田村和廣さんより 仏教と科学2 2002,12,11,

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早速のメールありがとうございます。

 私は、仏教というよりも、仏陀の合理的なものの考えかたや、さとりの内容に興味があります。仏陀が、わからないものは、はっきりと、わからないと言う態度は、現代の科学者の態度に通じるものがあると思います。ここに、今の日本仏教ではなく、初期の仏教と、科学の接点があると思っています。
 私は、仏典に書かれていることや、その解釈がすべて科学で正しいものであると証明されるとは思っていません。大半のものは、科学によって否定されるのではないでしょうか。ただ、仏陀が説いたさとりの内容や、その後に中国から日本に仏教が伝わってくる間に付け加えられた多くの智慧のなかには、理にかなったものもたくさんあると思っています。
 私は、仏陀の寛容の精神と、対機説法のおかげで、仏陀のさとりの内容がわかりにくくなってるようになっているように思います。科学は、そういった仏典の中のさまざまな解釈の中から真に正しい解釈を探し出す道具として役に立つと思います。
 仏陀の得たさとりが普遍の真理であると仮定すれば、科学知識との整合性がないとは考えられないからです。逆にいえば、科学的知識と異なる仏典や仏教用語の解釈は、解釈が間違っているか、もともと仏陀がそんなことを説法していないか、さとりが普遍の真理であるという仮定が間違っているか、あるいは科学的知識が間違っているか、のどれかであると思います。どれが間違っているのか、一番確かめやすいのは、科学的知識だと思います。間違っていることは間違っている、わからないことはわからないとはっきりと認めるのが科学の態度ですから。
 私自身は、仏陀の得たさとりが普遍的な真理であるとは思っていません。仏陀の得たさとりは、仏陀の生きた時代の知識の範囲内で得られたもので、現代から判断すれば、正しいものもあるし、間違っているものもあると思っています。それらを検証し、間違っていると思われるものは捨て、正しいと思われるものを人生の指針として、受け入れていきたいと思います。そのためにはまだまだ仏陀や現代科学について勉強しなければなりません。私には、まだまだ、仏典のこの解釈は間違っている、この解釈は正しいといえるほどの知識はありません。

お忙しい中、ご丁寧なメールありがとうございました。曽我さんのホームページをよく読んで、わからないことが出てきたら、また、メールをしたいと思います。そのときはよろしくお願いいたします。

田村和廣


田村和廣さんへの返事 無記 2002,12,15,

前略

 田村さんがおっしゃっている「仏陀が、わからないものは、はっきりと、わからないと言う態度」は「無記」のことだろうと思います。
 「無記」については、多分ご存知かと思いますが、佐倉哲さんがホームページで詳しく取り上げておられるので、もしまだでしたら、是非一度ご訪問なさって下さい。きっと面白いと存じます。私のHPのリンク集から飛べます。
 佐倉さんはしばらく筆を休めておられますが、またばりばり書いて頂ける日が早くくればいいなと思っております。

 また是非ご意見ご批判をお聞かせ下さい。
                               草々
田村様
        2002,12,15,           曽我逸郎

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