てくさん ヴィパッサナ瞑想 佐々井秀嶺師 輪廻転生 2010,4,17,

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はじめまして。ハンドルネーム「てく」といいます。

こちらのサイトには非常に刺激を受けました。私も高校時代より、仏教に関心を持っており大学で仏教学を専攻しました。しかし、仏教に関していくつかの疑問は解けないまま現在に至っています。いくら本を読んでも、いろいろな先生に質問をしても、納得のいく答えが得られず、今も個人的に探究しています。最近、もう一度、最初から仏教を勉強し直そうかと思い、学生時代の本などを引っ張り出してきて、読書三昧の日々です。そのようななか、こちらのサイトに出会いました。馴れ馴れしいのですが、プロフィールからも、なにか共感できるものを感じましたので、メールさせていただきました。日常では、仏教について話せるような人は周囲にいないので、独自の理解に偏らない仏教理解のためにも、ご教示いただければと思っております。

サイト内のすべての記事を読んだわけではありせんが、まずはタイ国のブッダダーサ師とインドの佐々井師についての感想を送らせていただきます。

私は大学を卒業して十数年になりますが、どうしても仏教から離れることができずタイまで行ってしまいました。これも、もうすでに数年前のこととです。

そこまで仏教に惹かれるのであれば、お坊さんになったらいいじゃないかとよく言われますが、私が触れた日本のお寺の世界では魅力を感じる人とは出会いませんでした。何を伝えたいのであるかは、おそらくご理解いただけるかと思います。なので、卒業後は僧侶の道を進まず、郷里に帰り就職をしました。しかし、どうしても仏教という生き方を体得したくて〜当時の私の場合、さまざまな書物に記述されている仏教に生きた人々の姿は、本当に私のうえにも可能なものなのかどうか?ということが最大の関心事でした〜卒業後も仏教書を読んだり、機会あるごとに先生を訪ねたりしました。仏教への興味として、最初は「禅」に興味を持つのが一般的ですが、学生時代に見た仏教がそのような感じでしたので、興味が原始仏教にいってしまったわけです。どの仏教が一番原形をとどめているかといえば、やはり上座部仏教で、その中で私とつながったのがタイでした。そんなこんなで、タイまで行ってしまったというわけです。沙弥と比丘の生活を合わせて3年ほどタイで送ってきました。しかし、家庭の事情で還俗、インドの八大聖地の巡礼を経て帰国し、現在に至っています。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、タイ国ブッダダーサ師の上座部仏教の「ヴィパッサナー瞑想は後世に考え出されたもの」という指摘について思うところを少々。

ブッダダーサ師の「ヴィパッサナー瞑想は後世考えだされたもの」という指摘についてですが、私も、現在タイで行われている瞑想法自体は後世考えだされたものであると思います。

「瞑想法」はです。私もタイへ行って初めて知ったのですが、タイにはさまざまな瞑想法があって、それぞれの瞑想法には、それぞれの創始者がいます。しかも、そんなに古い時代から伝わるものではなく、ここ100年以内に提唱され広まったものがほとんどだそうです。日本で上座部仏教の瞑想法として有名なスリランカのスマナサーラ師の瞑想法もやはりタイにも伝わっており、非常にポピュラーな瞑想法として知られています。これは、ビルマ(ミャンマー)のマハーシ長老によって開かれた瞑想法で、タイの人は、通称「縮み膨らみ」の瞑想と呼んでいます。ブッダダーサ師の瞑想場では、マハーシ長老の瞑想法は採用しておらず、アーナパーナサティを推奨しています。

呼吸を数えるとか、数珠を繰っていくといったような誰が始めたということのない瞑想法もあるのですが、おもうに、おそらく古くよりタイに伝わっている瞑想法としては、呼吸を観察するといった漠然とした瞑想法だったのではないでしょうか。森林寺院の多くは、マハーシ長老の瞑想法もさることながら、アーナパーナサティを推奨しているところも多くあります。おいおい意見交換できたらと思います。

ちなみにタイ人は、「どんな瞑想法が一番いいのか?」と質問すると、「自分次第だ」といいます。自分に合った瞑想法で瞑想すればいいというわけです。

しかしながら、「観」というものごとをありのままに観るとうものの見方、考え方そのものとしては、大念処経にもあるように語弊はありますが、後世の考案ではないとしても理解できます。しかし、ヴィパッサナー瞑想法は釈尊直説の瞑想法というには、少々飛躍があるように思うのですが、いかがでしょうか。ですから整理すると、

