佐藤哲朗さん 「家の作り手」についてテーラワーダの立場から 2005,2,21,

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曽我逸郎様

ご無沙汰しております、佐藤哲朗です。
久しぶりにサイトを拝見しました。ますます充実されているようで喜ばしい限りです。 僕も寺男3年目に突入して、仏教と猫にまみれる毎日です。

以前、メールをやりとりさせていただいた箇所に「追記」がしてあったので拝読しましたが、ちょっと首を傾げてしまいました。

曽我さんがどんな私見を持っていても自由なんですが、「釈尊の言葉がシヴァカ長老という一弟子の言葉として伝えられるとは思えないから、シヴァカ長老の言葉が皆に気に入られ、広がって行くうちに、いつしか釈尊の言葉とされて法句経に取り入れられた」云々というのは、曽我さんの「好み」の表明ならばともかく、「正しい仏教」を確定するための仮説として勇み足ではないでしょうか?ポイントを二つ挙げてみます。

1)釈尊の言葉と酷似した言葉が、仏弟子の言葉として残っているのはホントに不自然ですか?

…私の体験から言うと、弟子の口ぶりが師匠に似るのは普通だと思います。また、弟子の言葉を師匠の言葉に仕立て上げちゃうことの方が、「師弟関係」の倫理観から言ったらよっぽど憚られるのではないでしょうか?(福沢諭吉を帝国主義者に仕立て上げた不肖の弟子だって、100年もしないうちに捏造がばれちゃったでしょ?)

追記に書かれたことが曽我さんの単なる思い込み以上のものだと他人を納得させるためには、パーリ経典全体にそのような例が稀有である、または釈尊の言葉と仏弟子の言葉がダブっていた場合は仏弟子の言葉のほうが古い、ということが説得力を持って語られないといけませんね。ひとつだけ、分かりやすい反証を挙げましょう。

無常の偈として超々々々々々々有名な

aniccaa vata saGkhaaraa
アニッチャー ワタ サンカーラー
もろもろのつくられた事物は、実に無常である。 (諸行無常)
uppaadavaya dhammino
ウッパーダワヤ ダンミノー
生じ滅びる性質のものである。 (是生滅法)
uppajjitvaa nirujjhanti
ウッパッジトゥワー ニルッジャンティ
それらは生じて滅びるからである。 (生滅滅已)
tesaM vuupasamo sukho
テーサン ヴーパサモー スコー
それらの静まるのが安楽である。 (寂滅為楽)

は、『長老偈』(theragaathaa テーラガーター)1159(スリランカ版1170 『仏弟子の告白』213ページ) と、大般涅槃経に出てきますけど、両方ともお釈迦さまの言葉じゃないですよ。目連尊者と帝釈天の偈になってます。こんな有名で愛されてる偈が、お釈迦さまの作になってないのは、曽我さんの仮説からいうとちょいとおかしいですねぇ。

2)ダンマパダの該当箇所が、長老偈の該当箇所より明らかに新しいという文献学的な証拠はありますか?

…これは僕も調べたことのない話なので、研究されている方がいるか分かりませんが、お互いに見つけたら報告することにしましょう。

いづれにせよ、自分の好みを「古いもの」「正しいもの」とみなしたがるのは、悟っていない限り付きまとう人間の弱点です。「自分は知っている」のではなく、あくまで真理を求めて仮説を組み立てているのだと考えているのであれば、

「シヴァカ長老よりも、二人の尼僧のほうが、無常=無我=縁起を正しく深く理解しているように思える。」というくだりは、「二人の尼僧の詩の方が、シヴァカ長老の詩よりも、いまの私の無常=無我=縁起理解にはしっくり来る」くらいにしておいた方がいいんじゃないでしょうか?曽我さんもいつか見解が変わるかもしれませんから。その時に「私は尊敬すべき人を過去に誹謗してしまった」という後悔が生じませんように。以下雑談です。

ちなみに、宮元啓一さんの『ブッダが考えたこと―これが最初の仏教だ』(春秋社)はお読みになりましたか。僕も全面的に賛同するわけでは勿論ありませんが、近代以降の日本の「仏教に惹かれるインテリ」が陥りがちな思考のフレーム・固定概念を相対化している、という点でなかなか興味深い内容になっていると思います。中村元さんの弟子にしては随分思い切って発言されてます。

