ムニムニさん 続きのやりとり:法無我と人無我、無我と主体性と自動的反応 2011,2,26,

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 曽我様

 返信ありがとうございました。

 曽我様からのメールで、なぜ、無我と主体性が両立するのか、なぜ、釈迦もそう考えていたと思うのか? というご質問をいただきました。ありがとうございました。今回は、後ほどこの問題を中心に議論をしてみたいと思います。このメールの第3節「なぜ釈迦において無我と主体性が両立しているのか」に、この課題について書かせていただきたいと思います。中心的な論点として、ある程度、釈迦の思想の全体像にまで拡げて書かせていただきたいと思います。長い文章になってしまうかと思いますが、どうかご容赦ください。

 なお、その前に、曽我様からご意見をいただいた現在議論の対象となっていることについて、2点ほど私なりの感想を述べさせていただきたいと思います。

1 釈迦における人無我と法無我の関係について
 まず、「見るべきは、世界か、自分か?」で議論されている人無我と法無我の関係に関してですが、これについては、相違点は残っていますがなんとなく議論は発散せずに収斂する方向にあるのかなぁという感じがしています。
 釈迦が法無我を見通したうえで、人無我を考えていたという曽我様のお考えには、私も同感です。
 すべての事象が生成変滅する中で自分自身もその例外ではなく、(しばしば人はこの事実を忘れ恒常不変の自己を想定し、無常なる自分自身や世界とのギャップの中で苦しむのですが)、そのことに気付くことによって老いも死も失うことも苦としてではなく受け入れられるようになる。このようなことが釈迦の考え方であったろうと思います。

 ただ、これは私の誤解かもしれませんが、「世界が無我であることを強調すると、世界の本源を想定するようになり、そして世界の本源と自己が同一のものの展開であると考えるようになり、ひいては無我であるはずの自己が肯定されて無我でなくなってしまう」という曽我様のお考えは今ひとつ理解できません。なぜなら、この考えが成立するためには、「世界が無我であると考えているにもかかわらず、世界の本源が実在すると考える」ということと「世界が無我であると考えることによって、自己が世界の本源の展開であると考えるようになる」という2つの条件が必要だからです。
 最初の「世界が無我であると考えているにもかかわらず、世界の本源が実在すると考える」ということはそれ自体が矛盾しています。世界が無我であると考えるならば世界に本源たる実在が存在すると考えることは不可能ですし、逆に世界に本源が存在すると考えているのであれば世界は無我ではないと考えていることになります。「法無我を重要視するとブラフマンを想定するようになる」という考えは「人無我を重要視するとアートマンを想定するようになる」と考えるのと同様に論理に自己矛盾をきたしてしまっています。
 2つめの「世界が無我であると考えることによって、自己が世界の本源の展開であると考えるようになる」ことについては、それ自体が矛盾しているわけではありませんが、なぜ、世界が無我であると考えると自己が世界の展開であると考えるようになるのか、その理由がよくわかりません。世界が無我であると考えることと自己が世界の本源の展開であると考えることにどのような論理的な関係があるのでしょうか。
 すみません、別に曽我様を非難している訳ではありませんが、ことさらに法無我を危険視する必要はないのではないでしょうか?

2 主体性と自動的反応について
 もう1点、主体性と自動的反応についても、私なりの感想を述べておきたいと思います。
 曽我様のメールにあった「テレビで鍋を食べてるシーンを見て、『ひさしぶりに蟹すきでも食いに行くか』と考えるのは、主体性なのか自動的反応なのか。 身なりのいい人が店に入ってきた時、洋服屋さんが愛想良く笑うのは、主体性? 自動的反応? パチンコで負けた人が、次は勝つぞ、と必勝法を研究するのは、努力? 何が言いたいかというと、自動的反応と見るか主体的努力と考えるかは、見方次第であって、線を引いて峻別できるものではないということです。」というのは面白くかつ考えさせられるご指摘です。
 テレビで鍋を食べているシーンを見て、「久しぶりに蟹すきでも食いに行くか。・・・まてよ、医者から減量するように言われてたよな。やっぱりやめておくか。でも食いたいな。給料もらったばかりで懐具合はいいからな。そうだ、食べに行く代わりにスポーツクラブで汗を流せば大丈夫かな。そうだ、食いに行くならあいつを誘ってやろう。前から蟹が食べたいって言っていたし、世話にもなっているからな。」等々々、行くか行かぬかさんざん迷ったあげく、結局友人と食事に行くことにしたり、最近客足が落ちている洋服屋さんが、廃業するか積極的にうってでるか思い余って商工会の中小企業診断士のアドバイスを求めて、思い切って店の改装をすることを決断したり、人間は日々、迷い、考えつつ、さまざまな選択肢の中から判断と決断を行っています。
 テレビで鍋を見ていた人の前には、蟹すきを食べに行くという選択肢と食べにいかないという選択肢があって、彼にはどちらの選択も可能であり、彼は悩んだあげく自ら食べに行くことを選択したのです。この行為をどう捉えるべきでしょうか? 様々な選択肢の中からどの選択肢を選ぶのかはあらかじめ決定していた訳ではなく、彼はあれこれ考えて自らの判断で食べに行くことを選んだわけですから、これは主体的な行為であるということができます。一方で、その行為のおおもとのところには、おそらく人間が生命として生きていくための遺伝子レベルに刻み込まれた本能が潜んでいて、その本能の命ずる状態が実現するように行動や嗜好の方向が与えられるのでしょうから、「自ら考えて決断することも含めた行為全体」が高度化された自動的反応であると名付けることも可能かもしれません。
 例えば種を維持し遺伝子の複製を造るという生命としての本能があり、そのために人間は恋愛感情を抱くようにプログラムされている。そうすると好意をもった異性を口説こうとするのは、おおもとのところでは生命にプログラミングされた自動的反応であるということができますし、一方で食事に誘おうか、それとも映画に行こうかと考えたり、なんらかの社会的状況を判断して口説くことを断念したりということを、自らの意思に従って実行することも可能です。このような意味において、曽我様が仰られるとおり「自動的反応と見るか主体的努力と考えるかは、見方次第であって、線を引いて峻別できるものではない」というご指摘は当たっているのかもしれません。

