谷 真一郎さん 返信 2006,5,27,

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 先月にメールをいただいてからだいぶ遅くなりましたが、ぼつぼつと返信を書かせていただきます。
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 曽我さんが書かれた事、「釈尊の教え、無常=無我=縁起は、きわめて単純・明快であり、自分の身において起こっていることを、そのままありのままに説いたものです。……しかし、凡夫においては、奥深く染み付いたものの見方(変わらぬ価値を持って実体があるという見方)は抜きがたく、無常=無我=縁起をなかなかそのまま素直に見ることができない。」全く同感です。
 この引用部分の後、曽我さんは私が出した瞑想というテーマに沿う形で、その直後の部分で「それができるようになるための訓練として」瞑想を位置づけていらっしゃいます。在家の人間にとって瞑想は方法の一つであって必須ではない、と私は考えておりますが、曽我さんもおそらく、私の出した瞑想というテーマに関して、瞑想の位置づけとしておっしゃっているのであって、在家の者にとって瞑想を必須と捉えていらっしゃるわけではないと思います。とすれば、この点でも、曽我さんと私とで特に不一致点はありません。
 在家の立場から「無常=無我=縁起をそのまま素直に見る」ための(瞑想以外の)主たる方法については、何年か前の曽我さんへのメールで、自分の経験や常識的な見聞をもとにして二つの方法に整理してみた事があります。以下、多少字句を修正して再掲します。

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【99/05/09のメールのリライト】
 八苦のうちの後半の三苦(愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦)の原因は、他者や(多かれ少なかれ他者に媒介されて自分の前にやってくる)外的対象物です。これらは最初から「意味」という契機を免れません。つまり認識イコール執着なのです。従って、そのような苦に対する「対治」としては、対象認識(=執着)の外側からそれに並置するかたちで、「しかし、それは縁起して有るものであり無常である」という認識を心に刻んでいくことになるはずです。「執着する自己」を消去するのではなく(それは不可能)、「執着する自己」のかたわらに「執着を批判する自己」を置くのです。「四念処」というのはおそらくそういう修行法です。「身は不浄なり」「受は苦なり」「心は無常なり」「法は無我なり」ということを観想することで、日常の意味的諸存在に対する執着を外側から中和ないし削減していくわけです。美人の小野小町が死んで、腐乱して、野犬に食われて、白骨になって……という続き絵の絵解きを写真で見たことがありますが、あれだって、泥臭いやりかたではあれ女性に対する執着を多少減らすことにはなります(よね)。
 一方、前半の四苦(生・老・病・死)の方は、自己存在が有限の枠の中に入っている(だからこそ自己存在なのですが……)ということ自体に由来する苦です。換言すれば、「自分」というものがいつか終わってしまう、自分の身体にはその「終わり」に向けての刻印がしだいに打たれていく、ということへの苦です。従って、この苦に対する「対治」としては、たとえ一時的ではあれ、自己存在が有限の枠から放たれ(従って自己存在ではなくなり)、「世界」と同一となっているという体験が有効であるわけです。この場合、「世界」は他者を介せず、直接にその全貌を開示して彼を抱き取らねばなりません。以前のメールで「存在そのものの露呈」と呼んだ経験のありかたがこれです。私は山が好きなのでここでどうしても大自然の景観や森林を前にした経験が思い出されてしまうのですが、曽我さんのいわれるように、「細部に宿る神」の姿が雨音やコーヒーの湯気の中に顕れることもあるでしょう。
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【99/12/8のメールのリライト】
 「縁起しているものである」という「反省」が、その都度の意志の発動によらず(こう言ってしまえばミもフタもないようですが)「条件反射的に」起こるようになること、これが、「主客対再生」の状態、すなわち日常性としての「悟り」の状態の第一義であると思います。
 そうなるためには、日常の我執・法執の経験の「かたわらに」、(その経験自体は消去できませんからそれに併置するかたちで)知的な反省としての「無我」「無常」を置く、という修練を続けることが有効です。5月9日にお送りしたメールで「三苦(愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦)への対治」としたものがそれにあたります。条件反射の形成というのはある意味ではスポーツにも似たフィジカルな作業ですから、出家して「四念所」のようなメソッドに従うことが、時間的には最も早道でしょう。しかし、出家できなくても(ちょうど合宿生活しなくても通いでも、さらには日曜だけの練習でもそれなりにスポーツに熟達するように)、そのような「無常・無我の条件反射」に至ることは可能です。自分で言うのもなんですが、私自身も仏教の本を読んだり「徒然草」を再読三読したおかげで、事に触れての無常観がやや条件反射的に出てくるようにはなっています。こういうのを「聞法の功徳」というのでしょう。

