曽我逸郎

《凡夫が仏になるには…法華経を再読して》


2007年七夕

 これまでこのホームページでは、けしてそれが目的ではないけれど、パーリ経典の一部や十二支縁起、般若心経、親鸞など、「仏教」の歴史の中で正統的として尊重されてきたいくつかの権威に対して、ひねくれた意見を述べてきた。

 自分なりの仏教理解の仮説があり、それらの権威と相容れない部分があると感じた時、思ったままの正直な疑問や感想をぶつけてきたつもりだ。その背景には、伝統的権威から照らし返され、批判を浴びることで、私の仮説の問題点をくっきりとした陰影で認識できるだろうし、そのことがよりよい仮説への手がかりになるだろうとの期待がある。そのため、わざと少し挑発的な書き方もしてきた。しかし、輪廻転生については多くの反論を頂けたものの、それ以外のテーマでは、ほとんどどなたからも相手にしてもらえず、さびしい思いをしている。

 そういう流れの中で、今回は、法華経現代語訳をもう一度通読してみた。三枝充悳訳のレグルス文庫である。ずいぶん昔、初めて読んだときは、やたら高揚感を覚えた。同時に、法華経の功徳はたくさん述べられている一方で、教えの内容が今ひとつはっきりしないもどかしさも感じた。

 再読してまず気づいたのは、「あたりまえ…般若経」の文体がかなり影響を受けていることだ。「あたりまえ…般若経」を仕上げたのは、1996年前後だった筈だから、前回初めて読んだのは、その少し前だったのだろう。それから10年が過ぎて、私の仏教理解もずいぶん変わった。今は、釈尊の教えこそ真の仏教と考え、仮説という自覚はあるものの、良くも悪くも凝り固まった見解を持っている。それゆえ、凝り固まった見解から法華経を見るといった読み方になった。これまで同様、挑発的な感想になってしまいそうだ。精読したとはとても言えないし、アラも多い。素人の勘違いもあると思う。突っ込みどころ満載、だと思うので、多くのご意見・ご批判をお聞かせ願いたい。

・・・・・

◆ 法華経は、釈尊の教え(無常=無我=縁起)を正しく引き継いでいるか?

 いきなり挑戦的な問いで、恐縮である。法華経は、釈尊の教えを正しく引き継いでいるだろうか。

 先に、私の考える釈尊の教えを、極簡略にでも述べておくべきだろう。

 「苦は、執着を原因として生み出される。自分自身を観察・分析して、無常=無我=縁起を自分のこととして心底納得せよ。そうすれば、もろもろの執着の対象、なにより最大の対象である自分自身が、執着し得ないものであることが分かる。自分が如何に愚かな自動的執着の反応の繰り返しであるか、痛感することができる。その結果、執着は、連鎖反応に至らず、起こってもすぐに鎮火する。第二・第三の矢はつがえられず、苦の生産は止まる」
 なかでもキイ・ポイントは、無常=無我=縁起だ。これこそは、釈尊以外の誰も気づくことのできなかった核心の真理である。もしも、執着を無理やり力ずくで押さえ込もうとしたり、「宗教的価値」を捏造してそちらへ執着を振り向けることで世俗的執着を昇華しようとするなら、数多ある凡庸な道徳・宗教となんら変わるところはない。釈尊の教えは、そうではなく、無常=無我=縁起を自分のこととして心底納得することによって、執着が自然と萎れるのである。

 無常=無我=縁起と関連すると思われる箇所を法華経から抜き出してみよう。(三枝充悳訳、レグルス文庫から)

上巻p78 方便品
 多くの仏、すなわち人間の最高者は、法(ものをふくむ存在)はつねに不変の実体というようなものはなくて、仏になる因は縁起の理法にあると知り、このゆえに一乗を説かれる。

上巻p132 譬喩品
 実体的な自我にとらわれた見解をあれこれ立てるものには、この経を説くことがないようにせよ。

上巻 p172 薬草喩品
 実体的な存在を否定する法の王である仏は、・・・

上巻 p178 薬草喩品
 多くの法が空(実体・とらわれがない)であることを聞いて、心が大いに歓喜し、
 数えきれない光を放って、多くの生あるものを済度することがあるのは、
 これを、大きな樹であって、しかもそれが増長することができる、と名づける。

中巻 p324 安楽行品
 またまた法においてすべてのものは空であると観て、これに執着し分別して有であるとは思わず、しかもすべてのものは、真実そのままのありかたをしていると観じて、また行において空に執著することなく、分別においても有に執著することがないならば、

