sadato12さん 「デタラメ」をキーワードにして(私という現象の、そのつど性と連続性) 2014,8,12,

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sadato12といいます。
ホームページを読ませていただいています。「に縁って起きる現象である」という考えは、私には未知の考えでした。
私は、自分というのは(併せて自分にかこつけて、人間一般の一面の特徴として)本当にデタラメだと思っていました。自分がデタラメだということは、誰でもがああ、ああいうことかとすぐに分かる的なことに過ぎません。辞書を引くと、デタラメ(出鱈目)偶然によって特徴づけられる、またはそれに頼ること。結果に対する注意の欠如を示す。徒おろそか、いいかげん、無責任、ちゃらんぽらんがありました。私が自分の事を、これはまちがいなくデタラメだと思ったことがあります、それは自分が肺結核の長い闘病の中で、落ちればたぶん命の助からない穴ぼこの方が、面積的には多い道を通って来たらしいということです。いくつかの岐点で右か左かの選択は確かに自分でしたと思いますが、選ぶ基準があるわけではなく、蛇かトラのどちらかを選んだに過ぎず、丁半ばくちと変わりません。そして選択の度に、自分の中に生き抜きたいという執着が見苦しいというか、醜いくらいに強くあるのを知らされました。振り返って辿った道を眺めてみると、穴ぼこを意図的に避けて通り抜けていくということはありえませんでした。穴ぼこか、そうでない道かは結果でしか分からないのですから。これは100%「偶然によって特徴づけられた」ことでした。あれもこれも偶然、あらゆることが塞翁が馬の繰り返しです。良いと思ってする行為も、悪いと思ってする行為も、結果はハチャメチャです。それを後で良いことだった、悪いことだったと、ただ取り繕っているだけです。そして私はそのデタラメさの全量を、当然のように、誰もがそうするように、時には荷物のように(時にはたまに自負のように)持ち歩いていました。
ホームぺージで私が理解した範囲での「縁起」と言う考えの物差をこのデタラメさに当ててみました。何か別誂服を身体にあてがった感じ。
一瞬一瞬で現象する(一瞬の最小の単位は分かりませんが時間の本質と現象の本質は同じことをいっているのではないかと思います)。その現象は「縁って起こる」。この考えでは、私が答えとしたデタラメさ(時間的に繋がっていることが前提になって、デタラメという一つの結論を出した)ということが成立しなくなります。元々繋がっていないんだからデタラメになりようがありません。仮に一つの現象に反応したことがデタラメだったとしても、それらを鎖のように連結してデタラメさの全量を持ち歩くということなどはありえないことになります。私は、本当は少しも自分の意志など働かないのに、さも自分の意志で決めて来たかのように思っている自分の不明さをデタラメだと、否定的に結論しましたが、そのデタラメさの幹の部分を縁起の考えはさらに否定的に、ノコギリで輪切りするように、いわば時間の幹の中に縦に通っている水管を切断しました。
しかし私は、そのことによって、いろんな思いが金魚のフンのようにつながっている自分の背後が、黒板消しでさっと消されたような軽々した気分にもなれて、結果的にはたいへんよかった(実感としてはラッキーとかもうけとかたすかったという感じです)と思っています目の前に道は無い。君が歩いたあとが道になる。ああいやだいやだ。そんな道は全く要らないと思っていたので、自分が歩いたあとが一瞬で夏草に埋もれていく様は、自分への新しい眺め方で、渺々として、新鮮で得心のいく光景です。山頭火の句が浮かびました。分け入っても、しか浮かばなかったので検索して「分け入っても分け入っても青い山」と分かりました。「ああ夏山の緑は圧倒的だからな」という感想しかなかったのに、今の感想は、緑に埋もれたのんだくれ山頭火の前後左右上下まん中にも道はきっと無かったのだろうと思います。

