特別企画  森 正夫の田舎暮らし抄

第4話 都会の生活と田舎の暮らし

 私がこの地へ引越したのは、予定より1年早い定年1年前であった。それまでは、セカンドハウスとして週末を利用して通うことが多かったが、通えば通うだけやるべきことが出てきて手に負えなくなる。考えてみると、毎週のように新幹線か高速を使っていれば、かなりの出費だ。いっそのこと、こちらから東京に通えばどうだろう・・・。新幹線定期代から職場が負担する交通費と通いの経費を差し引けば、大きな差は無くなる。あとは、仕事帰りの飲み代が減ればトントンではないか。こうして現役中の引越しが決まった。実際、新幹線通勤を始めて「田舎に住みつつ都会で働く生活」がこんなに簡単なことだったのかと気がついた。車内に乗り込めば、1時間と少しで東京に着く。横浜に住んでいた頃とほとんど変わらない。乗り換えや満員電車でない分ずっと楽だ。もっと早くこうしなかったことを恨んだが仕方ない。

 東京と佐久を往復しながら最初に気づいたことは空気と水の違いだった。新幹線が佐久平駅に到着して最初に吸う空気の美味しさは待ち遠しい程だ。水も同じ。夏でさえ水道の蛇口からそのまま飲んでも水は冷たく、あのカルキ臭さは無い。水割りも美味い。今ひとつは、痰がのどに絡まなくなったこと。さらに見た目と違って肌の弱い私はよく湿疹ができたり、鼻の粘膜が傷つきカサブタができて苦しんだが、これがきれいに治ってしまったのだ。自然環境の違いが、直ぐにこんな結果をもたらしてくれた。

 私は酒飲みである。人にもよるだろうが、仕事が終われば週に2〜3回は一杯やって家路に着くのが常だった。職場の門を出れば周囲は赤ちょうちんだらけ・・・。この誘惑に勝てる筈はない。休みの日にもついフラフラ出かけてしまう。ところが、こちらに来てみると、日が暮れれば周囲は真っ暗だ。月夜でなければ、鼻をつままれても解らない。外に出ようが生活圏内に飲み屋などある訳が無い。強いて出れば飲み代よりタクシー代の方が高くついてしまう。結果、家で本を読む時間が増えた。書誌をむさぶり読んだ青春時代に半歩戻ったようだ。悪くはない。

 どちらかというと私は身体を動かすことが好きだ。性格的にもジッとしていられないタイプで走りながら考える。現役時代は回遊魚とアダ名された。30代に入って始めた減量作戦以降、今日まで平均して一日の運動量は多い方だと思う。今でも、畑仕事や山仕事とは別に1日40分のストレッチと週1回の山歩きは欠かさぬよう努めている。腰の調子が悪くなる前には1日1時間の筋トレ、ストレッチ、6km以上のウォーキング、そして農閑期の山歩きは欠かさぬようにしていた。また、浅間山のボランティア活動で草すべりの登山道整備をしていた時期もある。しかし、この地へ来て始めた畑仕事と山仕事はどうも勝手が違う。トレーニングで鍛えた身体と幼い頃からの生活によって自然につくられた身体の差は埋め難い。農作業をしても、山仕事でも、自分より年上の方々と一緒に働いて全くついていけない。これは10年以上たった今でも同じである。

 不思議なものだ。長年にわたる労働が、その労働に適した身体を自然につくっていく。私などは幼少期から学生時代、社会にでてからも日常生活の基本はデスクワーク以外ほとんど知らないといってよい。60才を過ぎてから田舎暮らしに適した身体をつくろうなど虫の良い話が通る訳はない。私の場合、このことに気づくのが少し遅すぎた。結果は椎間板ヘルニアを再発させ、加齢による椎柱間狭さく症も加わって、一時は山歩きどころか30分も歩けば座骨神経痛がでてへたり込む始末であった。今はその後の治療と療養によって無理のない範囲での山歩きが出来るまでになったが、重い荷物をかついだ雪山などもってのほかとなってしまった。このことは、私にとって田舎暮らしを始めた中でのたったひとつの後悔と反省である。    