また、印哲論文にアクセスできる環境にあるようでしたら、藤本晃さんの諸論文を読まれてみては如何でしょうか?まだINBUDSデータベースに入っていませんが、最近発表された「四沙門果説の成立と構造」「パーリ仏典に説かれる「九次第定」の成立と構造」「『仏説盂蘭盆経』の源流」などを読まれますと、けっこう頭の体操になると思います。
(一般向けに噛み砕いたものは、日本テーラワーダ仏教協会の機関誌『パティパダー』2004年12月号から順次掲載されています)

少々値は張りますが、片山一良先生のパーリ仏典邦訳シリーズ(大蔵出版)も、中部・長部に続いて相応部の刊行が来年以降始まるようですし、南伝大蔵経もオンデマンド版で比較的安価に手に入ることですし(僕は増支部あたりから読んでいます。最高に面白いです)、先入見なしにいま一度データ集めのつもりで読んでみるのも面白いんじゃないでしょうか。

まぁ、そんなことよりカーラーマ経(南伝17巻303頁 PTS版AN-I,188p)を、曽我さんの好きそうな一行だけではなくて全部読んでみて、お釈迦さまの仰る教えの真偽のテスターのかけ方を実験してみれば、随分と時間節約できるかと存じます。お経はほんとに「正しく生きるための実践マニュアル(『ブッダの智慧で答えます 生き方編』A.スマナサーラ 創元社227p)」だと思います。

長くなりました。法について話し合うのは楽しいですね。

では、お幸せでありますように。

祈願衆生皆安楽
佐藤哲朗
(メールのHP掲載はご自由にどうぞ)


佐藤哲朗さんから追記  2005,2,23,

曽我逸郎様

こんばんは、佐藤哲朗です。

先日お送りしたメールの追記です。

宮元啓一さんの諸著作に関するまとめと書評(主張の抽出と矛盾点への批判)は、

http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3138/
に掲載されているreverieさんの書評、

書評:『ブッダが考えたこと─これが最初の仏教だ』
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3138/book_review_miyamoto5_1.html

大乗思想批判:『仏教誕生』、『ブッダ─伝統的釈迦像の虚構と真実─』
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3138/book_review_miyamoto1.html

がよくまとまっていると思います。
特に後者の隙のない明快なまとめかたには、唸らされました。

「大乗仏教は初期仏教(原始仏教)の基本思想に沿った発展形態というよりも、解脱という目標を実質的に捨てさり、その替わりに菩薩というそれまでになかった、崇高にして空虚な目標を導入したことで実質的に別の宗教にすり替わってしまったと見るべきだと考えます。」
(http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3138/book_review_miyamoto3.html)

「四諦を実質的に軽んじ、縁起を破壊し、アラカンを貶めたという意味で既に正統的な仏教思想を著しく逸脱し破壊したため、その当然の帰結として大乗仏教では仏にもなれず、涅槃の果も生じなくなったということでしょう。」(http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3138/book_review_miyamoto4.html)

というreverieさんの総括は、一見エキセントリックでありますが、≪釈尊の教えを「仏教」から抽出する≫ならば、そのようにしか言いようのない事実ではなかろうかと私は思いました。

ちなみに、宮元啓一さんご本人のサイトはこちら↓
http://homepage1.nifty.com/manikana/m.p/pengin.html

では、お幸せでありますように。

祈願衆生皆安楽
佐藤哲朗


曽我から佐藤哲朗さんへ  2005,3,11,

拝啓

 返事、大変遅くなってしまい、申し訳ありません。

 ダンマパダの一節とテーラガーターのシヴァカ長老の言葉との類似からの私の連想に、ご意見を頂きました。

 仰るとおり、私の思いつきに文献学的な根拠はまったくありません。ただの想像です。ですが、常識的な推察ではないかとも思っています。

 無常の偈を反例として提示頂きましたが、「皆に愛唱された言葉は、例外なくすべて釈尊の言葉とされる」と考えているわけではありません。その言葉を語った人の名と共に残る場合も、勿論あるでしょう。

 もしも、「家の作り手」の一節が、釈尊の言葉としてすでに人々に知れ渡っていたなら、それをシヴァカ長老が繰り返したとしても、あらためてそれが長老の言葉として残されるのは不自然ではないかと思います。
 もしテーラガーターが、「長老様、あなたの座右の銘を教えて下さい」といった主旨であれば、釈尊の言葉をそのまま語ってもおかしくはありませんが、テーラガーターは多分そういう性格のものではないでしょう。

