曽我逸郎
曽我さん

返信、遅くなりました。

現象自体には、意味や意義というものはないのではないか、と思います。これは、現象自体の存在理由の否定ではありません。つまり、現象は単なる現象であって、意味や意義は人間が創り出したものではないか、と今は考えます。

この現象である世界では、様々なことが起こります。大自然の恵み、豊かさ、そして人間は何て素晴らしいんだと感じるようなことがあるかと思えば、戦争や犯罪や醜いこともあります。でも、これは私の感情や判断であって現象として見る限りでは、単なる現象に過ぎません。

山岡鉄舟のことを書いた小説(津本陽だったと思います)を読んでいる時禅の修行によって到達する境地の説明があったように記憶していますが、そのなかに誰かが吐いたものを食べたエピソードや死んだ人の歯が美しく見えたという話が載っていました。

現象として世界は、単なる現象でしかない。しかし、人間がどう見るかによって世界に対する感じ方は変わるし、或いは、現象としての世界をありのままに認識し思考を進めていくと、すべては美しい世界へと変わっていくのかもしれません。

現象とここでは書きましたが、私にとっては、私自身と眼前に現われている世界を何と呼ぶべきなのか、まだ判断ができずにいます。ただ、この世界は単なる世界であって、意味や意義は出てこない。それは、人間が設定するものだと想います。善行も悪行も等しく単なる行為にすぎない。そのように感じられます。

ここのところ、曽我さん、佐倉さん、佐々木さんのHPとショーペンハウエルの「意志と表象としての世界」とを繰り返し参照しながら、考えを進めようとしています。

1999年2月11日 0:30 池田政信


池田さんへの返事(99年2月18日)

 メールありがとうございます。

 おっしゃるとおり、私も様々な現象の間に価値の優劣はないと思います。正邪も、美醜も、善悪も、聖俗もない。習ってきた言葉が価値のレッテルを我々の見ている現象に貼りつけ、それに縛られて我々は周囲の現象を見ています。

 言葉の呪縛を離れてありのままに見れば、おそらくすべては等しく美しい筈です。天皇も人民も神も仏も国宝もゴキブリの羽のテカリも、欲に血走った目も、戦場の屍の蛆の湧いた傷口も、どれもこれも一回きりの現象として、何もかもがきらきら輝いていると思います。

 しかし、中途半端に頭だけでこれを考えれば、自堕落で無批判な全肯定の論理に堕落する危険性があります。
「善悪・正邪をあげつらうは人の賢しら。この世のことはすべてよし。」 時代劇に時々でてくる色と欲にまみれた悪徳僧正が、「仏の教えは色即是空じゃ、むふ、むふ、むふふふふ、、」とほくそえむことができるのもこの論理のおかげです。苦しんでいる有情を見ても、「それが定めじゃ」と放っておくことができます。欲望・執着・我執をたっぷりと抱え込んだ中途半端な人間にとっては、あらゆる欲望を肯定してくれる願ってもない論理になります。

 しかし、外の現象の無我だけでなく、また分析された(客体として立てられた)自分の無我でなく、真の主体の自己も含んだ(=主客未分での)無我を知れば、すべての執着は消えるはずです。そしてすべての現象が、一回きりのかけがえのない現象として見えてくるはずです。意味はないけれどかけがえのない愛しく美しい変わり行く現象として。そしてそのとき慈悲が働き出すと信じたい。

 こうやってインターネット上では匿名性に隠れてご立派なことを書いていますが、現実の私は、ほんとにつまらん人間です。慈悲どころか、昔からの癖で、たとえば電車とかで居合わせた知らない人をすぐ軽蔑してしまっています。でも、どんな人でもまず愛して、無我・縁起・空を知ってもらいたいと思える人間になりたいと思います。(と、また立派なことを書いてしまった。でも、どんなに実体とかけ離れたきれいごとでも、書いてしまえば本人も少しはその気になるでしょうし、まったく意味のないことでもないでしょう。いつかどこかでお会いすることがあっても、どうかがっかりしないようにして下さい。)

 ところで釈尊はどんな方だったのでしょうか。一度だけでもタイムトラベルができるなら、釈尊の歩き方、しゃべり方、表情、人柄に一瞬でも触れてみたいものです。

 佐倉さんに習って、頂いたメールや私の返事をHPに掲載しようかと考えています。HPの構成がだんだんぐちゃぐちゃになってきているので、それもそろそろ気になってきたし、どうするかまだ決めていませんが、池田さんとのやりとり公開してもかまいませんか? まずければ連絡ください。

曽我逸郎


池田さんからの返事(99年2月21日)

曾我様

私とのやりとりですが、そのまま公開していただいてかまいません。というよりやりとりは、本来公開であるべきだと考えています。公開でやれないようなやりとりを人はしてはならない。

理想をつい語ってしまいましたが、私自身、未熟で愚かな人間に過ぎません。後から見ると見るに耐えないやりとりをしてしまうこともあるでしょう。このことを分かたうえで、公開で、こちらからお願いしたいと思います。

風邪なのかインフルエンザなのか不明ですが、久しぶりに熱を出し寝込み仕事を二日も休んでしまいました。

現象と意味付けに関する返信は、時をあらためて考えがまとまりしだいということで、失礼いたします。

1999年2月21日 23:33 池田政信

意見交換のリストへ戻る  ホームページへ戻る