は、心霊主義か唯物論か、ふたつの分類しかお持ちでないように感じます。心霊か物質かどちらを実体とみるか、二者択一の議論だと思います。私は、どちらも実体ではないと考えます。私の立場は、唯現象論です。物質は勿論、霊魂にも実体はない。しかし、心という現象は発現している。否、心という言葉は、実体的な響きが強すぎるので、意識とか感情とか気分とかと言った方がいいのかもしれません。
 有るのでもなく、無いのでもない。中道とは、唯現象論の立場だと思っています。
 そして、意識が現象であると同時に、肉体も我々の執着の対象(富、異性、地位・名声、、、、)も、すべては無我なる縁起の現象なのです。ですから、「真の」唯現象論者は、なにものにも執着することはできません。なぜなら、自己も肉体も物も変化し終わる現象であるから。地位や名声や権力も、実体のないはかない現象であるから。
 ただし、「真の」唯現象論まで徹底するのは、たやすいことではありません。日常生活をただし(戒)、瞑想を重ね(定)、法の無我・法の縁起を学び(戯論レベルの慧)、意識の指向性停止体験によって自己(ノエシス)の無我・縁起を知る(完成された慧)が必要だと考えています。

発想は全く違うのに、この世における行動の選択はほぼ同じになってくるのが面白いところです。
であれば、どう考えようとさしたる問題ではないと僕は思います。
霊界の存在など、この世では証明できませんから。
自分が納得して生きられるのが一番大切なことです。

 意識は何に縁起しているのか。まず肉体に縁起しています。それは、系統発生的にも個体発生的にも、肉体が意識に先立つという意味です。炎が薪において起こっている現象であるように、意識は、肉体において起こっている現象です。しかし、ひとたび意識が発現すれば、意識が肉体に縁を及ぼすこともある。たとえば病は気から。「気分」という現象は胃に穴をあけることもあるし、病気を治すこともある。極端な場合は自殺によって肉体を、同時に自分を、滅ぼすこともある。
 そして、意識とか心と呼ばれる現象のあり方は、経験・学習によっても縁を受けます。友とよい交流をし、良い本に親しみ、良い経験を重ねれば、意識のあり方も良くなる。逆の場合は、大抵逆の結果になるでしょう。
 もうひとつ、意識の縁となっている重要な現象は、意識自身です。炎の熱が縁となって次の炎を生み出し、燃え続けるように、意識は、かすかでも常に痕跡を残して以降の意識に影響を与える。自分を対象化しノエマとして分析し反省し、考え方・行動に癖をつけていくことで、意識的に意識を改変していくことができます。

 私は、脳科学に興味を持っています。理由は、霊魂や霊といった実体的な「物」を導入することなく、意識・感情などの現象を、脳という肉体の「物的現象」(シナプス可塑性とか、ニューロン群を伝わっていくインパルスのパターンとか)に縁起する「霊的現象」として説明してくれると期待しているからです。つまり、脳科学は、釈尊の残して下さった無我・縁起(・空)の教えを、方便として説明してくれる戯論として働いてくれるのではないかと考えています。

僕たちスピリチュアリストは、人間の本質は霊であり、
この世にいる間、肉体をまとって生きていると考えます。
人間は、死んで霊になるのではなく、今現在も霊なわけです。
肉体は物質であり、そこに霊が宿ることによって
はじめて肉体としての役目を果たし得る。
肉体は永遠のものではありませんから、いずれ滅びます。
その時霊は肉体から離れ、霊界に帰ります。それが死です。
僕にとってはこの考え方が一番合理的に思えるのです。

曽我さんと一致しなくても、それはそれで面白いと思います。

ではまた。
リュウ


リュウさんへの返事

             2001、8、2、

 覚えておられますか? 「あたりまえ、、」の曽我です。
 2月に頂いたメールの返事を汗を拭き拭きフル回転の扇風機にあたりながら書いています。お恥ずかしい限りです。もう一点謝らねばならないのは、「シルバー・バーチの霊訓」をまだ読めていない事です。他にも何冊か読むべき本をお勧め頂いているのですが、通退勤の電車の中でも居眠りしてしまい、少しも本が読めません。

 あらためて頂いたメールを読み返しました。なんだかお互いにすれ違いというか、学ぶ事も影響される事もなく離れていく感じですね。

 霊・霊界・死後生の有無について、いつか決着がつくのでしょうか? 科学によって? それとも万人が納得する体験者の証言によって? 決着がつくとしても、しばらく先の事でしょう。おそらくその時には私はもういない。あるいは霊界にいるのでしょうか? それとも地獄に?

