遊子さん 阿弥陀仏の智慧と慈悲をいただくことにより、自在であることができるようになる。 2006,7,1,

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はじめまして、本多静芳氏との意見交換を拝読しました。私も、阿弥陀如来を二元論的神格化した受け止め方に違和感を感じている者です。私はただただ如来様に救っていただくばかり、この身このままのお救いという言い方をします。主体性が抜きになってしまっています。親鸞聖人は、現生正定聚を打ち出されたことがあまり語られていません。この世で如来と等しいさとりを得ることを強調すると、そのことが非常に難中の難であることから門徒に敬遠されかねない、僧侶の身であっても、ご信心頂くのはなかなかである。目覚めというような表現は、自力めいて聞こえ、他力にはふさわしくないと言う考えなのか、とも思います。本来他力とは、阿弥陀仏の本願力。他力回向で凡夫のものになってくださるのですから、頂いた時が、信心決定の身です。「有漏の穢身はかわらねど心は浄土に遊ぶなり」息をしている間は、煩悩を滅することはできないが、如来の視座を頂いたことで、執着から解放された自由の身を楽しむことができる。と味わいます。法蔵菩薩は元国王の身でした。世自在王仏の説法を聞いて、自ら発願しついに他を救うことで仏になるという阿弥陀仏になられた。というのが大経に説かれるの法蔵菩薩の因果です。なぜ、世自在王仏なのかという問いに、私達が本当に願っているいのちの「志願」というものがあるという答えを親鸞聖人は出されました。
「しかれば名を称するに、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたもう」(教行信証)
国王に象徴されるのは権力、名誉、地位、財欲による自我拡大の明け暮れ。城そして国という柵の中での生活。それを維持し続けることと、他国の侵略、謀反への恐れ。真の自由を求めたい(志願)が沸き起こったきっかけが、どんな世の中にあろうと自在に生きることのできる世自在王仏との出あいでした。一国一城の主とはこの私に置き換えてもいいでしょう。我欲から離れることができない私自身。阿弥陀仏の智慧と慈悲をいただくことにより、自在であることができるようになる。(脱自)死んでからの救いでは遅いのではないでしょうか。失礼します。      遊子

 

曽我から 遊子さんへ  2006,9,27,

拝啓

 本当に返事が遅くて申し訳ありません。メールを頂いてからもうすぐ3ヶ月になります。
 実は、ここ最近は親鸞を勉強しておりました。自分の問題意識があって、それを考える材料にしようという不純な動機ですが、ともあれ勉強して思ったことを小論集のページに掲出しましたので、ご意見頂ければ幸甚です。

 そんなにわか勉強による感想で申し訳ありませんが、頂いたメールで思ったことを書いてみます。

 正定聚とは、「この世で如来と等しいさとりを得ること」でもなく、「如来の視座を頂いたことで、執着から解放された自由の身を楽しむことができる」境地でもなくて、「弥陀に救い取られることによって、浄土に転生させてもらい、そこで修行を完成して、煩悩・執着を滅尽して仏となることが確約された(授記を受けた)」立場ではないのでしょうか。つまり、将来執着から解放されることは保障されているけれど、まだ達成されていない。浄土真宗の教義としては、弥陀の慈悲によって、浄土に迎え入れてもらい、そこで修行して、その結果仏になる。穢土においては、どうあがいても煩悩も執着もある凡夫のまま、なのではないかと思います。浄土の教えは、あくまでも「死んでからの救い」を説いているのではないでしょうか?
 ただ、妙好人を考えてみると、ひょっとするとおっしゃるように、穢土において「如来と等しいさとりを得」て、「執着から解放され」ているのかもしれません。しかし、それは浄土教の教義ではないでしょう。それに、「妙好人=仏」だとも思えません。それとも、妙好人が浄土の教えの隠された真の目標で、実は浄土も弥陀も、この世で妙好人になるための方便にすぎないのでしょうか?

 また、自由とか主体性については、詳細は小論を見ていただければ幸甚ですが、「無常=無我=縁起であるならば、縁によってはからい・努力・精進はするけれども、自由であったり自在であったりすることはけしてあり得ない」と考えています。自由とか主体性とかは、どんな些細なことについてであれ、私が第一原因になる得る、ということを意味し、すなわち、なんらかのアートマン的なものを想定しなければ成り立たない考えではないでしょうか。無常=無我=縁起を突き詰めれば、自由とか主体性などは否定されざるを得ない、と考えています。

 間違った理解をしていたら、ご教授よろしくお願いいたします。

                                  敬具
遊子様
       2006,9,27,                 曽我逸郎
 

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