〜森 正夫の山歩き記録〜
番外編 その2 薪ストーブの話

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 晩秋から早春にかけての山歩きで、山小屋に辿り着いた時に出会う薪ストーブの暖かさほど寛ぎと安堵感を与えてくれるものはない。凍てつく身体から立ち昇る白い湯気、こごえた手足がゆっくりと和んでいく心地良さ、背中や体の芯までほぐれていく感覚は薪ストーブでしか味わうことができない。

 私が田舎暮らしを始めるにあたって薪ストーブは絶対条件のひとつであった。結果、今では母屋と別棟に1台ずつ、2台の薪ストーブが我家の冬を暖めてくれる。私の住む佐久の御牧原台地は、夏は涼しく快適だが、冬の寒さはひとかどではない。マイナス15〜16℃以下になることもあって、ダイヤモンドダストが年2回ほど見れる、北海道並みの気候である。特に雪の少なさが寒さに拍車をかけているようなところがあり、家屋は全て寒冷地仕様でなければもたない。

 このような環境でも、薪ストーブは快適な冬を保障してくれる。厳冬期でも家の中は20℃を保ち、寝る前に多目の薪をくべておけば、朝起きた時でも15〜16℃は保たれている。考えてみれば移住する前の横浜の家より暖かだ。

 横浜での暖房器具はエアコンと石油のファンヒーターだった。これらの器具と薪ストーブの暖かさでは、暖かさの質が全く違う。前者の暖かさはカラカラと乾いた局所的な感じで、温度が上がると頭がボーとしてしまう。そして暖房を切れば、すぐに冷えびえとしてくる。これに対して薪ストーブの暖かさは、ジワジワと部屋の中に浸透し、壁や床、天井にまで広がり、家全体を暖めてくれる。したがって、火が消えても室内の暖かさが長く残るのだ。

母屋のストーブ 薪割斧 別棟のストーブ

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 薪ストーブの良さは他にもいろいろある。中でも、炎は人の心に安らぎと神秘的な興奮を与えてくれる。昔、火は人を外敵から守り、また、さまざまな儀式に用いられてきた。かつて、人の暮しは火を中心に営まれた。人が集い、食べ、語り合いながら、ゆっくりと家族や社会をつくってきた。人間の歴史は火とともに歩むものだった。

 私の子供の頃は、いつも七輪に火が焚かれていて、やかんから湯気が立ち上っていた。母がそこで茶を入れ、みそ汁を作り、魚を焼いていた。白い割烹着を着てこまめに立ち働く母の姿が今でも目に焼きついている。

 私たち現代人の生活が炎から遠ざかってどのくらいになるだろう。たったひとつ残っていた調理器具さえ今は電子機器に変わりつつある。今の子供たちに焚き火をさせても、火をおこせる子供がどのくらいいるだろうか。大人だって七輪や釜戸を使いこなせる人は少ないに違いない。

 今の便利な暮しを昔に戻すことが必要だ、などと言っているのではない。ただ、どこかに火と関わる人の姿が残っていてほしいと思うだけだ。今年は例年になく早く大雪が降った。御牧原では30cm前後積もったと思われる。こんな雪景色の夜、赤々と燃える薪ストーブの炎を見つめながら飲む酒のなんと美味しいことか。

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完全燃焼中の炎

炭火のように燃え尽きつつある炎
安定して燃える炎

 しかし、このような薪ストーブも、今の電子機器を駆使した暖房機のように、スイッチひとつで機能するという訳にはいかない。それなりの準備と上手な付き合いが必要である。

 薪ストーブを始めた人なら、誰でも次のような体験をしたはずだ。思うように火がつかない、薪がくすぶりよく燃えない、煤がガラスにこびりつく、期待したほど暖かくない、急な温度上昇への心配、煙突掃除の手間、薪の高値などなどである。ある意味で、ひとすじ縄ではいかないのだ。薪ストーブを使いこなすには一定の経験とこれらの課題をひとつひとつ解決していく努力が欠かせない。

 これらの問題を起さないために最も大切なことをひとつ紹介してみよう。それは、必ずよく乾いた薪を使用することである。薪が乾いていなければ、当然火付きは悪いし、よく燃えない。また、ガラスは黒く汚れるし、煙突にも煤がたまる。薪だけが原因ではないが、基本は薪である。

 市販の場合、12月〜翌3月ぐらいの間に立木を倒して薪にして、同年の冬には販売するサイクルが多い。切ってから1年未満の薪では燃えが悪くて当然だ。強いて燃やせば、ストーブの中で焚き火をするようなもので暖かさは煙突を通して外へ逃げ、すぐ燃え尽きてしまう。私の場合、3年乾かした薪を使っている。火持ちは良いし、暖かく、最後は炭火のような形になってゆっくりと燃え尽きる。

