SUHOさん 「これは、アニミズム型の梵我一如か?」 2006,9,6,

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曽我逸郎 様

はじめまして。SUHOと申します。

昨日、縁あって曽我様のHPに出会い、大変興味深く読ませていただきました。
私は「意識」の成り立ちに興味があって、これまで広く浅くではありますが、精神世界系、哲学系、禅、老荘関連の本などを眺めながら、未熟ではありますが自分なりの世界観をイメージしておりました。苦から開放され、自由な精神を獲得するためのイメージです。
そのイメージとは簡単に言うと、以下のようなものです。

私は「自然のはたらき」といったある種デジタル的な「作用のしくみ」があり、その「しくみ」中で、物事を「2元的に認識し、様々な概念や感情が発露する意識体」として人間が存在すると感じています。
「自然のはたらき」を観察すると、変化がとどまることなく続くと同時に、変化によって「調和」を維持しているように思えます。
自然の景色などを見ると、そこに人知を超えた「美」を感じてしまいます。また、身体などを観察していても、生命を維持するための「はたらき」が常に作用していること(自然治癒力など)、これまでの短い人生経験を踏まえても、その時に「苦」と感じた事象が、後になって「現在にいたるための貴重なプロセス」であったと感じ入ることなどから、「自然のはたらき」というものは万物個々が持つベストパフォーマンスを顕現させてくれる「はたらき」なのではないかという思いを強く感じているところです。基本的には禅や老荘に深く共感しています。これは曽我さんの見解からいうところの「アニミズム型の梵我一如」にあたるのだと思います。
一方、曽我さんがおっしゃられている極めてシンプルな「無常」「無我」「縁起」「空」といった捉え方に、自分の内部で激しく反応するものがあり、もっと深く理解したいという思いも高まっております。特に「無常」「無我」「縁起」「空」の先に「慈悲」が自動的に発露するといったイメージは、深く共感しているところです。
そこで曽我さんの「梵我一如」と「無我、縁起」に対する見解を、私のような仏教を知らない者にも理解できるよう、今一度解説頂けましたら幸いです。

草々

 

曽我から SUHOさんへ  2006,10,7,

拝啓

 メール頂戴しながら、返事が遅くて申し訳ありません。

 拝読して、失礼ながら「あたりまえ・・・般若経」を書いた頃の私に近いように感じました。私の考え方は、当時からはずいぶん変りましたので、今の見方から感じたことを書いてみます。

1) 「自然のはたらき」

 そのつどそのつどの様々な縁を空間的にも時間的にも十把一絡げに「自然のはたらき」として概念化してしまうと、それは容易く「梵」になってしまうのではないかと危惧します。
 釈尊は、「そのつどそのつどの縁によって、そのつどそのつどの私という反応が、どのような反応として起こっているのか、それをリアルタイムで観察せよ」と教えてくださった、と考えています。自然や宇宙や世界の全体といった問題は、釈尊は、ほとんど相手にされなかったと思います。

2) 「固有のはたらき」、「本来のはたらき」

 「固有のはたらき」、「本来のはたらき」を想定することは、「自性がある」と考えることとほとんど同じではないでしょうか? 縁によって起こる現象は、縁しだいであり、「固有のはたらき」とか「本来のはたらき」があるとは思えません。

 また、「それぞれに固有のもの、本来のものがある」という考えと、「善悪や好嫌の判断をすることなく、自然のはたらきのままに、あるがままに受け止め、淡々と対応することが大切である」という考えとを結びつけておられるのを読んで、「和の思想」を想起しました。

 「この和は、如何なる集団生活の間にも実現せられねばならない。役所に勤めるもの、会社に働くもの、皆共々に和の道に従はねばならぬ。夫々の集団には、上に立つものがをり、下に働くものがある。それら各々が分を守ることによつて集団の和は得られる。分を守ることは、夫々の有する位置に於て、定まつた職分を最も忠実につとめることであつて、それによつて上は下に扶けられ、下は上に愛せられ、又同業互に相和して、そこに美しき和が現れ、創造が行はれる。
 このことは、又郷党に於ても国家に於ても同様である。国の和が実現せられるためには、国民各々がその分を竭くし、分を発揚するより外はない。身分の高いもの、低いもの、富んだもの、貧しいもの、朝野・公私その他農工商等、相互に自己に執著して対立をこととせず、一に和を以て本とすべきである。」
     (文部省編纂『国体の本義』より)
 『国体の本義』のいう「分」が、SUHOさんの「本来のはたらき」とほぼ同義でありましょう。『国体の本義』は、「本来の分を守って余計なことは考えず、黙って従っておれ」と言っているのです。
 (『国体の本義』は、日本仏教の各祖師方についても解説をしているなど、さまざまなことについて独特の光の当て方をしています。今もう一度目を通していろいろと考えるべき資料だと思います。また、梵我一如思想のひとつの典型例でもあります。)

