曽我逸郎 様    from 谷 真一郎

 曽我さんにメールを送るために「送受信」をクリックしたら、なんと入れ違いに曽我さんのメールが入って来ました。前回のメールからは1カ月以上たっているのにすごい偶然ですね。
 「ノエマ的自己=無我」という着想、しばらく考えさせて下さい。私のメールの終わりの方で出した原始仏典(ダンマパダ)の「自己をよりどころとせよ」の「自己」にも関係ありそうです。この場合の「自己」とはノエマ・ノエシスの議論ではどちらになるのでしょうか。私も考えてみます。
 それから、仮面(ペルソナ)としての自己、という問題は、仏教との関連では、うかつながら私は全く配慮に入れておりませんでした。ただ、仏教とは別のところで、社会的にはペルソナとして観察されるものは、当人にとっては「コンプレックス」なのではないかな、と思っていた次第です。もちろん「劣等感」という意味ではなく本来の意味の、ひとつの身体に棲む複数の人格群、という意味の「コンプレックス」です(河合隼夫『コンプレックス』(岩波新書)で学びました)。「自己」や「無我」を考察する以上、この問題も避けて通れないわけで、なんだか、以前からの宿題が終わらないうちに新しい宿題を背負ったような気分です。
 25日は、昼過ぎの2時頃にそちらに着けるよう名古屋を出るつもりです。お宅の付近にはまだ自然が多く残っているのでしょうか。森や林があれば、案内していただいて、歩きながら議論を交換し、暗くなってからお酒、ということではどうでしょうか。メールはいつでも出せますが、直接に会話できる機会(時間)というのは限られていますから、最初からどんどん仏教に関する意見交換をしたいと思っております。その議論の流れに触発されて、お互いの今までの見聞や人生経験が交換できればさらにすばらしいことですね。では25・26日、よろしくお願いします。


谷 真一郎さんへの返事

<ホームページを読んで下さっている方へ:谷さんには、このメールと、この前後に頂いたメールと、3通分まとめて10/15のメールに返事を書かせてもらいました。(怠慢ですみません。)順番に読んで下さるようお願いします。>

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