 ただ、人間の行動を高度化された自動的反応と名付けたとしても、ここで考慮にいれる必要があるのは、人間の行動はゾウリムシの行動のような機械的、自動的反応ではないということです。人間が考察や判断を行って行為を決定しているということを捨象してしまうと思考の迷路に迷い込んでしまいます。人間は、根もとにある遺伝子レベルで刻み込まれた本源的な生存への意欲、欲望といった方向へ行動をおこしていることは間違いないでしょうが、ゾウリムシのように単純に生存へのプログラムと行為が結びついているのではなく、あれこれ戦略を考え(曽我様の言う対応を様々にシミュレートすることに相当するのかもしれません)、とりうる選択肢(いくつかのシミュレートされた選択肢?)を比較し、悩んだあげくに自ら判断して行為を行っているのです。これを意図や選択の自由の働かない機械的・自動的反応と理解すると、実際の観察結果と合わないとても奇妙な世界が出現してしまいます。

 前回のメールで、この奇妙な世界について述べさせていただきました。しつこいようですが、今回もこの点について少し追加の議論をしてみたいと思います。人間の行動を判断、選択の自由のない自動的、機械的反応だとしてみましょう(カオス的な要素やランダムな反応が入ってもかまいませんが、意図的な行為はとれないものと考えます)。このとき出現するのはどんな世界でしょうか? この場合、人間には意図的な判断による選択はできないのですから、AとBの選択肢があった場合にその選択を自由に行うことはできないことになります。そして自由な選択の代わりに自動的な反応としていずれかの選択がなされることになります。例えば、犯罪者に対するのに、刑罰をもって臨むべきか、教育をもって臨むべきかという政策の選択肢があった場合、意図的な判断ができる世界では、あれこれ考えて、どちらの政策がより優れた政策かという価値判断が行われ意図的に決断がなされることになりますが、意図的な判断のできない世界では、自動的な反応として結果的にどちらかの施策がとられることになります。このような自由な選択がとりえない世界では、もはや価値判断は無意味です。選択の自由がある世界では、人間がその価値判断に基づいていずれかの選択肢を選ぶわけですが、選択の自由のない世界では、いかなる価値判断があろうと自由に選択肢を選ぶことはできず、何らかの選択肢が自動的な反応の結果として選択されるということになります。
 このような世界では、良い縁も悪い縁もありません。自動的な結果としてそうなっているだけであり、それを意図的に変えることもできません(自動的な反応の結果として変わってしまうことはあるかもしれませんが・・・)。
 犯罪に対する刑罰の例で言えば、厳密な意味で主体性の存在しない世界においては、犯罪者に対する刑罰も誰かの意思や判断によって与えられているのではないということになります。刑罰は誰かが判断して与えているのではなく、自動的な反応の結果として、与えられてしまっているにすぎません。しかも、それを意図的に刑罰から教育へと修正することもできません。(自動的な反応の結果として変わってしまう場合はあり得ますが、意図して変わるものではありません)。このような世界では、刑罰に賛成だとか反対だとかいう議論は意味をなしません。もし、刑罰に賛成であるとか反対であるとかいう議論が存在するとすれば、それは意図的な政策変更が可能であるということを暗黙の前提にしてしまっていることになります。
 主体性が存在せず、すべてが自動的反応によって決定されるという世界を想像すると、これはとてもシュールな世界と言わざるをえません。現実世界の観察とも合いません。旅師まさ坊様の質問にもありましたが、反射によらない主体的行為はあると考えざるをえないのではないでしょうか。

 また、これは理論上の問題ではなく現実的な角度の話になりますが、「人間の行為は主体的に行われておらず自動的反応であるから、その行為には一切の責任は伴わない」と考えるのは、とても危険でもあります。犯罪者を更生させるのに刑罰よりも教育をもって臨むという考えはありえるでしょうが、刑罰をもって臨もうと教育をもって臨もうと、そこには必ず自らの行為に対する責任と反省の自覚が必要です。アングリマーラも釈迦に諭されて自らの前非を悔い釈迦の弟子となったのです。そこには自らの行為に対する責任と反省についての強い自覚があったはずです。主体性が存在しないと主張するということは「あなたの行う行為は、あなたの意思によって行われるのではなくて、縁に導かれて行う自動的な反応に過ぎないんですよ。だから何をやっても、あなた自身の選択や決定による行為ではないんですよ。したがって何をやってもあなたの責任ではありませんよ。」と言っているということです。何をしても自分の責任ではないという発言を真に受けた人が欲望のままに好き勝手なことをすることになれば、それはとても危険なことだと思います。「他人が持っているものが欲しくなったら、他人を殺してでもそれを奪う、そしてそれは自動的な反応であって、自分の意思で主体的にやっているのではないから、自分には何の責任もないと思い込む。」これはとても危ない考え方ではないでしょうか? 自らの行為に対する責任の問題と、それに対して刑罰を与えるべきかどうかという問題は、峻別して考えなければなりません。

3 なぜ釈迦において無我と主体性が両立しているのか
 この説明に入る前に、旅師まさ坊様にならって、私がなぜこのように考えるようになったのかというお話を少しさせていただきたいと思います。どうでもいい個人的な話をするようで恐縮ですが、少しお付き合いいただければ幸いです。
 以前、さる事情で生き方についていろいろと悩んでいた時期がありました。その時出会ったのがスッタニパータでした(もちろん原文ではなくて岩波文庫の日本語訳ですが)。とても示唆に富んだ書物でした。その後、あれこれ仏教関係の書物を読むようになり、そこで無我説を知りました。とても衝撃的な考え方でした。自己が存在するのは自明の理だと思っていたところに、実は自己などというものは存在しないのだよと言われて、私はこの考え方に夢中になりました。自分なんて存在しないということが承知できれば、これまでのつまらない悩みなどすべて解消してしまいます。私はこれこそが釈迦の教えの核心であると確信しました。そして、釈迦の教えのコアになる部分が無我説であるということを納得したくて、スッタニパータやダンマパダなどを何度も読み返しました。特にスッタニパータに関しては、この時期、ほとんど毎日のように読み返していました。そして、
「〈われは考えて、有る〉という〈迷わせる不当な思惟〉の根本をすべて制止せよ。内に存するいかなる妄執をもよく導くために、常に心して学べ」(916)
 などの記載を確認して喜びました。
 しかし、これらの書物を繰り返し、繰り返し読むにつれて、徐々に確信よりも疑問の方が強くなってきたのです。スッタニパータには、実は、無我説に関する記載はあまり多くないのです。自己が存在しないという真理を知ることによって清涼になれるという記載はとても薄くて、実際のところ、そう読める記述はごく少ししかないのです。自分が釈迦の教えの核心だと信じている無我説について、なぜ釈迦はあまり言及していないのか? 疑問が深まっていきました。
 他にもいくつか疑問がわいてきました。第4章のアッタカ・ヴァッガでは、論争を行うバラモンたちへの批判の記述が繰り返し出てきます。そして、真のバラモンはいかなる見解にも学識にも依拠しないと述べられています。これは無我説の主張とどういう関係にあるのか? 釈迦は無我説にも依拠しないのか? その頃読んだ中村元博士の著作に、初期の仏教には信ずべき対象としての人格も教義も存在せず、釈迦の悟り自体が不安定で曖昧模糊としたものであったとの記述も見かけました。 釈迦の教えにはいかなる見解もなかったのか? 何らの見解も持たずに真理や解脱を論ずることがいったい可能なのか?
 スッタニパータのこれらの部分については、釈迦の真意を表していないものとして捨象してしまった方がいいのか? それとも、何らかの統一的な解釈をあてはめることができるのか? ずいぶん悩みました。 悩みながら、それでも、釈迦の真意を探してスッタニパータの古層といわれる4章アッタカ・ヴァッガと5章パーラーヤナ・ヴァッガを何度も読みまくりました。
 そして、その結果、これまでの自分の考え方を修正する、ある考え方にたどり着きました。この考え方はよく言えば私の独自の考え方、悪く言えば勝手な解釈で、伝統的な考え方とは違っている部分も多いと思いますし、曽我様がお読みになれば「そりゃ違うだろう」というようなところも多いと思います。ぜひ、ここがおかしいだろうという点を指摘していただきたいと思っています。前置きがずいぶん長くなりました。それでは順次説明していきたいと思います。本邦初公開です。

