タイタニック(ラストシーン)

 ニューヨークへ向けて初航行中の豪華客船タイタニック号は、1912年4月14日午後11時40分、氷山に衝突し約3時間後の15日午前2時30分、4000メートルの海中に沈没した。乗客乗員2200名中助かったのは三分の一の700名余りに過ぎず、あとの1500名は船と運命を共にした。

 一昨年日本で上映された映画「タイタニック」の評判につられてレンタルビデオで見たが、、その後、1943年制作のドイツ映画「タイタニック」、制作年は分からないが、「タイタニック、運命の航海」の2本の映画をみるチャンスがあった。

 映画という娯楽性のためやむを得ない事かもしれないが、タイタニック号に乗り合わせた若い男女の偶然の出会いによって生じたロマンスをタイタニック号の運命に合わせて悲劇的に描くという手法になんともいえない空しさを感じてしまうのであるが、こういうことを言うと大方の反発をかうのであろうか。

 タイタニック号が、流氷の発生時期である季節に何らの警戒心も示さずに最大速度に近い速度でひたすらニューヨークに向けて航行を続けたことについては、タイタニックの所有者であるホワイトスター社の社長イスメイが会社の業績向上のため、あるいは功名心のために船長達の反対を無視して船のスピードを上げさせたためであるとされている。

 確かにそいう一面があったかもしれないが、事柄はそんなに単純なことではなかったような気がするのである。

 同じように大西洋を航行していた船から何通かの流氷群の存在を知らせる電報が入っていたのに何故それらに大きな関心が払われなかったのか、見張り台にいた見張り役の手に何故双眼鏡がなかったのか、夜間とはいえ、何故約400メートルの近くに接近するまで氷山を発見することが出来なかったのか、遭難のSOSを発信したのが何故衝突後30分であったのか・・・・・etcである。

 タイタニック号の建設当時、いつのまにか確かな根拠のないままに不沈船というレッテルが張られ、ただ船がとてつもなく大きく豪華だというだけで人々がそれを信じてしまった、あるいは信じさせられてしまったというところに最大の原因が潜んでいたのではないかと考えられる。

 そして犠牲者の数が乗客乗員の三分の二にもなった最大の原因は次の2点に要約されるのではなかろうか。

 ひとつは救命ボートの数が乗員定数の三分の一しか備えられていなかったことと同時に、緊急のための避難訓練がなされておらず、そのために定員に満たずにボートが降ろされてしまったこと、もうひとつは直ぐ近く(急げば1時間前後の時間で遭難現場に到着することが出来る位置)にいたカリフォルニアン号が事故に気付かずにそのまま翌朝まで救助に向かわなかったことである。
 

 救命ボートについて言えばその数は当時のイギリスの法律で定められていた基準をクリヤーしていたとのことであって一概に非難されるべきではないことかもしれないが、今日の常識からすれば考えられないことである。もっとも船自体が沈まない救命ボートであると考えられていた故に、何か異常が生じても何時間かの後には他の船が救助に来てくれるのだからそれまで待っておればいいという考え方もあったようである。

 後者の場合、そこには全てのことが悪い方向へ悪い方向へと悲劇的に展開されて行く運命の神のいたずらがあったとしか思えないような気がしてならない。
 
 1895年、イタリア人のマルコーニによって発明された無線通信がようやく実用化され、タイタニック号にも無線機が設置され、二人の無線通信士が乗船し勤務についていた。

 しかし当時は、船上から陸地に電報を打つことが乗客達のひとつのステイタスとなっていたので、遭難当日も殺到する電文をさばくのに忙殺され、時々入って来た氷山に関する情報が無視されがちであったようである。

 タイタニック号が氷山に衝突し、無線でSOSを発信したのは事故30分後の4月15日午前零時15分頃とされている。この遅れが悲劇の初めとなってしまった。 

 午後10時20分頃、タイタニック号の近くの海域にいたカリフォルニアン号は氷山群に取り囲まれてしまったので、その夜は停船して一夜を過ごすこととし、タイタニック号の無線士に氷山に注意するよう告げた。これに対しタイタニック号の無線士は忙しいから少し黙っていてくれと素っ気無い返事をする。その後カリフォルニアン号の無線士は業務を終え、11時30分に就寝した。しかしそのあと無線機の好きな航海士が無線室に入りダイアルなどをいじっていたが、操作の詳しいことは知らないので彼も自室に引き揚げた。この時刻がSOS発信の数分前であったと言われている。

 次に同じくカリフォルニアン号の航海士はタイタニック号が発射した白色の信号弾を目撃した(0時45分頃)。ただし遭難信号は赤色と決められていたので念のためタイタニック号へ灯火によるモールス信号を送ったが何の反応もない。この時、既に勤務を終了して就寝していた無線士を起こして無線による連絡をとっておれば事情は違っていたかもしれないが、その航海士はせっかく休んでいる通信士を起こしに行くのをためらった。ただ船長には信号弾を目撃したことを報告したが、船長は灯火によるモールス信号を続けるよう指示はしたがそれ以上の措置はとらなかった。

 一方、約58海里(約107キロメートル)離れた位置にいたカルパチア号の無線士はやはり11時30分ごろ、一日の仕事を終え寝ようとしていたが、最後に出した電報の返事を待つために受話器を耳にかけていたところへタイタニック号からのSOSが飛び込んで来た。直ぐ船長に報告され直ちに救助に向かったが、カルパチア号が現場に到着したのはタイタニック沈没の1時間40分後であったという。

 この2船の位置と遭難信号に対する認識の相違、あるいは対応の仕方の違いが事故を大きくした原因であることを考えると、タイタニック号は何か目に見えない運命の手によって操られていたとしか思えないのである。("無線通信"へ戻る) (”ラジオ受信機と真空管”へ戻る

 さらに、タイタニック号遭難の14年前に同じ程度の大きさの船が同じようにニューヨーク航路の途中で氷山に衝突して沈没するという小説が発表されていたということと思い合わせると、一段とその感が深いのである。(タイタニック)(01/05/15)