ネルケ無方さん summary の英文について 2006,5,29,

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お久しぶりです。
まさか、曽我様がホームページのカウンターを気にされているとは思いもしませんでした。見る人が減るのは、おそらくおもしろみありがたみよりも、更新の回数ではないかと思います。二日おきにチェックしていた人たちは週に一回、週に一回チェックした人は月に一回という風に・・・私自身は仏道の追求はインターネットがメーンではありませんから、むしろ寺のホームページの内容についての問い合わせに困っていましたが、月一回の更新を三ヶ月に一回にしてから、大分減りました。お陰様で周りの人を相手にできる時間が増えました。
英語のsummaryをglance overしました。私はネーティブではありませんが、いくつか気づいた点があります。
Dukkha, anicca, anatta, paticcasamuppada, sila, samadhi, pannaなど、パーリ語の言葉は基本的に小文字で書かれた方がいいと思います。The Buddha(釈尊)やPali languageや教典の題名は大文字です。が、大乗仏教の「諸仏」はthe buddhasです。
Eight Noble Pathsは大文字でいいですが、普通はthe Eightfold Pathと訳されています。Nobleはthe four Noble Truthsで使います。
無常はImpermanenceではなくimpermanenceです。大文字が使われるのは、基本として名前(名称)の場合です。英語のテキストでは時々、the True Self とかAbsolute Realityとかいう言葉を見かけますが、大文字をつけることによって実体化しかねなりません。
英語の仏典にも色々な矛盾がありますが(場合によって、パーリ語の専門用語を全て大文字で書くこともあるようですが、英語として正しいと思えません)、梵我一如の考えを批判としようとする曽我様なら、大文字はなるべく控えた方がいいではないかと思います。

Don't we exist? No. All are changing in every moment. All arise, change and perish. We are arising, changing and perishing every moment. This is the teaching of Impermanence (Anicca in Pali).

The Buddha also taught Anatta, which tells that nothing can be our substance. That means we do not have any substance, such as souls. All are arising, being changed and perishing by causation. And that causes other occurrences. There is nothing that exists by itself. All are phenomena caused by other phenomena. It is the same with us.

ここは"All"よりも"Everything"がいいではないでしょうか?

We misunderstand as if we were something substantial....

よりも

We misunderstand ourselves to be something substantial...?

How we can realize it?

より

How can we realize this?

meditations より meditation

When our observation become... ここは becomes でなければなりません。

... we will be able to observe every changing of ourselves clear and close.

"all the changes in ourselves"か"the constant change of ourselves"か。

my self ではなく myself.

Teachings of Buddha・・・ teachings of Buddha or Buddhist teaching.

In other wards ではなく In other words.

But it is a rough and careless way of looking...

Maybe better: But it is a rough and careless way of looking at phenomena/things/reality.

合掌

無方

 

曽我から ネルケ無方さんへ 御礼 2006,6,3,

拝啓

 いろいろとご指摘ありがとうございます。勉強になります。

 不用意に大文字を使うと実体視を誘う危険があるとのご指摘、確かにまったくそのとおりです。今後は注意します。

 "All are arising, being changed and perishing." や "All are phenomena." では all より、everything の方が適切ではないか、とのご意見もいただきました。
 everything を避けて all にした理由は、everything の "thing" が「もの」というニュアンスを引きずっているのではないかと警戒したためです。
 一方、私の英文を見ていただいたOさんは、all を単数扱いにして is で受けようとされました。その時は、「これも、それも、あれも、どれも皆、という意味だから、複数で」と説明してその場は終わったのですが、考えてみれば、all を単数として扱うというのは、世界全体をひとつにして捉えることになり、「梵」の発想に近づいていることになります。"all" という言葉にも、「梵」的なニュアンスという危険性があると気づ きました。
 一方、everything を辞書で調べてみると、「もの」ばかりではなく「こと」についても普通に使われているようで、だとすれば問題はなく、私は一人で過剰に警戒していたのかもしれません。
 結局 "Everything is phenomenon. Every phenomenon is ---." というような言い方が、一番いいのでしょうか。

 それから、こういうご指摘もいただきました。
>... we will be able to observe every changing of ourselves clear and close.
>"all the changes in ourselves"か"the constant change of ourselves"か。
 このご指摘については、考えるところがあります。というのは、「私たちがいて、それがいろいろ変化する」というようには捉えたくないからです。そういう意味では、私の "changing of ourselves" というの も徹底できていませんね。
 私の考えでは、突き詰めていくと「私」とはそのつどのノエシスです。ノエマ自己は、ノエマ自己を想定するノエシスが時々立ち起こった時に、その時だけ想定されるものに過ぎません。そのつどそのつど縁によってノエシスがさまざまに立ち起こるさまを観察することによって、自分が無常にして無我なる縁起の現象だと気づく。そのように考えるなら、"to observe every changing of ourselves" ではなく "to observe every occurrence of ourselves" とすべきだと思います。
 しかし、いきなりそんな言い方をしても、予備知識のない人には 何のことか分からないでしょう。「ものは持続的に存在している」という受け止め方は、私たちに根深く染み付いており、それは言葉の構造にも色濃く反映されています。なにもかもが縁によるそのつどの現象であるということ(無常=無我=縁起)に厳密にこだわって文章を書こうとすれば、不自然で歪な文章にならざるを得ません。
 とはいえ、言葉を否定しては、釈尊の教えを聞くことも、理解を深めることも、伝えることも不可能です。言葉の使い方の腕を磨くことが大事だと改めて思いました。

 アクセス・カウンタや頂戴するメールを気にしているのは、やっぱりなるべくたくさんの人に読んでいただきたいし、批判的にであれ私の考えを検討していただきたいからです。たとえ私の考えが間違っていたとしても、それがきっかけになって検討がなされて、釈尊の教えの理解がどこかで少しでも深まるならうれしいことです。そしてまた、メールをもらえると私には気づきのヒントになります。

 無方さんには、毎回良い刺激を頂いて感謝しています。

 頂いたご指摘、"summary" に反映させます。

 ありがとうございました。
                                 敬具
ネルケ無方様
         2006,6,3,                 曽我逸郎
 

 

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