(1)釈迦の思想の外枠(釈迦の基本的な方法論)
 なぜ釈迦において無我と主体性が両立しているのか? このことを説明するためには、釈迦の思想の外枠ということから説明を始める必要があります。外枠という言い方がいいかどうかよくわかりませんが、適当な用語が見つからないのでこう表現させていただきます。これは何かというと、議論の対象とすべき事項と、議論の対象とすべきではない事項との仕切りということです。釈迦はこの仕切りを厳密につけていたのだと思います。
 釈迦は、世界に果てがあるかどうか、あるいはこの世に終わりがあるかどうかなどといった形而上学的な事項については無記をもって対応し、議論を行わなかったと言われています。順次説明していきたいと思いますが、この仕切りは釈迦の思想を理解する上で極めて重要な「キモ」となるべき事柄だと考えられます。釈迦が形而上学的な事項を議論の対象としなかったのは、単に答え得ぬことについて沈黙を守ったのでもなく、不毛な論争で時間を無駄にしたくなかったのでもありません。もっと積極的な意味があったものと考えられます。
 釈迦は自分の理論を構築する上で、観察された事実のみに依拠し、観察できない事項を理論構成から排除しようとしたと考えられるのです。釈迦はこれを徹底し、観察され得ないすべて、現実を説明するために仮説をたてることをも排除しました。一般には(現代の科学でもそうですが)観察された事実の原因や仕組みを理論的に説明するために何らかの仮説を立てて、その仮説が正しいかどうか議論や論争がおこなわれることになります。しかし、釈迦はそれを捨てたのです。仮説そのものは観察しうるものではなく、事実を説明するために想定されたものにすぎないからです。
 一般に、仮説が正しいかどうかは、現実をより説明しているかどうか、より説得力があるかどうかで争われます。当時のインドにあっても、さまざまな思想家がさまざまな仮説を立てて争っていました。もっとも現代社会ではありませんから、その仮説は、多くが科学的というよりは宗教的あるいは哲学的な仮説であったと思われます。梵我一如といった考え方もその仮説群の中にあったことでしょう。釈迦は、科学的であれ宗教的であれ哲学的であれ、仮説を立てて現実を説明することを拒絶し、観察された事実によって明らかとなったことのみに立脚することとしたのです。釈迦がいかなる見解にも依拠しないと言い切ったのはその意味です。ここで見解とはいわゆる哲学的(あるいは宗教的)仮説のことと理解してよいと思われます。

「或る人々が『真理である、真実である』と言うところのその(見解)をば、他の人々が『虚偽である、虚妄である』と言う。このようにかれらは異なった執見をいだいて論争をする。何故に諸々の〈道の人〉は同一のことを語らないのであろうか?」(スッタニパータ883)
「かれらは自分の教えを『完全である』と称し、他人の教えを『下劣である』という。かれらはこのようにお互いに異なった執見をいだいて論争し、めいめい自分の仮説を『真理である』と説く。」(904)
「一方的に決定した立場に立ってみずから考え量りつつ、さらにかれは世の中で論争をなすに至る。一切の(哲学的)断定を捨てたならば、人は世の中で確執を起こすことがない。」(894)
「かれは、すでに得た(見解)[先入見]を捨て去って執着することなく、学識に関しても特に依拠することをしない。人々は(種々異なった見解に)分かれているが、かれは実に党派に盲従せず、いかなる見解をもそのまま信ずることがない。」(800)

 すべての観察され得ない事項を自らの理論体系から排除し、観察された事実のみに立脚することによって、釈迦の思想は「説得力のある仮説」ではなく、まさに真理そのものであると言い切ることが可能となったのです。この時点で釈迦は仮説をもとに論争を繰り返す他の思想家とは全く別次元に立つこととなりました。釈迦の理論は哲学的な仮説でもなければ、宗教的な信仰でもなく、まさに真理であることが保証されることになったのです。

 釈迦が信仰を捨てよと言ったこともこの文脈で理解される必要があります。
「(師ブッダが現われていった)、『ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の領域の彼岸に至るであろう。ピンギヤよ。』」(スッタニパータ1146)

(2)釈迦にとって無我とはどういうものだったか
 釈迦が観察された事実のみに依拠して、観察されない形而上学的な事項や仮説には一切依っていなかったということを念頭に置いた上で、次に、釈迦にとっての無我論とはどのようなものであったかということを検討してみたいと思います。
 曽我様もご存じのこととは思いますが、初期の仏典において無我説を直接説明しているものとしては、パーリ律蔵の大品(マハーヴァッガ)が有名です(なお、同様の記述はサンユッタ・ニカーヤにもでてきます)。五蘊のひとつひとつについて、なぜアートマンではないのかということの説明がなされています。五蘊のそれぞれについて同じ説明が繰り返されていますので、ここでは冒頭の色の部分についてだけ引用してみたいと思います。

「さて、幸あるお方は、五比丘に告げた。『色かたちは自己ではない。というのも、比丘たちよ、もしもこの色かたちが自己であるならば、この色かたちは病をもたらすことはないであろうし、だからまた色かたちについて、私の色かたちはこのようであって欲しい、わたくしの色かたちはこのようであって欲しくない、というような状況が得られるであろう。しかし、比丘たちよ、色かたちは自己ではないから、色かたちは病をもたらすし、だからまた色かたちについて、わたくしの色かたちはこのようであって欲しい、わたくしの色かたちはこのようであって欲しくない、というような状況は得られない。』」