自分はデタラメだという答えor感想は、生活感覚としてはこれからも有効だと思っています。
世俗諦と真諦という言葉を知りました。自分はデタラメだという考えは世俗諦に当て嵌まるかもしれないと思いましたが、その考えにこびりついている、自分は連続して在るという意識(縁起はこのことを否定しています)はそんなに簡単には剥がせないと思うと、まだ世俗そのままで諦はつけられないようです。
その世俗的にいえば、自分をデタラメだとする動機には、損得勘定がすごく働いているのだということが分かりました。自分の基本的なポジションは生き抜きたいという欲求なのだと思っています。その欲求が実は何の根拠もなく、空回りだったことは知りましたが、欲求は本来、根拠も理屈もなく、目前やちょっと先やずっと先の損得に反応します。闘病中の私は、少しでも安全なところに自分の身体を持って行こうとして、必死に右往左往していました(必死と右往左往は合わないような感じがしますが、ここではあえて必死に右往左往です)。吉村昭の「破獄」(テレビで見ただけです)の主人公、佐久間清太郎の脱獄行為には、意識において、必死に右往左往する気持において、私の闘病とよく似たところがあります。この身体を獄の外へという思い(私なら少しでも安全なところへ持っていきたいという思い。但し清太郎の思いの方が百倍強いですが)で、鉄格子に味噌汁の汁を毎日かけ続けたのです。針の穴ほどの可能性に賭けた、というより、それが必死でかつ右往左往の中味で、それしかないのだと思います。
清太郎についてはこんなことも考えました。彼は脱獄の欲求と同じくらいの強さで、絶望していたのではないかと。HPのノエシス、ノエマの項で説明されているように、誰もと同じに、彼もきっと自分を対象化していたと思います。そうして反省したり、何かいい考えはないか、いや方法は必ず見つかるはずだ、などと日々思考を深めていたはずです。と同時に、彼には対象化した自分の状況がまざまざと見え、その自分に救いの可能性が全く無いということも、つら突き合わせて見ていたのではないかと思います。脱獄の決意は変わらないけど、ノエマ自己に望みが全く無いという圧倒的な現実感の重みが、逆にノエマ自己からノエシスである彼に夏の西日のように照り返してきます。後ろに下がる余裕のない獄舎で、これは言葉の綾に過ぎませんが、絶望的な状況の自分を見ている自分を見ている自分の出現する隙間は無いかもしれません?

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sadato12さんから、再信 2014,10,25,

拝啓 曽我逸郎様
いつもhpを見させていただいております。

「人は自分の死を知ることが無い」のではないのかと考えました。あるいはこんな考えはすでに多くの人が持っている、ごく当たり前の考えだといわれるかもしれませんが。
身近の人や知っている人の死に接する時、いつも考えるのですが、みんな死について何も言わず、何の不平や文句もいいません。私は自分がこの半世紀余りずっと自分の将来の死について、文句をいったり、不平をいったりしているので、なおさらそのことが気掛かりになります。
「彼らは自分の死についてはまるで他人事のように扱っているように思える」という感想が浮かびました。そういえば死と言う知識や概念やイメージはみんな各々が他人の死の形を認識するという作業によって得られたものです。もとから他人事だったのです。
一切皆苦の中では、死への恐れが苦となること、死への恐れの反語である生への執着も苦となることが説かれていますが、その死を人は知ることが無いとすれば、死という苦は成立するのでしょうか。

14/10/25
sadato12

 

曽我から sadato12さんへ 2014,11,3,

前略

 メール頂戴しました。ありがとうございます。このところ釈尊の教えについて、ご意見を頂いたり書いたりすることが少なくなっているので、うれしく思います。

 「人は自分の死を知ることが無い」とおっしゃるのは、そのとおりだと思います。お葬式でも、式のさなかこそしんみりとしますが、それはみんなが空気を読んでふさわしく演じているだけかもしれません。準備や待機の時間には、結構軽口が叩かれ、笑い声がこぼれます。死ということに面と向かうことはなかなか難しいようです。だからこそキリスト教では、”メメント・モリ”「死を想え」という教えが説かれたし、仏教では、死の間際にある人の許可を得て、死後その身体に蛆がわき、腐敗し、流れ落ち、骨だけになる過程を傍らに座ってつぶさに観察し続けるという修行が行われたそうです。
 つまり、死を知ることが苦なのではなく、死は実感し難く、宗教は努力して死を直視することで苦を乗り越えようとしてきたのです。
 自分の死を知らないこと、自分がいつまでも存在すると思い込んでいることが、執着を可能にし、執着によって私たち凡夫は繰り返し苦を作り、周囲の人と自分とを苦しめています。
 だから逆に、自分が死ぬこと、死につつあること、有限であることを、単なる知識、一般論、他人事としてではなく、自分のこととして実感し腑に落ちて納得し、なにものをも(自分自身も)自分のものにしておくことはできないことを認識し、執着の愚かさを知ることが、苦の生産を停止し、自分と人とを苦しめることを停止することになります。