 シヴァカ長老の言葉が釈尊の言葉として伝えられるようになったのは、「弟子の言葉を師匠の言葉に仕立て上げ」るというような、意図的なものではなかったと思います。シヴァカ長老の言葉が、「なるほど、うまいこと言うな」と皆に受け入れられ、自然にひとり歩きして広まっていき、やがて「これは釈尊のお言葉に違いない」と皆が思い込んで、ついにダンマパダに採用されたのだろうと想像します。

 「ダンマパダの該当箇所が、長老偈の該当箇所より明らかに新しいという文献学的な証拠は?」という御質問を頂きましたが、私も文献学的な証拠を提示できるほどの能力はありません。
 ただ、時間の流れを考えると、まず@釈尊の時代があり、やや遅れてAシヴァカ長老が「家の作り手よ」と語られ、一定の時間が経過するうちに言葉が一人歩きして広まり、その後Bダンマパダやテーラガーターが経典として成立した、と想像します。経典、あるいはその一節の「文献」としての新旧を論じても、この場合、あまり意味がないような気がします。言葉の一人歩きは、経典成立以前におこったと考えますので。

 テーラガーターにシヴァカ長老の言葉として残った理由は、シヴァカ長老の流れを汲む弟子たちの間では、「家の作り手」がシヴァカ長老の言葉であることが認識されていて、「あの有名な言葉は、本当は我等が長老の言葉なのだ」という長老への敬愛・誇りがあって、テーラガーターに採用させたのではないでしょうか。

 以上、ダンマパダの「家の作り手」の一節は、釈尊の言葉ではなく、一長老の言葉が広まったのではないかという想像について、文献学的な証拠を提示することはできないけれど、常識的な推論としては、かえってそう考える方が自然ではないか、という見解を述べました。

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 論文など、たくさんご紹介頂きました。宮元啓一さんの本は、『仏教誕生』だけ読んでいます。あとは、御推薦のreverieさんのサイトのページに目を通しました。

 これらを読めと仰ったということは、佐藤さんは、私を大乗の徒と考えておられるのでしょうか? 私は、釈尊の教えにこそ学びたいと思っているのであって、けして大乗の徒ではありません。同様にテーラワーダの徒でもありませんが、、、。
 現代の大乗も、テーラワーダも、釈尊から等しく2500年の時を隔て、それぞれがそれそれぞれの変質をしていると考えています。
 自分の理解を表現する方法を大胆に模索した大乗に比べて、テーラワーダはできるだけ変化を加えずに教えを引き継ごうとしたとは思います。しかし、それでも、意図的ではないにせよ、誤解や親切心から、自分の解釈が混ざってしまうことは避けられませんでした。

 さらに言えば、文献学が目覚しい成果を上げて、成立当初の経典が明らかになったとしても、それが釈尊のお考えのままだとは思えません。経典が経典の形になり、文字として書かれるまでに、釈尊から既に数百年が経過しており、その時間の分の変化を被っているはずです。また、釈尊は常にその時々の具体的な相手に教えを説いておられます。よく対器説法と言われるように、相手に応じて説き方を変えられたことも多分あったでしょう。それに、経典は、釈尊の説法の記録というより、「このように私は聞いた」で始まる弟子たちの理解の記録だと思います。両者の間には、微妙な違いがあり、最初期の経典が復元されたとしても、それが釈尊のお考えそのままだとは思えません。釈尊の発話・説法が音源として仮に復元できたとしても、どういう状況・いきさつでどういう相手に話されたのか、そこまで把握できなければ、釈尊の真意は理解できないでしょう。

 釈尊の本意ではないのに経典にまぎれ込んでしまったものの代表のひとつが、輪廻転生だと思います。reverieさんのご見解は、ほとんど納得できるものでしたが、輪廻転生については同意できませんでした。
 また不毛の水掛け論を繰り返すのは気乗りがしませんが、上記のとおりに経典をも批判的に読むとしても、釈尊の教えとして否定し得ないのは、仏教経典だけが説いているユニークな教えです。無我=縁起こそは、他に例を見ない仏教独自の考えであり、まさしく釈尊の教えであったに違いないと考えます。

