milumo2 さん 座禅、無念無想 2003,6,27,

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  メールが届きました。いつも何だか訳の分からない話ばかりで申し訳ありません。 今日は、私少し酒が入っております。こんな状態で返事を申し上げるのは、失礼ではないかと思いますが、曽我様モ酒はお好きなようなので、お許し願います。

  シチメンドウ臭い話は一息入れて、ユックリいきましょう。しかし、曽我様の無我論はなかなか素晴らしいですね。これからの在家佛教のあり方を考えさせてくれます。現象学的無我論ですね。最初私はよく読みもしないで、よくある形而上学的無我論の類かなと思ったのですが、そうではありませんでした。唯識や禅佛教のよい処は取り入れてというお話ですが、今の現象学的無我論にもっともっとミガキをかけて頂きたいですね。

  禅の会で座ると、妄想がかけめぐるというお話モありましたが、むかし私はある禅の高僧に「そんなこと、当たり前だよ」と一喝されました。座って無念無相になれるなどという坊主がいたら、そいつは坊主ではないといっていました。当たり前のことを説く如来モ同じこと をいうのではないでしょうか、、、。

  それにしても曽我様は、ホームページをよむかぎり、随分素晴らしい自然の中でお暮らしのようですね。去年の11月に定年退職されたとか、、、。私もあと3年程で定年をむかえます。そのまえにリストラされるかもしれません。でも、いろいろ意見交換をしてくださる方にめぐりあえて良かったとおもっております。曽我様は迷惑かもそれませんが、、、。

  本日は、目のまえがグラグラしますので、これにて失礼いたします。 ミルモ


milumo2 さんへの返事 2003,7,15,

前略

 メール頂戴しながら、返事が遅くなり、申し訳ございません。

 ハイ、お酒は好きです。あまり強くないですが、、。少し前まで、単身生活のサラリーマンの頃は、夜メールを書きながら焼酎を飲んで、筆が走りだすと杯も進んで、翌朝酒の残った頭で前夜の酔いに任せた文章を推敲するといった日々でした。
 最近は、不飲酒戒が気になり始めて、一人で以前ほど飲む事はなくなってきたように思います。(あるいは、単に飲み始めの時間が早くなったので、寝る頃は半分醒めて翌朝残らないだけかも、、)

 「座っても無念無想にはなれない」と誰が仰ったのか分かりませんが、なれないことはないと私は思います。しっかりした気持ちで、きちんと姿勢を正し、数息観に集中すれば、稀とはいえうまく座れる時があります。(私のちっぽけな体験は、99,3,22 のegoboyさんとの意見交換をご覧になってください。)

 ただ、問題は、無念無想だけでどれだけの修行になるのかという疑問です。禅寺の座禅も齧るというほども齧っていない、ただぺろっと少しなめただけですし、確実なことはなにもいえない、何もかもそんなレベルですが、自分が無我であり、縁起の現象である事を知ることは、無念無想ではできないような気がしています。
 最近ヴィパッサナーという瞑想を耳にしました。止観の観にあたるのだそうです。止はサマタで、日本の座禅は実質的にサマタではないのかな、という気がしています。止と観は、鳥の両翼のように補い合って深まり合うそうなので、もし私の推察があたっていたら、無念無想の座禅に加えて、観が必要ということになります。
 その他にも、禅那(ディヤーナ)や定や三昧など、関連した用語が結構沢山あって、各々の意味を調べ、その関係を考えるといろいろ新しい発見が得られそうな気がしています。(まだ手付かずですが、、)

 我が家の周囲は、ホントに素敵なところです。今の季節、山や田や森の様々な緑の陰影を眺めるだけでも気持ちが洗われるようです。(でも、こんなふうに感覚にどっぷりと浸ってしまう事は、釈尊は禁じておられたのかもしれません。)

 あと一点、私、会社を辞めましたが、定年退職ではありません。世間では多分働き盛りとか言われる年代で仕事を放り出した無責任者です。

 またご意見ご感想お聞かせ下さい。
                            草々
ミルモ様
      2003,7,15,
              日曜日の共同山作業でウルシにかぶれたか、
              顔のはれぼったい曽我逸郎より


milumo2 さんからの返事 2003,7,15,

  日曜日の共同山作業なんて、なかなか楽しそうですね。もっとも、ご本人達にしてみれば大変なことで、ノンキなことを言うなとしかられそうです。酒は少したしなむ程度なら結構なんじゃないですか、、、。私は焼酎が好きで、毎日コップ2杯は頂いています。