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 さて、ここから先が、曽我さんと私とで分岐してくると思われる論点です。
 (曽我さん)「釈尊が、言語による学習や思索にあわせて、瞑想も奨励されていたことは、おそらくは間違いないことだと思います。しかし、それは、あくまで理論的な教え(谷註:「無常=無我=縁起」)を自分の身において確認し納得するためだったと思います。」
 曽我さんはここで、我々が心がけている「ものの見方としての仏教」と、紀元前のインドでの出来事である釈迦牟尼の悟り、及び最初期の仏教教団のありかた、とを同一視されておられるように思われます。しかし、事実問題として、それは違うのではないか、と私は考えるわけです。
 私の考えを、まず、結論的に簡便に述べると以下のようです。
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 釈迦牟尼は貴族とも王子とも言われる地位を捨てて出家し、性的遮断を続け、瞑想の果てにひとつのアウラ的瞬間に到達されました。これが「成道」と呼ばれる出来事です。
 「成道」以後は、(考察や心構えを必要とせず)縁起的世界を直接に感受されるようになられました。そのように「世界」が変容しました。そのように変容したところの(現象学的な意味での)「生きられる世界」に住む存在を「仏陀」と呼びます。また、「世界−身体」という構図で捉えた時、その状態を「有余(うよ)涅槃」と呼びます。
 「仏陀」となられて「有余涅槃」の状態にある釈迦牟尼は、出家者の集団を統率・指導し、自分の体得した方法によって彼らの多くを「成道」に導かれました。
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 我々も又、先に述べた在家の二つの道(「知識としての縁起を日常経験のかたわらに置いて『薫習』する」「〈世界〉に直面する経験を持つ」)と、さらに加えるならば念仏・唱題等のバクティ的方法によって、「世界」を変容させる事が可能である、と私は考えます。
 しかし、その変容の度合や、変容の不可逆性の度合は、釈迦牟尼の「有余涅槃」には比すべきものではないでしょう。「有余涅槃」に達しようと考えるのであれば出家し、戒律を守った生活をして身体を浄め、適切な指導者のもとで瞑想を続けなければならないでしょう。
 大乗仏教・上座部仏教を問わず、「出家」と「在家」の理念の違いはここにあります(理念と言うのは、日本では現実の出家者のほとんどはお話にならないので)。方法が違い、従って、それぞれが目標とするところの達成の度合いが違うのです。
 「在家」の方法については上に書きましたから、以下、「出家」的方法の原点である釈迦牟尼の悟りと原始仏教教団のあり方について、私の理解しているところをまとめてみます。

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 釈迦牟尼の出生当時の北インドでは、バラモンの祭祀至上主義に反発して、以下の二つの流れが存在しました。
@ウパニシャッド文献にあらわれる人たち。彼らは知的探求に没頭し、めいめいの探求の結果を言語化して戦わせますが、それはしばしば王侯の面前で行われるゲームと化し、真理に就くよりは自分の主張に執着して相手を言い負かそうとする邪道に陥っていました。『スッタニパータ』の中でも最古の部分とされる「八つの詩句の章」のかなりの部分は、この傾向に対する批判にあてられています。苦の原因としての執着を否定する、という仏説のモチーフの、少なくとも端緒はこの問題、すなわちウパニシャッド論師が自分の論点に固執する事への批判にあったのではないか、と思わせるほどです。
A我が身をそのまま祭儀の場と成して、「修行の熱(タパス)」の力で超越的なものに触れようとする流れ。広義のヨーガであり、その起源はおそらく非アーリア的(ドラヴィダ的)部分にあります。個人で、あるいは師(グル)を中心とする集団を成して、種々のヨーガを行ずるのが一種のムーヴメントになっていました。
 その中には反社会的な唯物論を説く者(いわゆる六師外道の中のいくつか)もいたわけですが、総じて、彼らの修行の目的は、「バラモンが祭儀を通して神々を動かす(と考えられる)事に対する、価値的な対応物(それらも比喩的に「祭儀」と呼ばれる)」を、自らの身体を通じて得る事だったと考えられます。つまり、バラモン的祭儀(犠牲獣と火を中心とする)とは別の通路を通って超越的なものに達したい、という事です。
 彼らは「沙門文学」と呼ばれる詩のようなものを色々と残しており、それらにはジャイナ教文献と原始仏典のそれぞれの最初期のものに共通する表現が見られます。つまり、ジャイナ教(団)も仏教(団)も、この修行者の群れの中から生じてきたのです。
 「沙門文学」にあらわれているのは、解脱を求めて出家し、人里を離れ、時には迫害に遭いながらも黙々と修行する(その忍耐はしばしば象に喩えられる)ヨーガ行者たちの姿であり、原始仏典に見られる修行者たちの姿と大差ありません。
 ジャイナ教(団)と仏教(団)の教義上の違いとしては、人を輪廻につなぎとめる「塵」が、前者では外から付着すると考えたのに対して、後者では内面から生ずる、とした事です。(ただ、原始仏典の中にはジャイナ教的見解についひきずられてしまって「外から」ともとれる箇所もあります。)
 ジャイナ教では「外から」の付着を物理的に遮断するために、断食や、時には呼吸を止める等の苦行が要求されました。
   ***  膨大な原始仏典の中で、私が読んだのは岩波文庫に収録されているものにすぎません。しかし、その管見を以て言うならば、釈迦牟尼の開かれた原始仏教は基本的に出家修行者の世界であり、主張されている事は、実践的順序で言えば以下のようです。以下の@〜Cは、原始仏典の各所に頻出する事柄を私なりに整理したものです。それぞれ前のものが後のものの条件になっています。
   *
@出家してサンガでの集団生活をする。
A釈迦牟尼の指導と出家者の相互監視によって戒律を守り、感官を統御し、瞑想の成果を期待し得る身体を作る。
(戒律の中心は性的遮断・殺生禁止・1日毎に消化器を全く空にすること、です。
我々は在家者であって戒律を守っていないわけですが、それはそれとして、出発点の仏教(団)にとって戒律が決定的に重要なものであった事を見逃してはいけないと思います。)
B瞑想によって、釈迦牟尼が達せられたのと同じ宗教的体験に達する。
C日常意識が変容し、もはや自分は輪廻から解脱したとの確信が得られる。
 (その変容は後代になって縁起説として理論化される。)
 (その意識状態が退転しないように、出家・持戒の生活は継続される。)
   *
この順序を逆に辿れば、以下のような理論的説明になります。これはそのまま原始仏教の基本教義です。
C現象はすべて縁起して生じているものであり、我(法我)は存しない。
Bしかし凡夫の意識はさまざまの(業のあらわれとしての)貪りや執着にとらわれており、縁起的世界を縁起的世界として見ること(解脱)ができない。縁起的世界を縁起的世界として見ることができるようになるためには、個体としての自己意識(人我)が個体の殻を破って超越的なものに触れる「悟り」の体験(理想を言えば、その最深のものである「滅尽定」に入る事)が必要である。
Aレベルの高い瞑想を行うための日常のヨーガ技法として、性的遮断や短期間の断食状態が有効である。しかし、いわゆる苦行は必要ではない。
@このようなヨーガ技法は家庭生活の中では行われ難いから、それを志す者はグルの指導のもとに集団生活をせねばならない。
   *  曽我さんの考えておられる、「ものの見方としての仏教」、という観点から見れば「ミもフタもない」話と思われるかもしれませんが、原始仏典と(それにかかわる)いささかの書物を読んだ限りでは、釈迦牟尼が指導された事はこのような事だった、と私は判断します。