 戦争で中国に送られた人の証言で、初年兵訓練と称して、捕虜を銃剣で突き殺させられた、というのがありました。このような事態も想定すると、「善悪や好嫌の判断をすることなく、あるがままに受け止め、淡々と対応することが大切である」というご意見には同意することはできません。悪い縁を撒き散らし、おびただしい苦を生みださせることに対しては、きちんと批判をし反対をしていかねばならないと考えます。

 怒り、憎しみ、嫌悪、欲望・・・そういった悪い、自他に苦を与える反応も、「自然のはたらき」なのではないでしょうか? 「自然のはたらき」を無批判に認めることは、なにもかも全肯定することになってしまいます。捕虜を突き殺させることも、子供たちの上にクラスター爆弾をばら撒くことも、専制統治で国民をおびえさせ飢えさせることも、自爆テロも、テロリストだとレッテルを貼って秘密基地に拉致して拷問することも、、、こういった、ありとあらゆる悪を肯定せねばならないことになってしまいます。すべては「自然のはたらき」なのですから・・・。

 こういった苦を作る反応に唯一抗し得るのが、釈尊の教えだと思います。ですので、一人でもたくさんの方とともに、釈尊の教えを考えていきたいと思っております。今後ともよろしくお願い申し上げます。

                                  敬具
SUHO様       2006,10,7,                      曽我逸郎
 

SUHOさんから 曽我へ  2006,10,10,

曽我様

丁寧なお返事を頂きまして、ありがとうございました。

曽我様に返信いただいた内容は、現在ではとても腑に落ちるものとなっております。
といいますのは、ご質問のメールをお送りした当時は、書いた内容のそのままの考え方であったのですが、後に、曽我様のホームページをはじめ、釈尊の教えに関するホームページや書籍をいくつか読み進めていくうちに、釈尊の教えと言うものが、非常に目的が明確であり(苦からの解放)、人間の「実感」から組み立てられた、曖昧な概念の無い、シンプルな事実により組み立てられたものであることが解り、はっとさせられるものがありました。
正確には、これまで僕が触れてきた様々な精神世界の概念や思想などの説得力が一気に色あせてしまい、「余計な事・検証の出来ないことは考える必要がない」ことが解り、これまでの心の憑き物が一気に取れたような爽快感を感じたのです。
ですので、今は釈尊の言われること、当然、曽我様のがHPに書かれていることが、すんなりと腑に落ちる状況となっております。

私の以前の「本来のはたらき」の理解については、まさに曽我様のご指摘の通り、「私を良い方向へ導いてくれるもの」という依存や期待の象徴として扱っていたことに気づきました。これを曽我様に的確に表現頂いたことで、改めて私がどのように「自然の働き」に依存していたのかが解りました。ありがとうございます。

また「善悪」に関する考え方についても、以前は「本来、善悪という概念は人間の勝手な判断である」という思いと、現実生活において実感として湧き上がる「善悪」の判断に大きな矛盾を感じていたのですが、釈尊の教えや曽我様の今回のお返事で、あらためて「善悪」に対する捉え方を再整理することができ、この矛盾を解消できたことは、私にとって非常に大きな出来事でありました。

私自信「苦」を離れるために、いかに不確かな概念を駆使し、さらに「苦」を増幅する思考に陥っていたかが解りました。

現在では、ヴィパッサナー瞑想を実践し、今私に起こっている瞬間瞬間の出来事を正確に観察し、サティを入れるトレーニングをしています。

曽我様のホームページに出会ったことは、私にとっての世界観を根本から大きく刷新するものでした。
この出会いに深く感謝いたします。ありがとうございました。

曽我様の今後のご健康とご活躍を祈念しております。

2006.10.10

SUHO

 

曽我から SUHOさんへ  2006,10,16,

前略

 お褒めを頂き恐縮です。なんだか尻が落ち着きません。

 私とて勉強中の身、今後も、これまで同様、何度も前言を翻すことがあるかと存じます。眉毛に唾をつけながら、批判的に検討してください。

 他の方のお考えや、ご自身の思索によって、釈尊のお考えは実はこうだったのではないか、という発見がありましたら、是非私にも教えてください。

 よろしくお願いいたします。
                  草々
SUHO様
     2006,10,16,      曽我逸郎
 

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