曽我逸郎
 こんにちは。水野です。

 拝受、などというのはあまりに無知なメールに丁寧なご回答をいただき、ありがとうございました。はなはだ恐縮しております。

 わたしの説明不足ですが、わたしの初歩的疑問は、「人間から見た人間観であること」=「我執であること」というよりは、「我執を断ち切ろうとする努力」=「我執のなせる業」ではないか、というほうがより正確な表現でした。
 別の言い方をすれば、曽我さんが注18で書かれた、「「それ目指して励め」と説かれる目的」(我執の克服)と、「「本来ない」と説かれる目的」(我執)がそんなにきれいに二分できるものなのかな、という感じです。(単にわたしが我執の意味を誤解しているのかも?)

 それよりもびっくりしたのは、メール送信後に読んだ注8でした。

 つまり、ありがたく受け継がれてきた経典・論書も、ほとんどすべてが反仏教的=実在論的要素を含み、反仏教そのものの経典・論書すらめずらしくない。経典はありがたがって読むべきではなく、批判的に吟味しつつ読まねばならないのである。
 しかしそうなると、絶対的基準がなくなるわけで、いくらでも恣意的な解釈が可能になる。その状況で、正しく仏教を理解するには、やはり自分の仏教理解を仮説と捉え、異なる仏教解釈にぶつけ、戦わせ、鍛え上げるしかないと思う。

 キリスト教にしろ他のどの宗教にしろ、経典は「イコール神(教祖)の言葉」で、絶対の権威を持つものだろうと思い込んでいただけに、仏教はそうではないと知り、大ショック(!!)を受けました。確かに聖書も、恣意的な解釈はいくらでも可能な書物ですが、どうやら仏教の経典のそれは聖書の比ではないようです。そんな状態からいくら意見を戦わせたところで、果たして釈尊の正確な考えがわかるのだろうか・・・、「経典=反仏教」かもしれないなんて、仏教って一体なに・・・。考えたこともなかった想念に、頭がたいへん混乱しております。

 返信メールで、神の存在についての話題が出ましたが、わたしは、人間は神の存在の有無について、(現在までのところ)客観的に肯定も否定もできないのでは、と思っています。神からの直接的な存在表明がないので、「いる」という証拠はない・・・、といって、有限の人知に「神はいない」といえるだけの決定的証拠もない・・・、要するに、神の存在の有無は不可知である、というのがわたしの考えです。

 そして、すべての宗教的主張はそこから出発しなければならない、というのが宗教に求めるわたしの第一条件でもあります。神がいるという基盤に立った教義を説くなら、まず神がいるという証拠を出すべきだし、神がいないのを前提にする教えなら、最初にそこから証明してくれなければなりません。

 したがって(曽我さんの言う)仏教が「絶対なる永遠の神という概念と相容れられない」教えを説く以上、また、「神は、人間の執着の産物であり、弱さの産物である」と否定する以上、仏教は、神はいない、という確たる証拠を握っているのだということでよろしいでしょうか。もしそうなら、その証拠とはなんでしょうか。決してケンカ腰な質問ではなく、前々からの大きな疑問ですので、ぜひ知りたくてお伺いしてみました。

 相変わらず低レベルな感想・質問で、すみません。気分を害されるような文もあるかもしれませんが、決して悪意はありませんので、ご容赦ください。曽我さんの文章からは、たいへん誠実な思考を感じております。そう認めたうえで、自分もそうありたいと願い、僭越ながら愚問を述べさせていただきました。

 言うまでもなく、自分はまだ仏教に無知です。これから少しずつでも学んでいくつもりですし、そうすれば考え方も変わってくるのかもしれませんが、その前に仏教の第一印象とでもいうべき素朴な質問をさせていただくのも無駄ではあるまい、と判断した次第です。

 では、これからもがんばってください。失礼します。


水野さんへの返事(1)

 返事、お待たせしております。やっと今日(4/19)から書き始めます。

3点問題提起を頂いておりました。
(1)我執を断とうとすることも我執ではないか? 「本来ない目的」と「目指すべき目的」は何が異なるのか?
(2)仏教経典は絶対の権威を持たないのか? だとするとそれに頼って釈尊の教えにたどり着けるのか?
(3)仏教は「神はいない」という証拠を握っているのか?

