曽我逸郎 様
                from谷 真一郎
<冒頭一部略>
 最近、唯識について多少勉強しております。以前に書いたことかもしれませんが、数年前に原始仏典から出発して少しずつ進んで、唯識にまでたどりついた時に父が病気になったりして、それから2年程中断していたのです。
 6月から7月にかけて『中論』を読み直したのですが、初めてこの本を読んだのとほとんど同じことでした。前回読んだ時には僕はいったい何をわかったつもりでいたのでしょう? それで、現在の自分なりに一応、中観派の考えというものを腹に入れました。

 そして次に、服部正明他『認識と超越・唯識』(角川『仏教の思想4』)と高崎直道『唯識入門』(春秋社)の二冊を読みました。前者は無相唯識、後者は有相唯識の立場で書いていますので、両者の考えの違いもある程度わかりました。以前、曽我さんへのメールで、仏教史の上で有相唯識と無相唯識をとりちがえるという失態をやらかしましたが、あの頃に較べるとだいぶ勉強が進みました。中央公論社『大乗仏典』の『世親論集』、これもかつて一度通読したのですが、『中論』と同じことでもう一度読み直します。そこまで読み終わって初めて「唯識を少々勉強しました」と言えるのでしょうが、曽我さんと直接お話できる日が近づいて来ていますので、その時の材料のひとつにと思い、現時点で書いたメモを送らせていただきます。例によって自分のための覚え書き・走り書きで、他の人に読んでもらうということを念頭に置いていませんので、舌足らずであったり読みにくい部分があることは御容赦下さい。わけのわからん所は飛ばし読みしていただいて結構です。
 <一部略>      草々

 唯識メモ1
 唯識思想が持っている根本的矛盾あるいは論理的破綻は、中観というものが持っていたある種の「狭さ」に由来する、と考えられる。中観の「空」思想を継承しつつその「狭さ」の問題を解決しようとして、唯識はアポリアに陥ったのである。
 中観思想は「現在」という瞬間における「経験」「出来事」しか扱わなかった。それ以外はすべて虚妄なる分別の所産だということを証明した。しかし、それは存在論にとどまり、認識論には触れようとしなかった。
 しかし、特定の瞬間における「経験」も、(それが「さとり」のものであれ「迷い」のものであれ)距離を置いて見ればその瞬間より遡った過去における経験や出来事に規制されている。これがハイデガーの言う「被投性」の領域であって、これはこれで人間存在の一つの側面を完璧に形成している。ただ、「現在」の「経験」「出来事」を唯一の真実として扱う限り、それが主題としては現われて来ない、というだけの話である。
 中観のこの特色は、最もシリアスな問題としては修道論の欠如として現れる。中観の論師に勿論修道はあったろうが、中観ではそれを理論化することが原理的に不可能である。悟った者の目に見えるところの瞬間瞬間の真実はこれである、という事しか言えない。「煩悩即菩提」というのも、悟った者の目を持って初めて見える事である。
 このようにも言えよう。中観が切り拓いたところの「万物」に適用される存在論の地平が、修道によって「空」を悟るに至る仏教的主体そのものに対して自己言及的に適用された時に、論理的アポリアを生じた、と。
 瑜伽派が埋めようとしたのはこの所であった。しかし、ここで根本的な矛盾が生じる。修道を理論化するためには、当然ながら「迷い」の状態から「悟り」の状態への継起的な変化を扱わざるを得ず、従ってその変化の背後にある「迷いの原因」や「悟りの原因」を想定せざるをえない。それらは一定時間に渉って持続するものであって、龍樹の「空」の存在定義からは逸脱するのである。
 瑜伽派すなわち唯識は、個々の瞬間瞬間の意識の背後にあってそれを規定するものを想定してアラヤ識(初期の世親の用語では異熟識)とした。このように持続的に存在している何らかのものを想定して、その中で「迷い」の要素が衰滅し「悟り」の要素が成長してゆく、と考えなければ修道のプロセスは説明できない。しかし、「アラヤ識」の定立は問題を一歩先に延ばしたにすぎないのであって、次には、アラヤ識が刹那滅でありつつ(識が刹那滅するという事自体はアビダルマ以来の理論として崩せない所であったろう)「迷い」や「悟り」の要素(種子(しゅうじ))を持続的に保存する、という矛盾に直面する。

