阪口圭一さん アドラー心理学 2005,10,3,

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初めまして
**に住む阪口といいます

「感情表現における主体性」をキーワードに検索していて、貴方のHPに行き着きました。

私と原始仏教との出会いは、今から約20数年前で、ある人から、増谷文雄さんの著作を勧められ、日本仏教が、原始仏教から遠くかけ離れていることを知りました。

 更に、仏教のことや瞑想のこと、心理学のことを教えていただいたのは、アドラー心理学学会会長(当時)野田俊作氏です。

 著書、アドラー心理学「トーキングセミナー」<性格はいつでも変えられる>星雲社刊は、いつ読んでも指針を与えられます。

 アドラー心理学では、「感情は、行動の原因ではない」といいます。「感情は、対人関係の中で、相手を操作する道具として、ライフスタイルによって無意識的に作りだされ使われるに過ぎない」といいます。(同書200ページ)

「感情は、問題解決のために、ある目的をもって作り出され使われる。ところが、それは幼児的な問題解決で、感情をもって達成しようとしていた目的は、もっと理性的な手段を使ってでも達成できる。」(2003ページ)

 確かに、止観、シャマタとビパッサナを日々日常続け、陰性感情を使う瞬間をひっつかまえて、「あ、自分は今陰性感情を使って相手を支配しようとしている」と気付けば、いいのですが、カルマ・業といいますか、学習された条件反射を止めるのに一苦労も二苦労、十苦労しております。

      阪口圭一


曽我から阪口さんへ 2005,10,5,

拝啓

 メール拝受いたしました。

 アドラー心理学というのは、不勉強で存じ上げませんでした。頂いたメールからすると、書いておられるとおり、私が仏教から学んだことのひとつ、「私たちは(執着に基づく)『学習された条件反射』によるそのつど反応で、結果苦を生み出している。気をつけて、自分という反応を観察し、自分という反応を苦を生まない、執着に導かれないものに改変していく」という教えと、通ずる部分があるように感じます。

 それから、私たちの「目的」というものも、自覚的に選び取ったというより、大抵は縁によって知らないうちに刷り込まれたものではないか、ということも思いました。

 今後もまた、是非ご意見お聞かせ頂き、お気づきの点をお知らせください。

                                敬具
阪口圭一様
        2005,10,5,                曽我逸郎

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