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 歴史的事実としての釈迦牟尼の悟りをどう捉えるか、については、昔から二つの立場の間での論争がありました。
@端的に「釈迦牟尼の悟り=縁起説」とする説
A釈迦牟尼の悟り自体は言語化不可能なものであり、縁起説(縁起的世界)は悟りの結果として「見えてくる(見えてきた)」ものである、という説
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 古くは戦前に、@和辻哲郎とA木村泰賢の論争があったと聞いています。近代仏教学の源泉である宇井伯寿は「仏説=縁起説」と捉えていたようですので@に属するかと思います。
 現在では、駒沢大の袴谷憲昭・松本史朗(及び彼らの師である山口瑞鳳)の「批判仏教」派が@であるのに対して、(故)玉城康四郎と津田眞一はAです。山折哲雄のものは少ししか読んだ事がありませんがAのようです。
 出家・在家の問題で言うならば、両者の区別を重視しない立場が@、理念としての両者を区別する立場がAになります。
 私は、Aの立場を採ります。理由は色々な方向から考えられるのですが、仏教プロパーの議論で言うならば、十二因縁の出発点が「無明」となっている事が理由です(戦前の和辻・木村の論争でも木村は「無明」を論点とした、と以前どこかで読んだ記憶があります)。
   ***
 十二因縁そのものも釈迦牟尼の時代に定式化されたものではなく、後世に属します。しかしここでは、十二因縁と、それが一般化された「万物に実体無し」「これあるが故にかれあり(相依性)」という縁起説(つまり「ものの見方としての縁起説」)との違い、そして、仏教の悟りにおける両者の関係、を考えてみたいと思います。
 縁起説が十二因縁を離れて一般化すると「万物に実体無し」「これあるが故にかれあり」という水平的関係のみの世界観となります。ポジティヴに言えば「超越的な何者も認めず、ありのままの現象に就く」という事になるでしょう。これが「ものの見方としての縁起説」の内容です。
 これは確かに仏教に属する見方です。誤謬に陥るとは勿論言えません。しかし、単に「ありのまま」を見るという事であれば、釈迦牟尼は何故「我の証得せるこの法は甚深にして難見・難解・寂静・美妙にして尋思の境を超え……」(マハーヴァッガ)と言って説法を躊躇したのでしょうか。
 「ありのまま」であれば何故それに人々は気づかないのか。「迷い」に障碍されているからであり、障碍された状態の方が人間の常態だからでしょう。とすれば、「迷い」からの脱却は(少なくとも、涅槃とも成道とも言えるような決定的な脱却は)単に「教えてもらう」とか「気をつける」という事では済まない、何かしらの「超越」を含んでいる、と私は考えるわけです。
 さて、十二因縁は「無明」に始まり「老死」に終わる一方通行です。つまり、「無明」というカオス的なものから具体的な(迷いの)「世界」が湧き立ってくる構造になっています。従って「迷い」は障碍ではなく、人間の本来性として捉えられています。「これあるが故にかれあり」という一般論とは力点の位置が全く違います。水平的ではなく、現象の根拠を問う垂直的な発想です。
   ***  十二因縁と「無明」に関するこの解釈は、曽我さんのおっしゃる「梵我一如」(あるいは松本史朗が口をきわめて批判する"datu-vada")につながるような解釈かもしれませんが、フロイトやユングの「無意識」論や神話学から見ればきわめて腑に落ちる議論ですし、「迷いの意識」の内容が多くの人に共通である事とも合致します。
 「無明」という実体があるのではなく、その正体はおそらく、猿が(あるいは動物が)人間に進化した時に生じてしまった運命的な変調・失調であると思います。人間は身体の中に閉じ込められ、身体とともに滅びてゆく存在であるにもかかわらず、その意識は身体を超えて宇宙を想う可能性を孕んでいます。また、(おそらくその事と深く関係して)種々のタブーが生じたり、動物としての合理性から逸脱した過剰や倒錯を色々と抱え込んでいます。共同体生活の中では「四苦」「八苦」として感じられるものの、これが最深の根拠になると思います。
 後述しますように、宗教というもの一般が、人間のこの「運命」に対する補償の試みだと私は考えるのですが、何らかのメソッドによって「無明」を断ずる、というのは人間のこの「運命」を一挙に逆転する事であり、宗教の目的から見ると100点満点、そうそう簡単に出来る事ではなかろう、という気がします。
 「無明」を断ずるのが修行の果てのアウラ体験、という事になりますが、ここで少し脱線して、アウラ体験一般に関する論点に触れます。
   *
(曽我さん)
アウラ体験というのは、体験のさなかでは「永遠の現在」と感じられても、往相と還相の間であるのなら、「日常的・縁起的」時間においては、一時的なかりそめのものに過ぎないのではないでしょうか? アウラ体験は、一種の変性意識体験だろうと思います。たいていの宗教に見られるし、ドラッグなど脳が通常でないいろいろな状態の時にも起こり得ることであり、確かに釈尊の教えとは別物だと思います。
   *
 この事に関しては、私は事実認識の点では曽我さんと同じで、評価が違ってくるわけです。カスタネダの本にはメキシコの土着呪術師から瞑想技法を学んだり、その際にペヨーテのような薬物を用いる話が出てくるそうです(実際に読んではいませんが……)。まさに「変成意識体験」ですが、そういう事は古くから世界中にあり、そのアウラの深さ、方法の危険性の有無、アウラの後の「還相」の日常意識に対してどの程度規定的であり得るか、等々で優劣があり、改良もあるわけです。仏教のみならずカトリック、イスラム教、道教、ヒンドゥー教等には確立した瞑想のメソッドがあり、一定の素質のある人が師に就いて学べばだいたい同じ「変性意識体験」に達することができると思います。「還相」の段階で紡ぎ出される言葉はそれぞれ違うわけですが。
   ***
 脱線した話を元に戻します。
 何らかの方法で「無明」を断ずる(あるいは転換する)ことが出来た時、「識」以下の諸支も順次転換するものと考えられます。そうなった場合、縁起的世界の様相「これあるが故にかれあり」は「知識として日常経験のかたわらに置かれる」ようなものではなく、そのように変容した日常〈世界〉として直接に感受されるものになります。
 そして、そのような転換は知的操作によって成されるような事ではなく、出家者となり、性的遮断等によって身体を整え、適切な師の指導のもとに瞑想を柱としたヨーガ修行が必要となるわけです。
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 仏伝によれば、「我の証得せるこの法は甚深にして難見・難解・寂静・美妙にして尋思の境を超え……」という説法躊躇の後に梵天が出現して説法を勧請し、ここに仏教が開かれます。
 この神話の意味するところは、説法(仏教)という事は釈迦牟尼の悟り(成道)から自然に出てくる事ではなく(もっと確言すれば釈迦牟尼の悟り自体の中に「慈悲」が含まれていたわけではなく)、成道以後に付け加わった判断による、という事でしょう。
 釈迦牟尼の活動は、出家の弟子に対しては自らが得た瞑想のメソッドを指導して自分と同じ「成道」に至らしめる事であり、在家者に対しては出家者への支援を求める一方、「ものの見方としての仏教」を、主として「知識としての縁起を日常経験のかたわらに置いて『薫習』する」方法で説かれたのだと思います。そして、そのような在家者向きの説法の中で縁起説は「万物に実体無し」「これあるが故にかれあり(相依性)」という形に一般化されていったと思われます。