 そして、無我=縁起と輪廻転生とは、明らかに矛盾します。両者の矛盾を解消しようとする努力が営々として続けられてきましたが、成功したとは思えません。
 スマナサーラ長老は宝泉寺でのインタビューで「輪廻転生は、釈尊が初めて発見されたことで、それ以前にはなかった考えだ」と私に仰いました。しかし、文献学的には、輪廻転生はウパニシャッドや外道の師達も説いており、釈尊以前からインドに定着していたと考えるべきでしょう。(御推薦の宮元啓一さんも『仏教誕生』(ちくま新書)の第1章冒頭からそのことを説明しておられます。)
 すなわち、当時の仏弟子達も輪廻転生を当然のこととして受け入れており、釈尊はそれを前提に教えを説かれたこともあったでしょうし、弟子たちも、輪廻転生があるという前提の上で釈尊の教えを解釈したと想像します。その結果、釈尊のお考え(無我=縁起)に反して、輪廻転生が「仏教」の中に根付いてしまった。無我=縁起をきちんと了解できれば、輪廻転生もないことは分かる筈だったのに、、。

 テーラガーターには、「三つの明知を体得した」(中村元訳岩波文庫『仏弟子の告白』)という表現が、修行の達成を表す言葉として頻繁に登場します。三つの明知には、自分の過去生を思い出すことと、生けるものたちが死にかわり生まれかわる様を見ることとが含まれます。つまり、三明は、輪廻転生を前提とした概念です。しかし、私の受ける印象では、「三つの明知を体得した」は具体性のないパターン化した表現になってしまっており、どのような過去生を見て、どう感じたのか、個々の長老独自の個性的な述懐はほとんどありません。
 例えば、サッパダーサ長老の言葉(405〜408)からは、修行がうまくいかない苦しみが切々と伝わってきます。しかし、それに比べると、三明の体得と教えの達成を述べるくだり(410)は、あまりに類型的です。
 もし三明の体得が本当に修行達成の決定的瞬間であったのなら、自分の過去生に何を見て何を痛感したのか、どんな反省をしてどんな気付きがあったのか、当然口をついて出てくる筈です。同じことは、中部4「恐怖経(怖駭経)」でも言えると思います。
 (例外は、910から919のアヌルッダ長老の言葉で、過去生での名前や職業に言及しています。しかし、サッパダーサ長老のような切実な実感は私には感じられません。)

 テーラガーターには、こういう言葉もありました。

 498 「われらは、この世において死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。―このことわりを他の人々は知っていない。しかし人々がこのことわりを知れば、争いはしずまる。(大カッチャーヤナ長老。ダンマパダ6にも同文)

 715 「われには『われが、かつて存在した』という思いもないし、またわれには『われが未来に存在するであろう』という思いもない。潜在的形成力は消滅するであろう。ここに何の悲しみがあるであろうか。(アディムッタ長老)

 996、997 ・・・実に、わたしの誓願したところのものは、過去世の生活を知る[通力]を得るためではなく、すぐれた透視[力]を得るためでもなく、他人の心を読み取る[通力]を得るためでもなく、死と生を知る[通力]を得るためでもなく、聴力を浄める[通力]を得るためでもなかった。(サーリプッタ長老。これは、三明の否定だと思います。)

 経典には、様々な相矛盾する言葉があります。それらの中から、仏教だけのユニークな教えを釈尊の教えとして捉え、それに矛盾するものは、あとから混ざり込んだものとして排除すべきだと思います。

 ご意見お聞かせ頂き、ありがとうございました。

                          敬具
佐藤哲朗様
       2005、3、11、
                          曽我逸郎


佐藤哲朗さんから再び  2005,3,12,

曽我逸郎様

こんばんは、佐藤です。
お返事ありがとうございます。

しかしなんとゆーか、失礼ながら苦笑を禁じえませんでした。

だって、『ダンマパダ』と『テーラガーター』に関する曽我さんの論考は、曽我さんの想像以外に根拠がないと堂々と開き直って宣言されているんですから。

現代人が納得する「常識的な推察」として成り立たせるためには、少なくとも、ダンマパダの当該箇所が、テーラガーターのそれよりも新しいことの傍証くらいでも出してもらわないと…。でなければ、なぜシヴァカ長老の言葉「が」釈尊の言葉として伝えられるようになったのか、まったく説明できません。「私がそう思う」というだけならば、話にならない。

