奥村典彰さん 仏教は幸福を得るための参考書 2003,8,11,

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ホームページ拝見しました。とてもわかりやすくて勉強になりました。意見交換の内容は難しすぎてわかりにくい部分が多くあり、皆さんのレベルの高さがうかがえます。 食べたこともない食べ物の味はいくら言葉で説明してもらってもわからないのは当然ですね。 仏教の目的は自らの幸福にあり、家族、隣人、縁ある方々の幸福にあると考えて大筋は正解ですよね。仏教は幸福を得る手段、お釈迦さんをはじめ多くの天才達があみだした役に立つ参考書にすぎない。また完全なものでもない。参考書を主体においての学習は自らの感性の発動をうながさず、特に理知的な傾向の強い場合、学べば学ぶほど自身は苦悶するという傾向があると思うのですが、いかがでしょう。お釈迦さんを絶対視せず、立派な先輩ととらえ、お釈迦さんが求めておられた同じ真理を求めていくとつかみやすいと思います。そこでその一つ一つの真理の味を賞味していく具体的方法なのですが、仕事や家事に追われる私達に何かヒントになるアドバイスがあればお教えくだされば幸せです。いろいろとためしているのですが井戸の中の蛙で・・・  奥村


奥村典彰さんへの返事 2003,9,11,

拝啓

 メール頂戴しながら、返事が遅くなり申し訳ありません。頂いたメールで思ったこと、ひとつずつ書いてみます。

<食べたこともない食べ物の味>
 確かに、全く経験したことのないことは、いくら話を聞いてもなかなか想像できないものです。しかし、そのことをあまり過大に考えると、お釈迦様のレベルは、ほとんどの人にとって無縁のところですから、けして手の届かないもの、諦める他ないものになってしまいます。
 ひどく歯がゆいばかりか危険も多い手段ではありますが、釈尊に直接お目にかかれない今となっては、言葉だけが我々に残された手掛かりです。それを頼りに、自分の身を実験台にしてさまざまに思考錯誤し試してみる。我々に可能な方法は、それしかないと思います。

<仏教は幸福を得る手段>
 同意して良いようにも思いますが、どこか違和感も感じます。
 世間で言うところの幸福、例えば、富とか出世とかは勿論のこと、家庭円満とか、無病息災なども、釈尊は重視しておられたとは思えません。なにしろ出家を薦められたわけですし、身体の世話も必要最低限度、修行に障りがないようにする程度でした。
 釈尊はおそらく、幸福は、一時的な満足を感じさせても、諸行無常の世では、結局は苦に転じる、そう考えておられたと思います。
 仏教は、幸福をもたらす手段というよりも、苦を吹き消す手段といった方が、よりしっくりくるように感じます。

<完全ではないけれど役に立つ参考書>
 仏教は、本に例えれば、確かに宗教書や哲学書というより、参考書、あるいはノウハウを書いた実用書といったほうがより的を射ていると思います。苦しみを吹き消すノウハウ本です。ただし、苦しみは、我々の自然な、しかし誤った見方・反応パターンが生み出しているので、それを止めるためには、我々のものの見方・反応パターンがどのように間違っているのか、きちんと知る必要があります。そのため、その部分は、実用書でありながら、ある種の哲学書のように見えることがあります。そして、苦から人を救うわけですから、真の宗教書だということもできます。
 仏教が完全かどうかは、私には分かりません。完全かどうか分からないくらい、仏教は私にとって奥深い教えです。まだ私は、入口から数歩踏み入れたに過ぎませんから。
 蛇足ながら、仏教書コーナーには、歴史的名著でさえ間違ったものも多く、読者は常にそのことを念頭に、検証しながら読む必要があります。さまざまな仏教が、お互いに対立したことを説いていますから、それらを突き合わせてどれが正しいのか比較検証するのがよいと思います。(このサイトも、どうかそのように読んでください。)

<参考書を主体においての学習は自らの感性の発動をうながさず>
 仏教の学習では、学習した事を自分の身で検証する必要があります。日々の生活において、むっとしたり、はしゃいだり、喉が乾いたり、風が吹いて気持ちいいと感じたり、自分が無我=縁起の反応である事を実地に観察して行く。そういう練習が必要です。それは、感性の発動を促さないどころか、摩滅した感性を磨ぎ直すことだと思います。

<学べば学ぶほど自身は苦悶する>
 仏教を学ぶ前に、私は我執に苦悶していました。苦悶の故に仏教を学び始めたわけです。無我や縁起の学習は、私の苦悶を少なからず軽減してくれました。少なくとも私にとっては、仏教を学ぶことは苦悶ではありません。

