ネルケ無方さん 地方分権、新興仏教青年同盟、性善・性悪 2005,10,9,

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 お久しぶりです。曽我さんのホームページの更新に刺激されて、メールを差し上げます。特にsincekeさんの「地方分権について」 に対するお答えから学べそうです。

 以前にも「外からカネが落ちる村作り」に対する私の疑問を曽我さんにぶつけましたが、今回の回答で少し納得できました。なるほど、都会人の知らないところ・認識しないところで田舎の人は金儲けにつながらない苦労をたくさんしています。おばあさんの田圃の草取りだけではなく、子育てと老人の面倒見もそうだと思います。うちの浜坂町では、高校卒業とともにほとんどの人は京阪神に出向いてしまい、そのまま帰ってこないか、年をとってから帰ってきます。つまり、都会で労働している人材を田舎が育て、場合によってはその老後の面倒まで見ています。都会で就職できるまで一人の人間を育てるにはどれだけのお金がかかるのかを考えていますと、すごく理不尽な話です。

 だからといって、「村の外からカネが落ちる」にも色々あると思います。以前のメールでも述べましたとおり、安泰寺の境内の中で「地滑り対策」という名目で今日まで100億円以上が井戸掘りや砂防ダム作りに使われています。町の建設業者にとってはありがたい話ですが、このカネは一体何なんだと私は理解に苦しみます。なぜかと言いますが、これで地滑りの危険が少なくなるのであればいいですが、砂防ダムのおかげで田圃への水路は途絶え・・・、残土やコンクリートはあちらこちら・・・、畑の中に生コン社のための道路ができてしまい・・・、と色々負の部分も多いです。そもそも、バス停から寺までの4キロの道のりは未舗装の凸凹の道ですから、100億円と言うお金がれば、まずそちらの方へ回した方がよいのでは・・・、あるいは廃校になってしまった山の麓の小学校はどうなのか・・・、「外からカネが落ちてくる」というと、いつもこんな思いが頭に浮かびます。

 一番刺激になりそうなのは『新興仏教青年同盟「宣言」』かもしれません。キリスト教なら、こういう怒りに満ちた文章はそれほど珍しくありません、言い意味でも悪い意味でも「和を尊ぶ」日本仏教としては異例でしょうし、貴重だと思います。ネット上に「21世紀の妹尾義郎の輩出を妨げることは、まったく不可能」と書いてありましたが、私もそういった運動の力になれたらと願ってやみません。遠藤誠さんの「今のお寺に仏教はない」の愛読者でもありますし、自分もオウム事件と絡んで日本既成仏教の無責任な態度を考える際、似たようなことを発言しています(安泰寺のHPの「オウムから10年」という所です)。ただし、「新興仏教は、先ず、自己反省に出発せねばならぬ」という言葉を常に忘れてはならないと思います。

 もう一つ、「悪い暴力には正しい暴力を」という現代に蔓延っている平和ぼけというか、ハリーウッド映画並の世界観に対する曽我さんの見方には全く同感です。ところが、たとえば「人間とは自動的反応 automatic reaction である・・・100%ではないにせよ、そのほとんど(98%位?)は automatic reaction に違いない」という発言は、戒・修行・瞑想を考えた際に、大きな問題をはらんでいるように思います。というのは、人間という「私」の98%は自動的反応(=無明)だが、本の1%か2%そうではない「私」もいる。この「良き私」が自動的反応している自分を観察し、セルフ・コントロールをし、少しづつ良い方向へもってゆけばいい、という考え方になりかねません。そして、瞑想や修行へのアプローチの多くはまさにそれです。無明から離れて、仏に近づくという考えです。しかし、それですと「世界の98%以上は不自由・不平等で貧乏である・・・彼らを正しい考え方をもった2%の私たちが自由と平等と物質的豊かさで救ってやらなければならない」という考えに似てはいないでしょうか。正しいのと、正しくないのと、誰が決めているのか、ということです。皆「私が正しい」と思っているに決まっています。所詮、その「1%か2%の自動的反応でない私」もまた、無明の作用に過ぎないのではないでしょうか・・・。

 まだ深く考えてはいないのですが、初期仏教と大乗仏教の基本的な違い、これには「性悪説」と「性善説」のような違いがあると思います。無明を人間の本性を見なすか、ありのままの人間のなかに仏性を見いだすのか。そして、それぞれの考えにそれぞれの落とし穴があるのでは・・・。性が悪でもなければ善でもない・・・、しかし、「悪い」部分があって、それを「善い」部分で押しつけるのでもない。以前「凡夫を離れて仏になるのではなく、凡夫が凡夫を自覚してこそ仏」というようなことを書いたのも、そういうことを念頭に置いてのことです。