 以下、同様の説明が五蘊(色、受、想、行、識)のそれぞれについて、繰り返されています。釈迦は五蘊(すなわち心身)のいずれの部分をとってみてもそれは自己(アートマン)ではないと述べているのです。そしてその理由としてあげられているのは、五蘊のどれについてみても、もしそれがアートマンであれば思いどおりになるはずだし病にかかることもないが、実際には、思いどおりにはならず病にもかかる。それゆえに五蘊のいずれもアートマンではないと述べています。アートマンは自己の主宰者で常住不変なるものと考えられていました。釈迦は心身のどこをとっても、それは、思いどおりにコントロールできる主宰者でもなければ、また病気にかかる、すなわち常住ではなく変滅するものである、それ故にアートマンではないと述べているのです。
 観察された事実のみに依拠し、観察され得ない形而上学的な事項や仮説に依らないという釈迦の方法論と照らし合わせて、この説明を改めて見てみると、この無我に関する説明はとても釈迦らしい説明であるということが分かると思います。すなわち、自分自身を観察してみたときに、それは変滅するものであり、自由にはコントロールできないものであることが観察できる。しかるにアートマンの定義は常住不変なる自己の主宰者であることから、自分自身はアートマンではありえない。というもので、これは観察から明らかとなった事実なのです。
 ここで注意しなければいけないのは、釈迦は自分自身を観察してそれがアートマンではないと言っていますが、そもそもアートマンなるものが存在するのか存在しないのかということについては言及していないということです。自分自身がアートマンではないということは観察できるが、アートマンの存在や不存在は観察することができない。したがって、釈迦にとってアートマンの存在や不存在は考察の対象外であり議論すべき事項ではなかったということです。釈迦にとってはアートマンの存在、不存在は無記をもって対応すべき事項だったということです。
 アートマンとは常住不変の自己の主宰者であり、それ自体は究極の自己ともいうべきもので、認識の客体とはなり得ないものと考えられていました。釈迦より古い時代の思想家になりますが、ヤージュナヴァルキヤは次のように述べています。
「すなわち、あたかも二元があるかのような場合、一方が他方を見、一方が他方を嗅ぎ、一方が他方を味わい、一方が他方に語りかけ、一方が他方を聞き、一方が他方を考え、一方が他方に触れ、一方が他方を知る。しかし、この者にとって、一切がまさしく自己となった場合、この者は、何によって何を見るのであろうか。何によって何を嗅ぐのであろうか。何によって何を味わうのであろうか。何によって何に語りかけるのであろうか。何によって何を聞くのであろうか。何によって何を考えるのであろうか。何によって何に触れるのであろうか。何によって何を知るのであろうか。それによって一切を知ることになるもの、それを何によって知ることができるのであろうか。かのもの(アートマン)は、『に非ず、に非ず』としか言いようのない自己であり、不可捉である。なぜなら把捉されないからである。」
 つまり、アートマンとは客体として観察されることのないものなのです。

 どうも上手な説明できなくて申し訳ありません。これらの点に関して、***様のメール(曽我注記:このメールは発信者の要請により掲載削除しました。)を拝見して、うまいこと表現するなぁと感心いたしました。自己の無限遠の収束先がアートマンであると例えて「ただし私の理解では、ブッダはただアートマンを対象外にしたうえで教えを説かれているのだと解釈します。言い換えると、上記の極限操作を行わず、あえて有限数の枠組みのなかで解脱の方法を説かれたのではないでしょうか。」と仰っていらっしゃいます。無限遠の収束先は観念の中にあるのみで観察できない。自己の観察を徹底した釈迦は、その観察の範囲内で、アートマンの有無を語らずに、端的に「自己はアートマンではない」と述べているのです。
 したがって、釈迦にとっての無我説とは、端的に「自分自身はアートマンではない」というものであり、「アートマンそれ自体の存在・不存在については議論しない」というものであったと考えられます。形而上学的な観念論としてのアートマンの有無を問題とせずに、自分自身に着目、観察を行って、自分の心身はアートマンではないと述べたという意味で、釈迦のとなえた無我説は無我説と呼ぶよりはむしろ非我説と呼ぶべきものでありました。
 釈迦のこのような非我説は、実際の解脱に向けた修行においても、自己がアートマンではないということさえしっかりと確認できれば、どこかにアートマンが存在しようが、存在しなかろうが、自己がアートマンではない以上まったく影響がないという実際的な意味合いもあります。釈迦における非我説の中では、観念的なアートマンの有無に関する議論は、解脱には何ら影響を及ぼさない無意味な議論ということになります。
 なお、これは余計な付け足しかもしれませんが、ここでいう非我説とは端的に「自己は真我ではない」とするもので、「真我を想定してそれを追求せよ」というものとはまったく異なります。釈迦において真我の有無の議論は観察不能な無意義な議論だということになります。

(3)釈迦は主体性についてどう考えていたか
 ここまで、釈迦における無我とは何かを論じてきました。次に、主体性について議論してみたいのですが、まず、やはり初期の仏典から、いくつか、自ら主体的に努めよといった主旨の記述や自己について語っている記述をあげてみたいと思います。

「かれは、みずから勝ち、他にうち勝たれることがない。他人から伝え聞いたのではなくて、みずから証する理法を見た。それ故に、かの師(ブッダ)の教えに従って、怠ることなく、つねに礼拝して、従い学べ。」(スッタニパータ)
「自己を洲(よりどころ)として世間を歩み、無一物で、あらゆることに関して解脱している人々がいる。−そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。」(スッタニパータ)
「この世で、自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。」(大パリニッバーナ経)
「心のなかでどの方向に探し求めてみても、自分よりさらに愛しいものをどこにも見出さなかった。そのように、他の人々にとっても、それぞれの自己が愛しいのである。それゆえに、自己を愛する人は、他人を害してはならない。」(ウダーナ)
「自己を護る人は他の自己をも護る。それゆえに自己を護れかし。(しからば)かれはつねに損ぜられることなく、賢者である。」(アングッタラ・ニカーヤ)
「つとめ励むのは不死の境地である。怠りなまけるのは死の境涯である。つとめ励む人々は死ぬことがない。怠りなまける人々は、死者のごとくである。」(ダンマパダ)