<お釈迦さんを絶対視せず、立派な先輩ととらえ>
 まさにそのとおりです。釈尊は神ではなく、人間、立派な先輩です。一切皆苦と言い切り、人間の自然な見方・反応の間違いを暴いて、無我=縁起を見抜き、その間違いによって執着と苦が作られていることを如実に見て、苦を滅するために、自然な見方・反応の誤りを教え、無我=縁起を知る道筋まで教えてくださった。想像できないほど立派な先輩です。

<仕事や家事に追われる私達に何かヒント>
 私自身は仕事に追われることのない身ながら、集中できず、怠惰にすごしています。アドバイスなどできる立場ではありません。しかし、皆さんからたくさんのメールを頂き、それらが直接・間接のヒントになって多くのことを学ぶことができました。恩返しにもなりませんが、自分のことを振り返って書いてみます。奥村さんが今どういうふうに仏教に向き合っておられるのか分かりませんし、このメールもHPに掲載しますので、仏教に興味を持ち始めたばかりの人を想定して書くことにします。

1)上に書いたような批判的姿勢でなるべく多様な仏教書を読む。これなら通勤電車の中でも待ち合わせ時間でも可能です。その中には、仏教学者の著作も入れることをお薦めします。それから、自分の仏教観に反する本も読んで、それを仮想敵、スパーリングパートナーにして論戦をするといいと思います。自分の身において考えることも大切です。よく分からないけれどもっともらしいことをありがたがらないこと。
2)自分の仏教理解を文章にする。仮想敵との論戦など最適です。書き始めてみると、気づいていなかった自分の考えの粗がどんどん見つかって、それについて調べたり考えたりすることで理解が深まります。また、書いているうちに、まさに一皮剥けるように問題の輪郭が突然くっきりと現れてくる事もあります。
3)ある程度仏教理解の土台ができた上で、座禅会のようなところに参加する。あらかじめその会がどういう考え方なのか、調べてみる必要があります。参加するときも、初めは変なところではないか見定める視線を持ってください。先に言葉(本など)で仏教を学んだ理由は、おかしな団体を見分ける目を養うためと、学習否定の体験(修行)至上主義に陥らないためです。
4)上記の事は、かなり多忙な人でもやりくりして時間を割ける範囲だと思います。でも、もし本当に忙しくて仏教の勉強ができないなら、その忙しい事は、本当に忙しいに値するのか、一度検討してみた方がいいかもしれません。

*以上、私自身の心がけをほとんどそのまま書きました。ちゃんとした師匠がいればその元で頑張ればいいのでしょうが、この点では現代はまさに末法の世です。タイムマシンを開発して釈尊に会いに行ければ一番ですが、それもかないません。だとすれば、釈尊が死を前にして残された言葉に従う他ありません。

 「みずからを依拠として他人を依拠とせず、法を依拠として、他を依拠とせず、修行せよ。」

 上に書いた方法は、釈尊のこのお言葉に一応適っていると思っています。もっといい方法があれば是非教えて下さい。

                     敬具
奥村 典彰 様
          2003,9,11,    曽我逸郎


奥村典彰さんからの返事 2003,9,11,

曽我逸郎様
 本当に丁寧な力のこもったご返答ありがとうございました。曽我さんの仏教に対する真摯な姿勢は、私自身の「傲慢」をみごとにふきとばしてくれました。感謝いたします。
  私は仏教の専門的な知識はないですが、過去に苦悶した時期があり、それを乗り越えたころから仏教の教えが少しばかりですが理解できるようになりました。 しかし所詮少しです。もっと知りたいと思い本などから得ようとしましたが、求め方が誤っていることに気づき、今は理知だけでなく感性本位の瞑想を続けています。毎朝座って30分程と夜歩きながら60分程です。とりあえずはヨーガをベースにしたものですが自分で工夫しながらなので我流です。 我流だから成長しないのだと会にも入りましたが、その会の「教え」主体からは自らの感性が鈍っていくのを感じ、やはり「教え」は参考書程度にし我流でやっております。  過去私は理知本位な時期がありました。例えば理知のみで考えていくと、事実は白に近い灰色・黒に近い灰色しか存在しないのに「白」「黒」という観念色(便宜上の色)が存在するような錯覚に落ち込むやすく、似たような考えかたで矛盾の葛藤に苦しんでいました(今もまだその傾向はありますが) それも自然本位で解決されることを確信し、今自分の心がどうすれば自然に 事実に しっかりと乗っかるか、収まるかを工夫しています。迷いは葛藤を生み葛藤の大きさが苦しみの大きさですよね。事実に思いが乗っかると新しいスタートをきれます、元気がでます。・・・ 釈迦に説法でした。  曽我さんのように一つ一つ丁寧にわかりやすく書けなくてすいません。また仏教について教えてください。今後ともよろしくお願いいたします。     奥村典彰

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