 もう少し踏み込むなら、私が存在して、何十年か生きて、その後で死ぬのではありません。「私」とは、持続的な存在ではなく、色身(肉体)という場所において、内外の様々な縁がぶつかりあい作用しあった結果起こるそのつどの不連続な現象であり反応です。刹那滅と言われます。私たちは、とぎれとぎれに、そのつど生じては消える現象であり反応なのです。いうならば、誕生と死を刹那刹那に繰り返しています。このことが、無常であり無我であり縁起ということです。
 「私」とはそのようなそのつどとぎれとぎれの現象、反応であり、縁のままに様々に消滅を繰り返しているのだと、自分のこととして腹に落ちて実感、納得できた時、執着の愚かさが痛感されます。なにしろ、何かに執着して自分のものにしておこうとしても、その自分がそもそも刹那滅の現象なのですから・・・。

 ここまで書いたことは、ペシミスティック、ネガティブに聞こえたかもしれません。もしそうだとすれば、執着の熾火がまだ残っているからです。無常=無我=縁起は、「な〜んだ、そうだったのか。そうならそうと早く言ってくれよ。そうすればこんなに力んで頑張って、苦労しなくて済んだのに」という教えです。
 つまり、釈尊の教えがもたらしてくれるのは、陰鬱ではなく、軽安です。身に降りかかるなにごとも、「ならばよし」と受け入れ肯定し、握りしめていたこぶしの力がほどけます。

 そして、その次にやってくるのは、まわりの人たちが執着のまま力んで互いに苦しめあい、自分を苦しめていることを悼み、それを少しでも軽減できないかと願う慈悲の反応です。

 お伝えしたいことがうまく言い表せていればいいのですが・・・

 すぐに返事できないかもしれませんが、またご意見お聞かせ願えれば幸甚です。

                          草々
sadato12様
       2014年11月3日             曽我逸郎

 

 