>経典、あるいはその一節の「文献」としての新旧を論じても、この場合、あまり意味がないような気がします。言葉の一人歩きは、経典成立以前におこったと考えますので。
こんなことを言い出したら、もう何でもありですよ(笑)。釈尊が輪廻を説かれた事実は、漢訳阿含・パーリ三蔵に経証として山盛りに残っていることです。これだけで充分なのに、さらに科学的な精査にもとづいて(いまのところ)確定されている最古層の経典にも、輪廻を前提とした教えが歴然と現れています。
> これらを読めと仰ったということは、佐藤さんは、私を大乗の徒と考えておられるのでしょうか? 私は、釈尊の教えにこそ学びたいと思っているのであって、けして大乗の徒ではありません。同様にテーラワーダの徒でもありませんが、、、。
う〜ん、そうではないんじゃないですか?曽我さんは釈尊の言葉から、「無我=縁起(の断滅論的解釈)」を自分の理解能力で抽出しました。それはよし。それで次に、気に入ったその概念の解釈尺度に合わなければ、釈尊の教えであっても片っ端から否定している。で、大層な根拠があるのかと思ったら、ただ「自分がそう思うから」というだけで。

とにかく、「言葉の一人歩きは、経典成立以前におこった」などという強引な解釈をしない限り、釈尊が輪廻を否定したということは学問的には言えなくなっています。「ブンガク」的にはどうか知りませんが…。輪廻否定派は、そこまでは追い詰められているようです。

そこで野暮ですが問い返したいのです。釈尊の言葉のカケラを固定概念や妄想でガチガチに塗り固め、いま・ここで「一人歩き」させているのは、まさに曽我さん、あなたではないですか? 過去のことではなく、「いま自分が何をやっているのか」を客観視してみて欲しいのです。

大乗仏教で勝手に経典を作り出したのは、「自分が正しい」「自分の経験こそが最終結論である」と思いたがる煩悩具足の人間の「弱点」です。その意味では大乗仏教のような体系が出来上がったのは人間らしい出来事です。

曽我さんも僕も、その人間の弱点を共有しています。しかし大乗仏教的な仏教アプローチの伝統を自分のなかで相対化できていないが故に、そこに換えがたい魅力を感じているが故に、経典の中から抽出した「言葉の一人歩き」をいま・ここで再生産してしまっている。僕なりに、仏教思想史的に曽我逸郎さんを分析するとそういう姿が浮かび上がります。

> スマナサーラ長老は宝泉寺でのインタビューで「輪廻転生は、釈尊が初めて発見されたことで、それ以前にはなかった考えだ」と私に仰いました。しかし、文献学的には、輪廻転生はウパニシャッドや外道の師達も説いており、釈尊以前からインドに定着していたと考えるべきでしょう。(御推薦の宮元啓一さんも『仏教誕生』(ちくま新書)の第1章冒頭からそのことを説明しておられます。)
ふむふむ。提案ですけど、知識人であるならばインタビューで聞いた片言隻句に拘っていないで、その説明にはどういう背景があるか、ということも調べてみては如何でしょうか?長老ともあろうお方が、理由もなしに、あるいは単なる身びいきでそんなことを言っていると思われますか?

乏しい知識ですが、ちょっと説明してみます。曽我さんはパーリ長部の第一『梵網経』(南伝6巻など)を読まれたことはあるでしょうか? 輪廻として知られる現象については、釈尊の時代の瞑想修行者も発見していました。自らの過去世体験をもとにして、思想哲学を編み出していたのです(と、『梵網経』では説明してあります)。

経証によれば、お釈迦さまは彼ら修行者のそれぞれ体験は認めていました。しかし、その体験から導き出した思想哲学は批判したのです。なぜなら彼らは輪廻について「知り尽くした」わけではなく、それぞれの限られた認識能力の範囲で導き出した思想哲学に過ぎなかったからです。(そういうことを延々と述べた経典がパーリ長部の筆頭に置かれるということ自体、輪廻説が後世の混入物だとしたらおかしな話だと思いますけどね)。

輪廻転生について、不充分な発見は釈尊以前にもありました。禅定修行自体は仏教以外でもやっていましたからね。輪廻転生について初めて知り尽くし、説明し尽くしたのが釈尊なのだと、経典を読めば何の矛盾もなく説明できます。輪廻を知り尽くした上で、縁起説が成り立っているのです。ちなみにウパニシャッドは輪廻をある程度知る仙人からの聞き書き程度の代物で、しかも釈尊の時代より後に成立した可能性もある文献です(あいまいあやふやなものほど古いと思ってしまうことも、進化論的な偏見に毒された文献学者の陥りやすいところです)。

とにかく、オススメした宮元啓一さんも含めて、自らの経験の範囲でのみお釈迦さまの教えを受け取っています。それで『これが最初の仏教だ!』と威張ったりしている(笑)。でもみんな一切智者の手のひらに居ます。それは古代もいまも変わりません。自分の経験・認識能力の範囲内でだけお釈迦さまの教えを認めてやろう、評価してやろうという限界は文章を読めばありありと見えますからね。

