〜森 正夫の山歩き記録〜
余話 ―里山歩き考―


 里山という言葉は、それだけで私たち日本人の気持ちを和ませる響きをもっている。この言葉は通常2通りの含みをこめて使われている。ひとつは、里を取り囲む故郷の山々というイメージである。今ひとつは、山と里との複雑な相互関係による人間生活の在り様としてのイメージ。後者の場合、里山はその麓に暮らす人々に豊かな恵みを与えてくれる存在である。田畑を潤す水の源泉であり、山菜やきのこを育み、木材や燃料を供給し、狩りの場としてなど、さまざまに人間の暮らしを支えてきた。一方で人間も、これらの恵みを絶やさぬ為、水源地の保全や森林の保護などに努めている。さらに、恵みを与えてくれる神仏への信仰の証しとして崇めて寺社を祭り、頂上に石碑などを設置して、信仰登山を慣習として暮らしてきた。里山はこうした自然環境と人間の営み総体としての有り様なのであろう。

 日本全国各地に、里山とそこにそびえる里の山は数知れず存在する。それぞれの山々が各々の歴史と物語を秘めていておもしろい。アルプスや百名山などのように著名ではないが、素晴らしい山々がいくらでもあるのだ。こうした山々を訪ね歩くのは実に楽しい。メジャーな山々と違い、地図やガイドブックなども少なく、自分で調べなくてはならない。当該する市町村に問い合わせたり、25,000分の1図で確認したり、場合によっては地元の方に話を聞くことも必要になる。こうした作業は実際に山に登るのと同じくらい楽しいものだ。

 私はこの地に来て里山歩きが主になった。気持ちとしては、今でも3,000m級の山々を歩きたいとは思うが、持病の腰が言うことを聞いてくれず止むを得ない。こうして始めた里山歩きだが、始めてみると中々面白い。標識に従って整備された登山道をひたすら歩くメジャーな山々とは異なり、自分で考え判断しなければならない場面が多く出てくる。里山では、かつての道が不明瞭になったり、崩れ落ちてしまっていることもある。踏み跡が残っていても獣道との判別がつかず行ったり来たりを余儀なくされる。また、野生動物と出合うこともメジャーな山より多くなる。土日でさえ、めったに人と出会うことなく静かな山歩きが楽しめるのだ。しかも、道に迷うことさえなければ、多くの山では3〜4時間前後あれば往復できるのが一般的である。私の身体状況にはピッタリした歩きである。

 しかし、里山歩きは、登る山にもよるがメジャーな山と比べて困難な場面に出くわすことが多くなる。信仰登山や樹木の整備などが定期的に行われていた時代と比べて、近頃は山の多くが自然に戻りつつあるからだ。道に迷ったり、自分の身に事故が起きた場合でも、第三者が近くを通りかかることはまず無いと思わなくてはならない。そうした点で、見方によるとアルプスのノーマルルートを歩くより危険を伴うと自覚すべきだろう。

 私も幾度かそんな目に遭ったことがある。これから紹介する一例は里山歩きとは言い難いが共通点が多いので紹介してみよう。昔のことだが、秩父の棒ノ嶺(ぼうのみね 969m)から奥多摩の酉谷山(とりやさん 1718.3m)へ縦走したときのことである。途中で籔になり踏み跡が無くなり、仕方なく尾根の稜線に出た。樹木があり歩きにくいがやむを得ない。すると、かなりはっきりした踏み跡が出てきたため、それに従って下り始めると踏み跡が三方向に分かれた。最もはっきりした道をたどったが再び2叉路に分かれた。そこで気づいたが、この踏み跡は全て獣道だったのだ。再び来た道を戻り、出たり入ったりの稜線歩きを2時間近く余儀なくされた。棒ノ嶺も酉谷山もメジャーな山で、両山の間にハイキングコースとして登られている山もあるが、縦走路はまた別の場合が多々あるのだ。考えてみると、無雪期のアルプス(ノーマルルート)で道が解らなくなったり、道に迷ったことなど一度もない。

 この地へ来て里山歩きをはじめて日は浅いが、やはり思いもかけない事態に出遭ったことがある。このシリーズで紹介した中では「角落山と 剣ノ峰」、「海遠点と榊山」、今回紹介した「大峰山・直登西尾根コース」はこの例である。「角落山と 剣ノ峰」は林道が崩れ、河原歩きや痩せた登山道は一般向きとは言い難い。「海遠点と榊山」では、海遠点に向かう林道から先の道はほぼ流出してなくなっているし、榊山は帰り道で迷う心配が大きい。実は私もここで勝手につけられたテープに導かれ別のルートへ一時入り込んでしまっている。「大峰山・直登西尾根コース」は上記本文の通りである。里山の中でも、これら比較的名の知れた山々については幾種類かのガイドブックで紹介されている。しかし、これらのガイドブックは出版された日時の確認が必要である。経年により、状況が大きく変化していることがあるからだ。さらに再版時に再調査や確認がされておらず、何年も前の記事がそのまま掲載されることもある。これらのガイドブックでは、調査登山の日時を必ず明記することが必要ではなかろうか。したがって、里山を歩く場合は、自分が得た情報と比較してどうも様子がおかしい、と思ったらいったん引き返して、再調査の上、もう一度挑戦することが大切である。里山での事故は重大な結果をもたらす場合もある。

 里山歩きは楽しいものである。山を歩くことに加えて、その山と里で暮す人々との物語りを見つめることは、さらに楽しさを増してくれる。当シリーズ「子檀嶺岳」でも紹介したが、毎年元旦、地元の中学3年生を里の大人たちが初登りにつれていく話など、その好例といえるだろう。

 今後、多くの方々に身近かな里山歩きを楽しんでいただきたいと思う。そのうちどこかでお会いできますように。






お問い合わせは
長野県佐久市望月99-3
TEL/FAX 0267-53-8456
MAIL

Copyright (C) 2010 Sakulife Service All Rights Reserved.