ナチュラル メッセージさん 「輪廻・曽我の政治的スタンス・自虐史観」 2008,4,7,

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非常に真摯なホームページだと思います。 ただ輪廻に関しては、確かに魂といった実体のあるものが続いてゆく、というには誤まりだと思いますが釈尊が不記としたのは言葉では捉えられない何かがあるような気がしてます(当時の社会通念から不記としたほうが方便として良かったという事以上に)。

あと曽我様の政治的スタンスも所々見受けられますが、理由の有る反米は良いとして最近のチベット情勢について何も触れられないのはどうも偏っているのでは、と僭越ながら思えてしまうのですがいかがでしょうか?

ちなみに私は今の日本はあまりにも自虐史観に縛られていてオープンな議論がないため若い人たち(主にネットで)が怒りにまかせて鬱憤を撒き散らせている状況だと思っています。
健全な状況ではないですね。

失礼なことを書いてたらどうかお許しください
では、皆さんがお幸せになりますように。

 

曽我から ナチュラル メッセージさんへ  2008,4,10,

拝啓

 メール頂戴しながら、返事が遅くてすみません。

◆ 輪廻転生につきましては、釈尊の教えの核心である無常=無我=縁起と相容れないと考えております。この件については、これまでたくさんの方とほとんど同内容の不毛な議論を繰り返してきましたので、無記をもって対応させていただきたく、何卒ご了承の程お願い申し上げます。

◆ チベット問題について書かないのは偏っているのではないか、とのご意見も頂きました。
 書かない理由というより、私が時事的な問題についてなにか書くときというのは、ご指摘を頂いてあらためて振り返ってみると、概ね以下のような場合だと気づきました。

1) 世間で言われている視点とは、僅かでも異なる見方が可能であることを提示したい、もしくは、世間で注目されていないけれど重要だと思うことを提示したいとき。
 強く思うことであっても、世の中で既にある程度言われていることと同じ内容であれば、あえて私が繰り返す必要はないと思っています。

2) また同時に、上記の提示が、大きな苦の生産にわずかなりともブレーキをかける方向に働くと期待できるとき。
 「苦の生産にブレーキをかける」とは、「執着による自動的反応を燃え立たせないよう、よく分析してじっくりと考える材料を提供する」ということでもあります。

 今、チベット問題について私が感じていることを書いても、マスコミ等で言われていることと大差なく、上記ふたつの条件のどちらにもあてはまらないと思うので、書かないでおります。他にもたくさんのできごとに対して、いろいろと感じていることがありますが、同じ理由で触れずにおります。  チベットの歴史・現状に関する理解も不十分だと感じておりますので、今後注目を続け、私なりに苦の生産の抑制に資する視点を得ることができれば、ホームページ上に掲出しますので、その際はまた、ご意見・ご批判をお聞かせください。

◆ 自虐史観についても言及しておられますので、これについても思うところを書きます。
 自分達の間違いを反省するのは、当然のことだと思います。世界中のどこの国も民族も、何らかの影響力を行使した場合、たいていは何かしらの間違いをしでかし、自分達もよその人々も苦しめています。日本とて例外ではない。間違いは反省すべきです。欧米列強が植民地にして支配したから同じ事をしたまでだ、と開き直ることは出来ません。多少よい事があったとしても、それによって、しでかした悪を帳消しにできるわけではない。人を苦しめた罪は罪として、それぞれが自分の間違いを反省せねばなりません。
 自分の間違いを反省することを「自虐」と言い換え、間違いを見ないようにするのは、我執の反応です。戦争を引き起こすのも我執です。
 平和であれば、大抵の凡夫は善良な人です。しかし、戦争は、そういう善良な凡夫を極めて悪い縁にまみれさせる。縁起の反応である凡夫は、悪い縁によってひどいことをしてしまう。そのことがまた悪い縁になる。こうして戦争は苦を爆発的に生み出す。だから戦争はいけません。どのようにして戦争を始めたのか、戦争において何がおこなわれたのか、しっかりと検証しなければ、また同じ間違いをしでかすことになる。
 間違いをきちんと反省し、苦を撒き散らす反応を改め、さらに他の人たちの苦を抜くことを目指す。日本がそんな国になれれば、国民は自国を誇りにするし、世界中の人たちが日本を敬愛するでしょう。それは、けして夢物語ではないと思っています。私たちが本気で努力すれば・・・。
 しかし、反省を自虐と言い換え、間違いをなかったことにしようと姑息な策を弄する日本人が後を絶ちません。そういう人は、実は日本の足を引っ張り、日本に泥を抜り、恥ずかしい国にしている、ということになかなか気づいてくれません。私達誰もが凡夫(=執着の反応)である以上、執着の反応を制することは困難であり、仕方がないのかもしれませんが、大変残念なことだと感じます。

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 ご意見お聞かせ頂き、ありがとうございました。
                                   敬具

ナチュラル メッセージ様
             2008,4,10,               曽我逸郎
 

ナチュラル メッセージさんから  2008,4,11,

丁寧なお返事、ありがとうございます。

確かに何を書く書かないは曽我様のご自由なので余計なことでした。
ただ私としては仏教関係のページなのでなんで触れないのだろうと思いましたもので、(まったく政治的なものに触れてないのでしたら思わなかったと思いますが)すみませんでした。

あと輪廻転生の件ですが確かにこれも論争しても不毛です、人により解釈の仕方はこんなにも違うのだ、というしかありません。

一点だけ申し上げたいのは、私が自虐、という言葉を使った件ですが、この点多少誤解があるようです。

私も曽我様と同じように本当に悪い事をしたのなら大いに反省し、自戒しなければいけない、と考えております。

ですがネットをやるようになって色々調べるうちに一般に言われている事とはあまりにも違う事柄が多く、私自身今の曽我様と同じような考えでしたので大いに悩みました。

そこで、自分なりにかなり膨大な時間色々調べたのです、で、私の結論としては事実と違う事が事実としてまかり通っている事があまりに多い、ということでした。

ですから事実認識の差であって、なにも検証してない、ということではありません。

何が事実だったのか、要はこれが問題だと思います。

その上で事実として悪い事をしたのなら、反省すべきは当然反省しなければいけません。

何が事実だったのか、というのが一番難しいのですが私なりにいわゆる右、左の文献や資料を可能な限り調べたつもりです。

いや、騙されているんだ、と言われればそれまでですが前にも書きましたように私自身は本田勝一や鶴見俊輔なんかを愛読していた方で、始めはかなり懐疑的に調べたつもりですのでそんなに大きく間違っている結論ではないと思っております。

こういった問題は難しいですね。

もう水掛け論になってしまいますので一応これでこの件は終わりにしたいと思います。

お手をとらせて申しわけありませんでした。
 

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