それでも、自分の理解範囲で受け取った教えを役立てて自分の人格が向上させるならばいいのです。人間だもの。教えによって煩悩が減れば素晴らしいことです。

しかし、「自分の理解範囲で受け取った教えのみが釈尊の教えだ」と考えるのは明らかに邪見です。

釈尊は、前便でご紹介したカーラーマ経を読まれれば分かるように、来世を信じない・想定しない在家の人々にも、信じないままで実践できるような教えも説かれました。それは釈尊の親切であって、それ以上でもそれ以下でもありません。しかし、ご自身の直弟子である比丘たちに対しては何のこともなく極々当たり前のこととして、集中力の訓練によって思い出せる事実として、輪廻を、…輪廻の恐ろしさを語っていたのです。そして「わたしは指をパチンと弾くほどの時間も『有』を賛嘆したことはない。神とか梵天とか、そんな境地は糞と同じだ。輪廻を脱出するために励めよ」と比丘たちを叱咤激励していたのです。

> 経典には、様々な相矛盾する言葉があります。それらの中から、仏教だけのユニークな教えを釈尊の教えとして捉え、それに矛盾するものは、あとから混ざり込んだものとして排除すべきだと思います。
大賛成です。お釈迦さまが知り尽くし説明し尽くした輪廻を、「自分様には分からないから」と否定しようとする断滅論は、「仏教だけのユニークな教え」でも何でもない、現代人の偏見の産物に過ぎません。近代になって、仏教が滅びた・または堕落した社会において、後から混ざりこんだ(まさにいま、曽我さんが混ぜ込んでいる)ゴミの教えです。釈尊の教えと矛盾するので排除すべきだと思います。

繰り返しますが、過去のことではなく、「いま自分が何をやっているのか」を客観視してみて欲しいのです。釈尊は曽我さんのようなお考えの方についてどう語られているでしょうか? 経典の中にいろいろと興味深い言葉が見つかることでしょう。

また長くなりました。表現がきつくなってしまった失礼をお許しください。でも僕が言いたかった「曽我さん、そこが変だよ!」というポイントが、曽我さん自身のメールによってずいぶん明確になった気がします。感謝いたします。

では、お幸せでありますように。

祈願衆生皆住無憂
佐藤哲朗
(公開はご自由に)


曽我から佐藤哲朗さんへ  2005,3,12,

拝啓

 早速に返信を頂きありがとうございます。私も珍しく素早いリターンをお返しします。

 今回のやりとりでは、輪廻転生の問題に加えて、経典にどう向かうか、という点でも、立場の違いが見えてきたと思います。

 佐藤さんは、釈尊と経典成立との間には、どれ位の時間が経過しているとお考えなのでしょう? その間、釈尊の仰ったことが、口伝えでずっと正しく保存されつづけたと信じておられますか?

 経典として成立してから経典が増広していったことは、文献学によって徐々に明らかにされてきました。文字になってからでさえそうなのですから、<文字にされる前には「言葉の一人歩き」はなかった>と考えるのは不自然だと思います。文字になる前のことは、残念ながらさすがの「文献」学でも手におえませんから、証明することは不可能ですが、、。
 でも、傍証ならいくつか挙げられます。まず、言語の点。釈尊がしゃべっておられたのは、マガダ語でしたっけ、ともかくサンスクリットでないことは無論ですが、パーリ語でもなかったと聞いています。すなわち、パーリ経典と言えど、釈尊の言葉そのままではありません。
 経典に同じフレーズが頻出すること。例えば、様々な経典で様々な人が、釈尊の説法を賞賛して、同じ言葉、「倒れたものを起こすかのように・・・」を口にします。別々の人が別々の場面で同じ事を言うことは現実にはあり得ませんから、この類型化も「言葉の一人歩き」の結果だと思います。

> > 言葉の一人歩きは、経典成立以前におこったと考えますので。
>
> こんなことを言い出したら、もう何でもありですよ(笑)。

 いや、笑い事ではなく、現に「何でもあり」になってしまっています。「仏教」の多種多様な解釈は、その現れです。今や釈尊はそれくらい遠くおぼろになってしまっています。「パーリ経典は正しく釈尊の教えを引き継いでいる」と主張するのも、申し訳ありませんが、たくさんある「何でもあり」の内のひとつだと思います。