 釈迦は主体性の存在を前提としたかのような議論を数多く行っています。これらをどのように解釈すべきでしょうか? 実際には主体性はないにもかかわらず、人々によい縁を与えて苦を除いてやるために、方便としてあたかも主体的に行動できるかの如く教えを説いているのでしょうか? それとも素直に主体的に行動できると考えていたのでしょうか?
 釈迦にならって、一切の仮説や見解を離れて、虚心に自己や他人を観察してみたいと思うのですが、このときに、自分で考えて自分で判断して行動しているのではなく、自動的に反応しているだけという観察が可能でしょうか。私は、自身が自分の考えではなく自動的に反応しているだけという観察は不可能だと思います。あらかじめ自己が存在しないという仮説を前提としていれば、それに整合するように実は自動的に反応しているだけと想定することもできるかもしれないでしょうが、そのような前提なしに素直に観察した場合、「ああ、自分の考え、判断などない、これは自動的反応だ。」という観察を行うことは釈迦にも不可能だと思うのです。
 すべての仮説や見解を捨てて世界を観察した釈迦にとって、人間に主体性が存在しないなどということはおそらく思いもしなかったことではなかったかと考えられるのです。
 もうひとつ余計なことを付け加えると、これは私の勝手な考えですが、私は釈迦が方便を用いて教えを説いていたということはあまりなかったものと考えています。方便が強調されるようになるのは後世になってからの話で、特に大乗においては方便のオンパレードで、どれが真実の教えでどれが方便なのか、さっぱりわからないという状況になってしまっています。スッタニパータなどを読んでの感想ですが、釈迦は自分の考えをほとんどストレートに語っています。相手によって矛盾した教えを方便として語るということが、まったくなかったとは言いませんが、少なくともほとんどなかったのではないかと思われます。
 釈迦の入滅に際して、まだすべての教えを聞いていないのではないかと心配するアーナンダに対して釈迦は次のように諭しています。
「わたくしは内外の隔てなしに(ことごとく)理法を説いた。完き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握り拳は、存在しない。」(大パリニッバーナ経)

(4)無我と主体性は矛盾するか?
 ところで、主体性(自らの判断で行動すること)があるとした場合に、無我(自己がアートマンでないということ)と矛盾しないのかという疑問が生じるかもしれません。次にこの2つが矛盾するかどうかについて検討してみたいと思います。
 結論から言ってしまいますと、釈迦は、はなからこの2つが矛盾するとは考えていなかったと思います。
 釈迦が自己がアートマンではないと分析した先の仏典を思い出していただきたいと思います。釈迦は自身の五蘊のそれぞれを取り出して、それを観察した結果、そのいずれもがアートマン(真我)ではないと論じています。
 五蘊とは何でしょうか。いうまでもなく五蘊とは色、受、想、行、識の5つのことです。このうち色は肉体、受想行識の4つはいろいろな考え方はあるのでしょうが、おおざっぱにいえば感受作用、表象作用、意志作用、認識作用までの人間の心全般のことを指しています。五蘊はひっくるめて人間の心身ということになります。五蘊と言ったときに、人間には肉体と心が備わっており、心は認識や意志の作用をもつことが当然の前提と考えられています。そしてその意志に従って人間は行動しているのです。
 それでは、その人間の心身がアートマン(真我)ではないとはどういうことでしょうか。アートマンとは常住不変たる自己の主宰者であるとされています。人間の五蘊(心や身体)は転変極まりないもので、すぐに変化し、やがて死によってそれらは失われてしまいます。この世において、一時的に心と身体を備えて人間としての生活をしていても、それはあくまでも変転する中でのひとつの状態に過ぎません。常住不変ではありませんし、自己のすべてを思いどおりにコントロールできる真の自己の主宰者でもありません。自己の心と身体のいずれも堅固なるものや確実なるものは何一つなく、変転、動揺する中で揺れ動いているのです。自らの心身がアートマン(真我)ではないということはそういうことです。言い方がややこしくて申し訳ありません。人間には不完全な「心」というものがあって、その心で判断を行って行動をしている。しかし、心は常住不変の主宰者たるアートマンではない。ということです。
 無我であること(自己がアートマンでないということ)と主体性(自らの判断で行動すること)とが矛盾すると考えるということは、アートマン以外は自ら判断することができないということを前提としていることになります。この考え方は、実は心と真我とを混同してしまっていることになります。釈迦の考えはそうではなくて、「人には心があって判断を行っている、しかし、人間の心というものは変転、変滅を繰り返す不完全なものであって、それは真我ではない。ところが、この不完全な人の心を、あたかも常住、堅固で自由にコントロールできる主宰者たる真我である(あるいは「あるべき」)と思いなすことによって人は苦に陥る。そのことに気づかなければならない。」というものなのだということです。

 「真我以外は判断、選択という作用ができない。したがって真我がなければ人は判断、選択をすることはあり得ない。無我(真我が存在しない)なのだから判断、選択もあり得ない。とすれば行為は自動的反応に相違ない。」という考え方は釈迦のとるところではなかったと思います。逆の言い方をすれば、判断、選択が存在せず自動的に物事が動いているところには苦は生じないということです。不完全なる判断、選択を、完全であるはず(あるいは完全であるべき)と思いなすことによって、そこに苦が生じるということです。

 言い方が分かりづらかったかもしれません。少し別の言い方をしたいと思います。
 人間には心がある。その心には認識の作用や、判断の作用や、意志の作用が備わっている。その範囲内で人間は自由に考え、判断をして行動している。しかし、それは環境から独立した完全に自己をコントロールできる自性(真我、アートマン)ではない。人間の心は生命のもつ生存本能に基づく欲望にしたがって、自己が永続的であるべきと考え、あたかも自らが堅固で常住不変、永続的な真我であるかのように、あるいは真我であるべきかのようにふるまう。しかし、実際の自己の現実は真我ではなく変滅するものであるが故に、そのギャップに苦しむことになる。
 人間の心はそれ自体主体性をもって行動しうるものであるが、根っこのところが生存本能に伴う欲望(無明)に縛られているために、それに気づいて常に気をつけていない限り、堅固たる真我像と変滅する自己との落差に苦しまなければならない。
 逆に言えば、真我ならざる自己に気づいて、常に自ら気をつけることによって、主体的に苦から脱却することもできる。
 釈迦の考えはおそらくこういうことだったのだと思います。
 不完全で移ろいやすくいずれは滅してしまう自己。その自己は永続を求めて、かなうことのない苦しみに捉われた努力を「主体的」に繰り返している。しかし、無明を取り払って常に気をつけることにより、その苦しみから「主体的」に脱却できる。釈迦においては、無我と主体性は矛盾なく共存しているのです。