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 ひと口に薪ストーブといっても、いろいろな種類、形状や大きさがある。これらの選択はストーブを設置する家屋によって、ある程度決まってくる。これを無視して、自分の気に入ったストーブを購入することだけは避けなければならない。家屋(大きさ、形状、材質、機能など)に適したストーブが第一なのだ。

 種類からみると、大別して3つある。伝統的な鋳鉄製のストーブ、これは北欧・ヨーロッパ製が多い。今ひとつはアメリカ・カナダなどで多く使われてきた鉄板製のもの。あとは、昔からよく使われている手軽で安価なブリキ製のメガネストーブだ。これらには、それぞれに特徴があり、どれを選ぶかは家屋と好みの問題になる。

 それぞれの特徴について簡単に触れてみる。鋳鉄製のストーブは、重みと美しさがあり、放熱はジンワリとゆっくりしていて身体の芯まで暖めてくれる。反面、薪は原則として広葉樹に限られ、あまり高温で燃すことはできない。鉄板製のものは、どんな材質の薪でも燃やすことができ、温度変化に気を使うこともなく、機能的である。しかし、一方では暖かさが直接的で、焚き火に当っているような感覚が残り、火持ちが悪い。ブリキ製のものは、暖をとると同時に煮炊き用に使われてきた。作業小屋や山小屋、一般家庭では台所に設置されるのが一般的だ。安価な材質で作られているため、1〜2年で寿命がつきる。この他、最近ではペレットストーブなども出てきている。これは、間伐材などでつくったペレット(粉にした木材を再び小さな固まりにしたもの)を自動的にストーブの中で燃すもので、省エネと間伐材利用の面から、自治体が補助金を出して設置を推奨している例もある。

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 薪ストーブの命は薪にあることは前にふれた。私も、当初はなにも解らず市販の薪を買う以外に方策が無かった。通常、市販の薪はナラ材かクヌギ材が最も多く、薪に適していると言われている。最近では鉄板製ストーブの普及からカラ松の間伐材や赤松など松系の薪も売られている。松系のものは多少乾きが悪くても油分が多いため燃えやすい。これに対し、ナラやクヌギなど広葉樹系は乾いていることが絶対条件となる。また、松系の薪は油分が多いため、燃焼が早く高温になるため鋳鉄製のストーブでは使用してはならない。鋳鉄が割れてしまう場合があるからだ。

 我家の薪ストーブは鋳鉄製である。従って広葉樹系の薪を使っている。市販に多いナラやクヌギは、よく燃え、適切な温度を保ち、また、見た目の良さで人気が高い。しかし、先にも触れたようにきちんと乾いていない場合が多いのだ。そのわけは、薪にして2〜3年ストックして乾かすにはそれなりの手間と場所が必要になる。風通しの良い雨のかからない場所での保管が必要で、雨ざらしにすると1年で腐り始めてしまう。今ひとつは、保管中に薪の中に虫が入り小さな穴を開け、特に樹皮と本体の間が食い荒されて樹皮がはがれてしまうものが多く出る。これでは売り物にならない。そこで早目に売ってしまうことになる。

 しかし、よく考えてみると、薪としての価値は見た目ではない。よく燃えるか否かが重要である。私の場合、樹皮がはがれたり、穴だらけになることなど全く気にしていない。火持ちが良く、暖かく、炭火のようにゆっくりと燃え尽きていくことが大切なのだ。

 このような理由で、薪は3年分保管することをおすすめしたい。市販の薪ならば購入してから最低1年、出来れば2年保管してから使用する。そうすれば、ストーブの中の炎の違いに驚きをもって気づくはずだ。

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薪を乾かす
(2〜3ヶ月は風雨にさらす)

薪置場
(保管中)

薪小屋の風景
(現在使用中の薪)

 ここから先は少し余談。鋳鉄製ストーブを使う場合、ナラやクヌギ材が総合的にみると最も良い。これは事実であり、市販の薪はほとんどこれだ。火付き良く、よく燃え、温度も適切で火持ちもそこそこである。私が保管している薪の約60%はナラとクヌギである。しかし、残りの40%は他の広葉樹を意識的に集めている。ナラやクヌギの良さは、あくまで総合的に考えてのことであり、薪として必要なひとつひとつの要素に対して全て一番良いということではない。焚きはじめや、特に寒い場合、少しでも早く暖めたい、こんな時はナラやクヌギが良い。しかし、適切な温度に暖まり、あとはこの温度を持続させることが望まれる場合は、これらの材はもったいない。むしろ、ナラやクヌギのように温度は上がらなくても、ゆっくりと火持ちのする薪が効率的だ。こういう場合、私はアカシアか、ケヤキを使っている。この2種の材は、昔から薪に向かないと言われてきた。それは、燃焼時の匂いが独特で気持ち良いものではない。特にケヤキは目にしみる。しかし、昔の囲炉裏ならいざ知らず、密閉されたストーブの中ではほとんど問題にならない。ゆっくりとトロトロ燃え続ける価値は大である。