sadato12さんから 2014,12,7,

<さらに「私の意識が自分の死を知ることは無い」ことについて>

「私の意識が自分の死を知ることは無い」という意味のことをなんとか伝えたいと思って、さらに考えてみました。人の意識の上には、あるいは記憶の引出しには、各々に死について考えられるあらゆることが、死の項目としてあります。最初の頃の人は言葉は無くとも、死に直接結びつくような、恐ろしい獣や自然の変化や自然そのものへの恐怖を全身(意識も含めて)で受止めていたと思います。しかし、死に直接結びつくようなと書きましたが、恐怖と死が直接結びつくとは思えません。生きていたものが死に変化する、あるいはAであったものがAでなくなるということは、慣れてしまえばそんなものだろうということかもしれませんが、不可解なことだったと思います。今でも私などは不可解さがどうしても解消できません。恐怖のあまり死んでしまうことが仮にあったとしても、恐怖と死は別物ではないのかという疑問を持ちます。恐怖はそれがたとえ身体に物理的に作用するほどのものであっても、あくまで意識上で捉えられるものです。かたや、死は、生きていたものが死に変化する、AがAでなくなることであり、自己(意識)の外のあり方のひとつです。恐怖と死の関係は、言い換えれば、「自己の内と外」ということです。「内=私の意識=恐怖」「外=死=生きていたものが死に変化する、AがAでなくなることであり、自己(意識)の外のあり方のひとつ」ということになります。「私の意識が自分の死の概念を知る、あるいは考える」ということはありますが「私の意識が自分の死を知る」ということは、内(意識)が外(死)を知るということになります。他人の目で知るのでない限り、内の逸脱であり、それでは内ということもならず、外ということもならなくなります。内という言葉と外という言葉を突き詰めて考えたことがないので、実のところはよくわかりませんが、私には「内」も「外」もそれぞれに難しいテーマです。その二つが野合しているような「私の意識が自分の死を知る」知り方は無いと思いたいのです。
 なぜこんなにも「自分の死を知ることは無い」ということにやっきになっているのか、自分の背中が見えないといって騒いでいるのと同じで、そもそも捉えかたが間違っているのでないのかと思うこともあります。しかしこのことを考えることによって、私は長い間、抱えていた死恐怖症の束縛から自分が解かれたと感じています。前回に書きましたように、毎晩床に入ると、私は意識を無くし、死と同じ表情で眠りにつきます。その私にとって自分の死とは、毎晩床に入り、意識を無くし、眠りと同じ表情で死につくということになります。
 朝目が覚めると、頭の中が用事で詰まっていない時は、昨夜の自分がどんな具合にして今朝の自分に、機関車トーマスの毎朝のご挨拶のようにガチャンと連結したのか、覗き見してみますが、しかし気づいた時たいてい連結作業はほぼ終わっていてよく分かりません。しかし、仮に断線していてもいいような気もします。いや昨夜からずっと深い無意識の闇の中で魑魅魍魎じみて繋がっていたとしたら、そちらのほうこそ恐ろしい感じがします。断線は断絶ともいえます。「(本質があるならば)何ものも終末あることなく(不断)」であれば、断絶は本質のないことの特質でもあるわけですから、断線反対ではない私には有利な考えになります。床に入れば眠り、死については全く分からず、朝目覚めるかどうかも全く分からない、というのが私の意識の特質だということができる気がしてきましたが、分からないことが多すぎて自信はありません。
「お前は死恐怖症の束縛から自分が解かれたと喜んでいるが、まちがった考えや、誤解を納得して安堵しているだけではないのか、それに、ずいぶん自分自分と拘泥しているようだが、そのように考える自分はそもそも何ものなのか」などといろんな疑念の綻びが見えてきます。
 自分の死についてばかり考えていますが、たとえば親しい人や愛する人の死に会った時、ただ意識が無くなっただけで、眠っているのと同じと、果たしていえるのか。自問の中で、ブッダが説かれた中で対象とされている「死」とはどんなものなのかを考えてみました。それは「生きていたものが死に変化する、AがAでなくなることであり、自己(意識)の外のあり方のひとつ」であり「他のものの死=物理的な変化」であり、そしてそれをどのように人が理解し知るのかという知り方が説かれていると思います。それがなぜ説かれ、人がなぜ知りたいのかというと、知らない、あるいはまちがった知り方をしていることから生じてくる、さまざまな問題(ゾウリムシやイソギンチャクの生き延びようとする欲求がDNAに書き込まれたものであるのに比べ、人が過剰な欲望として生き続けること、ホモサピエンスであることそれ自体ーhpにはそのようにありましたー)に、人自身の心が破壊されるからだと思います。人は本来、進化のずっと早い時期にそのことに気づくべきだったのでは、とこれもhpで読んだ気がしますが、どこだったかは分かりません。しかしそれではずっと以前に、人は温和このうえない、稀な動物として、滅亡していたかもしれません。
 心が壊れる、心がひび割れる、最近では心が折れるなどといいます。現代的な響きがしますが、hpで読ませていただいたブッダの四門出遊の動機になった嘆きも、ビビットで現代的です。進化的にはそれほど早くはありませんが、前述の、滅亡していたにちがいない稀な動物として、ブッダが発現したのかもしれませんなどというと失言になるのでしたら、取り消します。インドの人は数字に非凡な才があり、天文学的数字の表現はダントツというのを本で読んだことがあります。谷川俊太郎の詩集「二十億光年の孤独」の表題の、その二つの言葉のイメージの発想と斬新さにびっくりした記憶があります。二十億光年をたぶん別な言い方で表現できるインドの人と、地上で孤独されるブッダが重なってくるように思えます。嘆きを発想されるブッダの位置の高さが、インドの人的であり、現代的だとそのように思えます。
 変な言い方をしますが、ブッダが説かれたという「縁起」のしくみ、メカニズムは、たとえば前述の「二十億光年の孤独」の二つの言葉のイメージのぶつかり合いによく似ている気がします。これは縁起の連鎖の輪の一つに過ぎず、詩の技巧の一つといってしまえばそれだけのことですが、hpにある蛇口から噴き上がる水飛沫の激しさも彷佛とさせますし、言葉の説明用語としての機能に加えて、イメージの喚起力も少しは理解に役立つのではと思います(言葉を呪文のように使うという意味では決してありません)。壊れまいとする詩人の心も、インドの人の心も同じであれば、ブッダの説かれたこともあるいは梵天勧請にあるようにタクアンのしっぽくらいは、人に理解できる余地は残されているかも知れないと期待してしまいます(私はまだまだなかなか無理ですが、勉強します)

