……曽我逸郎様……             from谷真一郎
 お返事ありがとうございます。
 ご家族は伊那谷にお住まいとか、あの南アルプスの眺望をほしいままにされておられるとはうらやましいことです。根っから都会育ちの私は、山や森に対する愛着はあるものの、その中に住処を定めるということは一生できずに終わりそうです。南アルプスの大山塊(登山したことは一度だけですが)や、その西麓を走る中央構造線の谷間(高遠から南へ下る道)に対しては、以前からあこがれを持っていました。南信濃村の遠山郷を一度だけ訪れた事がありますが、忘れられない場所です。
 私の妻が子供時代を奥三河ですごしています。晩秋の頃に「花祭り」というのがあって、下伊那の「霜月祭り」と同系統のものと聞いています。妻の実家の本家がその「花祭り」の中心になっている家のひとつで、そういう縁もあって、徹夜で踊るその祭りを見に行った事もあります。

 仏教の教えの最も本質的なところは何なのでしょうか?
 書物によってある程度の事を知ると、その基本的な問いに答えることがさらに難しくなりそうです。
 しかし一方では、インドや中国・日本その他の各地の各時代に「仏の教え」(であると、その時その場では信じられていたところのもの)によって常人では至り難い境地に昇ったり、尊敬されるべき人生を送ったりした人が多くあります。
 昨年、NHK特集で各国の仏教のありさまを紹介していましたが、教義でくくろうとする限り、各国のそれらは同じ宗教とはとても言えないくらいに違ってしまっています。中国では中国人、タイではタイ人の文化や人生観を、仏教を通して表現したようなものとなっているのです。
 しかし、それらはすべて、紀元前5〜4世紀のインドに生きた一人の人物に発しているわけです。どうせここまで土着化してしまうのであれば、自民族の中から発生した宗教の方が好都合に思われますが、どの国でも仏教が弾圧された事は少なく、民衆にも権力者にもおおむね大切にされてきました。
 各国でそれぞれの歴史を刻んだ仏教の多様性・土着性の価値を認めたいと思います。その上で、「(各国で)なぜ『仏教』でなければならなかったか」を考えたいと思います。といっても博学通覧である必要はなく、インドで発生してから中国を経て我が国に伝来するまでの教義展開のあらすじと、我が国の仏教(仏教者)の歴史を学ぶ事で、自分にとっての仏教を納得したいと思っております。
 特に、平安末期に出現した「聖」という修行者たちには興味とあこがれとを持ち続けております。高野山の一角に小さな「ほこら」があり、それは明遍(みょうへん)という聖の墓なのですが、当時の聖の世界では有名人で多くの文書にその名が残っている明遍の墓がこのようにつつましやかであることに、大きな感銘を受けます。(これは五来重『高野聖』の冒頭の部分のリライトなのですが、私も実際にそこを訪れて同様の感銘を持ちました。)
 このような私のアプローチのしかたから見ると、駒沢大の袴谷・松本両氏の主張は、その一徹かつ純粋で権威に順応しない姿勢は尊敬できますが、堅苦しくて窮屈なようにも思えるわけです。
 ある思想の流れの出発点にある人物の思想を仔細に検討・確定し、その「原像」を明らかにする、という作業はもちろん有意義なものと思います。しかし、その「原像」との距離や相違によって、以後の展開の所産を評価したり批判したりする、という方法は、あまり生産的とは言えないと思われます。
 仏教以外の分野に例を採りますと、たとえばキリスト教はパウロがゆがめたから(ましてや以後のカトリックの歴史の中ではめちゃめちゃにゆがめられたから)、人間イエス自身の思想に戻って考察すべきだ、という主張がありますし、私たちの若い頃に盛んだった「初期マルクス研究」も、スターリンは批判され、レーニンもダメ、エンゲルスも「マルクスを理解していない」、とだんだんさかのぼって、マルクスも後期思想は単なる経済論であって初期マルクスの疎外論こそが……という展開だったと記憶しております。
 正系も異端も含めた膨大なキリスト教史の中にこそ、私たちが学ぶべき思想的冒険や尊敬すべき生き方がいっぱい含まれておりますし、20世紀の巨大イベントであった「マルクス主義」運動の歴史の中にこそ(それが最終的に失敗に終ったために今は軽視されておりますが)、情況に対峙する思想や生き方の極限的な姿を多く学ぶことができると思います。
 輪廻説、如来蔵、密教、浄土教、ましてや神仏習合、いずれも釈尊個人の悟りとは関係のない(あるいは関係の薄い)事です。しかし、仏教史の中ではそれらのアイデアが多くの人の精神を励起し、豊かな所産を残しているのであって、私としては欲張ってそれらをも「仏教」の中に入れて学んでいきたいと思っております。

 ところで、(これから書かせていただく事は曽我さんにとってはとっくに確認済みの事かもしれませんが)仏教の伝統の中では、曽我さんの表現の方法である「偽経」は充分に根拠を持ったものと考えます。いわゆる三蔵の中で経とは「仏説」ですが、その「仏」概念は決して歴史的人物としての仏陀にとどまるものではなく、法身仏にまで拡張されます。大乗仏典が仏説を自称する根拠はもちろんここにあります。しかし通常の思想的あるいは文学的作品とは異なり、その表現主体が個別化されない(いわゆる法身として遍満する)ため、いったん作られた経は別の仏教者によって次々と改作・増補あるいは抄出され、般若経・華厳経等の同名の経で著しく長いもの・短いものが残っていくわけです。
 日本では何故か、今まで偽経は作られませんでした。その中で、論ではなくあくまで経として表現された曽我さんの姿勢にはひとつの「決意」を感ずる次第です。この「偽経」が、インターネットという現代の媒介手段に助けられて、他の表現主体による自由な改作・増補が流通する事になれば痛快な事と思います。かく言う私も、曽我さんの「般若経」に増補を試みるのであればこのてんかな、という考えがあります。しかしそれを「論」として述べるのではなく「経」として表現するには、曽我さんがあのHPを開かれたのに匹敵するだけのテンションを必要とするわけで、軽々にできることではありません。
 では、今日はこれで失礼いたします。職場(県立高校)では「コンピューターを扱える人たち」グループの末端付近に(年齢的にも?)位置しており、「実力テストの個人成績表を印刷するマクロ(ロータス123)」なるものを作るのに数日かかりきっておりました。昨晩一応完成して、今日は気楽な日曜日をすごしております。インフルエンザもはやっております。御健勝に。草々

(このメールにはお返事を差し上げないままになっていました。すみません。曽我)

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