 順番に行きましょう。まず(1)から。 これについては、「あたりまえ、、」本文の注18のとおり前にも同じ質問を頂いたので、今回はこう考えるようになった経緯も含めもう少し詳しく書いてみます。

 「あたりまえ、、」本文で<町からきた娘>が過去を告白します。これは、実は私自身の大学時代の告白です。自分はひとかどの立派な存在としてある筈なのに、世界はそれにふさわしい役割を与えてくれない。ふさわしい扱いをしてくれない。そのことに不満を持ち、腹を立てていました。自分にふさわしい目的・価値を見つけ出せないこと、言い換えれば、自分を捧げるに値する対象を見つけ出せないことに苛立っていました。これは、ひとり私だけの問題ではなく、当時の私の考えでは、すべての人に当てはまることでした。つまり、人々は、自分にふさわしい価値・目的を見出せないことに苦しみ、それから逃れるために、ある時はパチンコや暴走行為やその他の時間潰しにあけくれ、ある時は価値や目的は問わないまま与えられた目前の仕事に没頭しようとし、ある時は学生運動や宗教に走る。つまり、人間のしていることは、99%が自分の生が無意味であることから目をそらしごまかすことである。あるいは自分の生が生きるに値する価値と目的を持つと装い、他人と自分をあざむくことである。そう考えていました。自分を蔑むのと同様にすべての人を蔑んでいました。
 話に聞く芸術家や職人のように、「何故」とか「何のために」とかとは無縁のまま、ひとつのことに熱中できる生き方ができればと憧れながら、どうしても「何故」「何のために」の問いを止められず、この問いの前にあらゆる価値は価値を失いました。「何故」の問いは価値を殺します。合理的・客観的に審査すれば、あらゆる価値・目的は、究極的ではない。これが「自己にも世界にも本来価値や目的はない」と私が言った意味です。
 (頂いたメールで<「本来ないと説かれる目的」=我執>と理解しておられるように読めますが、だとすれば、それは私の説明不足のせいです。「本来ないと説かれる目的」とは、「我執が究極的なものとして設定し捜し求める目的」であり、そのまま我執という訳ではありません。)

 では、「自分にも世界にも究極的な価値も目的もない」と知って、私は救われたでしょうか? 残念ながらNoです。「俺はあらゆる価値・目的から自由だ。ツァラトストラ冒頭の三段階の変身の幼子のように、俺は自分の思いのまま新しい価値を創造する」と雄叫んでみたものの、最初の一歩からして踏み出せない。

 宇宙の大構造にボイドというものがあるそうです。銀河の集団は、シャボンの泡の膜に当たる部分に偏在しており、それに囲まれた広大な泡の部分には、ほとんどまったく星はない。 何千万光年の何もないその空間の只中にひとり漂っているとしたらどうでしょう。右からも左からも前からも後ろからも上からも下からも重力の束縛はない。しかし、重力のみならず光のカケラさえ見えない無限の闇の中で、上下前後左右、なにを基準に方向を定めるのか。その時のたまたまの自分の姿勢しか方向の基準はない。どちらかに進んだとしても、そもそもなにも存在しない無限空間で果たして移動という概念が成り立つのか? つまり私は、あまりにも自由で、進むべき方向を選ぶ基準からも自由で、従ってどの方向も選び得ず、結局どちらへも踏み出せないまま、果てしない自由空間で檻の中の熊のようにいらいらとひとところを行き来していたというわけです。
 大袈裟な比喩ですね。でも当時は真剣で半分自分に酔ってもいました。この「自由過ぎてなにも為し得ない」という話を新左翼系の友人に話したら、ちゃんちゃらおかしいと笑われました。ビラ一枚配っただけで道路交通法違反で逮捕されるのに、自由だなどといえるのは、権力にとって私が何の危険もない無きに等しい存在だからだというのです。確かに彼らの現実的具体的闘争からすれば、私のはまるで抽象的な問題です。私自身も私の苦悩(?)も無きに等しい。