 唯識メモ2
 瑜伽行派の人々は元来は華厳経十地品の「三界唯識」を実感するための修行集団であった。そして、存在論よりも認識論を重視し、その認識論は進歩的な部派たる経量部の影響を非常に大きく受けていた(「迷い」から「悟り」への移行や、認識の構造・輪廻の仕組み等の理論)。
 想像をたくましくするならば、アビダルマ文献に瑜伽師という名前で出てくる人たちは、元来は瞑想修行に熱心で理論面は経量部のものを借用して足れりとしていた。次にその一部が華厳経を信仰するようになって(すなわち大乗化して)、「三界唯識」を実感するための瞑想に励む一方、認識論もこの「三界唯識」説に沿って再構成せねばならなくなった。ここで行われた経量部説の「手直し」が理論としての唯識の出発点だったのではないか。
 しかし、彼らは(その理由は不明だが)ある時点で「摂大乗」すなわち従前の大乗諸理論の総括者であるという自覚を持つ。もともとは中観派とは無縁の、部派の経量部にはるかに近い理論構成を持っていたにもかかわらず、ここで中観の残した「空」理論との整合が必要となり、色々な無理が生じているのである。

 唯識メモ3
 有相唯識と無相唯識の違いは、一般に言われる通り、世親の「識の転変(パリナーマ)」の解釈の違いに由来する、と言ってよいだろう。しかしそれ以前に、「唯識」とはいえその「識」の織りなす世界像の捉え方の違いがあったと考えられる。
 高崎直道『唯識入門』に見る限り、有相唯識はフロイト的な世界である。つまり、それ自体としては意識(自覚)されない無意識(=アラヤ識)が常に意識の背後にあって、意識を恒常的に支配している。意識は無意識の関数といってよい。従って識の転変(パリナーマ)とは、無意識が意識内容を産出しつつ(そして同時に意識経験を無意識の中に貯め込みつつ)、「無意識→意識内容」という単一の形で「識」が刹那滅で相続してゆく、という意味である。
 それに対して無相唯識は、現象的意識(六識+マナス)とアラヤ識を並立関係に置く。「六識+マナス」のうちマナスは死ぬまで等無限縁で継起するが、六識は一定時間の間は等無限縁で一刹那前のものと同じものが生起し、ある時突然全く別の六識が生起する(だから、見えるもの・聞こえるもの・思うこと・等々が時間的に変化する。あたりまえのこと)。これは、アラヤ識内の(それ自体は過去における六識によって生じた)種子が現勢化し、六識にとっての新たな対象を現出したからなのである。無相唯識にとって転変(パリナーマ)とは、六識とアラヤ識との交互作用によって、継起する六識の内容に非連続的な変化が起こることを説明する原理である。あくまで現象的意識に注目し、その説明原理として背後の構造を想定する、というてんで、無相唯識は現象学的と言いうる。
    ***
 いずれの立場を採るにせよ、唯識に共通の理論的欠陥は免れ難い。アラヤ識の中で種子なるものが長期間熟成してから識となって現象する(異熟)というのが、業と輪廻すなわち十二因縁に関する唯識の説明であるが、アラヤ識はそのように持続的に存在するものでありながら、アビダルマ以来の規定を守って刹那滅とされるのである。このてんについての袴谷憲昭の指摘(「『大乗起信論』に関する批判的覚え書き」)は正しい。
 かといってアラヤ識の刹那滅を否定すれば、アラヤ識はもはやアートマンに等しくなる。立場を異にする服部の本にも高崎の本にも共通に書かれていることは、唯識の理論は実際に行われていた修道の経験の理論化であり、そこに出てくる概念の多くは、その理論化のために要請されたものであるということである。「迷い→悟り」という修道の過程が存在するのであれば、その過程を歩む主体も存在せざるをえない。
 中観派は修道過程の問題を忌避し、悟った者の立場から見える世界を(悟っていない者に理解可能な形式で)示すことに終始しているから、唯識の持つこのアポリアには最初から無縁だったと言える。

