sincekeさん 「ブッダと社会改革者との関係」 2008,6,3,

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sincekeから曽我様へ「ブッダと社会改革者との関係」

曽我さんは【社会の苦を減らすには。妹尾義郎と・・・】の中で、
「釈尊は、社会の全体を苦から救うことは諦めておられたのではないだろうか。」
と書かれていますが、私も、アンベードカルや妹尾義郎が言うような「社会改革者としてのブッダ」というイメージに、かなり強引な印象を受けます。
 前にもメールで引用したことあるかもしれませんが、やはり、
リチャード・F・ゴンブリッチ『インド・スリランカ上座仏教史』(2005年/原著は1988年)
という本に書いていたことが妥当なのではないかと思っています。

『 次に、私の解釈はブッダを社会改革者と見なす人たちの解釈とは同一ではない。
 その上彼は、我々の知る限り、誰に対しても限りなく親切で、理解を示したが、しかし彼の関心は、個人を改革し、彼をして永遠に俗世間を去らしめることにあり、現実世界を改革することではなかった。』

 『彼はこの現実世界の生存は苦であると認識し、その解決法として提示した問題は、そうしなければ必然的に現実世界で転生するはずのものであった。
 ブッダが現実世界の人生を、より一層生きるに価するものとなしえたかどうかは、大いに議論の余地のあるところだが、これは彼の教えの意図せぬ結果であったことは確かである。』

 『彼のことをある種の社会主義者だとするのは、時代錯誤も甚だしい。
 彼は決して社会的不平等に反対したのではなく、ただそのことが救いとは無関係だと宣べたまでである。
 彼はカースト制度を廃止しようとしたわけでも、奴隷制度をなくそうとしたわけでもなかった。』

 『考えられる限りのいかなる誤解をも避けるために、ぜひ付言しておきたいのだが、現代の我々が望ましいと思うような見解や関心をブッダが抱かなかったからと言って、現代の仏教徒がこれらの見解や関心を抱いてはいけないということにはならない。
 私の関心事は歴史的正確さだけである。』

 『例えば、もしインド独立時の不可触民社会の指導者であったアンベードカル博士の信奉者たちが、不可触民制度を認めない仏教を宣布したとしても、私は全面的に彼らに同情する。
 もし彼らがブッダの説いたこと以上のことは言っていないと自らを主張するならば、それは彼らの間違いであるが、しかし仏教徒がこのように新生面を開くことを仏教の教義は許していると、彼らが主張することは可能であり、実際にブッダがもし今日生きているとしたならば、彼もまた同じことをするかも知れないのである。』

 『ゴーダマ・ブッダの精神には確かにこのような柔軟性がある。
 よく知られた比喩の中で、彼は自分の教えを筏にたとえている。
 すなわち人は河を渡るためには筏を作るが、渡り終えてからも愚か者だけはその筏をさらに持ち運ぼうとするように、彼の教えは人々に生死の苦海を越えさせるためのものであり、一旦越えてしまえば、彼の教示に固執せずに自分の道を歩むことができるわけである。』

 ゴンブリッチ氏はこの本で、
 初期のサンガに集まって来た人たちの出身階級を調べたある研究を紹介しています。
それによると、当時、仏教に入信してきた人たちは、貧乏人よりも、バラモンや金持ち、「都会人」が多かったそうです。
 シュードラとかアウトカースト出身の仏教徒はほんの一握りだったそうです。
 現代でも、ハリウッド・セレブたちの間でダライ・ラマの人気が高いそうですが、それとちょっと似ていますね。
 仏教はキリスト教などとは違いもともとは、「抑圧された階層の宗教」でなかった、と結論づけています。歴史的事実としては、そうなんでしょう。

《「方便としての科学」って難行道・・・》

 曽我さんは【社会の苦を減らすには。妹尾義郎と・・・】の中で、
「釈尊は、社会の全体を苦から救うことは諦めておられたのではないだろうか。」
という語の後で、
「それでは、社会の苦を減らすためには?」というさらなる問いを立てて、「方便としての科学」という考えを挙げられています。唐突だ、と思いました、これでは、話が「社会」じゃなくなっている、問題意識がずれて、急に「個人の意識改革」の話になってる、という印象を受けました。
(でも、仏教はそもそも、「出世間」「脱社会」の教えで、あくまで「個人の意識」の破壊・変容を促すものだとすると、それで間違ってはいないと思います)
「科学」って理系ぽくて難しいのに、それが「方便」になるというのが、無茶な感じがする。
 ただでさえ仏教って難しいのに、それに科学が加わると、もっとタイヘン。
 ふつう方便って、「難しい」ことに到達するために、「易しい」ものを使うものでしょう。
 新しい理論や発見があると、それをみんなで学習しなければならない、って大変すぎる!
 科学っていうのは進歩が早すぎて、一部の人を除いて、フォローするのは難しいのでは。
 もちろん、科学の発展は、仏教をよりよく説明し、整理するきっかけになると思いますよ。

 ただ、今回は「社会の苦の軽減」の話の後にこれが来たので、ちょっと「きつい」感じがしました。

 ……(曽我)お返事はまとめて、次のメール「法華経について」の下に掲載しました。
 

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