創業の原点


全社員の物心両面の幸福を追求する

経営者となった忘れ難き瞬間

 当社はその名の示すとおり、長野県松本市でソフトウェア作製を生業としています。発電用ダムに埋設されている各種計測センサーから計測値を自動収集し、各計測値からダムの挙動を把握して、ダムの安全な維持管理の一端を担うシステムの構築運用が主な事業内容です。そこで培った技術を自動倉庫の管理や営業支援などのシステムなどに応用し、大手企業から地元の中小企業まで幅広くお取り引きをいただいているところです。

私が会社を立ち上げたのは2011年。

しかし、それまで私は自分が会社を経営するなど夢にも思ってはいませんでした。私の前職は同じソフトウェア開発会社の営業職で、肩書は常務でした。同社のダム計測関連の業績は少しずつ低迷していましたが、決定的となったのが東日本大震災による福島第一原発事故でした。事故のあおりで、仕事が激減する公算が大きくなったのです。「六月三十日を以て、ダム計測事業は閉鎖し、全員を解雇する」 震災の二週間後にオーナーが下した結論はあまりに突然でした。事業閉鎖による影響を懸念した私は、保守業務を行う三名の社員だけは解雇しないという了解を取り付け、受注済みの仕事をこなしながら猶予期間の中で三名を含む社員全員の引き受け先を探すことにしました。ところが、結果的に雇用関係の成立を見ることはなく、五月二十日、ついに閉鎖の運びとなりました。 いま考えても、どうして私の口からそんな言葉が出たのか分かりません。お客様や解雇になる社員を守らなくてはいけないという一念が私にそう言わしめたのでしょうか。最後の会合の場で私ははっきりこう言ったのです。  

「では、私がやります」  

この一言で、私は事業家として一歩を踏み出すことになりました。​​


永続企業を目指し社員を育成

 役員だったとはいえ私は一サラリーマンです。事業を興すにも資金やノウハウは持ち合わせていません。幸い前職のオーナーからまとまった資金を借り入れることができ、七月一日に会社を設立しました。

父危篤の一報が入ったのはその翌日のことです。六日後に天界へと旅立ちましたが、まるで独立を見届けてくれたかのような最期で、私にとっては経営者となる決意を誓う大きな節目ともなりました。

当社は創業五年目で、社員数も八人と、まだまだこれからの会社ですが、一つ自負できるものがあります。

お客様と積極的に関わりながら、一緒になってシステムを作り上げ、仕事の輪を広げてきた実績です。先に述べた倉庫管理や営業支援のシステムもそういう中で生まれました。単なる技術者の集まりではなく、お客様の視点に立ったノウハウの積み重ねがあってこそ、本当の信頼関係は築けるものだと私は確信しています。 敬愛する稲盛和夫・京セラ名誉会長は「全従業員の物心両面の幸福を追求する」を経営理念に掲げておられます。あまりに共感する部分が多く、そのまま当社の経営理念とさせていただきました。システム開発も、最後には携わる社員の人間力いかんです。これからもよき社員を育成し、永続企業を目指し歩んでいく所存です。

──『致知』二月号/創業の原点 より
取材・執筆/致知編集部