  さて今回は、私が若いころ禅の高僧に一喝された話をさせて頂きます。私はふとしたことが縁で、その坊さんの身の回りの世話をひと月ほどするハメになったのです。しかしその時は、その旅の坊さんがそれほど立派な人物であるとは知りませんでした。お互い分かれて2年後ぐらいに知ったのです。ある雑誌を読んでいたら坊さんの写真がのっていたのです。臨済宗の有名な僧ということで、ビックリしました。「俺の名前などどうでもいい」と言ってましたので、名前を言うことはできませんお許し下さい。

  そのころ私はまだ20代後半で、佛教とは何のかかわりもありませんでした。身のまわりの世話をしているうちに、また3日ほど座禅をするハメになったのです。3日の「ツトメ」がおわって、坊さんの所に昼食をもっていったら、坊さんは寺の縁側で足の爪を切っているところでした。

坊さん「どうだ、3日ほど座ってみたようだが、なにか良いことあったか?」
私「何にも良いことなどありませんでした。足はシビレてどうしょうもないし
  無念無双なんてとんでもない。」
坊さん「誰が無念無双になれなどといった?」
私「そうならなければ、座禅ではないのじゃありませんか?」
坊さん「無念無双になどなれない。そなんこと当たり前だよ。
  もし無念無双になれるなどという坊主がいたら、
  そんな奴は坊主じゃない。」
私「では坊様もそういう心境にはなれないのですか?」
坊さん「勿論さ、、、。俺なんぞ座っている時も妄念のカタマリだ」
私「?????。妄念のカタマリ?。」
坊さん「火事場の煙の様にモクモク沸いてきて、なんにも見えない。」
私「それを抑えることが修行なんじゃないですか?」
坊さん「抑える?どうやって抑えるんだ?」
私「?????。」
坊さん「俺はどうモガイたって、この身このままの俺さ、、、。」
  以上が、私の最初で最後の、たった一度の禅問答とやらの経験です。それから数日後、お互い分かれることになったのですが、それから十数年あっというまに過ぎました。私も所帯を持ち、禅問答のことなどスッカリ忘れていました。ただそのときの影響か、フッサールやヴィトゲンシュタイン、ハイデガーしか読まなかった私が色々な佛教経典を読むようにはなったのです。しかし何も身につかなかった様です。

  あの時の禅問答がハッキリ心によみがえったのは、いまから十年ほどまえ、女房が死を覚悟しなければならない大病を患った時です。何故か、禅問答の時のことがハッキリおもいだされたのです。禅問答と女房の大病はあまり関係なさそうなんですが、、、。私はスッカリ気がどうてんして、無念無双どころじゃありませんでした。

  暑い夏を迎えようとしています。無理をなさらないで、お元気にお過ごし下さい。


milumo2 さんへの返事 2003,8,1, 自分の無我=縁起を知る釈尊の方法

拝啓

 返事遅くなり申し訳ございません。

 そのお坊様は、きっと魅力的な人物だったのだろうと推察します。豪放磊落で裏表なく、建前ではなく本音で生きている。本音といっても、どろどろした欲望のままに生きているのではなく、欲望も随分調教しておられたのでしょう。

 しかしながら、そのお坊様が釈尊の教えを正統に引き継いでおられたかというと、どうでしょうか? 頂いたメールからは、なんだか少し悲しげな諦観を感じます。仏教に反するとは言いませんが、釈尊の教えと修行の方法が、きちんと伝わっていないのではないでしょうか? そのお坊様は、座禅に打ちこんでこられたに違いありません。でも、確たる手応えが得られない、、。

 勿論、こんなことを言える資格は私にもありません。私とて、確たる手応えなど微塵もないのですから、、。でも最近、釈尊の方法はこうだったのではないかというイメージを抱き始めました。仮説にもなっていない飛躍した想像にすぎませんが、文章化を試みてみます。

 その前に、かつての私の、自分の無我=縁起を知ろうとする方法を振り返っておきます。「あたりまえ、、」本文に書いたやり方です。
 外の世界の事物が無我なる縁起の現象である事を観察し、その観察を自分の側に引き寄せてくる。気持ちを開いて雲や草木を眺める事は、変化を見ること、無我なる縁起の現象の数々が縁起しあい広がっていくめくるめく展開を見ることでした。同時にそれは、「私はなにか確固たる価値ある存在である筈だ」という我執も随分薄めてくれ、確かに一定の効果はありました。
 戯論のレベル、理屈で自分の無我=縁起を考える事にも、一定の成果はあったと思います。しかし、自分の無我=縁起を本当に知ることについては、その術さえわからず、足踏み状態だったわけです。
 また、伝統的には、法無我ではなく人無我がまず先に知られる、とされているのも不可解でした。変化する自然の美しさの記述が初期経典にあってしかるべきなのに、それがほとんどないのも奇妙だと感じていました。

