岸 善生さん 縁起=決定論?について(量子論は三重の意味で非決定論) 2004,7,31,

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曽我さん、こんにちは岸です。

ホームページ楽しみに拝見させていただいております。
最近、決定論について議論がされているので、量子論の立場ではどうなのかを考えて見ました。

量子論では、三重の意味で、非決定論です。
予測できるのは、現象そのものではなく、可能性だけであることが、第一の非決定論的なところです。
ニュートン力学では、物を投げれば、物がどのように飛んでゆくかを確実に予測できますが、量子論では、どこに飛んでゆく確率が高いか低いかだけしか予測できません。
第二に、この確率が、波動性を持つため、不確定性原理が成り立ってしまうので、位置を正確に決めようとすれば、速度が不正確になり、エネルギーを正確に決めようとすると、時間が不正確になってきます。
これは、波のフーリエ変換の性質です。位置と速度、エネルギーと時間が、それぞれフーリエ変換で結ばれていることが原因です。
第三に、現象は、「起きている」ものでなく「起こす」ものということです。
確率の波に私たちがどのように働きかけるかによって、起こる現象が変わってきます。同じ、確率の波が存在していたとしても、我々の働きかけ方によって、違う現象が起こってきます。観測対象と観測者のその時のエネルギーの状態によって、確率の波の位相が変わり、波が強めあったり弱めあったりした結果、強めあったところだけが現象として残ります(現われます)が、波の位相にエネルギーがパラメーターとして含まれているため、その時のエネルギーの状態によって、波の強めあい方が変わってくるからです。
つまり、現象は「決まっている」ものではなく「決める」ものなのです。

未来や過去は一意に決まっているかということに関しましても、今この瞬間には全ての過去の起こり得た状態(可能性)が畳み込まれていますが、一瞬前の過去にも、それ以前の起こり得た全ての過去が畳み込まれているということが起こっております。
また一瞬先の未来にも、今起こり得る可能性が全て畳み込まれてゆくというのがこの世のつくりのようですので、時間につきましても、このようにあらゆる可能性の絡み合い(これが縁起というものでしょうか)になっているようです。

この可能性の絡み合いに、働きかける(接する)ことによって、ある現象が起こってきますので、働きかけ方、接し方によって、現象は大きく変わってくるのです。

曽我さんの、ホームページ運営には、頭が下がります。
これからも、楽な気持ちで生きられるよい世の中になるよう、運営方、宜しくお願いします。

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岸 善生
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曽我から岸さんへ質問 脳における不確定性原理 2004,8,3,

拝啓

 メールありがとうございます。まさに岸さんにお尋ねしようと思っていた矢先に頂戴しました。

 私達が、なにかすること、しないことで、現象は大きく変化し、未来の現れ方も大きく変わるということですね。そして、その変化は、非決定論的なので、しばしば思いがけない結果となり、私達はあわてふためくことになる。

 岸さんのホームページに私の質問を掲載して頂いているのにも気づきました。よく分かっていない素人の質問でお恥ずかしいのですが、光栄です。ありがとうございます。

 実は、不確定性原理や観測問題についてあれこれ書きかけたのですが、案の定、収拾がつかなくなってしまい、ギブアップしました。あまり戦線を拡大せず、当面の課題に集中したほうがよさそうです。

 当面の課題とは、A・Hさんから頂いた「無我=縁起は決定論であり、無我=縁起であれば主体的努力は不可能ではないか」という御意見にきちんと答えることです。

 で、そのためにアドバイスを頂ければありがたいのですが、我々の内部でも、不確定性原理は働いているのでしょうか? 特に、脳の神経細胞の興奮の伝わり方に、どういう影響をもたらしているのでしょうか? シナプスでの伝達物質の放出とか受容体との結合とかが、不確定性原理によって非決定論的になるということはありますか? たぶん不確定性原理は、さまざまな形でニューロン間の情報伝達を非決定論的にしていると思うのですが、どの過程にどのような効果がもたらされているのか、想像できません。

 非決定論的になるとしても、それだけでは<どういう反応をするか分からない>というだけで、<望む方向へ努力する>ということにはなりませんが、押さえておければと思っています。

 おそらく、岸さんがテーマにしておられる領域からはずれた質問をしているとは思っていますが、お考えになること、お聞かせ頂ければ幸甚です。

 我侭を申してすみません。宜しくお願い申し上げます。

                                 敬具
岸 善生様
       2004、8、3、
                              曽我逸郎


岸さんから回答  2004,8,4,

こんばんは、岸です。

数式ばかりのページより、曽我さんとさせていただいた対話の方が、実はとても分かりやすいということに気付きまして、勝手ながら私のHPにも掲載させていただきました。

「無我=縁起であれば主体的努力は不可能」という事はないように思います。
まさに、曽我さんがおっしゃるとおり、
>「私達が、なにかすること、しないことで、現象は大きく変化し、未来の現れ方も大きく変わるということですね。そして、その変化は、非決定論的なので、しばしば思いがけない結果となり、私達はあわてふためくことになる。」
ということだと思います。
私たちは、確かに大きなものに動かされて居るようですが、これにゆだねすぎることは親鸞の言っている「本願ぼこり」につながってしまうように思います。

脳のお話は、私もあまり得意ではないのでどこまでお答えできるか分かりませんが、現代物理では、解明されてない大きな点として、量子論と重力理論の統一があります。
空間と時間の畳み込みを言及しているファインマンの経路積分の方法は、量子論と電磁気学を統一した量子電磁力学なのですが、このファインマンにも重力を含めた理論の統一はできませんでした。

この量子論と重力理論の統一に注力した物理学者にペンローズがいます。
ペンローズは、この「量子重力理論」では、計算不可能な過程が出てくるであろうと主張していました。A・Hさんがおっしゃっていたように、現在の状態から未来の状態を容易に予知することが出来ない「カオス」などの力学系でさえ、「計算可能」な過程(決定論)ですから、ペンローズのいう「計算不可能な時間発展」(非決定論)というものは、根本的な変革です。

前置きが長くなりましたが、この計算不可能な量子重力の過程が、脳の中のマイクロチューブルという蛋白質において起こっているとペンローズは言及しています。そしてこのマイクロチューブルで起きていることが波動関数で、ニューロンとニューロンの間のシナプスの伝達効率の変化が波動関数の収縮であるという説があるようです。ニューロン間の情報伝達とは、この波動関数の収縮しているポイントを単に追いかけているに過ぎず、これは現象界です。この現象界の後ろに全体性としての波動関数があり、マイクロチューブルと深く関係しているようです。
これらの説が、もし正しいとすれば、脳の中の情報伝達も、非決定論的に起こっているということになりますね。

どうも、この辺の話になってくると、今まで読んだ本の受け売りにほとんどなってしまっております。
切れ味の悪い回答、平にご容赦ください。

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岸 善生
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