CHINESESOUPさんより 恐怖と執着心 2002,12,4,

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曽我先生、

お返事ありがとうございます。

「心での理解」のご返答どうもありがとうございました。自分なりに色々と考えさせられます。曽我さんのアドバイスはとてもよい参考になりました。

では、「執着」についてもう少しお尋ねしたい事があります。人間は「恐怖」を体験すると自然に自己防衛のため、「執着心」を覚える。「恐怖」を体験した後も、「執着」をなくすため、無菌状態でいるのは、本来私たちがよく言う「学習能力」に掛ける行為なような気がします。「執着心」を植え付けず、なおかつ自分に「恐怖」をもたらすものから自分を守るよい方法はありますか?答えはひとつではないと存じますが、何かよいアドバイスがあれば教えてください。

それでは、また。

祈好♪

CHINESESOUP


CHINESESOUPさんへの返事 2002,12,11,

前略

 メール拝受。

 恐怖と執着の関係をどう捕らえておられるのか、もう少し詳しく教えていただけますか?

 お手数かけます。
                       草々
CHINESESOUPさま
         曽我


CHINESESOUPさんからの返事  2002,12,11,

曽我先生、

おはようございます♪

メールありがとうございました。こちらの質問が不明確だったようで、申し訳ありません。

私がお伝えしたかったのは恐怖の体験が及ぼす用心深さからくる執着です。他の言葉で言うと先入観て感じでしょうか。

いやな体験をすると、また再びそんな怖い体験をしたくないっと、私の場合、心にシコリができるようです。哀しいことですよね。そんなシコリを取り除きたいのですが・・・。

いやな経験をした後、「学ぶ」ことと、「執着心」を持つことの違い(?)。つまり、前者があって、後者を持たない方法を知りたいです。

(こんなクダラナイ事で悩んでいるのはもしかして、私だけでしょうーかっ?)

では、また。

祈好☆

CHINESESOUP


CHINESESOUPさんへの返事 2003,2,27,

拝啓

 返事が遅くなり申し訳ありません。

 このところ「縁起の現象である私達にどうして主体性が可能であるか」を考えておりました。このテーマを考えることで、CHINESESOUPさんの疑問にも答えられるように思い、そちらを優先したのですが、やはり時間がかかってしまいました。昨日小論集のページにアップしましたので、お時間のある時にご一読下されば幸甚です。

 関連するところは、ノエシスとノエマ自己の部分です。(7割ほど下にスクロールさせたところ)

 ノエシスというのは、状況に対処しながら、いつもこの今、様々に働いている自分のことです。本当は、ノエシスとか自分といった途端に対象化されてしまってノエシスではなくなっているのですが、言葉で表すとこう言う他ありません。夢中になっている時、「私」とか「自分」とかなしに、一所懸命集中している「なにか」の事、と言ったほうがイメージしやすいでしょうか。
 進化していくうち、ノエシスは、より早く環境に自分を適応させる仕組みとして、自分を対象としてみるしくみ、自己モニターのしくみを身につけました。それが、ノエマ自己です。いってみれば化粧鏡のようなものです。
 化粧鏡に自分を映して口紅を直すのと同じように、鏡を見るのも、直すのも、直されるのも自分(ノエシス)なのですが、鏡の中の自分を見つめながら、「わたしは本当にダメな人間だ」とか「私は**でなくてはいけない」と自分に言い聞かせているうちに、ノエシスは、どちらが本当の自分か、混乱してしまう事があります。極端な場合は、「本当の自分は霊界に属する霊なのだが、今は仮の姿として地上で肉をまとっている」などと思いこむ場合もあります。ノエマ自己は、私達が「自分自身」として考えているものであり、それを実体として捕らえると、仏教でいうアートマンとなり、様々な我執の基となります。(私が、ノエシスだノエマだとごちゃごちゃ言っているのは、「私という実体がある」という考えは間違っているよという釈尊の教え(無我説)を自分なりに再確認しようとしているのです。)

 「本当の自分」は、ノエマ自己ではなく、肉体という場所で肉体を縁として発現しているノエシスなのです。ノエシスは、身体と周囲の状況に対応して、常に作動しています。とはいえ、ノエシスというものがあるわけではありません。状況に応じてのそのつどの対応・反応がそのままノエシスなのです。おそらく気絶している時以外は、働きつづけています。眠っている時も、夢を見るのはノエシスです。熟睡している時は、どうだか分かりませんが、、。本当を言うと、ノエシスが働いているのかどうかは、確認できないのです。確認しようとした途端に、それはノエマ自己になってしまうのですから。

 ノエシスは、常に状況に応じて対応していますが、それまでの経験(縁)に基づいて、ひとつの対応のスタイルがあります。その人らしさとか性格とか呼んでいるものです。ノエシスのスタイルは、固定されたものではありません。日々経験を重ねていくうち、修正され、変化します。ノエマ自己を使ってノエシスが自己改変するのです。

 CHINESESOUPさんは、恐い思いをして、それがしこりになって、その後は似た状況で積極的に前に出られなくなったとおっしゃっています。(執着という言葉の使い方が、私とは少し違うようなので、間違った理解をしているかもしれません。)
 CHINESESOUPさんのノエシスが、そういうノエマ自己として自分を見ておられる。しかも、頂いた文章からすると、ノエシスは、自分の今の対応スタイルを過剰反応だと感じている。つまりノエシスはすでに問題点を見つけており、もう自己変革は始まっている。今は変革の最中のように見うけられます。(私の返事が遅いので、変革済み、解決済みかもしれませんね。その場合は申し訳ありません。)
 CHINESESOUPさんのノエシスは、適応のシステムとして上手にノエマ自己を使っており、なんの心配もないと感じていますが、一般論で言うと、ノエマ自己という自己イメージは必ずしも正確なものではありません。思いこみでつくられるイメージですから、しばしば間違ったイメージなのです。(動物の適応は、いつも拙速に行われ、それを繰り返しながらぶれをだんだん小さくしていくというやり方で行われます。)はじめからぶれ幅を小さくするためには、自覚的に検討してみる事も役立つと思います。恐怖の対象は、本当に恐れるに値するのか、しないのか。なぜ自分は恐れるのか、恐れることによって守れるものと失うもの。などなど。

 結論を言うと、「自分をよく見つめて分析してみてください」ということになります。

 なんだそれは! ノエシスだ、ノエマだと訳の分からん事言っといて、結論はそんなあたりまえのことかよ! 返事にもなってねーぜ! とお怒りの事と存じます。I agree with you.おはずかしい。

 で、丸投げではないのですが、ひとつ本を紹介します。
 「神経言語プログラミング」(NLP Neuro-Linguistic Programming)というもので、正確には本の名前ではなく、自分の感じ方・行動パターンを改変する方法とでもいったものです。前にいた会社の研修で耳にして、私の思っていることと似ているので一冊読んでみましたが、いかにもアメリカ人が書いた本で、具体的というか、実用的というか、テクニック的というか、少し浅薄な印象も持ちました。恐怖症が治ったり、性格がポジティブになったり、ホンマにそんなうまいこといくんかいな、という感じですが、確かに基本的な考え方は、ここに書いたことと共通しています。一度読んでごらんになると、おもしろいかもしれません。Richard Bandlerという人が主宰しています。ネットで検索してみてください。

 少しずつ春が近づいています。もうしばらくしたら、ご家族で公園の散策とか出来ますね。そちらの春はすてきでしょうね。うらやましい。
 では、みなさまお健やかで。またご意見お聞かせ下さい。

                               敬具
CHINESESOUP様
           2003,2,27,      曽我逸郎

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