 私は、この現象の世界の他に世界はないと思っています。ここに衆縁の結実として生まれ、縁を受けつつしばらく変化し、やがて終わる現象のひとつ。それが、私だと思っています。
 世界と同様、私たちの生にも、目的や価値はない。目の前に人参(疑似目的・価値)をぶら下げられれば、私たちは馬のようにそれだけをにらんで走り出す。でも一歩離れて眺めてみましょう。生(or 修行)にステージを構想し、向上を妄想してなにになるのか。目的や価値(世俗的であれ宗教的であれ)を妄想し執着して苦を作り出す事は止めにしたい。有情の苦を抜き、ストレスを抜き、微笑ませる。それによって私たち自身もハピーになる。
 Smile! Make people happy! People's smiles make you happy. Let's enjoy changes together! That's all we should do!
 日本語だけではニヒリスティックに響きそうで、英語を付け加えました。無理をしているように聞こえますか? もしそうなら、それは多分、私がまだ徹しきれておらず、意味や目的からすっかり自由になっていないからです。まだ下心がある。
 一切有情と共に悲しみ悩み嘆き苦しみ喜んで生を尽くす。That's all I want to do!

 それぞれのやり方でお互い頑張りましょう。

リュウ様
                              曽我逸郎


リュウさんからの返事  01、8、6、

曽我さん、こんばんは。りゅうじんです。

 覚えておられますか? 「あたりまえ、、」の曽我です。

もちろん(笑)。ご返事ありがとうございます。

 2月に頂いたメールの返事を汗を拭き拭きフル回転の扇風機にあたりながら書いています。お恥ずかしい限りです。もう一点謝らねばならないのは、「シルバー・バーチの霊訓」をまだ読めていない事です。他にも何冊か読むべき本をお勧め頂いているのですが、通退勤の電車の中でも居眠りしてしまい、少しも本が読めません。

プレッシャーにしないでください。曽我さんには必要ないものなのかもしれません。
一切の無理はせずに行きましょう。

 あらためて頂いたメールを読み返しました。なんだかお互いにすれ違いというか、学ぶ事も影響される事もなく離れていく感じですね。

それなりの意味はあると思いますよ。
いろんな考え方があることがわかるし、考え方は人それぞれで当然でしょう。
自分の信じたこれが絶対正しいんだからみんなに押しつけるんだと考えることは
ナンセンスだと思います。
自分が納得できるように考え、生きていくことが大事だと思います。

 霊・霊界・死後生の有無について、いつか決着がつくのでしょうか? 科学によって? それとも万人が納得する体験者の証言によって? 決着がつくとしても、しばらく先の事でしょう。おそらくその時には私はもういない。あるいは霊界にいるのでしょうか? それとも地獄に?

決着はつかないでしょうね。この世はそういう仕組みになっているんだと思います。
決着をつけようとする必要もないんじゃないかな。
自分なりの意見を持ちたい人が悩めばいいと思います。
僕もたしかなことは全くわかりませんから、押しつけるつもりは全くありません。

 私は、この現象の世界の他に世界はないと思っています。ここに衆縁の結実として生まれ、縁を受けつつしばらく変化し、やがて終わる現象のひとつ。それが、私だと思っています。
 世界と同様、私たちの生にも、目的や価値はない。目の前に人参(疑似目的・価値)をぶら下げられれば、私たちは馬のようにそれだけをにらんで走り出す。でも一歩離れて眺めてみましょう。生(or 修行)にステージを構想し、向上を妄想してなにになるのか。目的や価値(世俗的であれ宗教的であれ)を妄想し執着して苦を作り出す事は止めにしたい。有情の苦を抜き、ストレスを抜き、微笑ませる。それによって私たち自身もハピーになる。
 Smile! Make people happy! People's smiles make you happy. Let's enjoy changes together! That's all we should do!
 日本語だけではニヒリスティックに響きそうで、英語を付け加えました。無理をしているように聞こえますか? もしそうなら、それは多分、私がまだ徹しきれておらず、意味や目的からすっかり自由になっていないからです。まだ下心がある。
 一切有情と共に悲しみ悩み嘆き苦しみ喜んで生を尽くす。That's all I want to do!

目的や価値も、この世的、物質的なことでなければ、
苦どころか十分に喜びやエネルギーになると思うんですが、
そこが曽我さんとは全く相容れない部分のようですね。

 それぞれのやり方でお互い頑張りましょう。

そうですね。いろんなやり方があっていいと思います。

ではまた。
リュウ

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