 <経典には、釈尊の教えそのままが書かれている>とナイーブに信じられるほど、事は簡単ではない。では、どうすればいいのか?
 別の意味で「何でもあり」の、総動員の努力が必要だと思います。
 まずは文献学の成果に敬意を払い、経典から後世の混ざりものを排除すること。しかし、文献学にも限界はある。経典成立以降の混ざりものもたくさん残るだろうし、経典成立以前の混ざりものは排除のしようがない。
 懸命に考えるしかありません。私の考え方は、ホームページのあちこちに書きましたが、「仏教」として伝えられるものの中から、他にないユニークな教えを釈尊の教えとしてまず抽出し、それを手掛かりに、そこに他の教えも整合的に付加できるかぎり付加し、体系的な仏教理解の仮説をつくる。それを様々な「仏教解釈」にぶつけ、問題点を発見し、仮説を修正・再構築していく。さらに、それを単なる理屈の解釈ではなく、自分の事として腹に落ちて納得できるか、自分を実験台として確認する。

 最後の確認は、まだできておりませんし、いつできるのかも分かりませんが、それでも実践からいくつかヒントを見つけることはできました。日本テーラワーダ仏教協会の宿泊実践会で頂いた御指導のお蔭と、感謝しています。

 そして、このような「何でもあり」の総動員の私なりの努力によっても、無我=縁起というユニークな釈尊の教えと体系的に結びつけることができないものが、「先に我あり」の我論であり、梵我一如型の思想であり、輪廻転生であって、それらは排除する他ないと現時点では考えています。

 輪廻転生と無我=縁起とが矛盾なく体系的に一体化していると納得させて下されば、いつでも考えを改める所存です。

                            敬具
佐藤哲朗様
        2005、3、12、
                          曽我逸郎


佐藤哲朗さんから  2005,3,13,

曽我逸郎様

メールありがとうございます。

「輪廻は経典成立前の教えの増広の結果である」という珍説は検証不能でまともに相手にしようがない(何とでも言える)としかコメントできません。「懸命に考えている自分」「懸命に考えている自分が考え出した結論」がいかに愛しいか、という表明としてしか読めませんでした。

まぁそれは置いておいて、「無我=縁起 こそが釈尊の真説であり、それと矛盾するように見える輪廻説は後世の混ぜ物である」という仮説が、文献学的に立証出来なかった場合、

1)「無我=縁起 こそが釈尊の真説である」が、それと矛盾するように見える輪廻説も無我=縁起 によって説明できる。つまり、自分のこれまで無我=縁起説の理解が浅かったことを認める。

2)「無我=縁起 は釈尊の教えであるが、それはインドで現在主流になっているアートマン説と矛盾しない。無我という訳語は非我と改めるべきである。

3)「無我=縁起 こそが釈尊の真説であり、それと矛盾するように見える輪廻説は後世の混ぜ物である」という仮説はあくまで正しい。文献学的な方法論では、釈尊の教えは確定出来ない。

大まかに言って3つの選択があるのだと思います。3)は方法論を放棄しても自説を守る立場。2)は仏教をインドの主流思想の立場に還元する立場。1)は釈尊の教えの体系を一貫したものとして理解しようという立場。

私は、1)の立場です。曽我さんは3)ですね。

文献学的に確定された経典によって、自分の仮説が立証出来ないというのであれば、自分の仮説がおかしいと考えるのが、理性的な人の選択だと思います。日本の知識人の間では理性はあまり重きを置かれていないようですが…。

1)の立場に対して考えられる批判としては、もっとも信頼出来ると仮定出来るパーリ三蔵にしても成立の順序があり、伝承の過程で後世の混ぜ物が入っていないとは断言出来ない点があります。曽我さんが仰る類型的な表現もそうです。しかし、文献学的に古層とされる教えとそれ以外のものに思想的な論理矛盾がなく、教えを実践する人が煩悩を削減し、悟りの階梯を上り、輪廻を解脱をするというシステムが現に機能しているならば、決まり文句や繰り返しといった「増広」は問題になりません。これは実践論からの弁明。初期仏教の伝統からは釈尊在世から今日まで四沙門果を得て解脱した出家の本懐を遂げた聖者を連綿と輩出して来ましたので、「結果を出してるんだ教えに対して、何か文句あるの?」と堂々と言えます。
仏教史の立場から弁明しますと、経典の「増広」は大乗仏典という異質な教えが登場した以後と以前ではまったく比較になりません。大乗仏教は経典の「増広」どころか捏造・偽造に依存しなければ成り立たないものであり、その編纂過程も明らかではない。それ以前の初期仏教ではサンガの結集によって経典の範囲が声聞サンガの環視のもと確定され、合誦によって繰り返し確認されていました。仏陀の教えを騙る経典の偽造・捏造自体が地獄に堕ちる大罪とされていたのです。故に上座部も、他の部派もエピソード的な伝承を除けば教えに大差はない。とにかく現代人には考えられない緊張感のもとで経典が守られて来た経緯があります。
どこかのお坊さんが自分の体験した境地を「仏陀の教え」として表現する、曽我さんも実践されていたような大乗仏教における経典制作プロセスを、仏教経典のスタンダードと考えて「まぁ初期仏教でもそんなもんだろう」と類推するのは間違いです。初期仏教に接するためには、そういう文化的に根深く規定されている日本人の偏見・固定概念を一旦保留しておく必要はあるのです。それが異文化に向き合うときの知識人の普遍的な作法です。

