tom-halさんより 禅思想の批判的研究の反批判(補遺) 2002,12,11,

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第一信に引き続き第二信を送ります。一諸にお読みください。
討論の方法には二つの方法があります。
1)相手方(松本説)の主張の一つ一つに反論する方法。
2)相手方(松本説)の主張に対し相手方の論理・論証に従つて反論する方法。
1)の方法は第一信で二)の方法がこの第二信です。
まず”生生流転”(広義の縁起説  十二支縁起説=狭義の縁起説 と区別するため以下この名称とする。)
ビッグ・バンに始まる宇宙の膨張/太陽系の生成/地球上の生物の發生/人類の進化/科学・芸術/宗教・仏教/文学・音楽 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・すべて生生流転=広義の縁起の流れと考えられます。
次はインドの宗教界の事情です。ヒンズー教が隆盛を極め、之に対して仏教は衰退気味とのことです。
即ちこれは  一切衆生の心の求めるところ(この言葉はもつと厳密に定義ずけるべきでしょうが、ここでは仮説としておきます。)を因としてヒンズー教の縁起の流れがあります。
また同様にして  一切衆生の心の求めるところを因として仏教の縁起の流れがあります。
今仮に仏教の立場からインドは釈尊の生誕地でもあり、釈尊が始めて正しい仏教を広めたのであるから、ヒンズー教よりも隆盛になるべきだとの主張があるかもしれません。
しかしこの主張は恐らく空を行く風のように空しいものでしょう。 何故なればヒンズー教の縁起の流れも、また仏教の縁起の流れもそれぞれ独自の軌道をもつているからです。
これが生生流転=広義の縁起説の所以です。
次に日本の仏教界について考えます。
先ほどと同様に  一切衆生の心の求めるところを因として十二支縁起説の縁起の流れがあります。
また  一切衆生の心の求めるところを因として禅・禅思想の縁起の流れがあります。
以下同様に  華厳にも唯識にも真言にも・・・・・・・縁起の流れがあります。
いま一つの縁起の流れを正しい仏教であるとし、他の一つの縁起の流れを非仏教とすることに、どのような意義があるのでしょうか。
答えはナンセンス、無意味ということです。何故なればこの二つの縁起の流れはそれぞれ生生流転=広義の縁起に従いそれぞれ独自の軌道を持つからです。
もしこの視点が認められるとすれば、禅・禅思想は非仏教であるとの批判は無意味になり、またまた意地悪な表現をすれば  ごまめ(小魚)の歯ぎしり  ということになります。

「禅思想の批判的研究」の読後感として、筆者は禅思想の最高の理解者であり、本書に注がれた情熱からみて、おそらく禅思想に深い敬愛の念をもつているのではないか、というのが私の勝手な想像です。
縁起説と云う乗り物には、初めて乗つたものですから操縦ミスがあつたのではないかと心配しています。


tom-halさんへの返事 すべての縁起の流れは尊重されるべきか? 2002,12,17,

拝啓

 第二信、拝受致しました。

 以下のように理解しました。間違っていたら申し訳ありません。ご指摘下さい。

 「すべての生生流転、すべての縁起の流れは尊重されるべきであり、特定のものを選んだり、特定のものを否定する事はナンセンスである。」

 でも、もしこう考えると、次のような主張も導かれてしまうのではないでしょうか?

 「一切衆生の心の求める執着を因として、戦争があり、搾取がある。戦争も搾取も、生生流転の縁起の流れであり、当然生まれるべくして生まれた自然な現象であるから、承認されるべきである。」

 すべては縁起の現象なのですから、一切の悪も、不幸も、縁起の現象です。釈尊は、「すべては縁起だから、すべてを受け入れよ」と教えられたわけではありません。もしそうなら、なにもせず縁起のままに流されていかねばなりません。あるいは、縁起を知らず自分に執着して欲望のままに振舞う事も縁起の内なのですから、なんでもありの、結局は無主張・無内容な教えになってしまいます。

 釈尊の教えは、苦の克服です。苦の原因は執着です。縁起の世界の中で苦を生み出さないために、執着を吹き消さねばなりません。執着もまた縁起の現象だから吹き消す事ができる。執着をすべて吹き消すために、縁起の日々の中で戒定慧に努め、無我と縁起を徹底的に突き詰めなさい。これが釈尊の教えです。

 <本当の私がある>、<縁起を超えた真実なものがある>という考えは、ちょうど耐性菌のような「進化した執着の形」であると思います。そこから様々な欲望・執着が再び増殖してくる。インドで仏教がヒンズー教に吸収されてしまったのも、日本の「仏教」が現世利益・先祖供養・葬式仏教に堕落していったのも、遠因はここにあるのではないかと感じます。

 主観的感想になってしまいました。

 またご意見お聞かせ下さい。
                           敬具
tom-hal様
             2002,12,17,    曽我逸郎

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