 もっと考えが熟したら、また報告いたします。今日は雑感をそのままぶつけて、済みません。

合掌   ネルケ無方


曽我から ネルケ無方さんへ 2005,10,10,

拝啓

 こちらこそご無沙汰をしております。冬の頃は、春になったらトレイルバイクでも買って安泰寺見学(or 修行)に行こう、などと思ったりもしておりましたが、当分実現できそうにもありません。

 「外からお金の落ちる村」の言い訳をしますと、こういう背景があります。当時わが村で市町村合併が問題になっていて、「国からくるお金が減るから、合併するしかない。もし合併しないなら、行政サービスを落として、住民負担を増やすしかない」という主張がなされていました。それに対する反論として、「村にはいいところがたくさんあるのに死蔵されている。それを活用して上手に売る工夫をすれば、国からのお金とは違う形で、外からお金を取ってこれるのではないか。」と考えました。それが「外からお金の落ちる村」の意味です。もうひとつ付け加えると、その前に「頑張る人を支援して、」という枕言葉がついています。
 つまり、頑張らずに補助金を当てにするのではなく、村のよさ、たとえば野菜や果物やお料理や景色や文化や歴史やおもてなしを、頑張って外に提供して、喜んでもらって、お金も入ってくる、そういう村にしようという意味です。

 国からのお金をまったく当てにせずゼロでやっていけるとは思っていません。ただ、国からのお金がどのくらい減るのか分かりませんが、無駄をなくすことと、村のよさを外に売り出すことで、その分を補えるのではないかと思っています。なにより自分たちで頑張って、その頑張りが村の外の人に喜んでもらえて、しかもお金になれば、張りが生まれるし、元気な村になれるのではないかと思います。

 『新興仏教青年同盟「宣言」』については、ちょっと熱すぎて、捨に欠ける面があり、性急すぎてかえって自他に苦を作ることになったのではないかという気もしています。しかしながら、おっしゃるとおり日本の「仏教」には欠けている問題意識を持っていることは確かで、それは引き継いでいかねばならないと思います。

 人間が「性善」か「性悪」かという問題については、このように考えます。人間には、執着の反応パターンと慈悲の反応パターンと、もともと両方がある。しかし、思春期のあたりから、現実世界を生き抜いていく術として、執着の反応パターンを研ぎ澄ましていく。その結果、おとな(=凡夫)においては、執着の反応が慈悲の反応にはるかに勝っている。凡夫はちょっとしたことですぐ腹を立て、そういった自動的反応で、自分と他に苦を与えあっています。

 わずかな主体性で、自分という反応を観察し、それが執着による反応、苦を作る反応になっていないか、気をつけている。そういう努力は基本であり重要であると思います。これは、良い・悪い、正しい・間違い、善・悪があらかじめ決まっていて、98%の自動的反応はすべて悪、2%の注意深い観察は善というわけではありません。自動的反応にも、汗をかいたり、朝夕の挨拶のようなニュートラルな反応があり、慈悲のようないい反応もある。だけど、その中にかなりの割合で、苦を作る執着の反応も混じっています。苦を作る執着の反応が起こるときに、なるべく早いタイミングでそれに気づく、そのことに努力することが必要だと思います。そういう努力を続けることによって、自分という自動的反応の反応パターンが改変されていくと思います。また、観察を続けることで、自分が持続的実体的存在ではなく、そのつどそのつどの縁に反応する脈絡のない無我なる現象であることが納得されてくると思います。

 「凡夫が凡夫を自覚してこそ仏」とおっしゃるのは、(無方さんとは若干ニュアンスが異なるかもしれませんが、)そのとおりだと思います。無自覚なままに、執着の自動的反応を繰り返して苦を生み出しているのが凡夫です。そのことを自覚できれば、仏に向かって大きな一歩を踏み出せたことになります。
 そして、下のように腹の底から納得できたときが、覚であり、仏であるのかもしれません。
 「これまで私は、自分が変わらぬ独立自存の存在であると妄想し、それに執着し、それを守り育てるために争い怒り、自他に苦を作り続けてきた。しかしそんな我はなかったのだ。私は、そのつどの縁によるところの無常にして無我なる反応であった。そんなものにいくら執着しても、自分のものとして留めて置くことなど不可能だ。執着しても詮方ないものに執着していた。なんと私は愚かであったことか」

 いつかそのうち、安泰寺にお邪魔できる日を楽しみにしております。

 またご意見お聞かせくださいませ。
                              敬具
ネルケ無方様
        2005,10,10,              曽我逸郎

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