 脱線しました。世界には究極的には目的も価値も無い。これは、合理的客観的に審査した結果です。万人が納得できる普遍的価値はない。でも、こう結論づけて、ボイドの中の熊でいることは、なかなかにしんどいことでした。その苦しみから抜け出そうとすることは、確かに利己的かもしれず、おっしゃるとおり我執かもしれません。しかし、我執と呼ぶには単純なもっと直接的な感覚だと思います。釈尊が一切皆苦と告げられ、そこから離れる道を示されたのに対して、「それは自己を救済せんとすることで、自己にこだわった我執である」と反論することは可能かもしれませんが、そう考えてしまうと永久に苦の中に留まる他はありません。苦しみ助けを求める人にむかって、釈尊が「苦から逃れたいと思うのは、自己愛であり我執である。あなたは苦に留まるべきだ」とおっしゃるとは思えません。
 ですから「我執を断とうとすることも我執だ」という見解は、言葉の形式的な理屈によっているだけで、苦しみを解決したいというもっと直接な気持ちには届いていないと思います。水野さんにこういう疑問を抱かせてしまったのは、注18にも書いたように、私の苦についての記述が足りなかったせいだろうと思います。

 ところで、ボイドを抜け出すには2つの方法が考えられます。ひとつは、心底理屈を超えて熱中できるものに出会うこと。これは幸運な人にだけ許された方法です。とはいえ何日も途切れなく熱中し続けることはできず、熱中・集中の時間と雑事の時間、二つの間を激しく行きつ戻りつするいわば芸術家的な生き方です。
 もうひとつの、努力すれば万人に可能な道は、究極的な目的・価値がないままに苦を離れる道です。究極的価値がないことに苦しむのは、自分にはしかるべき価値があるはずだという思い、つまり我執に原因がある。無我・縁起を知ることによって我執を断ち苦を離れよ。これが仏教であると考えます。
 (さらにふたつ、結局は失敗に終わる対応があります。ひとつは、時間潰しや雑事によって意味の問いを忘れようとすること。もうひとつは、意味・価値をでっちあげてそれが究極的価値だと自分を信じ込ませようとすること、です。ほとんどの人はこのふたつの間を行きつ戻りつして人生を過ごすわけですが、ふたつとも無理があるのでうまく行かず、結局はかえって苦を増大することになります。
 {実を言うと最近は、目の前の仕事にかまけ、気晴らしをし、一喜一憂し、けんかしたり仲直りしたりしながら終わる、究極的価値などとは無縁の人生もまんざらではないなという気もするのですが、この方向に進むと無節操な全肯定に陥るだろうし、この見方は、どこか普通の人生を見下しているような匂いもするので、この方向に行かないよう気をつけねばと思っています。})

 「目指すべき目的」とは、無我・縁起を知ること=我執を断つこと=苦を離れること、です。ですから、こちらの目的は、先にないと言った客観的合理的究極的目的ではなく、実存的といってもいい、もっと直接的に苦しみから離れようとする気持ちです。
 苦しみから抜け出したいという個人的な気持ちを<目的>と表現したのは言い過ぎだと思われるかもしれません。無我・縁起を知り、我執を断ち、苦を離れようとすることは、個々人の実存の問題でありながら、しかし、実は他の人々の救済にもつながっています。「晩秋の集まり」で「あたりまえのことを説く如来」が話すとおり、無我・縁起を知り、我執を断ち、苦を離れ、自己を救済することは、同時に、他の人を救うことだからです。

 「では、人々を救うことは、目的なのか? 客観的合理的究極的普遍的価値なのか?」 このような疑問をもたれたと思います。これは、慈悲という問題の領域です。私は、慈悲について語れるような人間でないので、期待を込めた推測でしかありませんが、無我・縁起を知り、自分が世界のそれぞれと縁起し合う現象であると知った時、有情という他の縁起の現象への、根拠も理由も無い、直接的な気持ちの動きとしての慈悲が働き出すのだと思います。ですから「目指すべき目的」は、客観的・合理的に理由を説明できるような価値・目的ではありません。「なぜ一切有情を救うのか?それが何の為になるのだ?」 そう問われても答えられないのですから、今回のメールの文脈では究極的な目的・価値とも言えないでしょう。しかし、無我・縁起を知った人は、例外なく慈悲を発動させる(はずだ)という意味では、普遍的目的・価値ということは可能かもしれません。

 私の考えをうまく説明できたでしょうか?
・我執を断とうとすることを我執と呼ぶことは可能かもしれないが、苦を離れようとすることであり、否定されるべきではない。
・合理的客観的普遍的究極的な価値・目的はない。自己を苦から救い、他の有情を苦から救うことは、実存と慈悲の領域における目的であり、両者は異なる。