ヴィパッサナー(観)は釈尊直説、

ヴィパッサナー瞑想法は後世の考案、

というところでしょうか。

これらは、私がいろいろ見聞してきたことを基に導き出したことなので、裏付けがとれるものではないので自信がありせんが、そのあたりは御容赦ください。

参考文献として、ブッダダーサ師の著書の日本語版があります。

○『観息正念』(Mindfulness with Breathing) 2001.05.07

○『仏教人生読本』(HANDBOOK FOR MANKIND) 1998.10.05

御存知ですか?英語も、タイ語も得意でない私は、この文献に多くを助けてもらいました。ともに英語からの日本語訳なので、ニュアンスがずれているのかもしれませんが。

次に・・・

佐々井師についてですが、インドの八大聖地を旅した際に、知人の勧めで佐々井師にお会いすることができ、ナグプールへも立ち寄りました。不思議なご縁でインドで『破天』を読む機会にもめぐまれました。佐々井師は、まったくの押しかけである私をあたたかく迎えてくださり、しかも、私のことを「日本から求道者です!」と紹介してくださり、不思議とうれしくなったのを覚えています。私のような者と親しくいろんなお話をしてくださったり、仏教遺跡を丁寧に案内していただいたり、インド人仏教徒の結婚式などへも一緒に連れて行ってもらいました。佐々井師に親切にしていただいた思い出がよみがえってくるようです。しかし、私の今の生きざまは、「求道者」と紹介していただいたのに、なんとも恥ずかしい限りです。

さて、インドの仏教について・・・佐々井師とお話しをさせていただいたり、『破天』から読み取るに、佐々井師はあまり瞑想には重きを置いてみえないご様子です。しかし、佐々井師はタイ国・ワット・パークナーム寺院に滞在されご経験があり、その寺院での瞑想法で一定のレベルまで到達されたお方で、瞑想というものを全く知らないお方ではありません。そのご経験の結果であると思うのですが、瞑想に重きを置かないのは、行動的な佐々井師らしいことかなのかもしれません。私個人としては、仏教全般において瞑想も大切であると思っています。だた、ワット・パークナーム寺院の瞑想法は、非常に特徴的で、アーナパーナサティやマハーシ長老の瞑想法とはかなり異なる部分もあるので、他の瞑想法と出会っていたらどうだったのかな?とも思います。

あと、インドの仏教教団は、経典を学んだり、瞑想をしたりと、やはりまだそこまでの余裕といいますか、その段階にまで至っていないのではないかと感じました。他の国々は、長い伝統のうえに僧伽があったり、国家の庇護のうえに僧伽があったりで、それなりに基盤がありますが、(在来のベンガル地方やネパール地方、チベット系の仏教を除く)インドの仏教は、新しく独力でここまできました。仏教の教学の修学や活動は、まだこれからなのではないかと思います。佐々井師のご活躍、並びにインド仏教の発展を願っています。

最後に・・・というか、長くなってしまいましたがこれがメインなんです・・・

仏教の無我説と輪廻転生の問題についてなのですが、この問題は私も納得のいく論理がみつかりません。私は、今まで伝統的な仏教の解釈に従って理解しようと努めて来ましたが、どう考えても矛盾します。やはり私としては、この問題抜きにしては通れませんし、私がこの問題を理解できないのは、現代的な教育に侵されてしまった結果の賜物なのかとも思うのですが。

平成の世の中です。このことを論理的に皆の納得できるように説明できなければ、仏教も単なる迷信に成り下がってしまいます。しかし、このことを説明できる僧侶もまた少ないように思います。誰に聞いても濁します。

しかし、日本の仏教はここをはっきりさせないと、全て崩れてしまうのではないでしょうか。

日本仏教で主流とも言っていい位置を占める浄土思想、浄土往生はどのように説明するんでしょうか。いわゆる輪廻転生を前提としないと、特に何かしらの輪廻の実体を想定しないと成立しないように思うのですが。

唯識では阿頼耶識で説明していますが、この説にしても阿頼耶識という我という実体ではない、深層意識が輪廻するとしたら、どのようにして間断なく相続されるのか。例えば、DNAであれば、物質的な実体として間断なく相続されていくわけですから明解です。阿頼耶識が間断なく死後も相続されていくのだという説はどのように理解するべきでしょうか。習気が輪廻するのですか。サイト内にもありましたけれども、やはり、霊魂と混同しやすいものです。というより、阿頼耶識としても、習気としても、いわゆる一つの輪廻の実体ではないですか。≒霊魂と理解しても矛盾しないんじゃないですか?霊魂の定義にもよりますが・・・

阿頼耶識という考え方は、当然釈尊の時代には存在しなかったものですけれども、釈尊の教説に即した考え方で、この無我説と輪廻転生の問題をどのように理解するべきなのでしょうか。仏教本来の教義をどのように理解するべきなのかご教示いただけませんでしょうか。

ながながと脈絡のないことばかりを書いてしまいましたが、よろしくお願いいたします。

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