中巻 p326 安楽行品
 すべてのものは空である、真実そのままのありかたである、顛倒している(ひっくり返っている)ことはない、動かない、退くことはない、ころがることはない、虚空のごとくであって、実体の有というありかたはなく、一切のことばで表現する道はなくなり、生ずることなく、出てくることもなく、起こることもなく、名称もなく、すがたもなく、実にそれがあるということもなく、量もなく、辺際もなく、障礙もなく障害もないと観ぜよ。ただ因縁が合するがゆえに、かりにあるとするだけであり、顛倒した考えから生ずるがゆえに、常とか楽とか説くのである。

中巻 p329 安楽行品
 一切の諸法は、空であって、有とするところはなく、
 常住であることなく、また生起したり生滅したりすることもない。

中巻 p330 安楽行品
 一切法は(すべてのもの)はみな、実体の有は存在しないことが、
 あたかも虚空のごとくであり、堅固なことがあることなくして、
 生ぜず、出でず、動ぜず、退くこともない、
 常住であって一相である、と観ぜよ。

下巻 p408 随喜功徳品
 『世界のものは、みな堅固でないことは、水の沫や泡やかげろうのごとくである。  なんじたちよ、ことごとく、まさにすみやかに、[いま執著している世界のものから]厭い離れる心を生ずるように』と。

 基本的には、無常=無我=縁起が受け継がれていると感じる。空についても、その使われ方は述語的であって、後の大乗にありがちな、空を名詞化して実体視・対象化し梵の代わりに据えるようなこともない。
 ただ、青字の部分は、梵我一如的傾向の芽が現れ始めているのではないか。あるいは、後になって付加された部分かもしれない。ともあれ、いずれにせよ、梵我一如的傾向は、まだ顕著には現れていないし、無常=無我=縁起も受け継がれていると思う。

◆ 法華経の問題点(1)  人無我が希薄

 しかしながら、いくつか気になるところもある。  ひとつは、法華経が説く無常=無我=縁起は、自分自身の問題として徹底されていないように感じられる点だ。確かに、上の赤字のように、実体的に自我を捉えることを否定する言葉もあるにはある。しかし、その部分もそれを主題にしたものではない。経の全体をとおして人無我が明確に主題として説かれているとは言い難い。例えば、上記引用の一番下、随喜功徳品の言葉は、「外境の執着の対象がむなしいことを見て、厭い離れよ」と説いているように思われ、その一方で、厭い離れる「私」については、無常=無我=縁起ではなく、一貫して存在していると捉えているような印象を受ける。

 このことについては、私自身、かつては外境の無常=無我=縁起ばかりを見て、瞬間瞬間の自然の移ろいに心を奪われていたのであるから、偉そうにはいえない。しかし、だからこそ気になる。当時の私は、外境の無常=無我=縁起を眺めながら、自分は一貫した観察者の視点に安立しているつもりだった。自然は確かに美しいが、パーリ経典に自然の賛美はほとんど見られない。自然は話題にならず、そのつどそのつど縁に応じて生起する「私」の不安定さが主題とされている。

 無常=無我=縁起といっても、外境のそれは目に見えやすいが、自分自身のそれは、なかなか見がたい。「自分は一貫して存在している」と思ってしまうのが、人間の自然な性だ。無常=無我=縁起の眼目は、そのような天然自然の思い込みをなんとか剥ぎ取って、自分自身の無常=無我=縁起を発見・納得することだ。そのことがしっかりと自覚されないと、妄想されたアートマンは安泰のまま、せっかくの無常=無我=縁起も、単に外の世界の上っ面の解説に矮小化されてしまい、移り変わる現象の向こうにすべてを超越し包摂する「永遠不変の真実在」が妄想されるに至り、かえって梵我一如へと転落していく入り口にもなりかねない。
 法華経は、この点で脇が緩みかけているのではないだろうか。

 法華経を信奉し、移ろいゆく世界の美しさに生き生きと感応しながら、梵我一如の手前で踏みとどまったのは、宮沢賢治だ。賢治の描く自然は、めくるめく変化しながら、美しく、せつない。それは、賢治が、梵などという「永遠の超越的全体」を妄想せず、あくまで目の前の現象を見ていたからだろう。賢治には、「わたくしといふ現象は」という言葉もある(春と修羅、序)。賢治は、自分の無常=無我=縁起をどこまで見ていたのだろうか。

◆ 問題点(2)  久遠仏

 おそらく人無我を見る姿勢が徹底していないことがもたらす結果だと思うが、法華経は、久遠の仏を説く。しかし、当然ながら、久遠は無常の反対だ。久遠仏は、無常=無我=縁起と相容れない。