 「我執を断つことによって自己を救う」という言い方は、一見矛盾を含んでいるようで、誤解を招くと行けませんので、蛇足説明します。
 人間は、世界中のあらゆるものと同様、(たとえば魂といわれるような)永続的な実体を持たず(=無我)、世界中の過去と現在の縁によって生まれ変化しいつか終わる縁起の現象である。無我とは、単にまったくない、という意味ではなく、永遠の実体を持たないということであり、時間の中の縁起による現象としてあることを否定するものではない。人間は、存在ではなく、現象であり、現象として熱く、激しく、現象している。時間的な現象であるにもかかわらず変化を恐れ、永遠に憧れ、自分に永遠性を与えようとすることが我執である。たとえば永遠の究極的価値をでっち上げ、それによって自己の永遠化を図ろうとするのも我執の一つである。つまり、「我執を断つことによって自己を救う」とは、永遠を夢想して執着することを止め、執着による苦を離れ、無我なる現象のままに縁起・変化を楽しむ」という意味である。

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 以上、最初の御質問への返事だけやっと書くことができました(4/29)。 後の二つは、これほど長くはならないと思いますが、それでもしばらくは時間がかかりそうなので、とりあえずここまでの分だけ先に送ります。
 申し訳ないのですが、一つお願いがあって、もしこのメールにご意見や御感想を頂けるとしたら、後の二つについての返事もお送りしてからにして頂けませんか? たいした理由ではないのですが、意見交換のページの構成をなるべくシンプルにして、他の見て下さっている方にもなるべく分かりやすくしたいので。すみませんが、宜しくお願いします。

水野様

2000、4、29、  曽我逸郎


水野さんからのメール(2000、5、8)

こんにちは。水野です。
ご返事、今日拝見させていただきました。
(会社がゴールデンウィークで休みだったので)
長文にわたるご回答にたいへん恐縮しております。
プリントアウトして、家でゆっくり読ませていただきます。
感想などは、ご要望どおり、あとでまとめて出させていただきます。
では、失礼します。


水野さんへの返事(2)

前略

 時間が経ちすぎて間の抜けた返事になっています。すみません。頂いた質問の2番目、「仏教経典には絶対の権威はないのか、正しくないこともあり得るのか、もしそうならそんなものに頼って釈尊の真意にたどり着けるのか」について、卑見を述べます。

 経典成立の過程が、そのまま答えになると思いますので、ざっと振り返ってみましょう。
或る程度認められているであろう(と曽我が勝手に判断する)見解は以下に格別の印なしにそのまま記し、曽我の自由な(or勝手な、あまり文献学的研究に根ざさない)想像は<*>で示します。

1)釈尊の説法の性格
 釈尊は、必ずしも体系的に教えを説かれませんでした。その時その場の状況・テーマ・相手・相手の課題に応じて具体的に話されました。
 <準備できていない相手にいきなり真理を説けばかえって混乱させる結果になります。たとえば、因果応報の輪廻が社会道徳・規範の説明原理であった世にあって、無我・縁起だから輪廻はない、と説けば、肝心の無我・縁起よりも、「輪廻はない」だけが一人歩きし、かえって刹那主義とか欲望肯定論といった間違った行い・考えを引き起こし、苦を広げさせることになります。相手の間違った思い込みにすら即して説き、体系的な正しさよりもその時その時の相手を今の場所からあるべき方向に一歩進めさせることを考えておられたと思います。正しい方向に一歩一歩進んでいけば、いずれ自分の間違った思い込みが間違いであったと気づく。例えば、無我・縁起を知れば、輪廻についても分かる。そういうふうに自分で気づくのでなければ、本当の気づきではない。釈尊はこう考えておられたと想像します。>
つまり、まず肝腎の釈尊の説法自体が、救済への導きを第一に優先しており、悪く言えば現場主義で必ずしも体系的一貫性のあるものではなかったと想像します。
また、釈尊は、「犀の角のようにひとり歩め」、「自らを拠り所とせよ」と繰り返し教えられました。<ただ従順に教えに従うのではなく、自ら努め考えることを奨励されました。弟子達による独自の展開を奨励されたと言う事もでき、釈尊を逸脱する展開がうみだされる素地が用意されたとも考えられます。>