2014/12/7
曽我逸郎様
                     sadato12

 

曽我から sadato12さんへ 2015,1,14,

前略

 大変遅い返事になって、申し訳ありません。
 先にいただいたメールが久しぶりだったので、うれしくてHPに上げようと思ったら、パソコンを替えたためにうまくいかなくてめげたり、もろもろの用事で慌ただしくしておりました。
 今日は少し時間が取れるので、返事を書き、HPへの掲載にも再挑戦してみます。

 sadato12さんは、普通の人よりもはるかに深く死について考え、死を感じておられると思います。普通の人は、死を何十年後か先にやってくるものと考えていますが、sadato12さんは、毎日眠りに落ちて意識が途切れることを一種の死として捉えておられる。
 おっしゃるとおり、死を自分のこととして知るのは、たいへんむずかしいことです。死に対するsadato12さんの実感に比べると、私のは底が浅く、屁理屈の度合いが高いのかもしれませんが、ご容赦いただいて、拝読して感じたことを書きます。

 死については、段階というか、いくつかの種類を考えることができます。生物学的、また医学的、あるいは常識的には、死は、何十年か先にやってくるものでありましょう。だから、凡夫はそれを実感しないまま執着の喜びに耽ることができます。
 もうひとつの死は、sadato12さんが捉えておられるような意識の途切れです。これは、釈尊の教えにつながる捉え方だと思います。ただし、釈尊の教えでは、意識は熟睡の間だけではなく、目覚めて行動しているときも、断滅を繰り返しています。言及していただいた噴水の滴の比喩のように、無数の意識が次々とばらばらに噴き出しています。これを、仏教では刹那滅といってきました。それらばらばらの脈絡のないそのつどの意識を掻き集めて、「わたし」というカテゴリーに入れることで、あたかも何十年か持続する「わたし」が実在するかのように思いなしています。あるいは、妄想された「わたし」というカテゴリーによって、脈絡のない断滅するそのつどの意識につながりをつくりだしている、といってもいいでしょう。その結果、「わたし」は存在していると思い込み、大切な「わたし」を守り育てねばならないという我執の反応が立ち上がります。
 釈尊の教えは、自分をクローズアップのリアルタイムでつぶさに観察し、そのつどそのつど脈絡のない意識が次々と起こっては終わり断続するさまを見て、存在し続ける「わたし」(アートマン)は存在しない、妄想であったと納得せよ、そうすれば執着は鎮静化し、苦をつくることはなくなる、というものです。
 自分がそのような刹那滅の現象の断続であって実体的存在ではないと納得できれば、いずれやってくる「死」への恐怖は、おそらく霧消するでしょう。
 sadato12さんが「私の意識が自分の死を知ること」とおっしゃる意味を正しく理解できていないかもしれませんが、釈尊の教えに従えば、自分の意識が次々に細切れで起こっては刹那滅するさまは、知ることができるのです。勿論そのためには、戒定慧の三学や八正道といったプログラムを順を追って正しく修行することが必要ですが…。

 頂いたメールへの答えになっていなければご容赦ください。

 またご意見お聞かせください。
 ありがとうございました。
                            草々
sadato12様        2015年1月14日              曽我逸郎
 

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