4 おわりに(おまけです)
 どうも説明が上手でなくて、真意が伝わったかどうかちょっと不安です。また、ずいぶん長い説明になってしまいました。申し訳ありません。でも、なんとなく言わんとするところをご理解いただけたら幸いです。

 最後に、論理的な話ではありませんが、ちょっとだけ余計なことを書きたいと思います。(曽我様には梵我一如的だと言われるかもしれませんが。)
 大パリニッバーナ経の中で、入滅を目前にした釈迦は自らの人生を振り返って、「この世界は美しいものだし、人間の命は甘美なものだ。」と詠嘆しています。(なお、このフレーズは大パリニッバーナ経のサンスクリット本にでてくるフレーズです。パーリ語本にはこの記載はありません。)
 釈迦が史実としてこのような感興の言葉を発したかどうかは定かではありませんが、一切は苦だとして、欲望を離れて解脱することを説いた釈迦の言葉にしては、ずいぶん感傷的な言葉のようにも感じられます。しかし、私はなんとなく、こう述べた釈迦の気持が分かるような気がします。

 すべてのものが恒常ではなく変滅していくものであることを観察した釈迦の眼には、暮れなずんでいく夕焼けも、今空を飛んでいて一瞬後には骸になっているかもしれない鳥も、そして自分自身も、移ろいゆく諸相のひとつとして映っていたはずです。移ろいゆくあるがままの世界を見る釈迦の眼には、すべてのことが良いも悪いもなく自然なものとして映っていたと思われます。ここでは死も老いも忌避すべきものではありません。あるがままのものとして受け入れられていたはずです。今というものを留めない世界と自分自身を眺める釈迦には、激しい嵐も穏やかな凪もそれを眺める自分自身も、ごく自然に移り変わるものとして見えていたはずです。すべてのとらわれから脱却して世界と自分を虚心に見ることを、生涯をかけて説き続けた釈迦の眼には、移り変わるという事実が自然なものとして受け入れられたときに、移り変わるが故に苦であった世界が、もはや、すべてが移り変わるが故に美しく、甘美なものとして受け入れられていたのではないかと思われるのです

 

曽我から ムニムニさんへ 全体世界 主体性 形而上学 言葉 目の当たりに見ること 2011,4,2,

前略

 返事が遅くて済みません。ぐずぐずしている間に東日本大震災が起ってしまいました。ご家族友人を亡くされた方々にお悔やみ申し上げます。不自由な生活を強いられている皆さんに一日も早く日常が戻るよう、頑張らねばなりません。なかでも東京電力の原発災害は、今の文明のあり方、我々の価値観に再考を迫るものだと思います。我々は、生き方、考え方を改められるのか、じっくり考えねばならないと痛感しています。

 そういう状況ではありますが、頂いたご意見にようやく返事をまとめました。若干棘があると受け止められるかもしれませんが、ご検討頂ければ幸いです。

◆ 世界の全体を構想する「法無我」が危険

 世界の諸々の事物(複数形)は、無我であります。今、たまたま縁によって、今ある姿で現象している。不変の実体として時間を超えて存在しているわけではなく、時間の中で、縁によって今起こされては消えていきます。
 そういう見方に留まれば、法無我に危険はありません。それどころか、こういう法無我の理解は、人無我を観察し納得するために必要ですらあります。
 人無我とは、「自分とは今そのつど、縁によって起こされた現象であり、持続的存在ではないこと」であります。このことは、厳密には自分というそのつどの反応だけを観察していたのでは納得できません。自分を観察するとき、自分という反応だけではなく、自分という反応を起こした様々な縁もあわせて観察されます。身の回りから受けた縁も、そのつどの自分を観察する際には見られています。単純な例を挙げれば、誰かに何かを言われて(縁を受けて)、何かを感じ、反応し、それが縁として相手に伝わって、相手の反応を引き起こす。そういうふうに、縁を受け、反応し、縁を発散し、周囲の反応を引き起こす。私という反応だけがひとりで起っているのではありません。それでは縁起にならない。私というそのつどの現象は、周囲の現象から縁を受け、反応し、縁を発散し、現象を引き起こす。いくつもの縁の波がざわめきあい、ぶつかり合っている中の浮き沈み揺らめきが私という反応であります。
 「前後左右上下真ん中をよく観よ」という教えがあったかと思います。「真ん中」とは、そのつどの自分という反応であり、またそれまでの反応によってできあがっている私の反応パターンでありましょう。「前後左右上下」とは、身の回りの変化からそのつど受ける縁であり、私達の反応が縁をおよぼして起こす周囲の変化です。
 身の回りの変化もあわせて観ることは、起されては終わる自分の無常=無我=縁起を納得するために必要です。

 しかしながら、人は、自分と身の回りだけに飽き足らず、すぐに世界の全体(単数形)を構想してしまいます。先程私は、様々な波が寄せあいざわめきあう様を比喩にしました。おそらくムニムニさんは、波立つ大海原をイメージされたのではないでしょうか。私自身もその危険を感じましたが、かえって人が容易く全体世界を構想することを示せると思い、敢えてこの比喩を残しました。
 以前、「人はガンジス川の岸辺に漂うミジンコのようなもの」と書いたかと思います。間近の様々は見えても、河全体を見通すことはできません。であるのに、人はすぐ、ガルーダにでもなったつもりで、河全体を見渡した気になり、河全体を語り始める。
 「無我なる世界」でも「空なる世界」でも「生々流転する世界」でも「一切」でもなんでもいいのですが、世界全体を単数形で構想すると、人は、自分をそっちのけにして「世界」を語り始めます。そして、「全体世界」は、あたかもさまざまな事物を生み出す本源であるかのように思いなされる。「空」や「真如」は、「仏教」の歴史において、しばしば「本源たる全体世界」を指す名称として機能してきました。
 そして、自分は「世界」の展開した一部として、「世界」と本質を共にするものとして捉えられる。なぜか大抵の場合、「世界」はよきものとして構想されます。従って、「世界」と本質を共にする「自分」もよきものとして捉えられることになります。実際に犯してしまう悪しき反応は、「世界」のよき本質のままにふるまわないから、つまり自分勝手な「はからい」が原因である、はからいを止めよ、といった主張がなされる。そして「はからいを止めようとすることもはからいだ」といった堂々巡りに陥り、結局は煩悩即菩提というような論理矛盾しか主張できなくなる。そして、「言葉では究極の本質は語れない」「言葉を離れよ」などと言い始めます。ところが、このような行き詰まりに嵌りこんだそもそもの発端は、「世界」という言葉、概念に誘われて「世界」の全体を構想してしまったことにあるです。