2)教えを聞いた側の問題
 <釈尊から直接教えを受けた弟子の中にも、誤解・曲解がありました。例えば、>サーティという比丘が「識は、流転し、輪廻し、不異である。そのように釈尊から教えられた」と言って、先輩・仲間から「そんな事を言ってはならない。それは世尊をそしることだ」とたしなめられる、という話があります。釈尊から直接教えを受けた弟子でさえも、必ずしも全員が釈尊の教えを直ちに正しく理解したわけではなく、互いに自分の理解を主張し合い、議論しあい、検討しあって、理解を深めていたと想像します。<つまり、釈尊存命中に釈尊から直接教えを受けた弟子達の間に既に、理解の不一致があったわけです。>
 <また、釈尊の教え(無我・縁起)は、前代未聞の画期的な考えで、ほとんどの弟子にとっては斬新すぎてすぐにはついていけない内容だったと思います(今の我々にとってもそうであるように。)。ブラフマン・アートマンの世界観で育った弟子の一部は、anatman(無我)をそのまま理解する事ができず、非我説(アートマン(我)は、通常考えられているどのようなもの(例えば色・受・想・行・識のどれ)でもないが、何か超越的なものとしてはある)として理解しました。>

3)教えの伝達過程
 釈尊がなくなられた直後、弟子達はあつまり、それぞれが聞いた釈尊の教えを確認し合います(結集・けつじゅう。この事情を反映して、ほとんどの経典は「如是我聞」「このように私は聞いた」で始まります。)。確認された教えは、まだ文字に書きとめられず、口から口へと後世に伝えられました。当然ながら釈尊の教えは最大限の敬意を持って扱われ、現代の我々の伝言ゲームとはまったくレベルの違う正確さで伝えられていきました。<しかし、伝えていく目的は、釈尊の教えを理解する事にありました。ただ正確に保存する事が最終目的ではありません。したがって、釈尊の言葉を正しく理解したと自覚する仏弟子がいたなら、純粋なる親切心から(いってみれば慈悲心から)伝えられた言葉になにがしかの追加・変更を加えたとしても不思議ではありません。そして、こういった追加・変更は、実はすべてがかならずしも釈尊の意図に沿ったものではなかったろうと考える方が自然だと思います。>
 結集は、その後も繰り返されました。<このことは、逆説的に、グループごとに伝えている教えの間に混乱が生じていたことを示しています。誰もが正しく教えを引き継いでいれば、このような集まりは無用だったでしょう。>誤解・曲解を排除する目的で結集は何度か繰り返されました。<しかし、この過程で、逆に誤解・曲解が釈尊の教えとしてオーソライズされたという可能性も大いにありえます。>
 はじめは仏教徒全体での結集であったものが、時代を経るに従い、一部のグループは参加しない結集があり、さらには、一部グループだけでの結集も行われ、結果として、各グループによって異なった教えを戴くという状況になりました。
 釈尊がなくなられて四、五百年近くがたって、やっと教えは文字にされたようです。しかし、文字に留められた事によって固定されたかというと、そうではなく、口伝の時代と同様、追加・変更が繰り返されました。

4)大乗経典の成立
 とにもかくにも釈尊の教えを伝えてきた出家教団は、次第に専門化し、高度化し、些末化して、一般の人々の生活から遠ざかっていきました。説一切有部をはじめとする部派仏教出家者の研究・思索とは別に、在家の信者は、釈尊の遺骨を納めた塔を参拝するようになります。そこに、釈尊の教えと仏弟子の理想像を感動的に説き聞かせる説法僧が現れました。彼らの目的は、伝えられた教えを正確に広める事より、釈尊の教えの神髄を彼らの信ずるところにしたがって聴衆に共感させる事でした。ここから多様な大乗経典が爆発的に生み出されます(紀元前後から)。<大乗経典は玉石混淆で反仏教的な常住論を説くものも多いけれど、一部般若経のように釈尊の教えを正しく継承し発展させたものもあります。>
 こうして生まれた大乗経典は、北伝仏教(中国・チベット・朝鮮・日本など)では尊重されますが、南伝仏教(スリランカ・ビルマ・タイなど)ではほとんど無視されています。
 大乗経典の多くは、部派仏教を貶め、大乗経典群の中でも、自分こそが最高の教えだ、とそれぞれに主張しています。
 大乗経典は、その後も、新たに生まれ、既存のものも増広され続けます。漢訳の経典はいつ頃誰によって訳されたか比較的明らかになっており、同じ経典が何度か訳されたのを突き合わせていく等、様々な研究によって、本国インドでの増広の過程が随分明らかになってきています。

