特別企画  森 正夫の田舎暮らし抄

第1話 田舎暮らしへの憧れ

 私は少年の頃から父の影響を受けていたせいか自然の中で遊ぶことが大好きだった。小学校低学年の頃、父が自営業を営む雑然とした東京の下町から、職住分離のため住居を江戸川区に移すことになった。その時のうれしさは今でも覚えている。

 当時の江戸川区(北小岩)は、まだ田園風景の中にあり、私の家のまわりは田畑が多く残っていて小川や溜池がいくつもあった。そこでは虫とりや魚すくいなどに興じることが子供たちの主な遊びだった。近くの田では馬を使った田起こしが行われていたし、みのりの季節にはイナゴを獲って、甘露煮を作ってもらった。500mも歩けば泳ぐことができる江戸川があり、その土手に立つと富士山をはじめ関東近辺の山並を遠くに望むことができた。当時の江戸川区は、東京といっても、自然環境は現在の佐久平近辺とそう大きな差がなかったのだと思う。


 しかし、戦後の復興期から高度成長期が始まるにつれ、私が高校に入学する頃には、田畑は全て姿を消し、駅からの泥道は舗装道路に変わり、道の両側は多くの店が立ち並ぶ商店街が出来上がっていた。我家の近隣は全て住宅地に変わり、空地を見つけることさえ難しくなっていた。

 当時のこうした地域生活環境の変化は、たぶん都市部を中心に全国的に起こっていたのだろう。特に東京では、都心から周辺区や市部に、さらに隣接県にまで広がっていった。20年そこそこの間に東京都心から渦のように広がった都市化の波は、驚くほどの早さで田畑を飲み込んでいたのだと思う。

 このような地域環境の変化を当時の私がどのように受けとめていたかは、どうも思い出せない。就職して、30代初めに北欧、ヨーロッパへ職務研修に行くことになり、そこで見聞きした各国の都市や街づくりを知って、初めて日本の都市化の異常さに気付かされた。たとえば、パリ北駅から出発した列車は、30分程走れば家畜が草を噛み、農夫が汗を流す田園風景に変わってしまう。これは今も変わらない。

 戦後日本では、都市化の波が巨大なアメーバーの如く際限なく広がり時代をのみこんでいったのだと思う。日本人の多くがそのことに何の疑問も感じる余裕もなく、ただ突き進んでいたのだろう。だから何も思い出せないのだ。


 30代後半になって、山登りを本格的に再開した私は、山歩きもさることながら、山々を取り巻く自然環境や地域環境に大きな魅力を感じるようになった。都会を離れて感じる自然、草木や土の匂い、果実や稲の実る風景、田園の中に点在する家々を見るにつけ、子供の頃が思い出され、どこか懐かしく気持ちが和らいできた。
 
 当時の私は、年令的にも仕事の上で責任が重くなり、新しい企画を担当することが多くなっていた。1ヶ月100時間を超える残業や仕事を持ち帰る日々の中で、唯一の救いはめいっぱい身体を動かして山を歩き、こうした風景に触れることであった。

 下山途中の里山で、人の住まなくなった家などに出合うと、その荒れた庭に座って時間の許す限り、眺めすごした。以前そこに住んでいた人々のことを勝手に想像したり、その家で暮らす自分の姿を重ね合わせたりして楽しんだ。こんな環境の中で暮らせたら・・・・・・という思いが次第にふくらんできた。


 50代に入ると、忙しい仕事からある程度解放され、子供たちも一人立ちしたことで生活にゆとりが生まれ、山行を兼ねた妻と2人の旅行を楽しんだ。日本全国各地の山々を歩きながら、将来自分たちが住むとしたらどこが良いのか・・・と考えるのも楽しかった。特別目指した訳ではないが、過去に歩いた山々を含め、結果的に北は利尻岳から南は宮之浦岳まで日本百名山97座に登っていた。

 丁度その頃、住居を世田谷区のマンションから、まだ田園風景の残っていた横浜の長津田へ移し、小さな庭で始めた野菜づくりが一層私の背中を押しはじめた。若い頃は、全く興味を感じることなどなかったし、晩年になって庭いじりを趣味とした父の姿に老いをみて寂しい気持ちになったものだ。不思議なものである。

 定年を迎えたら、自然の中で畑を耕し、山歩きを楽しんで暮らしたい・・・という思いが日を増すごとに強くなり、次第に確固たるものになってきた。


 就職してから定年までひとつの機関で働いてきた。この間、10回を超える職場異動を経験したが、それぞれやりがいのあるもので、私なりに精一杯勤め、社会的責任も果たしてきたつもりである。現代の一般的な就業規則では定年後5年前後は職場に残るか、関連機関に出向して働き続けることができる。多くの人がその道を選んでいる。私の場合、仕事で積み重ねてきた専門知識が一定の評価を受けてか、教壇に立つことや他企業からの誘いもあった。これらに魅力が無かった訳ではないが、人生は短い。田舎暮らしを目指すには60才定年が潮時で、それ以上、都会の暮らしを続けたら身体能力がついて行けなくなる。個人差があるにしても、私がこの地で過ごした10年はそのことを思い知った年月であった。


 これまでの人生において、私の生活拠点は東京を中心にしていた。市川(千葉)や横浜に移ったことはあるが本拠は東京である。それは今もかなり引きずっている。当然、人生の多くを過ごしてきた地から簡単に切り離れることはできない。昔のスタッフが定年を迎えればお祝いに出席することが必要だし、孫が幼い頃は運動会へも出かけていった。仲の良い仲間たちからの誘いがあれば、2回に1度は上京している。また、移住当初ほどではないが、多くの友人たちが今でも我家を訪ねてくれる。こうした関係は、職場や仕事を通じ、また家族や地域社会の中で育み、積み重ねてきたものである。これらの絆は、ある意味で人生の後半を豊かにし、安定させていくための宝物である。こうした基盤から物理的に離れ、全く新しい環境に身を置くことに不安は無いか、とよく聞かれた。

 不安が無いとは言えないが、それにも増した未来への希望が私の全身にみなぎっていただけである。これまでの人生と離れて、全く新しい未知の世界に足を踏み入れる感動が私を支配していた。


 こうして田舎暮らし実現に向けての一歩を踏み出した。

 



お問い合わせは
長野県佐久市望月99-3
TEL/FAX 0267-53-8456
MAIL

Copyright (C) 2010 Sakulife Service All Rights Reserved.