 また、柳系の木は水分が多く、乾かすと驚くほど軽くなり、すぐメラメラと燃え尽きてしまう。薪としては失格だと考えられている。しかし、焚きつけ用として最初に燃やすか、気づかぬうちに火が落ちそうになった時に使うと威力は抜群である。あっという間に炎を復活させる。用は使い様なのだ。

 こうしたことから、私はいろいろな材質の木を好んで集めている。今でも15〜16種類の材がある。ナラ、クヌギ、アカシア、ケヤキ、エンジュ、ヤナギ、クワ、サクラ、カエデ、リンゴ、クリ、モモ、ナシ、クルミ、カリン、サルスベリなどなど、その時々により種類は変わるがこんな調子である。

 これらの木々には、匂いや燃え方、炎の様子などにそれぞれ特徴があり面白い。一例を挙げると、栗の木はパチパチと音を立てて燃える。リンゴやモモはそれぞれの果実の匂いがする。特にモモの香りは強烈だ。これらの木々を、用途や特徴に合わせて組合わせて燃す。これは、もう遊びの世界でもある。材の組合わせ、薪の形状、ストーブ内での組み立て方などを工夫して思い通りの炎をつくるというこんな楽しい時間が持てるのだ。

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 最後は、どうやって薪を調達するかである。市販の薪を購入するのが一番手っ取り早いが、薪は高値である。ホームセンターなどで買えば一束安くて350円、通常400円〜500円はする。もし、我家の2台のストーブを一日燃やすとすれば10束近く必要だ。別荘などでたまに使うならいざ知らず、日常生活となるとやりきれない。

 そこで、多くの人は薪屋さんからまとめて購入するか、近くの森林組合などから丸太で買う方法をとっている。前者では、軽トラにザラ積み1台15,000円前後で、1ヶ月2台は必要となる。やはり高値だ。後者では、トラック1台、約5〜6トンの丸太が5〜6万、1トン1万円程の計算である。我家の場合なら少なくとも3台、1冬15万円以上の燃料費を必要とする。1台のストーブでも最低6万円前後はかかり、さらに、丸太を薪にするには、チェーンソーや斧(薪割用)が必要で労力も要する。薪ストーブは手間、ヒマ、金がかかることを覚悟しなければならない。

 そこで、いかに安く薪を得ることが出来るか。考えた末、私は薪づくりの作業を全て自分でやる方法を選んだ。山から木を切り出し、運搬し、薪にして、乾かし、保管する。ひと冬、12月中旬から3月中旬までの3ヶ月間の私の仕事は薪づくりに尽きる。こうして集めた薪が今、我家を暖めているのだ。おもしろいもので、こうして集めた薪を一束500円で売ってくれと言われても、売れるものではない。一束の薪づくりに要した苦労を思うと、到底500円には替えられない。買えば高いと腹が立っても、自分で作ってみると薪屋さんの苦労が身にしみる。現金なものである。

 薪づくりを全部自分でやるには道具もいる。まず、チェンソー2台(木を倒すための大型と枝落し用の小型)、運搬用の軽トラック、ヘルメット等の安全グッズ、くさびやチルホール(木を思いの方向に倒すための機械)、出来れば薪割機などなど色々な物が必要である。これらを全部ととのえるには200万円前後かかってしまう。また、道具を動かすための燃料や修繕費、切り出す木を買うための費用などランニングコストもバカにならない。最も大きいのは自分の労働力だ。考えてみると割に合わない。10年前後の期間限定なら買った方が安値であることに気づく。そろえた結果、後の祭り、ということになりかねないのでご注意を。

 しかし、私はこう考えている。薪ストーブの楽しみは、木を切り倒すことから始まっている。木の調達から伐採、運搬、玉切り、薪割り、乾かし、保管、それら連続した毎年の作業が、今、薪ストーブを赤々とさせている。定年後の第二の人生に、冬場の有意義な、しかも、素晴らしい男の仕事を与えてくれている。

 次の写真は、畑の土手にあるくるみの古木を取り除いてほしいとの依頼を受けて切り倒したものである。こうした依頼はよくあることで、依頼主も業者に頼めば数万円の経費がかかるが、私のような立場では費用はかからない。その代り、切り倒した木は薪として頂くことにしている。つまり、ギブアンドテイクの関係である。
はしごをかけて太い枝を落とす作業 チェーンソーを入れた木が
ゆっくりと倒れていくところ
運搬しやすい大きさに切り分けている作業
(玉切り)

 長々と書き連ねてきたが、最後にひと言。若い頃から待ち望んできた田舎暮らしの中で、やりがいのある仕事と生活に豊かさを与えてくれた薪ストーブに感謝しなくてはなるまい。





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