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 ここまでで、曽我さんからいただいたメールに対応して書くべき事はほとんど書いたように思います。
 しかし、メールの冒頭で曽我さんが書かれていたように、仏教というものへの、曽我さんと私とのアプローチの違い、という事が確かにあると思います。これはどちらが正しいというものではありませんが、私のアプローチについて少し説明させていただきたいと思います。
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 3つほど、私の見聞というか経験を書きます。
@私にはクリスチャンの友人が一人います。高校の同級生で、最近数年間は年賀状だけのつきあいになっていますが、彼を見ていると、その無垢な人格はキリスト教(彼の場合は無教会派)が作ったと思えます。私には真似できません。ただ彼は最近は無教会派の中心的位置にある何人かの人々に対して不信を抱き、「(自称)キリスト教徒ではないキリスト教徒」になっているようです。
A私はヨーロッパの古い教会建築が好きで、そのための旅行も何度かしています。2年前に中南部フランスのロマネスク教会をいくつか見ました。これは非言語的な経験になるわけですが、あの重厚な石の壁に囲まれた空間は「聖なる場所」である、と感じます。そういう場所に2〜3時間も居続けて出てきた時、深い満足感をおぼえます。「聖なる場所」があるからには、そこには存在の何らかの位階において「聖なるもの」がある、と私は考えます。
B5年ほど前、ミャンマーへ行った時、そこの人々の正直さや互いの仲の良さを見て感激する事が何度もありました。彼らの倫理的バックボーンになっているのは言うまでもなく上座部仏教ですが、断片的に聞いた彼らの話から判断するに、それは無常とか縁起といった世界観ではなく、主として「〜せよ」「〜してはならない」という戒律として存在しているようなのです。つまり、彼らにとって仏教とは、その根拠を問う事が許されない「父の教え」であり、みながそれに従う事で円満な社会生活を送る事ができているのようなのです。
   ***
 このような見聞から、以下のように考えます。
@私が仏教徒である事自体もひとつの縁であること
A仏教以外のの縁からもそれぞれ、ニセモノでない「宗教的なるもの」に触れることができること
Bそれらはいずれも、彼の対社会的な人格を高め、かつ、死に向かう有限性としての自らのありかたについても納得を与えてくれるものであること
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 「宗教」とは何か、という問いに対しては、二つのレベルの答があり得ます。
@この個体(として想定されるもの)の、精神的な救済(安心立命)の道
A個体・対象的物材・現存の社会(共同体)、等々、を超えた所(あるいは背後)にある「超越的なもの」に関与すること
 これらを「宗教」の狭義と広義、あるいは「宗教」と「宗教的なるもの」、と言っても良いかと思います。
 曽我さんはおそらく、@の形で仏教を考えておられると思うのですが(そしてその把握の仕方は、仏教プロパーの言説の中では問題無く通用すると思うのですが)、私としては、Aから始めて、その「文明史的な派生」として@を捉えたい、と思っているわけです。
 浅学ではありますが、キリスト教、ユダヤ教、ヒンドゥー教、神道、仏教、あるいは人類学的な研究対象となるような宗教的諸現象(アニミズムやシャーマニズム)、を見ますと、それらの全体はAの定義でくくることができるように思われます。そして、A「宗教的なるもの」に関して共通に、以下の特徴があります。
a「超越的なもの」への関与は、(自然的あるいは人工的な)特定のシンボルを通じて実現すること
b「超越的なもの」との接触は非日常的なアウラ体験として起きること
c「超越的なもの」との接触には多かれ少なかれ能力上の条件があること
d「超越的なもの」との接触は、何らかの形での「瞑想〜(両者の違いは連続的です)〜憑依」の技術を伴うこと
e「超越的なもの」の顕現ないしそれとの接触が得られやすい「聖地」が存在すること
   ***
 曽我さんは、このような「超越的なもの」との関係抜きの所に「仏教」を考えていらっしゃるのかもしれません。
 であれば、仏教以外の伝統宗教・世界宗教については「超越的なるもの」への関与を認め、仏教のみをその例外とし、かつ、その例外たる事を以て仏教の正当性の柱にする、という論理構成になるのでしょうか。
 それでは端的に言って「仏様を拝む」事のできない「仏教」になってしまうと私は思うのです。
   ***
 ここで言うA「宗教的なるもの」の起源は難しい問題です。
 前にも少し触れたように、おそらく、人間が猿と別れた事で失った(あるいは変調・失調した)何ものかを補償するかたちで「超越的なもの」の観念が生じたのではないかと思います。あるいは、より現象学的に言うならば、人間が猿と別れた段階で、その「住まわれる世界(体験される世界)」に属する不可欠な要素として「超越的なもの」が入り込んで来たのだと思います。
 それに較べるならば、共同体のモラルを与えたり個体としての有限性(そこから来るさまざまな「苦」)からの救済となったりする宗教@(「◯◯教」として存在しているもの)は、人類史のある段階で共同体と家族・個人が分離したり、広義の「貨幣」によって個体を超える抽象的な「力」が出現したりした事に対応する「文明史的派生」であろうと思います。
 もちろんそれは切実な派生であって、世に◯◯教と呼ばれるさまざまな派生態を観念に取り込む事で、個体は「せちがらく」なった世界をなんとか生きているわけです。
   ***
 おそらく曽我さんはこう問われるのではないでしょうか。
 谷自身は何ら修行をしておらず、従って「超越的」なるものに触れていない。本を読んでまとめて言っているだけの事ではないのか、と。
 そういうわけでもないのです。
私は、自分が何故「山」や「森」に惹かれるか、を考えてみる時、そこに見られる個々の物材(木とか石)を「通して」、かつ、個々の物材を「超えて」、彼方のなにものか、ハイデガーが「存在(Sein)」と呼んだもの、を感じているからだ、と言わざるをえません。「超越的なもの」に関する理論が先にあって、従って山や森ではそうなるはずだ、というのではなく、山や森に惹かれる現実の自分のありかたへの説明として、やはり広義の「宗教的なるもの」を考えざるをえない、ということです。
 あるいは、山や森以外の話をするならば、私が日本では好んで古寺を訪ね、ヨーロッパではロマネスクの聖堂を訪ね、インドではガンジスの源流を訪ね、ということをするのは不統一なでたらめではなく、「共通のもの」をそこに感じるからであり、その「もの」に惹かれるからです。