5)教相判釈
 このようにして生まれた様々な経典が、紀元後2世紀頃から次々と、成立の順序とは無関係に、中国に伝えられます。すべてを釈尊の言葉として受け取った中国の人々は混乱しました。経典の間に多くの矛盾があったからです。その矛盾を解決するために、経典の中にあった、小乗と大乗、方便、了義・未了義、顕経・密教といった概念を使って、経典をランク付けしました。たとえば天台宗は法華経を、華厳宗は華厳経を最高の教えとし、その他をその下に位置づけ、経典全体の統一を図りました。それが教相判釈です。絶対の権威を与えて文字どおりに受け止めるべきではない経典もある、と考えた訳です。

6)不立文字と選択
 禅では、不立文字・教外別伝が言われ、文字で伝えられた経典・論書ではなく、言語化できない直接体験として、師から弟子へ伝えられるものこそ仏教の核心だと考えられています。(そう言いながら、祖師方の言動録として禅は非常に多くの「文字」を残しているのですが、、) これは、あきらかに経典軽視の傾向です。
 また、浄土のグループでは、末法の世に生きる弱く全く頼りにできない自分という自覚の基に選択(せんじゃく・自分にふさわしい教えとふさわしくない教えとを分ける)という思想を立て、無量寿経ほかの浄土経典のみを選び取り、他を捨てるということが行われました。

7)文献学
 それでも、日本で言えば明治頃までは、それぞれのグループごとに、特定の経典と祖師(道元、日蓮、親鸞など)の言葉が、絶対の権威をもっていたといっていいでしょう。しかし、それぞれの教団が宗教的生命力を徐々に失い、同時に明治期にヨーロッパから文献学的研究手法がもたらされました。上に書いた事は、ほとんどすべて文献学の成果であって、結果として、あらゆる経典は相対化されてしまったわけです。
 <特定の教義・教団の影響下に育ったわけではない私としては、最初はニュートラルな立場から、様々な経典に批判的に向き合うことからはじめる他はありません。これはしんどいことですが、間違っているかもしれない教えだけを与えられるよりは、ずっとましな状況だと思います。>

 <例外を無視して極々おおざっぱにまとめると、インドの人々は信じるところにしたがって経典をどんどん拡大し、そのおのおのが自分こそ最高の教えと主張し合い、中国の人々はそれら多くの経典から自分の信ずるものを選り分けてきたわけです。>(勿論、論書のたぐいは一貫して新たに生産され続けました。)
 そして、現代では文献学によって経典は横一列の研究対象になっています。
 <したがって、仏教の歴史では、釈尊入滅の直後から経典のすべてに等しく絶対の権威を与えるということはほとんど無かったといって良いと思います。>


 さてでは、頂いたもうひとつの問題です。「このような状況ではたして釈尊の教えにたどり着けるのか?」

 胸を張って「できる」と言い切る自信はありません。
 しかし、伝えられた経典の中に釈尊の教えは確かに含まれている筈です。それを選び出す事は、少なくともガンジス河の岸の砂に埋もれた一粒の砂金を見つけるよりは実現性があると感じます。

 私の今の方法は、こうです。
 残された様々な経典の中に矛盾があれば、その当時有力であった仏教以外の考えにつながっているものを外からの影響として排除する(たとえば輪廻思想や非我説)。常識的に考えてありそうもない超能力等の記述は、釈尊神格化と考えて排除する。なるべく大きく広い整合性のある体系として仏教を理解する仮説を構築し、さらにその仮説を検証し、解体し、修正していく。
 この作業を継続する事によって、仮説を深め育て、少しずつ釈尊の教えに近づく事ができると考えています。現時点の私の仮説がこのホームページであり、頂いたメールによって仮説を検証し、鍛え上げて頂いているわけです。こうしてパソコンに向かってあれこれ考えていることは(キイボードの横に焼酎グラスを置きながら言える言葉ではありませんが)、見方によれば犀の角のようにひとり歩んでいる訳で、釈尊の教えにかなった事だと思います。
 結局釈尊の教えにたどりつけなくとも、少しずつ近づいていくことができれば、それだけでも私はかまいません。そして、気障な言い方ですが、このホームページが縁になって犀の角が一本でも二本でも増えればうれしいと、結構まじで思っています。