 ところが、最近、スリランカやミャンマーに伝わる上座部仏教のヴィパッサナー瞑想というのをほんの少し齧ってみて、自分の無我=縁起を知る釈尊の方法について、新しい思いつきを得ました。

 ヴィパッサナーとは、止観の観で、止はサマタというのだそうです。サマタは意識を呼吸などの対象に集中し静謐にすること、ヴィパッサナーは自己観察だといってよいと思います。ほんの少しの経験しかないので間違っているかもしれませんが、日本の禅宗の座禅は、サマタであろうと思います。サマタとヴィパッサナーは、互いに助け合って鳥の両翼のように力強く羽ばたくといわれるそうなので、もし日本の禅宗の修行がサマタのみであるなら、必要な修行の半分しかしていない事になります。
 では、残りの半分のヴィパッサナーとはどういう修行かというと、僅か四泊五日の研修でいうのも恥ずかしいのですが、実直な(愚直といってもいい)そのつどの自分の観察だと考えます。歩く瞑想では、足の動き、地面を踏みしめる感覚などを、実感をもって観察する。座る瞑想の初歩では、呼吸に伴う腹の膨らみ・縮みを観察する。ここから先は、期待を込めた推察に過ぎませんが、もう少し上級になれば、瞑想の間だけではなく、普段の生活においても一貫して自分を観察し、怒っている・喜んでいる・悲しんでいるといった感情やさまざまな行為も、欲望・執着などその原因・目的共々そのつど細かく観察しつづけるのではないかと想像します。初期経典にしばしば登場する「いつも気をつけておれ」という釈尊のお言葉は、<常に今の自分を観察しつづけて目を離すな>という意味ではないでしょうか(パーリ語で調べてみなければいけませんが)。

 では、そういう観察でなにを目指すのかというと、敢えて端的に「即物的な」言い方をするなら、自己観察の新たな脳内回路の構築だと想像します。

 禅宗では「計らいを捨てよ」と教えます。日本の伝統的な仏教全般の考え方も、例えば主客未だ分かれざる前の本来的自己の回復を目指し、そこに戻ろうとする傾向が強いように感じます。一切有情悉有仏性で、衆生本来仏で、客塵を滅すれば明鏡が真如をありのままに映し出す、と考えています。

 しかしながら、小論集の「動物進化と自己意識の発現」や「無我なる縁起の現象に主体性はいかにして可能か」に書きましたように、動物は自己保存の本能に従って、自己保存に有利なもの(獲物など)と不利なもの(天敵など)をすばやく見つけ対応するためだけに感覚器官や脳を進化させてきました。我々は、進化のそもそもの始めから、あらかじめ自分を世界から切り分け、うまく立ち回ろうとしてきました。言うならば、ひたすら我執に磨きをかけてきたわけです。「ピュアな本来の自己」などかつて一度もなかったし、今もどこを探してもないと思います。我々が縁による無我なる現象であるならば「本来の自己」などある筈もありません。

 座禅をして「本来の自己」に戻ろうとして、成果があったとしても、人間的な高度化された計算高い執着が減少するだけで、動物的な欲望・動物的な自己保存願望(つまり、「本来のあり方」)はそのまま残るのではないでしょうか。座禅に長く打ちこんだ方にしばしば見られる豪放・単純・ぶしつけ・あけっぴろげ・表裏のなさといった性格は、その結果なのかもしれません。milumo2さんの会われた高僧が、「どうモガイたって、この身このままの俺さ」とおっしゃるのも、サマタにだけ打ちこんで「本来の自分」にもどろうと努力されたことの自然な帰結だと思います。
 ずいぶん皮肉で失礼な言い方のようですが、「本来の自己」を目指しても解決にはならないだろうということを言いたいだけで他意はありません。私にとっても、お追従笑いを浮かべながら人を騙そうとする人より、表裏のない人の方が遥かに好ましいのは当然です。

 「凡夫は固定観念で物事を見ている。とらわれた価値判断でものを見ている。ありのままに見ていない。汚染されたものの見方だ。それが執着を生む。それを捨てよ。」 しばしばこのように言われます。しかし、何かの本でこんな猿のケースを読みました。その猿は、脳の一部を実験的に破壊されたか、脳の一部に障害があって、他の機能には問題はないのに、ものの自分にとっての意味が分からないのです。食べ物や危険物の区別がつかない。毒ヘビも恐れない。腹が減れば電球を食べて口を切ってしまう。
 あたりまえのことですが、解脱された釈尊は、解脱前同様に、なにが食べ物か、鉢はどう使うか、どこが修行にふさわしい場所か、分かっておられました。自分にとってのものの意味・価値を保持しておられた。つまり、釈尊は、自分の中に自然に構築されていた価値体系を修行によって破壊されたのではなく、それまでの自然な反応の仕組みは保持したまま、それらの上にそれらを統御する新たな仕組みを構築されたのだと想像します。