 ここから少々話の方向を変えたいと思う。私は田舎暮らしを始めるに当たって田舎らしい暮らし(往々にして勝手な思い込み)がしたいと思い、家のつくりから生活様式をそのようにした。当初は新聞も取らずテレビも観ないで意識的に都会的世間から遠ざかった。ところが、よく周囲を見ると私だけが一人芝居で浦島太郎を演じているようで居心地が悪い。昔からの数少ない古民家を除き、地元の最近の家々は都市近郊の団地にある家と変わらない。薪ストーブで暖をとっている家庭などごく僅かでしかない。家にエントツが出ているのは都会からの移住者ばかりではないか。また、今では高齢のお年寄りを除き、パソコンやインターネットを使えない者など少数派だ。私と同年代でさえ、これらを駆使した生活を送る方々が多い。私のようにワード入力も出来ず、原稿用紙に書いた文章を人様に入力していただいている者など肩身が狭い。これは、地元の区長会役員をやった3年間で思い知らされた。

 結論からいうと、テレビやインターネット、スマートフォンに代表される電波に乗った情報化社会が、何年も前からダイレクトに農山間地にまで入り込んでいるということである。現在、地元の小学生や中学生は間違いなく標準語を話し、方言のカケラもみられない。孫が遊びに来ても何の違和感も無く同年代の子供たちの輪に入れたし、遊び方も同じであった。子供たちが一番欲しいものはゲームソフトや携帯電話、スマートフォンで、かなりの子供が既に持っている。

 子供の世界をみると、この地も過疎化の中で少子化が進み小中学校の統廃合が進んでいる。結果、これまで片道2〜3km以上歩いて通っていた子供たちはスクールバスでの送迎になり、寒風の中、頬を赤くして通学する姿は少なくなった。その分、体力を使う場面が減り、運動会に行くと太った子供たちの多さに驚く。一方、通学圏が拡大することでクラスを構成する子供の住居間距離が遠くなり、学校の外で共に過ごす機会が持ちにくくなった。結果、今では子供たちが集まって野山を駆けまわる姿などほとんど見かけることはなくなってしまっている。さらに、専業農家の子供でさえ、田植えや稲刈り、野菜の植付や種まきなどの農作業を手伝うことから解放され、逆に親や祖父母の送迎で学習塾や習い事に通うことが日常的になりつつある。2年程前から、都市部の中学生が農山間地の生活体験をする課外活動を受け入れることになったが、地元(農山村)の子供たちとの差を見つけるのに苦労する。共通するのは電子機器への依存と農作業の経験が無いことだ。もしかすると、少子化と通学圏の広範囲化による子供の生活空間の狭まりから、都会の子供たちより田舎の子供たちの方が身体を動かす機会や出歩く機会が少なくなってきているのではないかと不安になる。

 子供たちの親世代ではどうだろう。30〜40代の大人たちだ。この世代で農業や林業に専従しているのはごく僅かだ。多くが外に職を得て働いている。この世代は、田植えや稲刈りなど限られた時期のみ農業に携わる父母を手伝うが、日々の暮らしは核家族的で同年代の都会人とあまり変わらない。スマートフォンやインターネットへの依存度も同様である。

 私と同年代か少し若い世代では、定年後に父母の後を継いで農業に携わる場合もある。これは、外に働きに出てはいたが父母と同居していたり、父母が亡くなった後、実家に戻って家を継いだりする場合である。どちらにしても、専業農家として長年働いてきた父母の仕事をそのまま引き継ぐには年齢的、体力的に無理があり、生産技術も追いつかない。結果的に生産力の低下は避けがたくなってしまう。

 これまで話してきたことは農村社会の現状の一側面であるが、子供、若い世代、そして現役世代を含めて農業が大きな曲がり角に来ていることを実感せざるを得ない。これは、田舎暮らしを始めて気づいたことである。また、こうした流れの中で、私の住む地域では後を継ぐ者が絶え、空家となる家々が目立ってきた。私の住む30数世帯の地区をみても、このままの状態が続けばいつまで現状を存続できるか・・・。

 以前の一文で、日本の都市化がアメーバーの如く際限なく広がり田畑をのみ込んでいったと書いた。これは、言い換えれば都市化の波が農山村社会の防波堤を突き崩し、産業構造を変え、さらに人々の有り様や文化まで崩壊させてしまったのではないかと空恐ろしくなる。現在、TPPを始め、日本農業の将来が問われているが、既に農業そのものが寄って立つ基盤そのものが失われているように思えてならない。

 ヨーロッパの各都市では、今でも街中の広場で近隣農家の生産物が朝市に立ち並び、市民の食生活をしっかり支えている。農村と都市が各々の役割分担を明確にして共存できる社会を今の日本が取り戻すことができるかどうか・・・・不安は尽きない。



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