   ***

 さて最後に、残った論点を二つほど。
 まず、「梵我一如」の問題です。私の山や森の体験(を語ること)が「梵我一如」にあたるのか否か、という問題でもあります。
(曽我さん)
「分節・区別が消失し言語化不能の永遠の現在」というのは、ブラフマンの概念に近いように感じます。谷さんのメールには、全般的に言って梵我一如的な印象を受けました。確かに「仏教」の大半は梵我一如的でありますが、はたして釈尊もそうであったのかどうか…。私は、釈尊のお立場は、梵我一如の徹底的な否定だったと思っています。
   *
 これについても以前のメールでお送りした文章をリライトして載せさせて頂きます。
【99/3/27のメールのリライト】
 もともと、無我説・縁起説ともども、そのようなテーゼのかたちでは仏説には含まれていなかったと思われます。
 まず、実体的なアートマンは、すでにウパニシャッドの段階で否定されております。
「この『非ず、非ず』という(標示句によって意味される)アートマンは、不可得である。」(ブリハッド=アーランヤカ=ウパニシャッド 中央公論『世界の名著1』p82)
 次に、原始仏典で無我説を説いている箇所では、「〜は我にあらず、〜は我所にあらず」という形式をくりかえして、「〜」の中に五蘊や十二支を次々に代入しております。両者には論理の形として共通性が見られるわけです。
 では、弟子の一人が「そもそもアートマンは『どこかに』『何らかのかたちで』、『存在する』のか、それとも『全く存在しない』のか。」とあらたまって問うたとすれば、釈尊はおそらく無記をもって答られたのではないか、と推測します。
   *
 ハイデガーは「存在者(Seiende)」と「存在(Sein)」の差異を「存在論的差異」と呼んで強調しましたが、仏教的に言えば「存在(Sein)」とは「不可得」のものであり、「不可得」のものとしてやはり「存在」するわけです。
 いわゆる批判仏教派は初期般若経と法華経以外のすべての大乗経典をdatu-vadaすなわち梵我一如として否定しますが、それは暴論です。私のいくばくかの読書の印象では、華厳経性起品あたりまでがぎりぎりの緊張(ハイデガー的に言えば存在論的差異の自覚)を保っているのに対して、後期大乗の涅槃経や如来蔵思想・大乗起信論ではその緊張が崩れてしまって梵我一如になっている、と判断して大過無いかと思います。
 しかし如来蔵や大乗起信論では実践的にダメかというとそうでもなくて、出家者の場合も在家者の場合もそれぞれに、良い師(善知識)に出会う事(声聞)あるいは自覚的かつ批判的にものを見る事(独自または縁覚)の方が大切だろう、と思います。