 死を目前にした釈尊の言葉を、大パリニッバーナ経から引こう。

 やめよ、アーナンダよ。悲しむな。嘆くな。アーナンダよ。わたしは、あらかじめこのように説いたではないか、―すべての愛するもの・好むものからも別れ、離れ、異なるに至るということを。およそ生じ、存在し、つくられ、破壊さるべきものであるのに、それが破滅しないように、ということが、どうしてありえようか。(中村元訳『ブッダ最後の旅』岩波文庫)
 また、釈尊が亡くなられた直後、サッカ(帝釈天)はこのような詩を詠じている。
つくられたものは実に無常であり、生じては滅びるきまりのものである。
生じては滅びる。これら(つくられたもの)のやすらいが安楽である。(同上)
 仏であれ、つくられたものであることに変りはない。従って、無常であり、滅びるものなのだ。大パリニッバーナ経のこの首尾一貫し徹底した見解に比すれば、法華経の久遠仏は、永遠を求める凡夫の執着におもねる考えだと言わざるを得ない。

◆ 法華経の意図

 では、法華経の意図はなんだろうか?

 「誰もが仏になれる」と高らかに宣言すること。これは、ほとんどの方に同意いただけるだろう。

 法華経がこういう宣言をした背景には、釈尊の死後、部派仏教が、釈尊を超人化するあまり、仏というあり方を非常な高みに押し上げ、その反動として、衆生をけして仏まで手を伸ばせない卑小なものに貶めた、という事情があった。法華経を支持した人々には、部派仏教のそうした卑屈さが我慢ならなかった。法華経には、<怯えながら貧乏な状況に安住しようとする小心の愚者が、なにもかもわきまえた金持ちに救済される>といった物語がいくつか登場する。前者は部派仏教の修行者の象徴であり、後者は仏の比喩である。

 ただ、法華経が維摩経などと異なるのは、維摩経が部派仏教をコケにするばかりであるのに対し、法華経は、声聞・辟支仏も仏になれる、と言っている点だ。声聞や辟支仏は、仏が方便で教え示された中間目標(化城)であり、そこに安住することなく法華経に従ってさらに歩みを進めれば、仏になれる、と主張している。

◆ 法華経における仏とは? 仏になるには?

 では、法華経の説く仏とはどういうあり方を言うのか? 当然、声聞・辟支仏を超えたあり方である筈だ。
 声聞・辟支仏にはない仏の特徴として描かれているのは、みっつある。ひとつは先に触れた圧倒的な寿命の長さであり、もうひとつは様々な神通力、三つ目として倦むことなく衆生を仏にせんとする、という点だ。

 非常に長い寿命を持ち、数々の神通力を備え、倦むことなく衆生済度に努める仏。そういう仏になれるという。では、そのためにはどうすればいいのか?

 声聞・辟支仏の修行としては、四正諦、八正道や十二支縁起の教えが言及されている。部派の伝統に沿った内容であり、けして否定はされていない。しかし、カリキュラム中途の暫定的な方便に過ぎず、仏という究極のあり方には不十分なものとされている。

上巻p129 譬喩品
「もしもある生あるものが、苦の本質を知らず、
深く苦の原因になるものに執着していて、暫くもそれを捨てることができないならば、
これらのためのゆえに、仏は教化の方法を講じて、道を説きたもう。
すなわち、多くの苦の原因になるところは、貪欲がその根本にあるのである、と。
もしも貪欲をほろぼすならば、執着するよりどころがないであろう。
多くの苦を滅し尽くしたのを、第三の真理、すなわち滅諦と名づける。
その滅諦のためのゆえに、[八正]道を修行するのである。
多くの苦の縛を離れるのを、解脱を得たと名づける。
ところで、このひとは何において解脱を得たのか。
ただ虚妄(いつわり)を離れたのを、解脱と名づけただけにすぎず、
それは実際には、まだすべての解脱を得たのではない。
仏は、このようなひとはまた実際にはニルヴァーナを得てはいない、と説きたもう。
このひとは未だに最高の仏道を得ていないがゆえである。
 では、声聞・辟支仏のレベルを超え、仏になるにはどうすればいいのか? 残念なことに、法華経には明解には説かれていない。冒頭近くで引用した方便品の文章に「仏になる因は縁起の理法にある」とあるが(下線を引いた部分)、それ以上のものは見出せなかった。かわりに、その不足を補うかのように、法華経の功徳が繰り返し熱く説かれる。平田篤胤だったか、「法華経は効能書きばかりで肝心の丸薬がない」と批判したのは、無理からぬことだと思う。

◆ 仏の高さ、凡夫の高さ

 どうして法華経に丸薬がないのか? 仏になる方法が書かれていないのか?