 「仏教」の歴史が、釈尊を祖と仰ぎながら、釈尊の教えの対極へずれていった原因は、この「全体世界」にあったのではないか、と思います。釈尊の教えとは相容れないこの考えは、残念ながら「仏教」の歴史の中で、伝統ある大きな勢力となっています。この危険に有情を招き入れかねないが故に、全体世界を語ることは慎むべきだと考えます。

◆ 無我=縁による自動的反応 VS 主体性

 仰るとおり、悩んだ挙句なにかを選択する場合、これを主体的である、と言っても構いません。日常の普通の会話においては。

 しかし、リベットが見つけてしまったことは、些細な行為でさえ、実は「意図する」前に主体的意図なしに起こっている、ということです。「意図した」と感じるのは、後付の錯覚だとリベットは言っています。
 ムニムニさんは、単純な行為は非主体的反応だが、悩んだ挙句の選択というような高度なものは主体的である、とお考えでしょうか。もしそうお考えだとすると、それはホムンクルスかアートマンのような第一原因となるべき主宰者を自分の中に想定するものではないでしょうか。というより、私は、自ら意図を起こして行為の第一原因となる者を、例えそれが不安定不完全であれ、ホムンクルスなりアートマンであると定義したいと思います。ホムンクルスもアートマンも、私たちの中にはいない。高度な反応は、単純な反応が多数複雑に重なり合って起こり、高度で複雑なプロセスを経ることで、日常会話で「主体的」と呼ぶような趣が現れ、それを主体的だと私達は感じる。そう感じるだけで、操縦者たるホムンクルスもアートマンもいない。外からの縁も内からの縁もないままに、意図が発生し第一原因となってなんらかの行動を起すということはあり得ません。もしあり得ると考えるなら、なにもないところにどのように意図が生まれるのか、説明が必要になります。
 毎日の暮らしでは、大方の行動を主体的と捉えておいてなんら差し障りはなく、かえってその方が話は早いくらいですけれど、しっかりと突き詰めて考えるなら、私達は厳密には縁によって起こされる反応なのです。

 ただし、私達は、大変複雑なプロセスで起こる反応です。また、その時その時の内部の状況によって、反応の仕方は変化します。空腹のとき、眠いとき、興奮しているとき、疲れているとき、同種の縁を受けても反応は変わります。
 また、これまでに引き起こされたそのつどの反応がすべて重なり合って、反応パターンを形成していきます。その人らしい個性とは、過去の反応の蓄積によって形成されたその人の反応パターンのことです。縁を受けて反応しその結果をまた縁として受けることを繰り返すことで、反応パターンは強化され、あるいは変化していきます。良い縁は、反応パターンを苦を生まぬものに変えていき、悪い縁は、苦を生むものに変えていく。従って、自分にも人にも、できるだけよい縁を与える努力が重要です。

 努力! なんと主体的に響く言葉でしょうか! しかし、努力もまた縁によって起こる自動的反応なのです。生物進化の過程をなぞれば、条件反射に加えて、自分の色身においてそのつど生じる様々な反応をカテゴリーとして「いつも化」して捉える「自分クオリア」ができたことで、自分を対象化し実体視する自己意識が生まれ、エピソード記憶が蓄積され、それを組み合わせたシミュレーションによるところの反応パターン改善反応が生まれました。努力とは、従来の反応パターンと新たな反応パターンとがせめぎあうことです。(この辺りの詳細は、「小論」の以前紹介したいくつかのページをご覧下さい。)
 釈尊は、熱心に慈悲を説き、また「自分という反応にいつも気をつけておれ」と教えて下さいました。釈尊の教えを縁として、私達には正しい努力(精進)という反応が起こります。これは実にありがたいことです。また、私自身も微力ながら釈尊の教えを伝えて、少しでもよき縁を広げられたらと思います(釈尊の教えを縁として、よき縁を広げようという反応が生じる)。

 流れのついでに責任と刑罰について触れるなら、上記のような考えからして、私は、責任という考え方にも刑罰という考え方にも共感しません。特に自己責任という言葉には反感を覚えます。ある時法律で禁止された反応となってしまい、犯罪者と呼ばれる人もいる。一方、大規模に人を苦しめていても、巧妙ゆえに社会で地位を占めている人もいる。犯罪者に刑罰を与え苦しめるのは、不毛な不満解消でしかありません。そうではなく、よき縁によって、よき反応パターンとなってもらうことが正しい対応だと思います。アングリマーラも、「責任を感じて反省した」というより「夥しい苦をつくって自他を苦しめていたことに気付き、そのことを嫌悪し、反応パターンが変わったのだと思います。

 ムニムニさんは、「自分は完璧ではないにしても主体的に価値判断し自由に行動を選択している」とお考えでしょうか。法律や裁判といった世俗的社会的領域においては、とりあえずそういうことにしておかないと収拾がつかなくので、自由意志や責任という概念を要請せざるを得ないのだろうと思います。しかし、私には自分をそのような立派な“主宰者”だと感じることはできません。「今日こそはこの仕事を片付けよう」と決意しても、ちょっとしたことで気を散らし、無為に過ごしてしまったり・・・。親鸞は、「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」と言いました。親鸞のこの言葉に私は共感します。

◆ 不毛な形而上学にかかわらないこと

 釈尊が、目の当たり見ることのできることのみを教え、不毛な形而上学を語られることはなかった、という指摘は、しばしば目にします。私もそのとおりだと思います。

 では、不毛な形而上学とは何だったのか。例えば「全体世界」や「一切」について、またアートマンについてあれこれ語ることではないでしょうか。
 全体世界やアートマンについて云々することには係わり合いを持たない、相手にしない、というのが釈尊の姿勢だったと考えます。俗語でいうなら「シカト」であり、論駁よりも一層厳しい「関係の遮断」です。「世人はアートマンについて議論しているようだ。しかし、少なくとも私にはアートマンなどと言われているものは見あたらない。私とは、そのつど連続性なく(無常)、縁によって起こされては終わる反応である(縁起)」。これが、「観察によって目の当たりにできること」であります。

 ところが、奇妙に思えることは、ムニムニさんは、あれこれいろいろと仰りながらも、結局のところでは、「無限遠の収束先にある、客体として観察できない」アートマンの存在に期待をこめておられるように聞こえます。これはまさに、「観察されない形而上学的な仮説」でありませんか。ご自身で「観念の中にあるのみ」と仰るものに夥しい言葉を費やしておられる。
 「一切」を構想し、観察できない言い表せないアートマンに別の名前をつけて構想し、無我ではなく非我だとするのは、「仏教」の中で根強い伝統になってしまっている考え方です。この伝統においては、「言葉は届かない、離言である」と言いながら、意味ありげで意味のない、煙に巻くだけの理解不能な言葉が積み上げられるのが特徴です。