   ***

 次に「不生不滅」の問題です。
(曽我さん)
 龍樹の「不生不滅」は、「自性を持って」ということばを補い、「自性を持っていたなら生まれることも滅することもあり得ない」と理解すべきであるのに、「不生不滅の実在」として解釈されている、という意味です。
   *
 「物事に自性があるのであれば生滅は無いはずだが、実際には自性は無いのだから生滅はある」という解釈になるのでしょうか。
 この読み方では、「自性」という言葉(と、それに関連する助辞)を加える事で、全体の意味するところを逆転している事になります。つまり、龍樹は明らかに「生滅しない」と書いているのに「生滅する」と読み替えていることになります。
 確かに、仏教では一般に無常を説き物事の生滅を説いているし、それは縁起という事とも整合します。『中論』もこのように読み替える事で仏教一般との間の整合性を得られるわけです。しかし、テキストにひっかかる部分があれば、ひっかからないように無理に読み替えてしまうのでなく、何故そこがそのように書かれたのかをよく考えてみるのが正しい方法ではないでしょうか。
 私はそう思って色々考えながら読んでみた結果、「不生不滅とはこういう事ではないか」と、ほぼあたりをつけていました。ずっと以前に曽我さんのお宅にお邪魔した時に、それをお話しした記憶がありますので、その時点ですでに考えていた事になります。それが最近になって立川武蔵『空の思想史』を読み、自分が漠然と考えていた事がそこにはきちんと整理されて書かれており、そこで「中論再読」のメモを書いた次第です。
 結論のみ繰り返すならば、悟りの瞬間のアウラ的・無時間的体験においては「不生不滅」になるのです。そしてその後の「還相」の日常では再び「生滅」になるのですが、それは凡夫にとっての即自的生滅(=苦)とも、理念としての在家のありかたである「ものの見方としての縁起説」とも異なって、考察や心構えを必要とせず生滅の姿がそのまま感受されるようになるのです。
 「不生不滅」をこのように解釈する事は「不生不滅の実在」を考える事とは別物である事、言うまでもありません。ただ、後期大乗になると、無時間的アウラの中でのみ有効となる規定を日常性の中に持ち出してもてはやし、果ては修行不要論のようなものにまでなってしまった(天台本覚論)のも事実です。

   ***

 以上、約3週間の間に書きましたが、内容が重複する部分があるのは御寛恕下さい。
 自分の仏教観のほぼ全体にわたる文章となりました。「縁」を与えて下さった曽我さんに感謝いたします。
                    2006.5.27.

 

妹尾義郎さんから カスタネダの「ドンファンの教え」 2006,6,10,

谷真一郎さんの「返信」について。

>カスタネダの本にはメキシコの土着呪術師から瞑想技法を学んだり、その際にペヨーテのような薬物を用いる話が出てくるそうです(実際に読んではいませんが……)。
カスタネダの「ドンファンの教え」はまったくの虚偽、創作であることが確定しています。

皆神龍太郎ほか『新・トンデモ超常現象56の真相』 (太田出版)

その他、邦訳文献では人類学者のマーヴィン・ハリスの著作で、精査がなされていたのですが、どの著作か、いまは指摘できません。

以下は参考
http://www.eleutheria.com/vquest/mp/mp.html

どうも、この種の瞑想体験記には眉唾ものが多いようです。それだけ、「異様」な出来事ということでしょう。そんな異常体験をブッダが教えの根本とするはずはないのですが……
 

 

