〜森 正夫の山歩き記録〜
余話 ―山の食事と酒―

 食べることが体力を維持し、さまざまな場面に対して肉体的、精神的エネルギーの元となることは周知の通りである。私は食べ、かつ飲むことが大好きで、特に食に関してはカゼをひこうが、二日酔いであろうが、食欲が減じたことはほとんどない。50代前半に急性椎間板ヘルニアで1ヶ月近く入院したときも、妻がほぼ毎日、昼の食事を届けてくれた。また、友人と2人で中央アルプス南部を縦走した折も、空木岳直下の避難小屋で、あまりの疲労から食した夕食をあっという間に吐いてしまったことがある。それでも、直後にもう一度作り直して全て平らげ、同行の友人を驚かせたものである。翌日には体力が回復していた。

 私が山行のとき、最も大切にしたのは食べることである。これはちょっと格好つけすぎで、本当は山であろうが家に居ようが、朝食をとりながら昼に何を食べようかと考えて、いつも妻に怒られている。要はいじきたないだけなのだ、とも自覚している。これは若い頃も今も変わらない。

 長期の山行計画の中で、一番思い悩むのが食事と酒である。当然、美味い物を食べ、飲むとなればそれだけ荷は重くなる。逆に荷を軽くすれば味気ない食事に早変わりせざるを得ない。そこで私が考えた山の食事は、朝は簡単なもの(パンやビスケットとコーヒー、粉ミルク、粉末スープなど)、昼は行動食(あめ、あげもち、ドライフルーツなど)、しかも決まった食事時間は取らず歩きながら少しずつ食べ続ける。そして夕食はガッツリと美味しいものを食べ、ぐっすりと寝ることだ。

 一例を挙げると、無雪期の2〜3泊ならば一泊目は松坂牛のすき焼き。これは、ペットボトルを凍らせて保冷パックに一緒に詰めれば充分一日はもつ。凍ったペットボトルは翌日の水になる。2日目は真空パックのベーコンを使った野菜たっぷりのカレー。3日目は、残った野菜と魚肉ソーセージのバーベキューといった具合である。

 私の友人で、山の食事にほとんど関心を示さず、インスタントラーメンや残り物のインスタントスープの素を複数使って、おじやにして平気で食べ続ける男が、私との山行では真空パックの「うなぎのかば焼」を用意してくれた程だ。

 冬山では、何にでも変身する栄養たっぷりの元気の素をつくっていく。これは父に教えてもらった。いろいろな野菜と肉を煮込み、ラード(豚肉の油)で固めたものをいくつかのパックに分けておく。これは、カレーになり、豚汁になり、煮込みごはんやクリームスープなど何にでも変身し、栄養とカロリーは最高である。

 こんな私でも、山の食事での失敗は幾度かある。一番ひどい目にあったのが、40代の頃だ。高校生の息子と千丈岳から南アルプスに入り光岳までの縦走を目指した時である。当時、私の職場にイギリスのオックスフォード大学から留学していた女性に教えてもらった「パワーバー」という代物だ。ちょうど定規の厚さを2cmぐらいにして長さ20cmぐらいのパックされた食べ物だった。今のカロリーメイトなどに似ている。バナナ味、チョコレート味など幾種類のものがあった。カロリーと栄養は充分。アメリカの軍隊で使われているとのこと。これをわざわざ、有楽町のアメリカ用品専門店にまで買いに行き、行動食として一週間分プラス予備(10本×2人=20本)買い込んだ。これがかなり重い。彼女は仕事帰りにエアロビクスに通っているので21時近くまでの腹の足しにと毎日食べていると言う。映画女優にでもしたいような美人の言うこと。喜んでリュックに詰め込んだ。事前に試食しなかったことが悪かった。登山一日目の昼に食べた。数分後、2人ともゲイゲイ吐き出してしまい、残りは家に帰るまでリュックの中に居続け、食料不足でやむなく聖岳で下山した。食文化の違いを思い知らされた一件である。今では素晴らしく美味しいインスタント食品がどこのスーパーでも売られている。山男、山女には幸いである。

 次は酒。疲れた身体を心地良い眠りに誘い、ぐっすりと朝を迎えさせるには酒が一番だ。なんと言っても乾いたのどにはビール。アルプスでもメジャーな山域では各所の山小屋で売られている。値は高いが手に入る。しかし、食事を提供するような山小屋が皆無な山域ではそうはいかない。

 やはり、高校生の息子と夏休みを利用して試みた大雪山主脈全縦走。7泊8日(行き帰りを含めると9泊10日)の予定。毎夜、いつものようにたっぷりと飲む訳にはいかない。熟慮の末、ウィスキー1本、ブランデー1本をアルミボトルに入れ替えリュックの中に。1本にしろ、という息子の申し入れは無視した。しかも、登山初日、早雲峡から黒岳へ入るとき、どうしてもビールが欲しくなり、登山口ではロング缶4本を買い込み息子のヒンシュクを買う。それでも、ビールが命綱と語る父の思いにほだされ2本は息子が持ってくれた。

 結果は哀れなもの。4本のビールは初日の黒岳テント場で消え、2本の洋酒もトムラウシでカラになった。あとはノンアルコール山行の苦しさがつづいた。こんなことなら初めから酒なんか持ってこなけりゃよかった・・・と、その時は思ったが、同じようなことはその後も続いた。

 今は、加齢と持病から重い荷物をかついだテント縦走など思いの外となってしまったが、日帰り山行でも食事には気を遣っている。季節に合わせたお弁当や飲み物を自分でつくる。どんな疲れでも待ち遠しくなる食事が必要なのだ。食べることが体力を温存させ回復させる。これは山行の鉄則だ。現在の冬期日帰り山行の昼食は甘めのホットミルクコーヒーを入れた保温ボトル1本と、焼きおにぎり。行動食はアメ玉。アンバランスと言えなくもないが、どんな時にでも飲み食べられる。

 食欲と持病の許す限り、今後も登りつづけたいと思っている。



 補足 ― この稿を読んだ妻から、以下の事を付け加えるよう命ぜられ仕方なく筆を進めることにした―

 トムラウシ山をすぎたテント場での話。初夏の大雪山系と言えば何メートルに達する雪渓が残り、見渡す限りのお花畑や踏みつぶさずに歩くのが難しいほどのコマクサ群落地を通る。また、この山域は、入山者の数より「ヒグマ」のほうがずっと多いところだ。美への感動と野生への恐怖が常に付きまとう。

 こんな中で、ようやく2日ぶりに私たち以外の人間と出会った。私たちと逆コースから入山した大学ワンゲル部の学生たちだ。テント設営は終わり、食事を始めるところである。私たちは、ようやく野生への恐怖から少し開放された気持ちでテント設営に入った。

 隣の若者たちの笑い声で振り向いた。その時である。なんと彼等はウイスキーで乾杯しているではないか。頭がクラクラしてきた。見まいと思ってもすぐ顔がそちらを向いてしまう。幾度か繰り返しているうちに、やっと一人の若者が気付いてくれた。「おじさん!一緒にどうですか〜。」と。だらしのない笑顔とヒリヒリさせたのどをかかえた私は、背中に息子のきつい視線を感じながらもヨタヨタとすり寄り彼等の輪の中に入ってしまった。

 なんと美味しかったことか。いつもなら目もくれないトリスがだ。さすが、いくら心根のやさしい息子でも翌日の昼まで口をきいてくれなかった。「飲み助」とはこんなもの・・・ということが当時の息子に解ろう筈がない。お笑い一席。




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