 読み返してみて、誤解を受けそうな点を若干補足します。
 「自らを拠り所にせよ」とは、無我と矛盾するのではないか? そのような疑問を持たれたかもしれません。
 無我は、「単にまったく自分は存在しない」という意味ではありません。このホームページのあちこちにしつこいくらいに書いていますが、無我なる我々は、永続的実体を持つ存在としては存在していないが、縁起により起こり、変化し、いつか終息する現象としては現象しています。現象が自分を存在ではなく現象であると知る事が、人無我の悟りです。 今回の主題を離れるので、この件には深入りしませんが、もしこのような疑問をお持ちでしたら、愚ホームページ(変な言い方、、)の無我についての記述をご覧になってください。


 ところで、キリスト教の聖書は今でも絶対の権威を持っているのですか? 上に書いたとおり文献学はヨーロッパ発のものですし、当然聖書も客観的批判的に研究されていると思っていました。本屋の仏教書コーナーの横には大抵キリスト教の棚があって、死海文書関連の本も並んでいます。キリスト教の知識は絶無に近いのですが、あれは聖書の絶対的権威を脅かしているから話題になっているのではないのですか? おもしろそうだなと何度か手に取りましたが、限られたこの身、あまり手を広げず仏教周辺に留めようと思って、読んでおりませんが、、、

 最後に、仏教経典に関する手ごろな概説書として、岩波新書C153 渡辺照宏 「お経の話」をご紹介しておきます。

 残る宿題は、「(私の解釈する)仏教における神の概念」でした。なるべく早くお送りします。再度、しばしお時間を下さい。
                         草々
水野様

2000、5、29、   曽我逸郎


水野さんからのメール(2000、5、30)

水野です。
返信ちょうだいしました。
たいへん丁寧に教えていただき、感謝を通り越してもっぱら恐縮しています。
まださっと一読しただけですが、
わたしのような初心者にも分かりやすいように書かれていて、
学ぶ点が多いように思いました。
仏教という教えの輪郭が前よりも見えてきたような気がします。
次のおたよりも楽しみにしています。では失礼します。


水野さんへの返事(3)

前略

 ようやく三つ目のご質問に取り掛かります。

 頂いた質問をわたしなりに要約します。
 「神の存在・非存在の証明からすべての宗教的主張は出発すべきである。仏教は神の不在を証明できるか?」

 正直なところ、この質問には面食らいました。考えてみた事もない質問だったからです。水野さんと私の問題意識の違いはどこに由来するのかと考えて、宗教の捉え方にあるのではないかと思い至りました。

 「神の存在・非存在の証明からすべての宗教的主張は出発すべきである」というご意見は、大変ユニークだと思います。
 私は、神の存在・非存在について思い悩んだ事はありません。私の場合は、自分の生が無意味ではないか、どうすれば自分に意義を与えられるのか、という悩みが出発点でした。我執に凝り固まっていたわけですね。実存主義やらニヒリズムにかぶれ、禅寺にも通いつつ、だんだんと煮詰まっていって苦しくなった時に、風に揺れる梢や水面に踊る光や地面をかすめる燕やらに気持ちをほぐされて助けられました。そこに至る過程で仏教の教えを振り返り反芻し試行錯誤しつつ出来上がったのが、無我=縁起=空(私は無我なる縁起の現象であって、世界の一切の現象に開かれており、一切の現象と縁起しあっている)という仏教理解の仮説です。
 読んで頂いたかどうか分かりませんが、恐れ多くも釈尊を私自身の経験に引き当てて想像したのが拙ホームページ、小論集の「釈尊成道の過程」です。史実に照らして正しいかどうかは別にして、宗教のひとつの可能な形の思考実験としては、成立しているのではないでしょうか?