曽我から  谷 真一郎さんへ 無常=無我=縁起は超越的なものを否定する 2006,7,1,

 拝啓

 返事遅くなりました。

 なかなか溝は埋まりそうもありませんね。今回も、相違点を確認するような内容になりそうです。お赦しください。

>在家の人間にとって瞑想は方法の一つであって必須ではない、と私は考えておりますが、曽我さんもおそらく、私の出した瞑想というテーマに関して、瞑想の位置づけとしておっしゃっているのであって、在家の者にとって瞑想を必須と捉えていらっしゃるわけではないと思います。
 瞑想は必須かどうか。
 「必須である。瞑想なくして釈尊の教えは体得できない」と言い切るほどの確信はありません。しかし、私は、釈尊の教えを自分のこととして腹に落ちて納得するために、瞑想(定における自己観察)は非常に有効な方法だと感じています。瞑想だけでもだめですが、瞑想も組み込まれる必要があるのではないかと感じます。瞑想以外で、無常=無我=縁起を自分のこととして納得するという効果を期待できる術は、今のところ思いつきません。同時に、気をつけないと、瞑想によって変性意識体験にはまってしまう危険性もあり、その点は警戒すべきだと思っていますが・・・。
>従って、この苦に対する「対治」としては、たとえ一時的ではあれ、自己存在が有限の枠から放たれ(従って自己存在ではなくなり)、「世界」と同一となっているという体験が有効であるわけです。
 「自己存在が有限の枠から放たれ(従って自己存在ではなくなり)、「世界」と同一となっているという体験」というのは、やはり梵我一如的な没我ではなかろうか、と思います。南伝経典の中には、私が読んだ限りですが、自然の賛美はほとんどみあたらず、「世界と同一となる」というような記述もないと思います。漢訳阿含は読んでいませんが、おそらく同様でしょう。南伝経典にも増広はたくさん混ざりこんでいると思いますが、増広したものにも見出せないということは、もともとなかったのだと思います。「世界と同一」は、大乗において混ざりこんだ考えであって、釈尊のお考えにはなかった。それに留まらず、釈尊が否定されたところの梵我一如の側からの、仏教への巧妙な攻撃・腐敗菌の混入であったと考えます。

 「細部に宿る神」についても、今は、同様の問題があり、誤解を生む言い方だったと感じています。細部に目を凝らせば、神ではなく、ただ縁起が見えるだけです。

 世界は、釈尊においては、問題にされていなかったと思います。無記に見られるとおりです。世界に目をむけることではなく、周囲からの縁と自分自身の縁によってそのつどの私が起こってくる様を観察して、無常=無我=縁起を自分のこととして腑に落ちて納得し、苦をつくる自動的反応を停止することが、釈尊の教えであったと考えます。

>釈迦牟尼は、・・・、瞑想の果てにひとつのアウラ的瞬間に到達されました。これが「成道」と呼ばれる出来事です。
>そのように「世界」が変容しました。
 谷さんが、「アウラ的瞬間」とか「アウラ体験」という言葉によって言おうとされていることは、言語化不能の主客対消滅・世界との合一体験でしょうか? もしそうであるなら、私もかつてはそういう考えを持ち、それに憧れていました。しかし、現在では、それは、梵我一如によって変質させられた「仏教」であったと反省しています。

 「世界が変容する」というと、確かにそういう表現もあてはまるのかもしれませんが、その表現は、私にはなにかエクスタシーのようなものを連想させます。エクスタシーではなく、disenchantment。「世界が変容する」のではなく、「愚かにも私は自分について間違った見方をしていた」と気づくのです。

>凡夫の意識はさまざまの(業のあらわれとしての)貪りや執着にとらわれており、縁起的世界を縁起的世界として見ること(解脱)ができない。縁起的世界を縁起的世界として見ることができるようになるためには、個体としての自己意識(人我)が個体の殻を破って超越的なものに触れる「悟り」の体験(理想を言えば、その最深のものである「滅尽定」に入る事)が必要である。
 普段の私は、積み重ねられてきたパターンによるところの執着の自動的反応、まさに凡夫そのものですが、時々こういう感覚になることがあります。

 ルーパが渦巻き、集まり、散り、流れている。普段の私はその中のそこここにナーマを妄想し、価値を盛りつけ、固定化して見ている。ナーマを実体視している。しかし、このとおりナーマは幻のごとく実体がない。ルーパもひと時も留まることはない。私もまた、しかり。今の色身というルーパ、「自分」というナーマ。誰もが、幻影を実体視して、執着し、空騒ぎしている。

 映像としては普段と変わりはありません。それぞれの「個物」も同じように、現れていますし・・・。ただ、感じられ方は、少し様子が変わっています。実体視がなくなった分だけ、軽くなったというか、希薄になったというか・・・。ともあれ、けして高揚感の伴うものではありませんし、超越的な要素もありません。

 勿論、この「体験」は、「悟りの体験」というような大それたものではなく、ごくごく初歩的なレベルだと思います。しかし、それでも、なにかしら、実体視のほつれた隙間から、縁起する世界が縁起する世界として見えていると感じます。なにか非日常的決定的な宗教的体験をするまでは、縁起はまったく見えないのではなく、初歩的なレベルでもそれなりに感じることはできると思います。最終的には、決定的な体験があるのかもしれませんが、そうだとしても、それは超越的なものと一体となる体験ではないだろうと想像します。

 釈尊は、凡夫に縁起を縁起として見ることができるようになる方法を教えて下さいました。確かに、凡夫には縁起は見えていませんが、釈尊の教えに従えば、縁起が縁起として見えてくる。どうしてその中間に、「個体としての自己意識(人我)が個体の殻を破って超越的なものに触れる体験」を押し込む必要があるのでしょうか?

