ネルケ無方さん <続き>なぜ意識が必要? なぜ一人に一つの意識? 2006,2,18,

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曽我様

長いご返事をありがとうございました。
曽我様ご自身も「奇抜さを狙っている訳ではありません」と仰いますが、「私」というものがない、従って「自由」というものもないという考えを私は今やメーンストリームだと思っています。私自身もそのメーンストリームにハマっています。しかし、その考えで答えられない問題がいくつかあります。茂木健一郎さんもそこを問題定義しようとしているのでは、と思っていますが、茂木さんをさておき、自分なりにもう一度問います。

1)そもそも何で「意識」があるのか?我々はなぜ哲学的ゾンビー・意識のないロボットではないのか?「私」も「自由」もないなら、意識がなくても良さそうのに・・・高尚なレベルでのシミュレーションが行われる場合、どうしても意識が生じてくるという説もあるが、別にシミュレーションがいくら複雑でも、無意識の内に行われても良いのでは、と思う。そもそも、「起きようか、寝ようか」という朝の決断と、食べ物を消化している胃腸の働きを比べると、胃腸の働きが複雑に見えるが、無意識でもちゃんと行われている。なのに「起きようか、寝ようか」というくだらない決断を下すまで何分もが・・・一体全体、なぜ意識が必要?なぜ無意識に呼吸ができるのに、意識的に呼吸を見ることもできれば、意識によって呼吸をコントロールすることすらできるのか?

2)なぜ人間一人に対して意識が一つ?「私」と「国家の意思」の比例は分かりやすいが、大きな違いがあると思う。天皇陛下、総理大臣、国民のそれぞれに意思がある。それが噛み合って、国家全体がいかにも「意思があるかのように」動くが、その「国家の意思」もまた天皇陛下・総理大臣・曽我さんや私がそれぞれ勝手に想定した「国家の意思」であって、国家そのものには当然意思がない。つまり、国民の各々は意識の主体になれるが、「国家」全体はそれになれない。「私」の場合はそれが逆であって、色々なサブシステムが噛み合って「私」を形成しますが、それぞれのサブシステムにそれぞれの「サブ意識」があるとは思えない。確かに、「眼耳鼻舌身意」と分けて数えますが、畢竟おなじ「私の意識」で意識されるのでは?「耳」だけに集中し音の世界のみを意識した場合、耳に「いかにも」耳だけの意識があるかように感じられるが、そう感じるのも「私の意識」。そのため、西洋哲学では「眼耳鼻舌身意」を六根といわず、「眼耳鼻舌身」という五根が「意」で意識されると考えます。仏教なら、西洋哲学の意識は六根の「意」ではなく、唯識の七番目のマナス識に近いでだ・u桙・、。いずれにせよ、「私」の場合は意識が一つ、その持ち主という「私」がいかにも実在しているように感じられる。「国家の意思」の場合はそれぞれのサブシステムの意識のみが実在している(ように感じられる)。それはなぜか。体だって、新陳代謝によってつながっています(とくに妊婦とおなかの赤ちゃんの場合)。意識は脳内現象だから、脳みそ一つに対して意識が一つ・・・これだけですませるものか。なぜ脳みそ一つの中に同時に意識が二つ以上も生じられないのか。なぜ心臓に意識がないか。なぜ「国家」や「宇宙全体」に意識がないか?

3)胡散臭い話だが、輪廻転生や臨死体験の話・・・私もこれは無我を説く仏教にとっては異物だと思う。ところが、前世の記憶がある云々という話はたくさんある。また、臨死体験は死後の話ではないが、オペの天井から医者の髪の毛が見えた等々という話の不思議さの一つは、意識が体から離脱しながら、一点を保っているというところだ。つまり、体内なら体と繋がっているから意識が一つと言うことになるが、体から離れても意識が一つというのはなぜ?まさか天井から脳みそまで神経がのびているというのではないでしょう?茂木健一郎さんのサイトからダウンロードできる「生きて死ぬ私」でこれを問題視している。これらの話が100%ウソだというなら、それで問題が片づくのだが、1%でも本当かもしれないと言うのなら、大きな問題になりかねない。

4)上の三つと直接関係ないが、発心・精進・成仏まで「もがき足掻き反応」の延長線にあるのであれば(私もそう思うのだが)、一方で「無明の力」といわれるこの「もがき足掻き反応」が他方で「仏の御いのち」言われても良いのではないか?つまり、原始仏教は「無明」という出発点に重点を置き、大乗仏教は(曽我さんに言わせれば「運がよければ届くかもしれない」)終着点に重点を置く。無明も仏の御いのち(=天地いっぱいの生命)も畢竟裏表一枚(あるいは同じ延長線上)ならば、ある意味では生死即涅槃もいえるのでは?

Q4)の場合、私の答はイエスですが、1〜3)までは正直言ってなかなか答えられません。断片的にしか書いていませんが、曽我さんも日頃よくお考えになっている問題だと思いますので、どうお答えになるのでしょうか。

合掌
無方

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