Pannyadhikaさん プッタタート比丘の法話から 2010,9,20,

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曾我さま

こんにちは、Pannyadhikaです。お元気でご活躍のことと思います。

最近時間があったので、貴HP<意見交換>の未読の部分を読ませて頂きました。その中に、タイのスワンモークから帰られた方(##さん)が「ランチュアンさんの精神修養に関する本がありますよ」と書いてあったので、好奇心から「ランチュアン」で検索して探してみました。そしたら「ブッタタート比丘」というHPに行き着きまして、その中に入って、アチャン・チャーとブッタタート比丘の法話集(日本語)を読むことができました。

私はアチャン・チャーにはお会いしたことはないのですが、直弟子からダンマを学んだことがあり、ウボンラチャタニのワット・パー・ポングにもお邪魔したことがあるので、今回、アチャン・チャーの法話を読んで、あの頃のことが懐かしく思い出されました。法話は噛んで含めるように話されており、ご婦人方に人気があった理由がよく分かりました。

ブッタタート比丘の法話集も何篇か読んでみました。どれも、とても大切なことが書かれているような気がします。

「万物より前からあるもの」は、仏陀が「私が生まれても、生まれなくても、前からそこにあるものを私は発見した」と述べたことの内容を詳しく説明したものです。次に「感情はただのイメージ」という一文は、これまで、これほどの<ずばり>とした、直球のダンマの説明を聞いたことがありませんでした。目から鱗、目が点になりました。

(実は、ちょうど今読んでいる「現代人のためのヨーガ・スートラ」の中に「感情」という言葉が出てくるのですが、「アイツは感情的だ」という、あの「感情」の意味ではないようなので、どういう風に理解したらいいのか分からないで困っていたのですが、なんとタイムリーなのでしょう、向こうから説明に来てくれるなんて!!(笑)(しかし、この文を翻訳した方には、頭が下がります)。

昔、タイに滞在していたときに、スワンモークに行こうとしたのですが、計画倒れで、結局行けませんでした。あの時行って教えを受けても、全然理解できなかったと思います。これから、法話集をプリントアウトして、ゆっくりじっくり読むつもりです(パソコン上で読むと、線も引けないし、疲れますから)。

曾我さまのおかげで、上質の学びの機会を得たようです。本当にありがとうございました。

2010年9月20日

Pannyadhika  合掌

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Pannyadhikaさんから再び  2010,9,21,

曾我様

先日のメールで「ブッダタート比丘の法話集を見つけた」とお知らせしましたが、その中に「他の教義の無我」という一篇があり、その第二章が「さまざまな見解の比較」となっています。是非ご一読頂きたいのですが、ご公務でお忙しいことと思いますので、抜粋してお知らせいたします。ご興味があれば、ご自分で全篇、ご確認ください。

以下抜粋:

「ですから、仏教の考え方はサッティティではありません。言い方を変えれば、仏教には永遠の自我はありません。

永久不変のものは本当にありますが、消滅あるいは永久不変ではないすべてのものがただ消滅した状態であり、そして、それを涅槃あるいは無為と呼びますが、自我はありません。自我ではありません。その反面教師はナッテカティティ、あるいはニヒリズムのように何もかも否定しません。それにウチェータティティのように、死んだら消滅するとは考えません。仏教には確定的な原則があります」云々。

ブッダタート比丘は断見ではありません。ブッダダーサ比丘の法話集を細心の注意を払って読んでみてください。

(とても沢山の法話があり、ご公務でお忙しい曾我さんが、その全部を読まれるのは、大変かもしれまぜせん。

よい文章が見つかりましたら、またお知らせいたします。)

2010年9月21日

Pannyadhika 合掌

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