 「超越的なもの」が、宗教一般にはいくら共通であったとしても、こと仏教に関しては、超越的なものを要請することは、反仏教的だと思います。

>曽我さんは、このような「超越的なもの」との関係抜きの所に「仏教」を考えていらっしゃるのかもしれません。
 であれば、仏教以外の伝統宗教・世界宗教については「超越的なるもの」への関与を認め、仏教のみをその例外とし、かつ、その例外たる事を以て仏教の正当性の柱にする、という論理構成になるのでしょうか。
 それでは端的に言って「仏様を拝む」事のできない「仏教」になってしまうと私は思うのです。
 「例外たる事を以て仏教の正当性の柱にする」つもりはありません。私は、無常=無我=縁起という釈尊の教えが、正しく深いと考えます。無常=無我=縁起ゆえに、釈尊の教えは正しい。そして、無常=無我=縁起は、「超越的なるもの」を否定します。無常=無我=縁起は、他に例を見ない画期的な発見であり、教えです。

 私は、一般の「仏教」徒の方々が神様や仏様を拝むような仕方でなにかを拝むことはしません。しかし、釈尊は、信じられない位、想像を絶するほど、すごい方であると敬慕しています。

>もともと、無我説・縁起説ともども、そのようなテーゼのかたちでは仏説には含まれていなかったと思われます。
 まず、実体的なアートマンは、すでにウパニシャッドの段階で否定されております。
「この『非ず、非ず』という(標示句によって意味される)アートマンは、不可得である。」(ブリハッド=アーランヤカ=ウパニシャッド 中央公論『世界の名著1』p82)
 次に、原始仏典で無我説を説いている箇所では、「〜は我にあらず、〜は我所にあらず」という形式をくりかえして、「〜」の中に五蘊や十二支を次々に代入しております。両者には論理の形として共通性が見られるわけです。
 では、弟子の一人が「そもそもアートマンは『どこかに』『何らかのかたちで』、『存在する』のか、それとも『全く存在しない』のか。」とあらたまって問うたとすれば、釈尊はおそらく無記をもって答られたのではないか、と推測します。
   *  ハイデガーは「存在者(Seiende)」と「存在(Sein)」の差異を「存在論的差異」と呼んで強調しましたが、仏教的に言えば「存在(Sein)」とは「不可得」のものであり、「不可得」のものとしてやはり「存在」するわけです。
 「「〜は我にあらず、〜は我所にあらず」は、言語化不能で不可得のアートマンを説いている」と考えるなら、ウパニシャッドを学べば良いと思います。「不可得の実在するアートマン」が好みであれば、ウパニシャッドで満足していただきたいと思います。ウパニシャッドの範囲内で自足できるでしょう。
 どうか、釈尊を持ち出して、「釈尊は、アートマンを「不可得」の「存在」として説いた」」などとはおっしゃらないで下さい。

 「アートマンを問題にしない」ということと、「アートマンは言語化不能で不可得な存在である」と考えることとは、まったく違うことです。釈尊はどこにもアートマンを見出されなかったし、ありもしないアートマンを実在視して執着することが苦の原因である、と説かれたと考えます。

> 次に「不生不滅」の問題です。
(曽我さん)
 龍樹の「不生不滅」は、「自性を持って」ということばを補い、「自性を持っていたなら生まれることも滅することもあり得ない」と理解すべきであるのに、「不生不滅の実在」として解釈されている、という意味です。
   *
 「物事に自性があるのであれば生滅は無いはずだが、実際には自性は無いのだから生滅はある」という解釈になるのでしょうか。
 この読み方では、「自性」という言葉(と、それに関連する助辞)を加える事で、全体の意味するところを逆転している事になります。つまり、龍樹は明らかに「生滅しない」と書いているのに「生滅する」と読み替えていることになります。
 確かに、仏教では一般に無常を説き物事の生滅を説いているし、それは縁起という事とも整合します。『中論』もこのように読み替える事で仏教一般との間の整合性を得られるわけです。しかし、テキストにひっかかる部分があれば、ひっかからないように無理に読み替えてしまうのでなく、何故そこがそのように書かれたのかをよく考えてみるのが正しい方法ではないでしょうか。
 先日の谷さんへのメールに書きましたとおり、「自性をもって」ということばを補って読むというのは、小川一乗『大乗仏教の根本思想』(法蔵館)からの拝借です。自分でそんなことを主張できるほど私は中論を勉強していません。この読み方は、同書P278にツォンカパのヒントとして紹介されています。P338にも、「不正不滅」に関する記述があります。

 また、私自身がレグルス文庫で『中論』を読んだ範囲で言えば、右側ページ、青目釈鳩摩羅什訳には、「決定して」という言葉があちこちで補われていました。観去来品24偈(レグルス文庫上巻P150)には、「決定とは、本実有に名づく。・・・不決定とは本実無に名づく。」とありますので、「決定して」は、「自性をもって」という意味だと思います。ですので、「自性をもって」を補うのは、結構伝統的正統的な読みなのではないでしょうか。

 我々が「**」として捉えているモノは、自性があるものとして捉えられておりますが、自性があるならば龍樹の言うとおり「**」は、「**」としては生じることも滅することもありえません。しかし、自性を持つものとして妄想されない(あるいは、先ほどの言い方なら、ナーマとして実体視されない)現象世界は、変化しつづけています。
 我々が、事物をいくら自性のあるものとして見做し、取り扱おうとしても、事物に自性はなく、生じ壊滅していきますから、龍樹は「不生不滅」を帰謬法で語っていると考えます。自性を妄想するという束縛から私たちを解放するために・・・。

 ひとつだけ、釈尊と龍樹の違いについて付け加えるなら、釈尊が自分という反応の観察・分析に終始されたのに対して、龍樹は、論敵との対論という形式のためか、事物一般もテーマにしているように思えます。龍樹から時代を下るにつれて外界を語る度合いが上がっていき、「不生不滅の実在」、梵の代役としての「空」、真如法界へと発展・逸脱し、「仏教」は梵我一如化していったのではないかと思います。

・・・・・・・

 ご意見お聞かせいただきありがとうございました。またよろしくお願いいたします。

                                   敬具
谷 真一郎様
        2006年7月1日            曽我逸郎
 

 

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