安部さん 無我(無自性)・縁起・無常について 2003,10,9,

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拝啓

 お返事ありがとうございます。私の軽薄な意見にお付き合いいただき、感謝申し上げます。

 最初に、anAtmanについてですが、私の思いついた「不我」よりは、曽我さんの「欠我」の方がいいかもしれません。「不我」は響的にもナサケないし、我(ワレ)とは別の実体があるようにも受け取れます。「欠我」だとその辺の誤解を招く恐れも無く、響的にもカッコイイし、、、。ただ一つの難点は「我」という字が二重の意味を持っているということでしょうか。否定されるべき側面と、否定しようのない側面と。やはり「我」という言葉は避けて、「無自性」が一番いいのかもしれません。「私は無自性である。」「世界は無自性ある。」。諸法無自性、ではいけないのかな?否定されるべきは「私」や「世界」ではなく、それらを、それ自体で存在するものと捕えて、それらに執着する態度。否定すべきは「我」や「世界」ではなく、それらに対する「自性という捉え方」。だから無「自性」、無「自体存在」という。これなら私も納得できます。

 「私は確かに存在している。しかしその『私』というもののあり様は、さまざまな関係性の束として存在しているわけで、存在していると言ってもそれは単独で、それ自体で存在しているわけではなく、さまざまな関係性を離れて『私』というものがポツンとあるわけでもない。このことは『私』のみならず『世界』のあり様もまったく同じです。あらゆるものが、その時々の関係性において、そのように現れているということです。ですから『私』にそれ自体としての実体がないように、『世界』にもそれ自体としての実体はないといえるでしょう。」。今のところ一応このように理解しています。

 話はまったく変わりますが、先日ご紹介いただいた『初期仏教の思想』(下)の第9章縁起説のところで、三枝氏は「縁起は決して無常の論理的根拠」とはならない、(P588)と述べています。曽我さんの最近の論述の中で、無我(無自性)=縁起=無常という記述があったとおもうのですが、この3つを並列に考えていいのか、それとも無我(無自性)=縁起、と無常は質的に違うものなのか、、、。三枝氏は主に仏教の歴史的観点から述べているようですが。
縁起を文字通り「縁って起こる」と解釈すれば、既にその中に時間の概念(無常の概念)が含まれていることになります。ですから縁起は少しおいて、無我(無自性)=無常を考えてみると、三枝氏の言うとおり、必ずしも無我(無自性)=無常でなくても、無我(無自性)=恒常であっても別段差しつかえはないとも考えられます。私の感覚としては、「無常」という圧倒的な現実がまずあって、それの説明原理として無我(無自性)や縁起が考え出されたのではないか、だから「無常」は、無我(無自性)や縁起と並列に記されるものではなく、圧倒的な所与の現実として捉えられなければいけないのではないか。記述すると、無常>無我(無自性)・縁起。
でも、意味的には、縁起の中には時間(無常)の概念と無我(無自性)の概念が既に含まれているから、無我(無自性)=縁起=無常、でもいいのか。

少し混乱してきました。
発生論的には実生活における「無常」の感受が先で、その「無常」の原因を追求していった結果、無我(無自性)や縁起が発見された。一度、無我(無自性)や縁起が発見されると、今度はそれらが「無常」の原因として、論理的に無常に先立つものとして、考えられるようになった。しかし、無我(無自性)だから「無常」なのではなく、無我(無自性)や縁起は、「無常」という所与の現実を説明するための説明原理である。だから、「無常」→無我(無自性)・縁起は成り立っても、その逆は成り立たない。

 しかし考えてみると、「無常」を無自性・縁起で説明したとしても、「なぜ、無常なのか」の問いには答えたことにはならないのでは?

 「この世は無常だ。でも、なぜ?」
 「それはあらゆるものに自性がないから」
 「でも、どうして自性がないと無常になるのか。」
 「・・・・・・。」
 「なぜ、世界はこんなふうになっているのか。」
 「・・・・・・。」

 この問いに仏教はどのように答えるのでしょうか。おそらく無記なのだと思いますが。

 仏教よりも、他の一神教の方が世界の主流になっている原因の一つは、このようなどうしようもない問いに、嘘か本当かわからないけれど、一つの答えを提示しているからかもしれませんね。(ビッグバンに神の一振りがあったとかなんとか。それの良し悪しは別にして。)仏教に対してある種の物足りなさを感じる人も多いのかもしれませんね。

 今回もまとまりのない意見をだらだらと書いてしまいました。お暇なときにでもお返事いただけると幸いです。

            敬具
曽我逸郎 様
2003.10.9
安部


安部さんへの返事 

 すみません。まだお出しできていません。

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