 唯識メモ4
  アートマンは存在しない、と喝破することから、多くの視野が開けてくる。しかし、「アートマンが存在しない(無我)」ということは単なる知識ではなく、修道によって体得されねばならないことである。とすれば、ある人が修道によって無我を体得したとして、その修道と体得という動作の主体は何か。あるいは、迷いの状態から悟りの状態まで達したというのは「何が(誰が)」達したというのか。
 中観派であればこう答えるであろう。縁起のからみあいの中で修道という出来事(経験)・悟りという出来事(経験)がある(縁起している)だけであって、出来事(経験)の主体は存在しない、と。あるいは、こうも極論するだろう。修道と言い悟りと言ったとたんに、縁起のからみあいの中の一刹那だけのその部分を拡大・固定化して捉えていることになる。厳密に言えば「修道」という「もの」も「悟り」という「もの」も存在しないのだ、と。
 中観派は、すでに悟っている者の、自らがその悟りの中に浸っている「現在時」の立場からものを言っている。ここで「現在時」というのは、悟った彼にしても日常生活においては世俗諦の世界に住んでいるのだから、「中論」の諸テーゼがそのまま意識内容として現象しているのは彼の禅定時に限られるだろうからである。時計の上では一定時間の禅定が続いたとしても、意識の上ではそれはひとまとまりの「現在」である。
 「勝義諦」「世俗諦」と並べると前者がホントで後者はせいぜいその代用品、といった印象を受けるが、時間性の問題で言うならば、勝義諦とは「現在時」に於いて(従って「瞬間」に)のみ成立する真理であり、世俗諦とは、過去に於いて既に形成された諸要因(業)を背負った上で、悟りという状態に向けて自ら(という主体)を投企する場合のよりどころとなる真理である。ウソ・ホントという判別をするならば、勝義諦は現在時でのホント、世俗諦は過去時を背負って未来時に投企するという日常の姿におけるホントである。
 唯識は、世俗諦における真理として作られた理論である(後に述べるように、根本的な欠陥はあるが)。そして、世俗諦の成立する日常の場所においては、我々は過去を背負い未来に向けて自らを投企していくのであるから、袴谷氏や松本氏の言うこととは異なって、被投性の形で形成された自己、という「基体」は存在する(それが失われたら分裂病になる)。唯識では(後述するような欠陥はあるが)、アラヤ識という概念でその基体をあらわしている。それを「刹那滅」とせねばならない論理的必然性はない。
(参考:原始仏典で、「〜は我に非ず、我所に非ず」という観法がしばしば出て来る一方で、「自己をよりどころとせよ」と主体性が強調されることを考え併せてみる必要がある。)

(追)唯識の欠陥、というのは、アラヤ識の刹那滅の事ではなく、もっと根本的な問題で、ここにはまだ書いてありません。要約すればこういうことです。「三界唯心」「唯識無境」とし、その「識」の内容の根源が個人別に存在するアラヤ識である、としてしまうことで、我々の生存・人生における「自己の外部」「外部との出会い」というものが認められなくなってしまうのではないか、ということです。


谷 真一郎さんへの返事

<ホームページを読んで頂いている方へ:返事を書かないままに、この後、更に2通谷さんからメールを頂きました。10/15に頂いたメールへの返事に、たいした中身はありませんが3通分まとめてお返事をさせて頂きました。順番に読んで下さるようお願いします。>

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