2)に関しては、仏教に対してしているのと同じ精度の文献批判・年代確定作業を他宗教の文献に対して行うと、徐々に成りたたなくなる傾向があります。やはり仏陀の教えの独自性を認めざるを得なくなるようです。中村元さんの弟子である宮元啓一さんの諸著作を読むとそのあたりの変化が読み取れます。

3)の立場を取る場合、依拠する判断基準が自分の主観や好みとなります。経典を読むときもつねに自分の主観や好みによって「読み」が阻害されるため、「疑」は消える事がありません。
「疑」によって教えの実践が阻害されるため、教えを実践する人が煩悩を削減し、悟りの階梯を上り、輪廻を解脱するシステムが機能しません。時間を徒に浪費する結果となります。
しかも悟っていない人間の主観や好みは、貪・瞋・痴に支配されているので、貪・瞋・痴を攻撃する教えを無意識的に破壊し歪曲しようとします。例:大乗仏教の本覚思想、如来による被救済思想などの成立過程を見て下さい。

曽我さんは自分が納得出来ればいつでも自説を撤回すると仰っていますが、そのためにはまず仏教で説いている「縁起」「無我」「我」「輪廻」の定義を学ばれる必要があると思います。
俗的な、あるいは曽我さんの固定概念で構築した「縁起」「無我」「我」「輪廻」の定義を、仏教にぶつけても意味がありません。「それはあなたの勝手な考えでしょ」で終わりです。
特に大乗仏教の思想に影響された学者の説明は概念上の混乱が甚だしいので、それを背負ったままで初期仏教にぶつかると余計に混乱されるでしょう。
ましてや、現代人の俗的な観念としての唯物論を援用した無我説とヒンドゥー教的な理解に基づいた輪廻説をぶつけて、「なんだ、矛盾してるぞおかしいぞ」と文句をつけるのは無茶苦茶です。そんなの釈尊の知ったことではありません。
自分の固定概念が通用しないから、逆ギレして仏教そのものを破壊してやろうと頑張る結果になっておられるのは、たいへん残念です。

たいへん勉強家の曽我さんに向かって失礼かもしれませんが、仏教に文句をいう前に自分の固定概念への愛着を断って、「仏教に文句をつけている自分」を構成している固定概念や信仰・好みというものを客観的に把握して、それを一旦棚上げしてみては如何でしょうか。
そうした上で、仏教の文脈で仏教を学ぶならば、べつに輪廻と縁起=無我には何の矛盾もないことが分かる結果になると思います。僕は現に、何の矛盾も感じていません。
ダンマパダ(法句経)の第一・第二に説かれている事を「なるほど本当だ」と確認出来れば、その点の「疑」は消えます。たとえいま現在「疑」がなくなっていないとしても、「仏教はダンマパダ(法句経)の第一・第二に説かれている事を「なるほど本当だ」とする聖者が説かれた教えなのだ」と理解すれば、無我を説く仏教が同時に輪廻をいうことくらい別にどうってことがない、と分かると思います。

とにかく、仏教用語は仏教の文脈で理解するという基本的な態度は欠かせません。旧約聖書に「空」という言葉が出て来るかといって、それを龍樹の空思想で解釈するのは無理なのと同じことです。同じように、初期仏教の文献を読む場合に、大乗仏教の概念を勝手に援用するのは学問的態度とは言えません。その点を理解して頂いた上で、学道を歩まれますように。

お幸せでありますように。

祈願衆生皆住無憂
佐藤哲朗
(公開はご自由に)

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