◆ 言葉と観察

 では、私達は言葉を捨てるべきか。いいえ、言葉なしに教えを学ぶことはできません。八正道の第一は正見、つまり正しい見解を学ぶこと、であります。まず誰かから釈尊の教えを聞くという縁に恵まれ、言葉によって正しい見解を学ぶことが、必要です。
 では、正しい教えの言葉を聞けば、直ちに理解できるのか。残念ながら、それほど簡単ではありません。なぜかというと、釈尊の発見は、世俗的常識的なものの見方よりずっと深いところにありますが、言葉は世俗的常識的な浅い見方に根ざしているからです。普段のまま気に留めずに言葉を聞けば、言葉が前提とする「先に主語あり」の構造にからめとられてしまう。「火がまずあって、それが燃える」というように。それに警戒しながら、言葉によって釈尊の教えを表そうとすると、実に回りくどい屈折した言い回しにならざるを得ません。釈尊の説法も、現実には時間的な制約や相手の理解の段階など、様々な条件、制約の中でなされた筈ですし、一回一回の説法は、段階的なものにならざるを得なかったでしょう。それを方便と呼べば、方便とも呼べると思います。

 言葉が世俗的常識的なものの見方に根ざしている、とはどういうことか。実際には一回一回個別である現象を、我々はクオリアの働きによってカテゴリーで捉えています。時間の中の一回的で無常なる現象は、無時間的なカテゴリーとして捉えられ、変らぬ価値、意味を備えた持続的存在として捉えられる。言葉はこのようなクオリアによる実体視を反映しており、言葉は我々に「いつもの意味、価値を備えた存在」を喚起させます。「私」と言えば、価値をもった「私」という大切ななにかが持続的に(さらには永続的に)存在すると思いなす。「考えよ」と聞けば、「私という持続的永続的な価値あるものがあらかじめ存在しており、それが考える」と思ってしまう。
 しかし、釈尊の発見に則って言葉にするなら、「私の色身において(縁を受けて)考えるという反応が起こる。この時の「考える」という反応が、私という名色(クオリア)で捉えられて、あたかも「私」が実体的にあらかじめ存在しているかのように思いなされる」というようなことになります。述語が原因となって、主語が構想されるのです。  このように言うと、「では、思いなすのは誰か」「誰が構想するのか」といった詰問があるかもしれません。それほどに言葉は、「あらかじめ実体的な主語が存在する」という思い込みを前提にしているのです。
 (念のために「思いなす」を起っているとおりに言葉にすれば、《「考える」反応が縁となって、私という名色が立ち上がり、永続的な「私」が存在するかのように思いなすというその時限りの反応が起こる》といった言い方になるでしょうか。ともかく、この色身において、次々に脈絡のないさまざまな反応が起り、それらが次々と「私クオリア(私という名色)」を起動し、その結果「実体的で永続的な大切にすべき私」という妄想が生まれる、ということです。

 言葉の依って立つ土台よりもずっと深いところを言葉で説明することは、まったく不可能ではないが、非常に回りくどく、日常から乖離し屈折した言い回しにならざるを得ません。しかし、繰り返しになりますが、まずは言葉によって釈尊の教えを学び、凝り固まった常識的見方を壊していくことが必要です。しかし、それだけで終わりではありません。正見は、八正道の第一に過ぎない。無常=無我=縁起を自分のこととして、目の当たりに見ることが必要です。それによって釈尊の教えを真に納得することができ、自分に執着することの無意味さ、愚かしさが実感される。

 そのためのカリキュラムが、八正道の残りの七つ、或いはそれらを三つにまとめた戒定慧の三学です。
 すなわち、そのつどの縁への激しい反応である自分という反応を、穏やかな、なるべく苦を生まぬものになるよう習慣づけ、更には静謐な観察可能な状況にして、起こされては終わる変化をリアルタイム、クローズアップでぴったりと寄り添って見つめ続けるのです。
 しかし、残念なことに実際には、「一瞬も気を抜かずしっかり感じ続けるぞ」とどれだけ自分に言い聞かせても、ほんの些細なきっかけですぐに妄想が始まり、いつの間にか延々と妄想の物語を紡ぎ出していたことに気づく。そんなことの繰り返しになります。これもまた、自分とは、自分を主体的にコントロールできる主宰者ではなく、縁によって起こされる反応であることの現れです。そのつどの妄想が、私なのです。

 ムニムニさんは、「不完全ながら自由で主体的な心がある」と主張しておられます。しかし、心は、「仏教」の歴史の中では、例えば「自性清浄心」のように、しばしばほとんどアートマンの代用品として使われる危険な概念です。不完全であれ、意図を持って第一原因となれるものは、アートマンでしかありません。ムニムニさんのおっしゃっていることは、「不完全だが自由なアートマンが、主体的に気をつけ無明を取り払って、苦しみを脱却する」という主張と変わりありません。
 心という概念を持ち出すだけでは、解決にはなりません。いうなれば、釈尊は、不完全ながらも自由で主体的にも見える心といわれるものが、実際にどのような過程で機能しているのか、そのプロセスを自らを実験台にして詳細に観察されたのです。有支縁起として様々に説かれているのは、「心」の内部プロセスの分析です。その成果として、ついに無常=無我=縁起が発見されました。

 ベンジャミン・リベットやダマシオなど、「心」を研究する科学者達も、釈尊の発見に徐々に近づきつつあります。しかし、彼らは他人において観察しているため、無常=無我=縁起を自分のこととして納得することはできません。

 無常=無我=縁起を自分のこととして目の当たりに見て腑に落ちて真に納得できたとき、自分を守ろう、手放すまいと固く握り締めていたこぶしの中に、実は何もなかったと気づくことができます。意味も甲斐もない執着という反応を繰り返し、その結果、争い、奪い、攻撃し、人も自分も傷つけてきた愚かさを痛感することができる。そして、人をも自分をも苦しめることが鎮まる。

 何か(心とか)があって、それが苦から脱却するのではありません。こぶしの中は空(カラ)だった、守るべき自分などそもそもなかったと気づいて、力が抜け、執着の反応が鎮まり、自他を苦しめることがなくなる。これが釈尊の教えです。
 苦は、外にあるのではなく、私たちが自分でそのつど作り出しているのです。

 以上、うまく言葉にできていればいいのですが・・・

 ご意見有難うございました。
                                草々
ムニムニ様
      2011年4月2日                 曽我逸郎
 

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