増山さん 感想(輪廻など) 2003,7,12,

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曽我様
初めてメールします。
仏教に引かれるものを感じながら、解説本を読み出しては、途中で投げ出すという、繰り返しで今日にいたっている58歳の男です。

10年程前に、たまたま購入した袴谷憲昭「本覚思想批判」も、読み出しては、すぐ投げ出すの状態でしたが、2年半前、とにかく最後までと、分からぬなりに目を通して、大きな衝撃をうけました。
「何を、どう」と言われると、窮するのですが、日本の仏教に大きな流れが起きているという実感でした。
松本史郎氏の名前も知りました。

パソコンを使いだしてから、仏教と「袴谷、松本」両氏を検索して、曽我さんのHPに出会い、半年になろうとしています。
私の捜していたものにやっと出会えたと言う感じでしたが、「小論集」「意見交換」の内容に私の知識がついていけず、時々HPを見ては、ただ時間が過ぎ、今日までにいたりました。

宗教、仏教とは縁遠いところにいた私にとって、梅原猛「地獄の思想」(中公新書)は大きな刺激になりました。
30年も前のこの本を捜したのですが、今、手元になく不正確かもしれませんが、<釈迦は、人間は死んだら骨になり、土に返るだけで、それで終わり、地獄も極楽も無いといっている>というような文章に出会ったからです。

袴谷氏からは、批判の対象になっており、私も正当な批判だとおもっている昨今の梅原氏ですが、この本で書かれた釈迦の態度は、仏教への基本的な私の立場を作ってくれました。

「意見交換」での<輪廻>に関する曽我さんの明快な発言は、論理性をもって納得させてくれます。
私もすこしずつ、その論理を学んでいきたいと思っています。

「遺書」賛成です。

「あたりまえ。。。。」のHPがあるべき仏教を求める開かれた場所として発展することを祈っております。

増山


増山さんへの返事 2003,7,15,

拝啓

 メール頂戴致しました。ありがとうございます。

 ”批判仏教グループ”には、私も刺激を受けました。違和感を憶えるところもありますが、一番の影響は「世間で仏教と呼ばれているもののすべてが仏教とは限らない。何が本当に釈尊の教えか、批判的に見極めていかねばならない」という姿勢です。(ちょっと過剰反応しすぎ?)

 私の考えはすべて仮説です。輪廻についても同様です。浅学な私は、今は輪廻は釈尊の教えに矛盾すると考えていますが、小論集の「テーラワーダ実践会の報告」に書きましたとおり、スリランカ上座部の長老は、私より数百倍勉強しておられるでしょうし、実践修行に至っては億倍の差がある違いありませんが、「輪廻は釈尊がオリジナルに発見された事実である」と明解に仰っていました。「科学も含めた世俗の見方では、プラスしか見ていない。マイナスが見えないと輪廻は分からない」とも言われました。ひょっとすると、そういうこともあるのかもしれません。物理学の世界では、虚時間(虚数で表される時間)にも意味があるのだそうです。我々の今の常識が届いていないメカニズムで、人は、例えば虚時間を通って、輪廻するのかもしれません。こんなことを真顔で主張すると、似非科学+似非仏教のカルトになってしまいますが、歴史上の仏教のほとんどは輪廻を前提としていますし、輪廻の可能性も保留した上で、仮説検証を続ける他はないと思っています。

 成り行き上、このところ輪廻に関する話題が多くなっていますが、本当のところは、私にとっては、輪廻は重要な問題ではありません。自分の無我=縁起をどのようにして知ることができるか、それが今一番の課題です。

 これまでも皆様からのご意見・ご批判で、気付いていなかった点を発見し、教えられてきました。仏教を学ぶ人(犀の角)が一人でも増えて、様々な意見があちこちでもっと活発にやり取りされるようになれば素敵だと思います。
 今後とも宜しくお願い申し上げます。
                           敬具
増山様
    2003,7,14,
              曽我逸郎

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