 おそらく、思いつかなかったからだと思う。
 ちょっと表現が挑発的過ぎただろうか。しかし、私は、仏になる方法としては、四正諦と八正道、そのまとめである三学(戒・定・慧)で尽くされていると思う。それ以上のものはない。
 (十二支縁起については、我論的傾向の萌芽が見られるから、釈尊の教えではなく、後世にまとめられた説であると思っている。「2004,9,7,付け A・Hさんとの意見交換」の「2004,9,11,加筆」を参照)

 仏となるための方法である四正諦、八正道、三学を、法華経は、伝統に従って声聞・辟支仏に割り振ってしまったがために、肝心の仏乗にあてはめるべき方法がなくなってしまったのだ。

 では、法華経を離れて、一般論として、凡夫は仏になれるのだろうか?

 なれる、と信ずる。なぜなら、釈尊がそのための教えを残してくださったからだ。確かに、釈尊も、「誰もが皆すべてなる」とは思っておられなかっただろう。しかし、「誰もが仏になり得る」と考えておられたに違いない。喩えるなら、誰でも練習すれば一輪車に乗れるようになれるが、実際にはほとんどの人がその努力をしないので、乗れない。それと同様だ。多くの凡夫は、執着の一時の楽しみに耽り、苦を苦と自覚することなく、釈尊の教えに耳を傾けようとしない。しかし、苦を厭い正しく教えを聞いて精進するなら、仏になれるのだ。だからこそ、釈尊は、一度は躊躇された説法を、教えを乞う人すべてに、倦むことなく、亡くなる瞬間まで続けられた。自分の気づいたことをなんとかして他の人たちにも気づかせ、一人でも多く救い、苦を減らそうとなされた。

 にもかかわらず、部派の僧侶たちは、釈尊を超人化するあまり、「自分達出家修行者も仏にはなれない。いわんや、在家の凡夫にできるのは、サンガに喜捨して功徳を積むことだけだ」と言い立てた。

 そういう状況において、「凡夫も仏になれる」と法華経が主張したことには、大きな意義があった。法華経は、仏と凡夫の距離を再び手の届くものに近づけた。
 しかし、問題は、その近づけ方だ。

 部派仏教は、仏をはるかな高みへと祭り上げた。では、法華経はというと、仏を元の手の届く高さに戻すのではなく、かえってもっと高いところへ押し上げたのではないか。当時既に、部派仏教によって神格化された仏には、数々の神通力が与えられ、本生物語にみられるように多くの過去生の伝説が付与されていた。法華経は、それらを一層誇張した。その上で、法華経は、それに見合う高みまで凡夫を持ち上げたのである。

 「法華経に従う衆生は、ただの凡夫ではない。実は、何代にもわたる過去生において、多くの仏に仕え、無量の功徳を積んできているのだ。だから今、法華経に出会うことができた。法華経に接することができたということは、すなわち、無数の過去生において、数々の仏に使え、無量の功徳を積んできたことの証しである。」
 このように法華経は主張する。そして、法華経で多くの菩薩が「将来必ず仏になる」と授記を受けているのに倣って、法華経信者は、「法華経を信仰する縁を得た私は、いつか必ず仏になることが、すでに決定している」と考える。

◆ 問題点 3  凡夫の自覚が希薄になるのでは?

 仏をはるか高みに位置づけたまま、「自分達も仏になれる」と主張するためには、自分達の立ち位置を持ち上げるほかなかったのだろう。
 しかし、こういう考え方では、今の自分のあり方がそのまま肯定されてしまうのではないだろうか。反省がなされなくなる。

 釈尊は、戒・定・慧の三学を説かれた。
 我々凡夫は、執着の反応パターンによるところの、縁への自動的反応だ。だから、いつもいつもその時々の縁に対して過剰な執着の反応を繰り返し、自分と周囲の人とに無用な苦を撒き散らしている。そのことをしっかりと自覚し、無用の苦を作り出さず、自分にもまわりの人々にも与えないように、いつも自分という反応に気をつけておれ。この教えが戒だ。
 さらに、荒れ狂う嵐の海のような日常のカオス的あり方を鎮めて、最低限の反応しか残らない静謐な状況を作って、観察可能にし、自分が無常にして無我なるそのつどの縁起の反応であることをつぶさに観ることを教えて下さった。これが定だ。
 自己観察の結果として、自分が無常=無我=縁起であり、その時々の刺激への自動的反応であることを腑に落ちて納得し、執着し得ないものに必死に執着して無用に苦を作ってきた愚かさ(無明)に気づき、惜しむべきものはなにもなかったと知る。これが慧だ。

