ひばりさん 大宇宙の法則、律動、呼吸、鼓動 2004,3,10,

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素直に、また遠慮ないことを述べますが、気を悪くしないでください。
曽我さんは宗教、中でも仏教について詳しいようなので、これまで突っ込んだことを述べてまいりました。しかし理解していただけないようです。それは何故かというと、貴方は言葉遊び、文字遊びをしていられるように思います。即ち言葉の一つ、文字の一つを吟味しいられるのではないか。その為にこんがらかっている様に、感じます。これは外交など政治的なことにおいて、相手に揚げ足を取られまいとするみたいなことで、それによって話が難しくなっています。
これからちょっと易しい述べ方をして見ますが、それをご自分の自説持論を白紙にして、また言葉を難しく考えないで受け止めてみていただけないでしょうか。
ちなみに貴方が述べられている仏教用語は、私は以前図書館などで読み漁っていて、よく存じておりますが、貴方に最初にメールを送ったとき述べたように納得できず、それで一旦すべてを捨て去りましたところ、「ああ、そうだったのか」と合点がいきましたものが、これまでに述べてまいりましたものです。しかし私の自説持論を、貴方に押し付ける気はありませんことを断っておきます。それでは。。。。

我々は「体内時計」を持っていること、ご存知ですね。「夜が明けると目覚め、暗くなると眠くなる」リズムですが、しかし我々は「深夜テレビが面白い、やれ徹夜マージャン」などとこのリズムに従わないため体を壊したりします。また空腹を満たすのはいいけれども、美味しいからといって消化能力を超えても満足せずに食べ過ぎ、それで腹痛や嘔吐で苦しんだりします。
これから判ると思いますが、我々は「体の欲する」ものとは別に「我欲が求める」ものの二つが一緒くたになっています。私が「ありのままに、流れに従う」と述べたのは、このうちの「体が欲するままに」という意味で、「我欲が欲するままに」と言うことではありません。
更にこのことを展開拡大して、我々は「大宇宙の一部であり一員」ですね。であるならば、我々は嫌でも応でも「大宇宙の法則、律動、呼吸、鼓動」と言ったものに呼応して、したがっていかなければならないでしょう。しかし我々は、地動説なのに天動説を唱えるがごとく我を振り回し、何もかもを自分の思い通りにしようとしていますが、どっこい、そうは問屋がおろさず思い通りにはいきません。それで「四苦八苦」することになります。

「それでは如何したら良いか」ということになり、これを解決するには「大宇宙の法則、律動、呼吸、鼓動」に呼応するとか従うより他はないでしょう。即ち「心身一体化」ですね。「心は体であり、体は心」となることでしょう。この「心身一体化する」と言うことが「悟りだ」と思っています。そしてこの「心身一体化」する道程を説いたものが「宗教」ということになります。
次に釈尊が述べられた「自灯明、法灯明」ですが、今述べましたように「法灯明」とは「大宇宙の法則、律動、呼吸、鼓動」などを真に受け入れようとすることと精神をそれと一体化しようということでしょう。
また「自灯明」とは、この「大宇宙の法則、律動、呼吸、鼓動」などを真に受け入れようとすることと精神をそれと一体化しようとする」のは、他でもない自分自身であること、人にさせたり代わってもらうわけには行かないことを自覚して、一心に努め励むと言うことを意味していましょう。ですから以前述べた一休さんのように「釈尊」は関係ありません。ただ釈尊は「悟りの世界」で我々が辿り着くのを待っていられ、我々は「今行きますから」と勤め励む心の支えとして存在させるべきでしょう。

夜が更けましたので、これくらいにしておきます。少しは納得していただけるかな・・・・・

ひばり


ひばりさんへの返事 2004、3、12、

前略

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 お返事は、「空の思想」についての御意見を拝読してから、まとめてお送り致します。
 気を悪くしたりは致しませんので、どうぞお気になさらず、ありのままに御意見お聞かせ下さい。

 宜しくお願い申し上げます。
                           草々
ひばり様
      2004、3、12、                    曽我逸郎

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