 我々が既に持っている意味・価値の体系を執着の根源だとして破壊しようとしても、うまく行く筈はないし、うまく行ったとしてもそれは不幸な病的状態です。それは釈尊の方法ではありません。
 では、釈尊の方法はなにかというと、進化の過程で築き上げてきたさまざまな執着の反応のパターンの上に、未だかつてなかった「自己観察の回路」を構築する事ではないかと想像します。

 自己観察をするとどう変わるのでしょう。ほんの僅かの経験にすぎませんが、その時の感覚・感情にどっぷり浸りきることがなくなるように思います。夕日が美しいと感じても、「私は夕日が美しいと感じている」と自己観察すると、以前のように恍惚と眺め入ることはできません。一面さびしい事ですが、これが初期経典に自然の賛美がない理由ではないかと思い始めました。外の自然の変化、無我=縁起を見ることではなく、自分自身を観察する事が釈尊の方法だったのではないかと想像します。

 自己観察の癖がつくと、腹を立てても、「私は腹を立てている」と気付き、その理由にも気がついてしまいます。
 先日、丹後のお寺で日本テーラワーダ仏教協会の研修会に参加した後、京都市内に戻って、とある駅の改札に向かいました。駅員さんに公衆電話の場所を尋ねて、切符を渡して出ようとすると、「自動改札通って」と言われ、途端に私はむっとしました。「ちゃんと切符を渡してるんだから、なぜ遠回りさせる必要がある!? 失敬な奴だ!」 でもすぐに「あ、俺、怒ってるぞ。なぜ? 1,2メートル遠回りさせられたから。でも、普段いくらでもぶらぶら無駄に歩いてるのに? 駅員に言われた事が嫌なんだ。「俺は客だ」っていう意識があるんだ。多分彼もいろいろストレスが溜まっているんだ。だからあんな風につっけんどんなんだ。怒っちゃいかん、怒っちゃいかん。」 こんなふうに考えると、怒りも腰砕けになってしましました。
 研修から日が過ぎて、このところ自己観察の手も緩んでしまっているので、今はもう自動的な反応のままに走ってしまっていますが、真摯に自己観察を続ければ、感情の暴流に流される事は減り、如何に自分が実体的自己を仮想してそれを守るために自動的反応を続けているか、明晰に見えてくるのではないかと思います。

 そして更に観察を続け、ある段階に至れば、幽霊が脚下照顧して自分に足がない事を見るが如く、自分が縁による実体のない現象である事を明晰に知ることができるのではないかと想像します。それは観察者も観察対象もない主客対消滅のサマタ的無念無想ではなく、自分で自分を矯めつ眇めつ検分して、自分は無我=縁起であるとはっきりとに知ることではないかと期待しています。

 サマタの「無念無想」は、目指すべき究極ではなく、自分の無我=縁起を明晰に見るための重要な準備だと思います。絶対に必要ではありますが、サマタだけでOKと言う訳でもない。また、そこに永遠に留まるべきでもありません。留まる事は不可能です。それは、一種の植物人間状態であり、自分で自分の世話の出来ない状態ですから、生活を維持する事ができません。
 2003,3,1,付けの安部さんとの意見交換に書いたワジ(砂漠の涸れ河)の比喩でいえば、サマタは、ワジ(脳内の信号伝達経路。執着を生みつつもスムーズな日常生活を可能にする自動的反応のシステム)をあちこち走る暴流(脳内信号)を一時的に全停止することだと思います。そうしておいて、ヴィパッサナーで、自己観察という新しい流れ(脳内信号経路)の癖をつけていく。これが、自分の無我=縁起を見るための釈尊の方法ではなかったろうかと想像しています。

 ヴィパッサナーについては、まだ入り口に立ったばかりの段階ですから、勝手に想像を膨らませて過剰に期待するのは禁物かもしれませんが、こういう考えでしばらく続けてみようと思っています。

 milumo2 さんの問題意識とはあまり関係のない事ばかり書いてしまいました。申し訳ありません。頂いたメールは、私には、自問自答のよいきっかけになりました。
 今後とも宜しくお願い申し上げます。ありがとうございました。

                             敬具
milumo2 様
      2003,8,1,               曽我逸郎

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