 釈尊の教えでは、「こんなふうに人と自分を苦しめるのは、もうやめたい」という痛切な反省が、まずもってなければならない。その痛みがあってはじめて、釈尊の教え、「凡夫は執着の自動的反応であって、縁に応じて自分をはじめとするさまざまなものに執着の反応を繰り返し、苦を作っている。自分をよく見て、無常=無我=縁起の反応であって、執着し得ないものであることを腑に落ちて納得せよ。そうすれば、執着の連鎖反応は断絶し、苦の生産は停止する」が胸に届く。

 しかし、法華経の場合、そうはならないのではないか。「法華経に感応し得た者は、すべからく、過去生で無量の修行をし、既に無量の功徳を積んでいる」と言う。これでは、凡夫のままに現状が肯定されてしまうのではないだろうか。「思わず知らず執着の反応となってしまうおのれの愚かさに気をつけ反応を整えていこう」という真摯な精進は、生まれてこないのではないか?
 法華経信者の不思議な自信に溢れた積極性は、ここに由来すると思う。

 宮沢賢治の場合は、賢治研究者ではないので印象に過ぎないが、「菩薩としてもっともっと活躍し、貧しい農民や人々を救う筈であるのに、ちっとも人々の役に立てていない」という自責があって、修羅のごとく歯軋りをしていたのではないかと想像する。
◆ 衆生を上げるのではなく、仏をもとの高さに下ろすべき。

 凡夫は、正しく精進すれば仏になれる。それは、仏とは、凡夫の手の届かない高みではなく、凡夫の目指せるレベルのあり方であるからだ。

 釈尊の教えに沿って、凡夫の自覚を持ち、自分という反応に気をつけ、整え、観察し、無常=無我=縁起を自分のこととして腑に落ちて納得できれば、執着の連鎖反応は沈静化する。二の矢、三の矢は、つがえられない。そして、もともとあった慈悲の反応が、執着による制限を解かれ、そのままに働き出す。これが仏だと思う。永遠の寿命も神通力も、関係ない。

◆ 問題点 4  感官の喜びに無警戒

 執着の反応が暴走することを防ぐためには、感官の門を守るということ、感覚の快・不快に自動的に反応しないよう気をつける、ということが必要だ。
 釈尊は、刺激を受ける時、警戒せよ、と教えられた。「感覚の門を守れ。そのつどの縁にそのままはしゃいだり、怒ったりするな」と。凡夫のまま縁に野放図・単純に反応することは、執着の反応パターンをさらに強化することになるからだ。

 しかし、法華経は、感覚の楽しみに対して警戒心が薄く、宝石や、音楽や、よい香りや容姿の美しさなどが、しばしば無邪気なほど肯定的に言及される。反対に、法華経を謗ったものの顛末として、肉体的奇形や欠陥が言及されており、現代の世俗の常識に照らしても、この部分には大変違和感を覚える。
 また、法華経のあちこちで、世俗の富が宗教的価値の象徴にされており、あまりに単純で分かりやすすぎる比喩だ。法華経は、部派仏教の伝統に対して侮蔑的であり、感覚的な楽しみに対して肯定的、富を賞賛し貧しい人々を見下す傾向も見られることから、当時、法華経の元に集った人々は、おそらく、急速に富と力を蓄え、自信に溢れた新興の商工層だったのではないかと想像する。ともあれ、「執着の反応は、感官の門で縁を受けるたびにそこから自動的に展開していき、苦を生み出す」という警戒が、法華経には希薄だと感じる。

 さらに言えば、法華経自体が人を高揚させるような性格を持っている。意地悪く言い換えれば、感官の門に対して感情を高ぶらせ冷静さを失わせるような縁になっている、ということだ。自動的反応の仕組みに働きかける仕掛けがある。釈尊の教えには、ふさわしいことではないと思う。

・・・・・

 どのようにお感じだろうか? 度が過ぎただろうか? 書いているうちにいつもコントラストが強くなってしまう。法華経にはファンが多いことは知っている。機嫌を損ねてしまっていたら、申し訳ない。

 忌憚のないご意見・ご批判をお聞かせ頂ければうれしい。

2007年七夕 曽我逸郎

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