 つまり、絶対的な神を前提としない宗教も可能なのです。これは宗教をどう定義するかの問題で、キリスト教のように絶対的神をたててそれへの信仰を説くものを宗教と呼ぶなら、仏教は宗教ではないのかもしれません。無我=縁起=空は、宗教ではなく、世界観である、という事も可能でしょう。しかし、この世界観には人を救済する力があると信ずるので、私は仏教も宗教と呼びたいと思います。

 仏教のスタートラインは、絶対の神ではなく、苦の認識です。生老病死、ひたすら苦に塗り固められた我々のあり方をどう救うか。これが仏教の出発点です。
 「苦の原因は、執着にある。執着は、無我なる縁起の現象(自分を含む)を永遠・不変だと幻想することによって起こる。永遠にして不変なるものなどなにもない。すべて(自分を含む)は無我なる縁起の現象であると如実に知って執着を吹き消し、無用な苦を作り出す事をやめよ、、、、。」これが釈尊の教えだと思います。

 確かに仏教にも神は現れます。たとえば成道直後の釈尊が教えを説かずに入滅しようと考えられた時、梵天が現われ世に説法して下さいと懇願するなど、経典にはしばしばインド土着の神々が登場します。しかし、それらは物語演出上の脇役でしかなく、絶対の神と呼べるような存在ではありません。
 仏教にはそもそも絶対の神の概念がありません。釈尊御自身には、絶対の神を否定するつもりもなければ、ましてやそのことの証拠も証明も念頭になかった筈です。絶対の神という意識そのものがなかったのですから。
 無記といわれていますが、釈尊はいくつかの質問に敢えて答えを出されませんでした。すなわち、世界は時間的空間的に有限か無限か、肉体と霊魂は同一か別か、死後の存在の有無、といった疑問です。このような問題を追求する事、あるいは、これらの問題に答える事は、苦を滅する事に益しないとして、これらの問いを問う事を否定(禁止)なさいます。絶対の神の存在・非存在は、否定されるべき問いとしてすら現れません。

 ですから「仏教は、絶対なる永遠の神という概念と相容れない」とか「神は、人間の執着の産物であり、弱さの産物である」と主張しているのは、釈尊でも仏教でもありません。現代にあって、キリスト教的な絶対の神の概念と仏教の無我=縁起=空の両方を聞きかじり、仏教に共感した私の判断です。仏教が証拠を握っているという訳ではなく、仏教の「世界観」を学んだ私が、その「世界観」に照らして、「永遠なる絶対の神はない。それは、人間の執着の産物であり、弱さの産物である」と判断しているにすぎません。
 逆に永遠絶対の唯一神信仰の立場から仏教を批判して、「確かに仏教の説く無我=縁起=空は地上世界では正しい。しかし、仏教は地上しか見ていない。変化し壊れる被造物を超えたところに永遠なる絶対の神はまします」と言う事は可能でしょう。ただ仏教徒の私としては、だったら唯一永遠絶対の神を連れてきて、と言いたくなるのですが、、、

 頂いた質問から私の思った事は以上のとおりです。ご質問に正面から答えていないとお怒りかもしれません。けしてはぐらかしているわけではなく、なるべく正直・正確に考える事を書いたつもりですので、どうかご寛恕下さい。簡明な答えはかなわなかったにしても、水野さんの問題探求にわずかなりともなにか資する点がありますように。

 今後とも宜しくご意見ご質問ご批判をお寄せ下さい。では。    草々

水野様

2000、6、5、   曽我逸郎


水野さんからのメール(2000、6、6)

水野です。メールいただきました。
わたしの愚問(謙遜でなく)にていねいに答えてくださり、
ありがとうございました。

曽我さんもおっしゃられているように、
今回の3つの質問を通して感じたことは、
曽我さんとわたしの「宗教の捉え方」だな、ということでした。
宗教への入り方、とでもいうか。

ふたりのどちらが正しいとかではなく、
わたしが思っていた「宗教の捉え方」とは違う宗教観をかいまみることができ、
たいへん興味深く感じました。
宗教について話し合えるような知人など皆無に近いので、
貴重な体験ができたと思います。

最初にメールをお出ししてから2ヶ月余り、
自分なりに仏教について学んでみた中で感じた疑問(またもや愚問ですが)も含め、
近日中に3通のメールに対するわたしの感想・質問を
なるべく簡単に書き送りたいと思っています。
その折はまたよろしくお願いします。
では失礼します。

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